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なぜ僕は「好きなことで生きていく」がしたいのか。働きたくないを叫ぶゆとり達にズレを感じる1人のゆとり。


こんにちは。藍々です。

1996年生まれの23歳です。

そう、スマホ元年、YouTubeの台頭と共に青春を過ごした世代です。

つまり働きたくないのです。

この意訳は間違ってないと思います。

しかし、YouTuberの名称も馴染み深くなり、芸能人達がネット社会に殴り込む昨今、我々は、そして私は、みずからの叫びを今一度確認しなくてはいけません。

「好きなことで生きていく」は世代の流行になるには危険な思想なのです。

YouTubeの大同

私の世代は2012年に高校一年生でスマホを持ち始めました。
それまでにもっていたデバイスは、おおむねスマホではなく携帯でした。

同時に、YouTubeへの視聴障壁が一気になくなり、誰しもが日常的にYouTubeを見る時代の幕開けであったと、今振り返ると感じられます。

当時私が好きだったYouTuber、もっともそんな言葉もまだ曖昧でしたが、活躍していた中で好きだったのは、「もるさん」「はじめしゃちょー」「PDS株式会社」「マホト」
といった、面々でした。

中でも初めて「チャンネル登録」をしたのはもるさんです。

今では天下のメンズサロン、Ocean Tokyoで腕を振るうもるさんですが、当時は美容学生ですらありませんでした。

ただヘアメイクが好きな若者が、コンビニで買えるワックスで解説をする。

もちろん、へアセットの競合が少なかったこともありますが、その分かりやすく再現性の高い動画に夢中になり、学校でも男子達の間で人気でした。

はじめしゃちょーはまだUUUMのトップでもなく、マホトやPDSのダンテ等と同じく、頭のねじがぶっとんだかのようなおもしろい動画を、レオパレスの下宿で撮っていました。

彼らは、ティーンエイジャーの我々から見ても、とても「楽しそう」でした。

そうです。

当時のYouTubeで活躍していた人達は、YouTubeで「稼ぐ」ことよりも「自分のやりたいこと」を突き進んでいました。

それはもちろん、YouTubeの広告収入構造が今よりも確立されておらず、稼げるとは思っていなかったから、というのもあります。

しかし、収益化していく過程としては、
「好きなことをやった」結果として、「お金も稼げた」のです。

「お金をかせぐため」にYouTubeを始め、「視聴者にウケること」を狙ったわけではありません。

ヒカキンでさえ、有名な話ですが、YouTubeはビートボックスで名を馳せるための宣伝手段として始めたのです。

時代はめまぐるしく移り変わり、UUUMの進撃を皮切りに、事務所所属が珍しくもなくなりました。

東海オンエアやへキトラ達がUUUMと双璧を無し、各事務所のカラーというものさえ感じられるようになりました。

各YouTuber達が大金を使った動画を撮り、芸能人のような高価なルックスでテレビのような綺麗な動画を投稿し、YouTube専門誌が登場し、視聴者の多くが、「YouTuber」が独立し儲かる仕事だと認知したところで、もう一度パラダイムシフトが起こります。

「好きなことで生きていく」

事務所の完全バックアップを基に、赤い再生ボタンを抱えたYouTuber達が、アーティストの公式MVのようにキラキラと、新しい時代の到来を現実のものとして大衆に見せつけたのです。

注目されて輝くことが出来るのは芸能界だけではなくなった。
好きなことを突き詰めたら、こんな世界にたどり着いた!
YouTuberは新しい時代の歴とした職業だ!!
あなただって出来る!!!

そう、iPhoneさえあれば。

芸能事務所に入り斡旋、宣伝をしてもらわなくては成功しない時代はインターネットの登場、そしてYouTubeの進撃によって過去のものとなりました。

どんな仕事をしていても、会社帰りに自宅で、誰だって個人で自己アピールが可能になりました。

しかし、夢をみせるはずだったYouTuber達の活躍は、どの時代の変換点でもそうであったように、予期せぬ変革を招きました。

稼ぐためのYouTube

誰でも何時でも何処でも出来る。

これは現存する魅力の他に、ある概念を成長させました。

雇われずに生きていく

iPhoneひとつあれば、今日からYouTubeに動画をアップすることが可能です。

そして若者からは芸能人以上に支持されるYouTuberの存在。

そこで起こったのが、ブロガー等、YouTube以外のネット上で活躍していた人達による、YouTube参戦です。

彼らは既に支持されているノウハウを動画にしました。

彼らは自分たちのスキルが、YouTubeにおいてより拡散され、既存の収益と別に、YouTubeからの収益を得ること、そして既存媒体との相互作用で自らの知名度を上げることを目論見、成功していきました。

