記事一覧
ちょっとだけ変わったことのおかげで、昔の自分を振り返る機会が増えて、記憶に呆れてドン引きして、それでも生きてる今の自分はとことん図太いなと思う。良くも悪くも。
私の血のつながらないおばあちゃんに寄せて
私には祖母が3人いる。
正確にいうならば血のつながった祖母は2人で、1人とは血縁関係にない。
母方の祖母は、母が子どものころに亡くなった。
だから私は、本当の祖母とは会ったことがなく、血のつながっていない人を祖母だと長らく信じていた。
この事実を知ったのは確か大学生のころ。
時期が曖昧なのは、割と衝撃的な話だったにもかかわらず、頭のどこかで「ああ、そうだったのか」と妙に納得する自分もいたからだ
米津玄師さんの「さよーなら、またいつか」が、ある意味私の中で原点回帰というか…改めてこのひとの世界観が好きだと感じて、こちらとしては「また会えたよ」というお気持ちです
思い出はいつもきれい、なわけではないので
あるバンドの名前を目にするたびに、そのバンドが好きだといっていたひとのことを思いだす。
気紛れなお誘い。不意打ちの「誕生日おめでとう」メッセージ。お気に入りの置時計が、とある画家の絵に由来するものだと気づいてくれたことも。
わたしは彼を好きだったけれど、彼はそうではなかった。彼には恋人がいた。ただ、自分に好意を寄せている存在は、欲求を満たす遊び相手としてちょうどよかったんだろう。
きっと歯牙にもか
この文章が好き、というより、このひとの綴る言葉が好き、というほうがしっくりくる。
【推し短歌】推しという名の観劇趣味に寄せる短歌
「しんぞうが どくどく脈打つ その時間
芯から生きてる 客席のわたし」
観劇の2、3時間って、基本的にアドレナリンどばーっと溢れ出している状態で。
とにかく何かしら考えて感じて、五感はフルスロットル。
第一幕でテンションが上がりすぎた結果、幕間は座席で沈み込んでいたり。
カーテンコールで拍手しすぎて手が痛くなってくるんだけれども、感動を伝えるにはこれしかないって必死になったり。
「あー!生きてる