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【小小説】ナノノベル

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短いお話はいかがでしょうか
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2021年4月の記事一覧

愛の封じ手

愛の封じ手

「矢倉がお好きなんですね」
「ええ、まあ……」

 年中矢倉戦法を採用しておいて、嫌いとは言えない。勝率だって悪くはなかったが、私が本当に好きなのは四間飛車だった。振り飛車のさばきに昔から強い憧れを持っていた。囲いだって美濃囲いが堅いと思うし、銀冠は何よりも優れていると思う。

(あの先生のようにさばけたら……)

 華麗なさばきで飛車や角や左桂を自在に操る。守っても粘り強く戦って美濃囲いを維持す

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さよなら、マンボウ

 動いているのはこちらか、あちらか。互いに動くものだから、それを見極めるには時がかかる。似たもの同士が向き合っている間は、鏡を見ているのと同じで、何も新しい発見がない。長い列車が謎解きを遅延させている。プライスダウンの矢印が「それ」が指すものを探して回り始める。問題の誤りは例文の中にあるのだとしても、先生が手を加えることを躊躇っている間に、ワゴンの中から未知の生き物が目を覚まそうとしている。

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出過ぎクレーマー/出来過ぎオペレーター

出過ぎクレーマー/出来過ぎオペレーター

「お待たせいたしました」
「おー、あんたんとこな。ちょっと高すぎんな。そう思わへん?」
「貴重なご意見、誠にありがとうございます」

「料金も高いし、CMも何か凝っとんな。ストーリーか」
「物語風に作らせていただいております」
「何が風やねん! 金かけすぎちゃうか」
「より多くの皆様方に知っていただけるよう放送させていただいておりますが、貴重な意見として承りさせていただきます」

「ほんで犬出過ぎ

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コンプライアンス時代劇

コンプライアンス時代劇

「ここで会ったが百年目。長かったぜ」
「待たせたようだな」
 ※ 本ドラマでは、時代背景を踏まえ、侍、商人、村人、浪人、旅人またその他の通行人を含めマスクを着けずに演技しております。ご理解の上でドラマをお楽しみください。

「今日という日をどれだけ待ったことか」
「ふん。執念深い奴だな」
「俺の刀を受けやがれ」
「望むところだ。しかし拙者は夕べから何も食っておらぬ」
「ならばまずは飯じゃ。腹が減っ

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モラトリアム温泉

モラトリアム温泉

「ごはんですよ」

 彼方から急かすような声がするが、僕はまだ動きたくはなかった。このまま不死身になるまでここにいたい。ずっとこのままでいい。世界はどうして先へ先へ向かおうとするのか、僕にはそれがずっと腑に落ちないでいた。誰かが再生ボタンを押しっ放しにしたに違いない。幸福は果たして追いかけるものだろうか。ただ知ればいいと思うのに。ここに完成された船がもうあるではないか。

「春ですよ」
 旅立ちで

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マスク・パーティ ~リーダーの短い夜

マスク・パーティ ~リーダーの短い夜

 おもてなしの中心にはいつだってお客様の存在があった。わざわざ足を運んでいただくお客様に美味しいものを届けることによって自然と現れる微笑みを、少し離れたところからそっと見届けることこそが、私たちの喜びなのだった。昭和の時代から受け継いできた精神を大切に守り、一人一人のかけがえのないお客様のために心を込めたおもてなしをする。そうした地道な仕事の積み重ねがきっとお客様との信頼をつなぐのではないだろうか

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ドタバタ IoT

ドタバタ IoT

 高度に発達したIoTが風邪を引いた。
 切れたテレビが再び明るくなりドクターはメスを手にして戻ってくる。それは予定にないオペだ。カーテンが開く。窓が開く。風が入る。虫が入る。乾いた洗濯物がぐちゃぐちゃに乱れてドラムの中に帰って行く。ガタガタガタ。エアコンが送風を止めてクラウド上の写真ファイルを吸い込んでいく。