当然です。すでに知名度があり、なおかつ技術があった人たちなのですから。

そうした、アイドル的人気ではない(実際はアイドル化していても)人たちは、成功を後ろだてに、如何に時代が変わったのか、雇われて生きていくのは如何に危険なのかを語り、YouTubeの参入障壁の低さを語りました。

この時代に、給料以外で稼ぐには。

景気や将来への不安の雰囲気に、こうした文句は余りに魅了的です。

こうした啓蒙系YouTuber達は、やがてYouTubeにおける稼ぎ方を発信するようになりました。

集まる人たちは、この人たちは今までのYouTuberとは違う、成功するやり方を教えてくれる、自分たちでも出来そう、いややらねばならない!!と思うようになります。

しっかりと信者達が誕生しました。
これは、少し前の(今もありますが)ブログでの稼ぎ方と同じルートです。

99%の人はやらない、続けない
ブログはオワコン
雇われは危険
副業に最適
YouTubeのこのジャンルは先駆者がいないので~
あなたの日常は誰かの非日常
価値をずらして~

(聞き飽きたわ。。。)

こうして、あらゆるジャンルのノウハウ系YouTuberが爆発的に増えました。

気が付けば、YouTubeの動画は勿論、ネット記事でも、YouTubeで稼ぐ方法が膨大に沸いている状況となりました。

こうして、YouTubeは「好きなものを発信、自己表現する場所」から、「お金を稼ぐための場所」になったのです。

サラリーマンと何が違うのか

好きなものである必要はいまやありません。

自分が持っているものを価値として提供することが出来れば稼ぐことが出来る。

古来から変わらない構造の事実が、時代とリンクした新しいプラットフォームがYouTubeです。

多くの人にウケるために、あらゆる策略を練り、ノウハウ系YouTuber達が唱える方法を実践せねば、見向きもされません。

多用されるカット、見やすい編集、サムネイル。

視聴者が求める内容、タイトルの付け方etc

学歴や就職で成功するのと同じくらいのレールが敷かれていると思いませんか??

会社の人間関係や、将来の経済構造の不安から、本当にYouTubeやネットの場で個人で稼ぐことだけを求め、それさえできれば手段を択ばないという人には幸せな状況だと思います。

しかし、これだけやらねばならないことが増えた状況は、サラリーマンと何が違うのでしょうか。

もちろん、やらなければ稼げないだけ。誰も強制していない。というのも事実です。

しかし、そうしなければ成功しない、というのは事実上、義務となってしまうことは、受験勉強や出世、あらゆる大勢の基盤に飲み込まれた社会と同じです。

やりたいことのためには頑張れる。という考えは美しいです。

しかし、これらを頑張れる人は、サラリーマンを頑張れないのでしょうか?

また、それは「やりたいこと」「好きなこと」なのでしょうか。

宣教師に踊らされたゆとりは危険である

こうした思想に賛同し、稼ぐためのノウハウに精通し、挑戦することは素晴らしいことです。

しかし、こうした「稼ぎ方」がウケるからこそ宣教師達が存在し、ゆとりを顧客としたビジネスを展開しているのです。

何も、先駆者利益と資本勝負の世の中になったためにどうせ成功しないということが言いたいのではありません。

明朗化されたネット社会では、正しくない情報はむしろすぐに淘汰され、現実味のあるノウハウ自体は無料でも良質なものが簡単に手に入ると言えるでしょう。

これは感想ではなく、構造ゆえにです。

しかし、そうした個人で稼ぐ方法に、事実上やらなくてはいけないことが膨大に増えた今、むしろ長いものに巻かれるよりも疲弊する未来が待っていると思うのです。

一体どれだけの人が、変遷のスピードが速くなったこの社会で、個人で一般ウケを追い続けられるでしょう。

つまり、ノウハウ屋さんの息がこれからも続くことにはなりますが。

サラリーマンのしんどさが嫌で飛び込んだ世界は、サラリーマンと同じ種類のしんどさを、サラリーマン以上に背負う世界かもしれません。

これは、ある程度成功した人であればなおさら、沼にはまるように抜け出せずあがくこととなります。

そのしんどさは、「好きなこと」ではなく「稼げること」を追っているからこそ、余計に大きくなるのです。

息苦しい自由の場所

企業就職というレール以外の手段がYouTubeの大同で爆発的に増えたことで、ぼくたちゆとりは、それっぽい理屈をプラカードどとして掲げ、「好きなことで生きていく」に食いつきました。

