思い出はいつもきれい、なわけではないので
あるバンドの名前を目にするたびに、そのバンドが好きだといっていたひとのことを思いだす。
気紛れなお誘い。不意打ちの「誕生日おめでとう」メッセージ。お気に入りの置時計が、とある画家の絵に由来するものだと気づいてくれたことも。
わたしは彼を好きだったけれど、彼はそうではなかった。彼には恋人がいた。ただ、自分に好意を寄せている存在は、欲求を満たす遊び相手としてちょうどよかったんだろう。
きっと歯牙にもかけられず、使い捨てられたわたしのあこがれ。
彼から与えられたのは、すべて計算づくで用意されていたはりぼて。
とはいえ、こっちだって「今だけでも独り占めしたい」「このまま時間が止まればいい」などと内心でポエムをぶちまけながら縋りついていたのだから、大概だ。
みっともない劣情ばかりが、たまに生々しく思い出される。
また、ある曲を聞くたびに、カラオケで歌っていたひとのことも思い出す。
いわゆる十八番というやつか。当時は、なんだかその曲が自分たちのテーマソングのように感じていた。とんだ脳内お花畑だ。
そのひととの関係も、まあ、なんというか残念なもので。
寄る辺がないから、今にも切れそうな糸にさえ飛びついた。それが世界のすべてだと勘違いしていたかった。
罪悪感も後悔もだいぶ薄れはしたけれど、きっといつまでもしみのように残り続けるんだろう。
振り返れば、わたしの引きの悪いこと。
ろくでもない記憶と愛憎の残がいが、深海魚よろしく思考の奥底で回遊する。
いやになるくらい、それだって、わたしの一部なのだ。
もっと自分を大切に、だとか。素敵な恋愛を、だとか。
正しすぎる理論も、きらきらした理想も、ちょっと手遅れなのかもしれない。
きれいじゃない思い出で、食あたりを起こす人生。
「ばかだねえ」とため息を吐きながら、どこかで愛されたがりのわたしを見限れないでいる。
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