Twitterホロコースト否定論への反論(27):科学がホロコーストを論破?
目次
1.アウシュビッツのプレートの修正
2.切り離されたクレマⅠの煙突?
3.窓付きガス室のドアがペラペラ?
4.ロイヒターレポート
5.イギリス政府による嘘の疑惑
6.最初のホロコーストの流言
7.アウシュビッツのプール、病院など
8.Arbeit macht frei.
9.ワールド・アルマナックのデマ
10.赤十字統計のデマ
11.赤十字が死の収容所を視察?
12.チャーチル、アイゼンハワー、ドゴールの回想録には書かれていないガス室?
13.エリー・ヴィーゼルはガス室について言及しなかったのか?
14.エリー・ヴィーゼルは偽者?
15.より多くのヴィーゼルもの
16.アウシュビッツの暗号解読
17.生存者はガス室を見たり聞いたりしなかったのか?
18.アンネ・フランクの日記
19.ラッシニエはアウシュビッツのガス室を否定した。それともティース・クリストファーセンか?
20.ラーソンのデマ
21.偽物、信用できない、間違った目撃者
22.ガス室の壁に引っ掻き傷?
23.ダッハウのガス室、ブロシャートの手紙
24.生存者のリーバーマンとアウシュビッツのオーブン
25.ラシャウト文書
26.ホロコーストの偽写真?
27.科学がホロコーストを論破?
28.ブリタニカでガス室についての言及はないのか?
29.リストジェフスキー先生?サイモン・ウィーゼンタールのノルマ?
30.アウシュビッツでは小さな子供や人は仕事に不向き?
31.ユダヤ人はホロコーストについて嘘をつくのか?
32.確定した死亡者数?
33.ヒルバーグと有名な証人は、ツィンデル裁判で嘘つき、詐欺師であることを示したのか?
34.シンドラーのリストはフィクションの話?
35.ブルーノ・バウムはアウシュビッツで偽のプロパガンダが作られたことを認めたのか?
36.変わり続ける収容所の死の犠牲者数?
37.ソ連だけが見つけた死の収容所?
38.リックのホロコースト否定
39. 6桁の刺青でも被害者は600万人?
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25.科学がホロコーストを論破?
否定派の主張:
ツイート:科学的研究はホロコーストについて何を語っているのだろうか?
結論のために投獄された科学者もいる。
画像内(左上):ホロコーストの歴史家は、トレブリンカは87万人のユダヤ人がガス室で処刑され、その後集団墓地に埋葬された収容所であると主張している。1999年、電子工学の専門家であるリチャード・クレゲは、このトレブリンカをハイテク技術で調査した。
画像内(左中):地中レーダーは、30m先までの微細な地盤の乱れや小さな物体を検出することができる。3週間の調査の結果、地盤は一度も乱されたことがなく、コアサンプルの分析でも灰は見つからなかった。この結果は、トレブリンカとベウジェツと呼ばれる地域に集団墓地が存在しなかったことを100%の確率で示している。シオニストに操られたイスラエルの建設は、主にこれらの死とアウシュビッツで起こったとされる数百万人の死に基づいていたのである。
(画像内右側テキストは判読不能)
簡単な反論:クレゲのレポートは存在しない。不発弾で失敗だ。青酸の残留物についての主張も、ただの虚偽である。「脱洗脳」デマサイトはこちら(日本語訳)で完全反論されている。
更なるコメント:リチャード・クレゲは1999年10月にトレブリンカの地中レーダースキャンを行い、その結果を公表すると約束したと言われている。数十年後、約束の報告書はまだ実現されていない。これ以上言うことはないだろう。
まあ、2点ほど。まず、クレゲの結果の予備的な説明には、こんな一文がある。
もちろん、否定派でさえ、そこに収容所があったことを認めており、単に通過収容所であったと主張しているだけではあるものの、これは不可能なことなのだ。だから、クレゲの考え以外では、土壌がほとんど荒らされていないことはありえない。
トレブリンカの戦時中の墓は、1942年10月24日の日報(ドイツのポーランド軍司令官Oberquartiermeisterの公式戦争日記)に記されている。
トレブリンカでのユダヤ人の大量殺戮も記録されている。ワルシャワ・ゲットーの破壊に関する1943年の悪名高いシュトループ報告には、1943年4月25日のことが書かれている。
T. II、すなわち、トレブリンカIIは、絶滅収容所の公式呼称であった(近くにある小さな作業収容所トレブリンカIとは対照的である)。
1943年4月26日、シュトロープはこう報告した。
そして1943年5月13日のその時。
そして、1943年5月24日、ついに。
解放後の調査では、墓の跡や灰、骨などが発見された。こうして、1944年8月のソビエトによる査察の結果はこうなった。
ポーランドの調査では、さらなる成果が得られた。
ポーランドの調査団が指摘したように、深い爆弾のクレーターもあった。
さらに、解放後、トレブリンカではゴールドラッシュが起こり、その際に土壌が非常に荒らされた(またしても)。
最後に、キャロライン・スターディ・コールズ氏のチームが部分的な地中レーダー探査と部分的な発掘調査の両方を用いて行った現代考古学調査によって、かつての集団墓地とガス室の一部と思われる場所が判明した(「一部」と「部分」については、かつての収容所エリアのほとんどが、現在森になっているか、最大の集団墓地を覆うように設計された記念館の石の下になっているためである)。彼女の成果のほんの一例を以下に紹介する。
スターディ・コールズの博士論文「ホロコースト考古学:ナチスの大量虐殺と迫害の風景への考古学的アプローチ 」(考古・古代学研究所、文学部・法学部、バーミンガム大学、2011年9月)、p.215.を参照。
C. スターディ・コールズ、M. ブランスウェイト, 「「これが証明」? トレブリンカ絶滅収容所における法医学的証拠と曖昧な物質文化」『国際歴史考古学ジャーナル』2017年、22(3)、430-453頁。
クレゲの言う「人間の手が加わっていないほぼ完璧な土壌」というのは、ただのデマだ。
最後に、この出所不明の画像は、何年もの間、多くの否定派によって、トレブリンカに墓がないことを証明したクレゲのスキャンの結果として宣伝されてきたことを述べておく(これは、他の多くの場所やミームの中で、デヴィッド・アーヴィングのサイトとクレゲの2000年の論文のCODOH版に見られるが、オリジナルのドイツ語版ではない)。
実際にGPRの専門家であり、『地中レーダー:考古学者のための入門書』(1997)、『考古学のための地中レーダー』(2004)、『地中レーダーの考古学的解釈』(2012)、『地中レーダーと磁力計による埋没地形解析』(2018)といった著書を持つローレンス B. コンヤーズ博士はこの画像について質問されてからこう答えている。
Oops.
