見出し画像

【弱者男性1500万時代】の生存戦略




◆弱者男性とは?


私も本とYouTubeを見て知ったのですが、社会的弱者の男性という意味で定義が諸説あります。

・未婚、恋人がいない ・貧困(低収入、無職) ・不細工 ・社会生活に支障をきたす病気 ・社会的地位が低い ・友人が少ない ・コミュ障など

貧困の上にパートナー不在で孤独感と承認の欠如した男性を指します。

明確な定義はありませんが、社会的に不利な立場とされる中年男性のことを表す場合が多いようです。

弱者男性1500万人時代の本によると日本人男性の8人に1人が自分は弱者だと自認しているそうで

ちなみに私も男なのですが

コミュ障で友人が少なく、恋人もいないのでガッツリ当てはまります 

しかし、今に始まったことではないし、これだけ項目があれば何かしら妥当しそうなので、そこまで気にすることでも無いように感じます。



◇どうして弱者男性が問題なのか?



社会的弱者で男性のが女性と比べ、自責的に扱われやすく、救済される見込みが薄いというのが問題のように本とYouTubeでは解説されており

どちらかというと女性のが助けられやすい。それは実際統計で見たり体感した訳ではないので、私にはピンと来ませんが

確かに男性のが子どもの頃から強さを題材にしたドラゴンボールや戦闘マンガに影響を受け、強さへの憧れや弱さへの恥の気持ちが女性よりも強いように感じます。

強さというのは自分が他人より勝って誇れるもの、それが男性のプライドを維持するのに大切だったりします

しかし、弱者男性になると自分が他の男性よりも勝っているものが少なく、しかも人に話せば『もっと頑張れ』『覚悟が足りない』など自助努力に頼ったアドバイスをされる

親など、上の世代には男とはしっかり稼いで、家族を守るもの~のように先人の男らしさに縛られ、自分も過去の教育から培った理想の男性像からかけ離れた自分の姿に絶望する

要は古い価値観や自分の理想とのギャップによって、逃げ道が少なくなってしまうが故に仕事など自分のプライドを維持するモノが崩壊した男性

特に中年男性の自○率が高くなっているのだと想います。



■弱者男性へ社会は今何をしてくれるか?



弱者男性は他の人同様に最低限度の生活を送る為の生活保護や障害年金などの行政の救済措置だけではなく、個人間の自助努力に頼ったアドバイス以外に

その境遇の理解と再現性の高いアドバイスをすること等、負け組とレッテル貼り切り捨てないことが肝要なのですが

そう簡単なことではないと想います。

それは女性と男性の考え方の違いがあると考えるからで、女性の方が実利的に今まで割り切るのが上手な人が多く

それに反して男性の方が過去の栄光など自分が自分に抱いてる幻想を守る傾向が強いと私は考えるからです。

昔は○○の課長だった、昔はモテた、中学時代に陸上で都大会に出場した、高校時代は悪くて有名だったなど、居酒屋で自分の武勇伝を数十年経っても

誇らしげに語るように、昔の成功体験から得た自分のプライドがあったりし、中々年下や自分よりもある能力が劣っていると認識した相手へ

相談やアドバイスを求めることが難しい、又はカッコ悪い、情けなく見えるのではないか?と様々なものが邪魔をし

他人が介入するを気持ち的に許せず、結局自分で抱え込んでしまう男性が多いように感じます。

もちろん狭い私の視野の中でそう感じるだけで、実際は違うかもしれません、しかし弱者男性には弱者男性なりのプライドがあり

勝手に弱者男性と認識されることに抵抗感を持つ人も少なくない

そういった中で社会全体が弱者男性、社会的に不利な立場にある人に手を差し伸べても上手く機能するか?疑問です。

しかも、現実世界社会は自分でどうにかしようとしている所が大っぴらに見受けられない大人の男性に、手を差し伸べてくれる余裕のある大人も少なく

事実、ほとんど何もされずに弱者男性のレッテルを貼られ続け生涯を終える男性も多いです。

社会はなにかしてくれるか?というと、よほど良い出会いがあるか自分で動き続けない限り、中年以降は特に周りはほぼ何もしてくれないでしょう。




□弱者になってしまったらどう生きれば良いのか?



