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酔生夢死で終わらせない

酔生夢死すいせいむしはネガティブな捉え方をすれば、何を成し遂げることもなく、まるで酒に酔ったかのように、夢だったかのように呆然と何となく過ぎてしまう人生を表すのと

ポジティブな捉え方でいえば、使命感や焦燥感に追われることなく悩みも少なく自由にゆったり生きたという風にも捉えることが出来るし、この記事でそういう生き方を否定するつもりも毛頭ない。

しかし、自分の人生に置き換えて考えた時に、酒に酔ったかのように恐怖や不安を麻痺させて80年ほどの時間をやり過ごすのは、せっかくの一度きり人生、、生の実感を下げてしまう気がする。

やはり、痛みや苦しみ、葛藤、孤独、怒りとあらゆる負の感情でさえも、自分の人生が作り出している副産物であり、そこに神経を通わせないで生きて行くのはどうも不自然にも感じる。

そもそも論、酒に酔うのは脳の機能を抑制して恐怖や不安を感じる機能を下げ、ドーパミンを出すということで得る短期的な快楽であり、生きることに置き換えると今、目の前の問題があったとしても

何か自分の麻痺させる材料(言い訳や皮肉、悪口、愚痴などの他責思考)を見つけて、その場その場の快楽へ目掛けて行動し、まるで酒に酔ったかのようにのらりくらりと素面で考えることを放棄して行きつく先はどこになるのか?

現実から離れ夢の中で過ごし続けた先に見えるものは?

行きつく先は痛みを避ける為に自分に麻酔を打ち続け、人生が目の前を過ぎ去って行くのをぼんやり見てるだけの何とも無力な酔生夢死な人生。

自由に生きてるように感じていても、考えることから逃げ続け非現実的な世界に浸り、都合の悪い情報を遮断して行くことで余計に痛みを恐れ

主義主張を言うことも抗う力も衰えた都合の良い操り人形が出来上がる。

そして酔生夢死の酔うに関して思うことが、古代エジプトのピラミッドを作る奴隷たちはビールに似たアルコールを摂取し、中世ヨーロッパの農民は保存できる綺麗な水が少ない為にアルコールを常飲してきて、統治者にコントロールされて来た

アルコールだけではなく、国民や信者を何かの幻想や思想にどっぷり浸からせて陶酔させるというのは統治する側からとったら、怒りや痛みを感じる神経を麻痺させ暴動を起こす気力と体力を削って、コントロールしやすいから現代もそれが独裁国家や新興宗教で続いてる。しかし

我々はその範疇に居ない。

現実から逃げずに生まれ持った神経通わせることが自由意志で出来て、そうなれば自分の尊厳を踏みにじられれば守る為に戦うし、不満があるなら治療に多少の痛みが生じても改善しようと真剣に悩み、流れに任せず己で舵を切ろうと悪戦苦闘、七転八倒しながらでも考え選択を積み重ねて行くことが出来る

そして過剰に苦しむことが目的になるのは本末転倒だが、苦しみも痛みも全てに意味があってやって来る。

苦しみは未来の幸せを際立たせ、今ある幸せの尊さに気づかせてくれる役割があるのと、痛みがあるから同じ思いをしまいと成長するのであって、一時痛みを感じないでいれるモノがあればそれに頼って成長もしないし、逃げ道により依存的になる

自分の能力が上がらないということは選べる道が拡がらないからより一層現実が苦しいモノに感じ、酔生夢死に拍車がかかる。それと痛みを感じたことのない事柄に人は鈍感になりやすいので

貧困や労苦、孤独に晒された経験があれば同じ経験を現在している他人に対しても気持ちが分かるから優しく、寛容になれる。

だからこそ様々なことに麻痺して、唯々諾々と受け入れず、考えること、悩むことを放棄せず、自分の人生に酔生夢死に終わらせないように、神経を通わせ

痛みも悲しみも、焦燥感も、全て素材のままに味わいながら、時に痛み血を流している実感も受け止めて生きて欲しい。

酔って夢見てる暇があったらシャキッと目の前の現実を刮目して、やれること全てやり切った満足感に包まれて終わりにしよう。




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