しかし、YouTubeが一般的なビジネスのプラットフォームと呼べるようになり、気づかぬうちに「好きなこと」から「稼げること」を追わねばならなくなりました。

好きなことをやるためには、確かにそうしたしんどさも乗り越えねばならないかもしれませんが、ノウハウの宣教師についていった多くの人は、乗り越えた先の「好きなこと」が無いことに気が付かないのです。

トップYouTubrの多くが、「楽しそう」に見えないのです。

僕たちがスマホを手にした2012年の、自分たちが一番楽しそうだったYouTuberは今は昔の話になってしまいました。

プー太郎のような意味でつかわれていたYouTuberが、今や、YouTuberなのに○○をしないのか、YouTuberなら○○をしなくてはいけない。という状況に変化しました。

いったいどれだけのYouTuber、そして新規参入者たちが、自分のやりたいこと、好きなことの表現の場としてYouTubeを使っているのでしょうか。

宣教師のコメントやオンラインサロンでは新しい時代で羽ばたきたい若者たちが切磋琢磨し、そうした場所を宣伝として使う者が闊歩します。

ネットは、YouTubeの変遷によって今、秩序と共に、現実社会の閉塞感を手に入れました。

だからこそ「好きなこと」がしたい

多くの若者が、インターネットでの成功順序をなんとなく共通してイメージすることが出来ます。

これは、大学に進学し安定した企業に就職するのが人生の成功順序であるというイメージと何が違うのでしょうか。

昔のネットは良かったと、老害のようなことが言いたいのではありません。

こんな僕は、「好きなことで生きていく」を否定しているのでしょうか。
いいえ、その逆です。

僕は、だからこそ「好きなこと」がしたいのです。

僕は、文章やおしゃべりや映像や音楽が好きです。

表現することが好きです。

表現することで救われる瞬間があります。

書かねば仕方ないもやもやがあるからnoteを書き、

撮りたい映像があるからYouTubeを撮ります。(←2020年、数か月で断念wまたやりたくなる日までw)

「稼ぐため」に好きでもないこと、やりたくないことをやるくらいなら、やった分だけ確実にお金が発生する雇われとして普通に働きます。

やりたくないこと、やらねばならないことは、「好きなこと」のためにやりたいのです。

「好きなこと」で生きていくためには、「自分が好きなこと」を自分で知り、金銭的な魅力や誇大な危機感に踊らされず、自分で本当に実行していかなくてはいけないのだと、僕は考えています。
これは簡単なことではありません。

「好きなことで生きていく」
当時余りに輝いていたキャッチフレーズですが、いまは違和感を感じます。それはこの文句に対してではなく、この文句の受け手である僕たち視聴者、追いかける若者、それを導く新たなる宣教師や新しいネット社会の風潮に対してなのです。

繰り返します、
だからこそ、僕は「好きなことで生きていく」がしたいのです。

ゆとりの見る未来

10年、いや5年後、どれだけのゆとりが、YouTubeでの失敗を居酒屋で笑いながら話すのでしょうか。

やっぱり一部の有能しかだめだよ。
と。

これからも社会はものすごいスピードで変わっていくでしょう。

インターネットは更に地球の距離感を縮め、5GによりYouTubeはさらに大きな影響を持つメディアのプラットフォームになるでしょう。

そうした社会で訪れるのは、ネット社会の中で「長いものに巻かれる」状況です。

雇用の形式が変わりフリーランスが増えても、事実上のやらねばならないことはサラリーマン社会以上に大きくなり、ネットは人間関係の逃げ場ではなくなります。

そんな社会で、息苦しい思いをしないために、僕が今選ぶ手段は、「好きなことで生きていく」ために、自分が本当に「好きなこと」を、自分に正直に表現することです。
そういう思いで、詩を書きます。小説を創ります。エッセイを綴ります。

自由も手段も与えられたこの世界で数十年後、「好きなこと何も出来ていないなあ」という皮肉な嘆きを吐いてしまわないために。

御覧頂きありがとうございました。
みなさんが一息つける場所がありますように。
藍々でした。

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