見出し画像

映画『ルックバック』に寄せる感情の荒波

※以下の文章は映画を観た人間が書いているため、ネタバレ要素を含みます。ご注意ください。

映画『ルックバック』を観た。
原作者が『チェンソーマン』の藤本タツキ先生であることと、ガールミーツガールの物語であることくらいしか知らずに行ったわけであるが。

オタクでかつて二次創作もかじった私にとっては共感できる部分も多い一方で、強く心を揺さぶられる作品だった。

藤野と京本。
2人の少女の出会いと別れが、ところどころ現実離れした要素を織り交ぜながらも、リアリティをもって描き出される。

賞賛によってふくらむ自尊心。才能に対する嫉妬。ひたむきな努力。苛立ち、焦燥、迷い。どうしようもない無力感。
筆を折る、とはよく言ったもので、人は必死になればなるほど、かなわないと悟った瞬間に心までぽっきり折れてしまうのだろう。

それでも、誰かの消えてしまった火を灯すのもまた、人であるのだ。
藤野にとって、京本がそうであったように。

劇中、初めて漫画の賞を獲った2人が、街へ遊びに行くシーン。

藤野は京本の手を引いて走りながら、後ろを振り向く。そこでは、京本がはにかみながらも笑っている。
ふと振り返ったときに見える光景を愛おしいと思えるひとは、どれくらいいるだろう。
それはなんて尊いことなんだろう。
手を握り合って人ごみを駆け抜けてゆく少女たちは、あの瞬間、まちがいなく無敵だった。

京本は藤野に「部屋から連れ出してくれてありがとう」と言う。
そんな感謝の言葉が、まさか後々になって藤野を苦しめようとは、まったく予想していなかった。

もし2人の道が交わらなかったら、京本は部屋を出ることができず、藤野もなんやかんやで漫画を描かなくなっていたかもしれない。
いや、あるいは、何か別のきっかけによって京本は美大に進み、藤野は人気漫画家になっていたかもしれない。そうして偶然にも、京本が藤野のアシスタントになる未来もあったのかもしれない。

2人にとっての“最善”とは何だったのか?
ifはいくらでも語れる。
けれど結局のところ、“最善”の答えなんてないんじゃあないかと思う。

歩んできた過去がすべてで、未来はそこから伸びていく。だから人は何かを為し続ける。
ときに後ろを振り返りながら。苦しみも幸せも悲しみも喜びもすべて、自分自身として受け入れながら生きていく。

『ルックバック』を観て、生きることについてそんな風に考えたのだった。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?