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チェリオの自販機とわたし

携帯電話を持っているのがほとんど当たり前になり、その代わり電話ボックスをあまり見かけなくなった。

そうやって、いつのまにやら消えゆきそうなものがたくさんあるなかで、自販機はなんだかんだ生き残っているほうなんじゃないかと思う。
なんなら最近じゃあ、飲み物やお菓子にとどまらず、パンや餃子、惣菜すら自販機で買えるんだから驚きだ。

わたしはというと、自販機には、もっぱらお茶や水がほしいときにお世話になっている。特に100円のやつ。
この現代社会、どこにだってたいていコンビニがあるもんだと思いがちだけれど、意外と目的地から離れていたり、見つからなかったりする。
何の前触れもなく、たまに「なぜそこに?」という場所にさえ、どーんと置かれている自販機。たとえラインナップが最新でなかろうと、その存在はありがたい。

自販機は、飲料メーカーごとに売られているものが違うし、デザインもいろいろ。
そんななかで、見かけるたびにわたしをセンチメンタルジャーニーな世界へ誘う自販機がある。
チェリオの自販機だ。

チェリオの赤いロゴマークや社名の響きが、なんとはなしにポップでアメリカンなイメージを感じさせる。
また、1本の単価は安いが、売られている商品はけっこう個性的だと思う。
「なーんか濃いんだよなー」と調べてみたら、もともと大阪の高槻で創業されたそうで。なんと令和になってからは京都に移転しており、まさかの同郷だった。わたしとチェリオって意外と近いじゃん、的な。

さて、話を元に戻すと。
なぜわたしにとってチェリオが懐かしいのか?
それはひとえに、わたしの数少ない青春(と書いてアオハルと読む)の思い出がよみがえるからだ。

今は昔、かつてわたしが中学生だったころ、地元の学習塾に通っていた。
生徒はだいたい同じ中学か、もうひとつ別の中学の子ばかりで、人数もさほど多くないアットホームな雰囲気だった。
その当時、特に仲が良かったの子は別の中学の女子。そして、その子も含めてよく話していた男子がひとり。わたしとは同中だった。

塾が終わったあと、わたしはたいてい仲良しの女の子と連れ立って帰っていたのだけれど、たまに帰宅時間が合うと男子も含めての帰路に。
夜の9時過ぎに自転車をこぎながら、わいのわいの喋る時間は、とにかく楽しかったように思う。
何を喋っていたのかまでは、覚えていない。内容よりも、ただ漠然と「楽しかった」という感覚だけが残っている。

まるで、瞬間の感情を写真のネガに焼き付けたかのような。かたちをなさない何かが、いつだってわたしの胸をうつ。

そしてもうひとつ、なぜだか忘れられないのが、帰宅途中にあったチェリオの自販機なのだ。
時々、わたしたち3人は、チェリオの自販機で好きなジュースを買った。残念ながらわたしが何を選んでいたのか、ほかの2人が何を買っていたのかは記憶にない。(チェリオさん、ごめんなさい)

なのに、男の子がよくわたしたちにおごってくれたこと、それだけは今でもはっきりと覚えている。
多分、あの頃もチェリオのジュースは100円だった。
普通に考えれば、安いものだろう。とはいえ、なにしろ中学生である。たかが300円、されど300円。
わたしだったら、そんな頻繁にはおごらない。というか実際に、おごって返したことはないはずだ。

彼にとって、わたしたちにジュースをおごる意味は、何だったんだろう。
わたしたちにとって、彼におごってもらう意味とは?

そこを突き詰めると、少なくともわたしは、「おごってもらえる自分」に100%酔っていた。
10代のわたしはスクールカーストでいえば中の下でありながら、身の程知らずの自尊心を持て余しまくっていたので、1本のジュースを男子におごられることで虎にならずにすんでいたのかもしれない。
相手にとっても、こちらがきゃいきゃい喜ぶのを見て、それなりに満たされる面もあったのかもしれない。

真剣に分析しだすと、若かりし自分の無自覚なひねくれ具合がぼろぼろ出てきて、一気に青い春から暗い春になりそうなんだけれども。
それでも、やっぱり、チェリオの自販機は「箸が転んでもおかしい」あの頃を思い出させてくれる。
街頭のもとで、とりとめのない話をしていたわたしたちを。
何者かであり、何も怖くなかったわたしを。
あの赤いストライプ柄の自販機は見ていただろう。

だからわたしは、これからも街中でチェリオの自販機と出会うたびに、懐かしくってたまらないままでいたいと思うのだ。

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