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マスク・パーティ ~リーダーの短い夜

 おもてなしの中心にはいつだってお客様の存在があった。わざわざ足を運んでいただくお客様に美味しいものを届けることによって自然と現れる微笑みを、少し離れたところからそっと見届けることこそが、私たちの喜びなのだった。昭和の時代から受け継いできた精神を大切に守り、一人一人のかけがえのないお客様のために心を込めたおもてなしをする。そうした地道な仕事の積み重ねがきっとお客様との信頼をつなぐのではないだろうか。私たちは床に落ちた紙屑1つを見逃さない。テーブルの上から店の隅々に至るまで、常に細心の注意を払ってお客様に尽くすのだ。私たちに与えられた仕事は、すべてお客様という存在があってこそのものだから。

「店長お疲れさまです」
「おー、お疲れ」
「あそこの2番テーブルなんですけど、ちょっとまずいんじゃ……」
「ああ確かに。よし。僕ちょっと行ってくるよ」

「コラーッ! 食べながらしゃべんなー! 店つぶす気かー! そないしゃべりたいんやったらちゃんとマスクしてやー! 他のお客さんみんなやってんでー。ほんまちゃんとしてやー。よろしく頼みます。えー、こちらの麺でございますが、大変にこだわりのある麺となっております。こちらは私自らの足で踏みつけて腰を作ってございます。朝もはよからですね、真心込めてこれでもかこれでもかとばかりに踏みつけることによって、他ではなかなか味わえない自慢の麺となっておりますので、どうぞごゆっくりとお楽しみくださいませ。失礼いたしました」

 何度でも足を運んでいただきたい。私たちのおもてなしを存分に楽しんでいただきたい。時に、私はお客様に対して厳しいことも言わなければならない。それによって多少不快な思いをするお客様も出てくるかもしれない。けれども、お客様の健康と安全のことを考えれば、決して黙っておくことはできない。長い目で見てすべてはお客様のためである。

「店長15番テーブルの若い方たちですけど、大丈夫でしょうか」
「あれちょっと声でかいな。よし僕行くわ」

「ちょっとコラーッ! 若者がー! お前ら子供かー! 何がそんな楽しいんやー! 朝から晩まで働いて何も楽しいことあるかー! 食べたりしゃべったり同じペースでしとったらあかんでー! 今や緊急事態並の事態になってんねんで。食べ物口に入れるや否やすぐマスクせんかーい! そんでからしゃべらんかーい! わかっとんのかい。よろしく頼みまーす。えー、そちらのサラダに使われておりますお野菜でございますが、すべて厳選された素材となっております。長年つきあいのあった農家を昨年切らせていただきまして、新たに契約させていただきました山田さんとこより仕入れさせていただいております。特別有機栽培の安心安全のお野菜、また、お味の方も他とは違う大変味わいのあるものとなっております。どうぞごゆっくりお楽しみくださいませ。失礼いたしました」

 大好きな人たちとテーブルを囲み、素敵なディナーをいただくこと。それこそが人間に与えられた最大の楽しみなのかもしれない。私たちはそんな素敵なひと時のために、少しでもお客様の助けになればいいと願っている。星の数ほどある店の中から、私たちの店を選んでいただいたお客様へ、それはささやかな恩返しのようなものだ。素敵な夜が、できれば長く長く続いてほしいが、時代がそれを許さないことがある。誰であれ限りある人生だというのに、夜がこれほどまでに短くなってしまうとは……。ラスト・オーダーはもうまもなくだ。

「店長大変です! 7番テーブルのパーティーが盛り上がってます」
「少しくらいかまへんで」
「いや少しどころか超えちゃってます」
「仕方ないか。僕ちょって行ってくるわな」

「おーコラーッ! どこのおばはんやー! マスクもせんとしゃべり倒してからに、そんなんするんやったら家で隠れてやってやー。うちがおかしな店や思われたらどないしてくれんねん! 追い出したろかコラーッ! 黙って見とったら調子乗ってどんだけしゃべることあんねんマスクもせんと。お前らとっととマスクせーよー! わかったかー! よろしく頼みまーす。えー、こちらのお肉でございますが、スペイン産の黒角牛を当店自慢の特製醤油だれに三日三晩つけ込んだ後、12日間かけてじっくりことこと煮込んだものでございます。こちらのライスでございますが、新潟産コシヒカリ風米を、当店に古くからある釜で炊き上げて参りました。お米の一粒一粒がおもてなしの心を秘めて立ち上がっているのがおわかりかと存じます。皆様のお口に合えば誠に幸いでございます。どうぞごゆっくりとお召し上がりくださいませ。ではでは、失礼いたしましたー」



#小説 #ごちそうさん #働き方改革 #麺職人


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