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いろいろなHSP本から感じる、いろいろなHSP ② part.6

みなさん、こんばんは。禧螺です。

今日もnoteをご覧いただき、ありがとうございます。


お天気が、秋晴れのような爽やかさになってきたのと同時に、体調も戻ってきました。

これで、心置きなくnoteをつくることができるので、今日もまたこつこつと書いていこうと思います。


ちまちまと読み進めていきます

「いろいろなHSP本から感じる、いろいろなHSP」

の日です。

現在では、HSPに関するいろいろな本がたくさん出版されています。

どの本も、誰かの良書であり、または、誰かのいまいちと感じる本という位置付けだと思われます。

全員の好みに合わせて紹介することはできないですが、せめて、ここに訪れてくださる方には、少しずつ、感想を共有できたら嬉しいです。


それでは、参ります。


読み進めていく書籍は、

長沼睦雄
「敏感すぎる自分を好きになれる本」

です。


「前回って、どんな話題だったっけ?」な方に向けて、前回の記事を貼っておきます。

前回の記事↓


また「バックナンバーが見たいです!」な方に向けても、マガジンを貼り付けますので、好きな記事をご覧ください。

ナンバリングが続いていますが、原則1記事完結で読めるように書いていますので、よろしければご覧ください。

「HSP関連」の記事を収納しているマガジン↓



💟

はじめに


最初にお断りしておきます。


この記事は、「HSP」や「生きづらさ」に関連した本の、

レビューではありません。


この連載の構成は、

・読んだ部分の「感想」
・読んで「学んだこと」
・学んだことを「自分にどのようにいかすか」

という

個人の主観、思考や感性に基づいて、紹介する本を、みなさんに

「感じたよ」「学んだよ」「ここの部分をいかしたいと思うよ」

という「表現」を、共有させていただく記事です。


ここで書かれたことだけを鵜呑みにせず、少しでも、自分の中で、

何か「ひっかかった」・「気になって仕方ない」

と感じられた時は、

ご自身で、その書籍をご覧いただくことを、強くおすすめします。


ですので、

「HSP本の、それぞれの評価が知りたい」
「HSP本で、どれが読みやすいか、わかりやすいかを知りたい」
「HSP本の、本の中身を教えて欲しい」

という方は、申し訳ないですが、

・他のクリエイター様によるレビュー記事や、レビューサイト

・出版社のホームページ

で、お探しください。


以上の点をご検討いただいた上で、ご覧くださいますよう、

よろしくお願いいたします。


標記説明ついて:
【】の中にある題名部分が、当記事のメインとなります。



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【感想:第2章 過剰な敏感さが「生きづらさ」の原因だった(後編)】「敏感すぎる自分を好きになれる本」


自分が生きている国でも生きづらいのに、他の国へ行っても状況は変わらない。

でも、私は私で生きるしかない。


HSPは元々、アメリカの心理学者でいらっしゃるアーロン博士が提唱されたものだから、現地では、そこそこ理解が進んでいると思っていた。

だが、アメリカではアメリカ文化特有の社会があって、HSPが生きづらさを感じることがあると知った。

アメリカでは、個人が「自分は何を考えているか・感じているか」を主張する風潮が強いことからも、自分のことを相手に伝えるよりも、相手の気持ちの方に寄り添ってしまい、自分の意見が言えなくて、ストレスを抱えてしまう人がいるのだそうだ。

そういえば、アーロン博士ご自身も、自分の気持ちが言えない期間が長く、苦しい経験をされたと、仰っていたな。

もっと驚いたことは、むしろ、日本の方が「和を尊ぶ」という精神の下、みんなで調和をめざす文化があることから、HSP気質には合っている傾向があるのではないかということ。

ただし、長沼先生も注目されていたけれど、日本には「ムラ社会」という横のつながりもいまだに深く、「みんな同じ」「みんな一緒」という考え方が根強く残っているため、そうした風潮に苦しむ人は多い。

現に私も、どちらかと言えば「ムラ社会」の風潮が根強い地域に住んでいる。

いつ「みんな同じ」という脅威にさらされるか分からないけれど、そこで黙って「みんな同じ」に追従する気は、さらさらない。


HSP気質とセットになって、よく耳にする身体の症状として、自律神経失調症を聞く。

人間には、いくつもの神経の働きがあるそうだが、刺激の量や質で起こる神経の高ぶりによって、「敏感さ」が過度に働くことを考えると、

ストレスを受けることや、

過度にストレスに晒されること、

そして慢性的にストレスを与え続けられることには、

特に注意しないといけないと思った。

人によって、大げさに聞こえるだろうけれど、この部分をおろそかにすると、自分で自分を廃人に追い込んでしまうことにもなりかねない。

向き合うと決めたならば、知らないでは済ませない。

身体に任せっぱなしにしないで、私も、自分の身体を救うんだ。


人によって意見が分かれるところだけれど、

「私は、自分がHSPだと自覚する」。

それで私は、もっと自分を深く知ることになったから。

私という人間を通して、人間とはどういう存在なのか、なんのために発展し続ける存在なのかを考えるきっかけになったから。

HSPと自覚して、多くの仲間と出会って、人が、誰かと支え合ったり、愛し合ったり、いがみ合ったり、殺し合ったりするのは、なぜなのかという疑問が、もっと身近に寄ってくれた気がするから。