先ほどから弱者、弱者と書いておりますが、社会的な有利不利の観点から見た弱者であり、違う視点で見れば強者かもしれません。

貧乏、不細工、中年、独身、陰キャ、友人皆無でも20㌔のリュックを背負って50キロ行軍出来るとか、懸垂100回出来るとか

体力だけは鬼のようにあるならば、物理的な殴り合いや災害時の生き残り的には強者な訳で、弱者ではありません。

ただ平時社会で複合的に見たら、圧倒的不利な立場を弱者男性と定義しています。話しは横道に逸れてしまいましたが

ここでは何が言いたいか?というと、世の中は弱者と強者の弱肉強食の世界で弱者は強者に虐げられて生きるしかないのか?と言えばそうでも無く

実は適者生存の理で成り立っているとお伝えしたいです。

適者生存と弱肉強食の何が違うのか?と御思いの方もいると想いますが、適者生存の中で起きているのが弱肉強食であり

環境に適応出来ていなければ、たちまち強者でも滅び、環境に適応していれば弱者でも生き延びることが出来る

人間以外の動物、魚類、昆虫等が良い例です

力のないオッサンこそ、コアラの生き方を見てほしい

例えばコアラは走るのが遅く、闘う力も弱く、知能も低く、木にしがみついて一日を過ごすこと位しか出来ない欠陥動物に見えますが

実は他の動物では稀な適応能力があります

それは他の動物の食べれないユーカリという毒性の高く、栄養価の低い植物を食べて消化することが出来る毒性を分解する消化器官を持っており

少ない栄養価でも生きれるよう、ほぼ一日寝て過ごしています。

これは他の動物とのエサの奪い合いの競争から降りる為に得た適応能力であり、弱者でありながら生き残る為の生存能力です。

魚も多くの生物が生きる深度にいると当然天敵も多くなり、身体の大きなサメなどにあっという間に食べられてしまいますが

自分の身体を水分や油で満たすことで水圧に耐えられるようになり、深海に生きることで、天敵の数を減らすことが出来る深海魚のように

そもそも競争の少ない世界へ進化をして行く生き物もいます。
そして極めつけは昆虫です

木の葉蝶のように落ち葉そっくり擬態して身を隠したり、カメムシのように臭いで仲間とのコミュニケーションと天敵を撃退するように弱者なりの工夫で進化し、適応していった生き物が世の中には沢山います。

これを説明したのは、コアラのように他の人が食べれない消費期限の切れた弁当を食べろとか、不人気なものを好きになれるようになれとか

深海魚のように競争の少ない所へ行く為に進化しろとか、カメムシのように臭くなれとか言いたい訳ではなく

生き物は何万、何千年という時間をかけて進化して行くかもしれませんが、人間の80年程の人生の中でも、その環境に適応する為に進化して行くことは可能であり

弱者であり続けることは必ずしもデメリットばかりではないことを理解して欲しいです


しかし、まずは何より環境選びが大事です。

どんな環境でも努力さえすれば慣れる、根性でどうにかなる!といった精神論も、己を鍛えて強くなれ!というマッチョイズムも唱える気はサラサラありません

自分にとって進化して行ける環境選びでその後の自分の生きやすさが左右されてしまうと私は考えます

日本でありがちな、自分にとって悪い環境から脱出するのと逃げることを混合して考える人も少なくないですが、悪い環境ならば

問答無用に脱出して下さい

人によって得意不得意、何にストレスをどのぐらい感じるか?許容できる範囲が全く違いますし、無理をし続けると

ストレスホルモンのコルチゾールが出続けて鬱になったり体調不良になり、今目の前のストレスに追われ、落ち着いて論理的思考を司る前頭皮質で長期的に物事を考える余裕がなくなり、視野が狭くなり余計不利になります

では具体的にどうすればいいのか?

人と話さなくともあまり寂しくならない性質の方は、それを更に進化させることで独りで居続けるような業種のトラック運転手や

友達や恋人をあえて作らず、なるべく家で独りで過ごしコストを抑えた生活もストレスなくすることが出来ますし

深海魚ではありませんが、何らかの理由で人の嫌がる仕事や家やパートナーを選択することで競争から生じるストレスを軽減することが出来ます

要は自分の性質を客観的に分析し、どこに適応して行けるか?実験観察的に挑戦して行って、ここだと思った場所で

適応に徹底することが肝要だと想います。

ちなみに私の場合は、長時間労働を余儀なくされる職場で昔働いておりましたが、目を開けたまま思考停止し脳を休める術やどこでもリラックス、熟睡出来る術などを身につけました

今は違う環境にいるので退化してしまいましたが、強くなる方へベクトルを向けるだけではなく

弱い立場であってもその環境に応じて工夫しながら進化して行けることがこの世界で大切なことだと考えます。



■強者にもデメリットがある



何事にも一長一短があるように社会的強者にもデメリットがあります

まず自分の地位や財産を狙われる可能性があるということで、限られたパイを奪い合う激しい競争の中で手に入れた地位は絶対的ではあるとは限りません

沙羅双樹、盛者必衰の理があるように健康で元気一杯の若者も美男美女もいつかは老いる日が来ますし

独裁者、権力者でも少しの油断でこ○されるか、引きずり降ろされることもあります

利害対立する同じ組織にいる人間にさえ、いつ足元をすくわれるか?なんて誰にも分かりません

そいつが落ちれば自分の地位が上がるのであれば、競争の中を勝ち続けてきた人間であれば、ためらう事無く落としにかかるでしょう

それとその力の恩恵を受けようと様々人が寄ってきます

本当に自分を好きで付き合ってくれているのか?その地位や収入に惹かれて来るのか?落ちたら誰も居なくなるのではないか?など考えることもあるでしょうし

おいしい話しや甘い誘惑も貧乏人と比べれば多くあります
その中には危険なモノも当然混じっていて、利用される騙される可能性もあります

そして多くを持つと己にかかる負荷もそれに応じて重くなり

高い水準を維持する為に自分を支えている人の求めるものに応えて行く責任も増え、失うモノも増える

もうすでに常識を超えた金持ちか親が資産家で生まれつき一生使い切れないほどお金はあるならば別ですが

競争から降りる日が来るまで闘いに勝ち続けるプレッシャーや脱落することへの恐怖もあるでしょう

スポーツ選手のように、それが生きがいで楽しいという人は良いかもしれませんが、そうではない人には晩年まで修羅の道になると想います

デメリットと書きましたが、メリット、デメリットのバランスは人によって違うので、どちらが良い悪いはないですが

しかし誰しもが強者になることは出来ません。

でも、あなたが誰かになることが出来ないように、誰かもあなたになることは出来ないのと

今の自分の境遇の中で出来ることをして生きて行くのは人間、動物みんな同じです。

誰しも周りを見て落ち込むこともあるでしょうが、誰でもその人なりの悩みは必ずあるので弱者も強者も関係なく

今自分の課題に集中し、一回の自分としての人生悔いのないよう、楽しく生きていただければ幸いです

という所で今回はこの辺で終わりにしたいと思います。

皆さんがより豊かになりますように☆ またね!('ω')ノ









この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?