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エドガー・アラン・ポー〜探偵はいまだ来ず〜
寮の廊下にベッと唾を吐くと、盛大に血が混ざっていた。
さっきの取っ組み合いで、2、3発も殴られたか。なに、こっちはその倍殴ってやった。今頃相手は差し歯にする金の心配をしていることだろう。
原因は近頃ハマっているトランプ賭博だった。
今日も講義の後に知り合いに誘われて行った。
知らない面子ばかりだったが、気にせず賭けていたらどうも負けが込む。何かおかしい、誘ってきた奴からして全員グルだったと気づいた
エディット・ピアフ〜裸足のシャンソン〜
暗闇の中で香る煙草と女達の嬌声、時々聞こえる啜り泣き。
それがわたしの人生の1番古い記憶だ。
生まれてすぐに母が失踪し、父の実家である売春宿に預けられた。娼婦の待機小屋の隅の揺り椅子がわたしのベッドだった。女達の機嫌のいい時は戯れにあやされもしたが、そうでない時は、椅子ごと蹴倒された。
泣くことはしなかったと思う。
静かな赤ん坊だった。
周りの女達の方がよっぽどよく泣いていた。
その頃から本能で感
藤田嗣治〜風の行方、猫の足跡〜
浅草寺の伽藍の鋭い傾斜の先に、明け方の月が浮いている。吉原からの帰りはいつも物憂い。
23歳の藤田嗣治は俯いて、草履のつま先を見つめたまま、法蔵門を横切った。
さして期待して入った学校(東京藝大)でもなかったが、それにしても酷かった。
誰も、メートル※の提灯持ちだ。
※黒田清輝のこと。生徒からメートルと呼ばれていた
気に入られて、良いポジションを得ようと、物真似合戦をしている。俺はそんなものに加わ
モディリアーニ〜何故、巡り会うのかを私達は誰も知らない〜
「親愛なるオスカルへ
全く、この感動を君に何と伝えたらいいだろう。
カマイーノ(ティーノ・ディ・カマイーノ)の彫像は全て宇宙を見つめているんだ。冷たくて生命を感じさせない、それ故に、無欠であり石に刻まれた永遠の命足り得ると思うんだ。
人を超えた何か、命の形のヒントがカマイーノの彫刻にはある。首を伸ばし、虚空に吠えるあの像、あぁ一体彼は何に叫ぶ?いや違う、吸い込んでいるのかもしれない。この世の善と
サルバドール・ダリ〜王国の黙示録〜
1914年、スペイン、フィゲラス。
小雪舞う墓地に10歳のダリはいた。
目の前の墓石のナイフで切ったビスチョコのような弧を描く上辺にうっすら雪が積もっている。
母は雪を払うと、軽くダリの背中を押した。
促されるようにダリは墓石の前にしゃがんで小さく頭を下げた。
どれだけそうしていればいいかわからず、俯いてじっとしていたら、髪に雪が落ちて、脳天から冷たさが染みた。自分の生まれる9ヶ月前に亡くなったと
【異聞】「記憶の固執」〜世界は深夜、張り替えられる〜
雨が降ると時間が溶ける。
目の前の街路樹や信号機がダリの絵画のように歪み、足元の水溜りに泥のように落ちていく。
なかなかの量だ。これなら結構、"畑"が埋まるだろう。
わたしはカーゴパンツのポケットからコンパスを出すと、七色に滲む水溜りの表面に円を描いた。すると水溜りに穴が空き、「時渡りの鯰」が顔を出した。
「『世界ロール堂』までお願い!」
わたしの顔を見て、なんだ、お前かと顔を顰めた、鯰は渋々とい
ルイス・キャロル〜ワンダーランドは嘲笑する〜
イギリス、オックスフォード。
ガバードマーケットを抜けた先の細い路地を左に折れると、表通りに面する本屋の側壁にぶつかる。その壁にへばりつくように取り付けられた鉄階段を登ったところに、ルイス・キャロルの部屋はあった。
1858年、5月。
ルイスはこの日もリデル家の三姉妹を部屋に招待していた。リデルはルイスが教鞭を取るクライスト・チャーチに2年前赴任した、学寮長だ。
彼とはもちろん、とりわけ、彼の小