それらを考えること・感じることが、私に「今日も生きている」という感覚を与えてくれる。


これで離れていく人がいたって、いいんだよ。

私の生の、最期の瞬間まで付き合ってくれるのは、私自身。

私の苦しさを、わたしも抱きしめる。

ただ、叶うのならば、私自身にしたことが、他の誰かの恩恵になれば、これ以上に嬉しいことはないと思う。



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【学んだこと】


HSP気質と付き合って行くためには、個人の意識的なコントロールが必要になってくる部分がありますが、それを最大限にがんばったとしても、限界があります。

社会であっても、万人の状態に寄り添って形成されている環境ではないからです。

そうした点からも、身体的なアプローチ、環境や文化などの外からのアプローチ、その他の多くの側面から、HSP気質を考えられること、新たな研究が進められることは、ありがたいことです。


アメリカの、自分から「私をこんなことを考えています」と主張していかなければならない文化、

日本の、「和を尊ぶ」から発展した考えなのか、あるいは似た考え方として出てきたのかはわかりませんが、「みんな同じであること」を強調する文化、

どちらも文化的に深く根付くもので、「それがよし」とされている社会では、単に場所を変えることが「生きづらさ」解消にはつながらないことが、分かります。

両方の国の全ての地域が、上記のような風潮が根強く残っているとは、断言出来ませんが、「主張すること」「みんな同じ」の同調圧力で、今も多くの人が生きづらさを感じているのは、確かだと思います。


HSP気質の対処法はよく見かけますが、「神経の高ぶり」と一言にいっても、身体の何に負担がかかるのかが、具体的に分かっていませんでした。

本に出てきた特徴的な単語をまとめようか考えたのですが、そうした単語を書くことで、読む人によっては、病気や診断とくっつけて考えられるきっかけを作ってしまうことになるので、ここでは差し控えます。

自己流にまとめると、

刺激・ストレスが、自分の許容量を上回ると、身体の中で生成される「自分の気分を落ち着かせる物質」が出にくくなり、逆に、その状況を乗り切ろうと、より「戦闘モードになる物質」が働いてしまい、疲れやすくなったり、疲れが取れにくくなる、

ということです。


自分をHSPと自覚するか、自覚しないか、「そんなの関係ない」と思って無視をするか、あるいは関心を向けないか、それは個人によって様々です。

どうすることが正解なのか決まっていませんし、反対に、どうすることが間違いなのかは分かりません。

私の場合、主治医と一緒に、自分の「敏感さ」について考えていただいているものの、「自称HSP」であることは間違いありませんし、誰かからみれば「ただの気が弱い奴」「怠け癖の人」として見られているだろうと思います。

それでも「HSP」を自認し、自分自身に対して、その自認した責任を持って、生活をしていくと、少しずつですが、周囲の状況が変化してきて、今では変化の真っ只中にいます。

行き着く先は分かりませんが、それでも私は、「HSPとともに先に進みたい」と強く思うので、HSPと先に進むだけです。

その先にある別の世界で、自分はどうなるのか、不安な面もありますが、楽しみでもあるのです。



💟

【自分でどのようにいかすか】


特に個人的に思う部分ですが、神経という言葉が頻繁に出て来ることからも、身体の神経のことについて、本格的に医学にそって学習できるわけではないですが、一般書に書かれている程度知識でも、学べば役に立つのではないかと感じました。

心理学用語だからといって、心理面だけで「HSP」を追っていくのではなく、多角的な面から見ていくことで、新たな性質や、今まで見落としていた部分、あるいは「おそらくつながらないだろう」部分でつながることが出てきて、解決策が増える可能性も、なきにしもあらずだと思うのです。

身体のことは、医者に任せるしかないと思っていたのですが、実際に、どういったことに対して、どのような刺激を感じ取れるかは、自分の感度でしかわからないことです。

言葉によって通じる部分もありますが、医者がずっと自分のそばについて、対処してくれるとは限らないからです。

これは、カウンセラーにも同じことが言えると思っていて、知識や対処方を教えていただけるにしても、実際の場面になると、すぐそばにいてもらえる・駆けつけてくれる状況とは、限りません。


対処方や知識は、医者やカウンセラーの方に頼りますが、実際に神経の高ぶりを対処するのは、自分自身です。

「自分で自分をなんとかして救う」という気持ちも込めて、自称HSPを名乗っています。

自称でも「HSP」と表に出せば、何かしらのHSPの情報が入りやすいことや、「敏感さ」の無理解によって、不要に傷付く人間関係をあらかじめ避けることできるので、自分の心身を安定させる意味でも、自称しています。

これを、人によっては「レッテルを貼る」「枠にはめる」という表現になるのかもしれないですが、

私自身にとっては、「自由に舞う翼の羽の一部」

と考えているので、どうすれば、自分が好きなように舞えるかを真剣に考えたいと思っています。


「HSP」という気質だけを見るのでもいいですし、加えて、その周りの環境をと考察するのも面白いと思いますし、余力があれば、「敏感さ」の仕組みも一緒に考えていくと、選択肢が広がる可能性がでてくるのではないかな、と思います。

私も、この記事を機に、もう一度、身体的なアプローチの方を、おさらいしようかと思います…。



💟

みなさんからのスキに、今日も生かされていることに感謝です。

この記事にお時間をいただき、ありがとうございました。


それでは、今日はここまでです。

みなさんの夜が、穏やかに過ぎますように。



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