「ああ。思い出が!」
 冷蔵庫の扉が全開になってジュース、野菜、玉子、魚の切り身が飛

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馬上の旅

 父の手が背中に触れているので安心だった。ゆっくりと一歩一歩僕は前に進む。長い脚の先がコツコツと地面を叩く音。地上を見下ろせば恐怖が増すので、なるべく先の方に目を向けるように努めた。

「いる?」
「ああ、いるよ。後ろは大丈夫だから」
 最も恐ろしいのは常に視界のない背後、そこに父がいると思えると心強かった。
「いる?」
「いるよ」
 けれども、だんだんと声が小さくなっていく。確かめたいけれど、振

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スパイ・コーチング

スパイ・コーチング

 餅についたきな粉が風に舞って目がかゆくなった。
「おつかれ。ナイス・ピッチング!」
「ありがとうございます」
「次は12年後だからな」
 きな粉を吐きながらコーチが言った。
 えっ?

「10年は何もするんじゃないぞ」
 ゆっくり風呂に浸かるようにとコーチは言った。
 しばらく田舎にでも帰るとするか。国々の温泉を気ままにまわってみるのも面白そうだ。今夜の勝利賞があれば、それくらいはのんびりとでき

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熱く語れ(マスク会食カウンター)

熱く語れ(マスク会食カウンター)

「何がマスク会食や。そんなもんずっとやってるわ。半世紀以上やっとんねん。何を今更やねん」

 おじさんはマスクを取って麺をズルズルと啜った。一口スープを飲むと再びマスクを着けた。

「言われんでもやるっちゅうねん。常識やろ。こんなん普通の日常やんけ。元は俺が考えたんちゃうか。それやったらそれなりのもんはもらわなあかんで。何でもただちゃうんやから。ただほど高いもんあるんか。あったらつれて来い。ここへ

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レイト・ショー

「あとから入れてください」
(しなしなになってしまいます)
 君にしんみりとしてほしくない。溶けてなくなってほしくない。後回しにしたくない性格との闘い。君は欲望に負けてはならない。

 サクサク♪

 君の心を弾ませるもの。ロック、フットボール、お祭り、コーヒー、夏休み、サイエンス、テクノロジー、映画、コント、ガジェット、言葉遊び、メリーゴーラウンド、飛行機、コラム・エッセイ、ボードゲーム……。あ

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ショルダー・ビート・ストリート

ショルダー・ビート・ストリート

ズズチャチャズンズン♪
ズンズンチャチャズッズ♪
ズズドンドンチャッチャ♪

肩に重低音を担いで男は歩いてくる

「何だ? どっかで聞いたことあるな」
「あーん?」

チャカチャンチャンチャン♪

ジズチャチャジントンセ♪
バッハハズズダンダンダン♪
ビシビシズンドンドンズッ♪

「人の作品じゃないか」
「そうだよ。何か?」
「楽しいの?」
「イエーイ! これさえあれば、ビーハッピー!」

チャカ

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ワンサイド・ジャーニー

 そばを食べようとして口笛が鳴ってしまったので、犬が駆けてきた。何かがそこにあるのだと思って……。
「違うんだ」
 犬に誤解だと説明するが上手く伝わらない。
「呼んだんだろう」
 ずっと私の顔をにらみつけているのだ。店の人が怪訝な顔でこちらを見ている。いや違うんですよ。ただそばを食べる時の口の形がたまたまそうなっちゃって……。というのもやっぱり伝わらない。座敷の下に犬を置いたまま仕方なくそばを食べ

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エンドレス・ハンド

エンドレス・ハンド

 手を叩いて笑ったのはいつだったろうか。私は記憶を遡る。遙か彼方まで遡っても思い出せない。遙か昔に、幸せは指の隙間から零れ落ちていった。時は戻らない。もしも魔法が使えて戻せるのだとしても、私だけのために魔法を使うことは躊躇われた。ほんの些細な事柄にでも手を加えるということは、世界全体を動かしてしまうことになるかもしれない。そんな大それたことが自分にできるのだろうか。想像しただけで気が滅入ってしまう

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