クレゲは否定の恥になったから、彼の存在しない研究がここでもてはやされるのはおかしい。ツイッター否定派は無知で馬鹿な否定派が一番多い。
さらに別の否定者(その後、否定を放棄し、糾弾した)エリック・ハントは、スターディ・コールズの発掘がいかに「デマ」であるかについて、映画全体を制作した。以下は彼女の回答である(『ホロコースト考古学 アプローチと今後の方向性』2015年、348頁)。
彼女はまた、すでに論破されたクレゲを直接取り上げ、集団墓地、人骨、ガス室を発見したこと、さらに「かつての収容所地域全体にかなりの乱れがあった」ことを指摘している。
また、シアン化合物の残留物が発見されなかったとか、結果が保留されたとかいうのは嘘だ。
マルキェヴィッチらはガス室の壁を検査し、シアンの残留を発見し、その結果を発表した(日本語訳)。
害虫駆除室に青色染色があるからといって、殺人ガス室にも青色染色があることを自動的に意味するわけではない。害虫駆除と殺人ガス処刑は、まったく異なる条件のもとで行なわれたのだから、両者を比較することは、リンゴとオレンジを比較するようなものである。
ロイヒターは既に(日本語訳)論破され、ルドルフはこちら(日本語訳)で論破されている。
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クレゲの件については、詳細な調査レポートがないので、ほぼ論評のしようがありません。CODOHのアーカイブされたリンクには確かにこう書いてあります。
その詳細がないのですから、そんなもの何の意味もないですね。実際にはクレゲのその「寄稿」に書いてあったとされる「人間の手が加えられていないほぼ完全な土壌」とは矛盾する記録がたくさんある上に、研究者スターディ・コールズの調査結果とは真っ向から対立し、さらにはクレゲのたった一枚のグラフ図からでさえも専門家に、「その横断面でも、右側の地面に「物」がたくさんあるように見えますが、これは集団墓地と見て間違いないでしょう」と言われてしまうのですから、どう評論すればいいのか…。素人の私ですら、確かに右側には白い箇所がまだらにたくさんあるようですし、この断面図をパッと見て乱れていないようには全く見えません。一体、発注者のIHRは何を考えていたのでしょうか?
なお、ロイヒターについては私も以下で論破しています。
ったく、ロイヒター・レポートをそれなりに真面目に読んであまりの酷さに呆れてしまいました。そこにも書きましたが、ロイヒター・レポートで唯一、検討対象になるのはサンプルからのシアン成分検出量だけです。これは、プルシアンブルーについて論じなければならず、そこがわからないとロイヒターレポートの最大の欠陥を指摘出来ません。ロイヒターのアップデート版であるルドルフの方は、上の記事中にあるリンク先もありますが、こちらも参考にしてください。
さて、今回は記事中に出てくるエリック・ハントの記事を追加で翻訳紹介します。こんな動画でも解説されるほどになかなかの有名人です。結構イケメンさんにも見えますがどうでしょうか?
修正主義者界隈でも何人かは修正主義から足を洗っています。リップシュタットとの裁判で負けたデヴィッド・アーヴィングもその一人です。1990年代にはアウシュヴィッツについてのビデオ映像が流布して日本にも木村愛二の誘いで来日したデヴィッド・コールもそうです。この両名はなぜかアウシュヴィッツのガス室だけは認めていないそうですが、ラインハルト作戦の絶滅収容所は認めているそうです。
さて、エリック・ハントはIHRの関連団体であるCODOHでビデオを作っていたビデオ作家の修正主義者ですが、あのノーベル文学賞作家のエリ・ヴィーゼルを襲うほどのある意味真面目(?)な修正主義者でした。しかし、その真面目さが原因なのか、修正主義に愛想をつかしてやめてしまったのです。以下ではその理由が語られていますので是非ご一読ください。
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エリック・ハントはもはやホロコースト否定論者ではない
[SR(セルゲイ・ロマノフ)による更新:ここにDenierBud(以前私たちによって論破された)が、ハントが強制されることなく自分自身で考えを変えたことを確認している。
修正主義者界隈はますます問題を抱えている。そのビデオ、スパム、その他のプロパガンダが極右や陰謀論の世界の少なくとも一部で炎を保ち続ける一方で、「運動」は活動家を維持できないようである。「ホロコーストに関する開かれた討論のための委員会(CODOH: Committe for Open Debate on the Holocaust)」の創設者ブラッドリー・R・スミスが亡くなってからもうすぐ1年になる(註:2016年死亡)が、新聞の死亡記事はゼロ、反名誉毀損監視団からの認識もほとんどなく、CODOH帝国は「ホロコーストハンドブック」出版社のゲルマー・ルドルフの手に委ねられることになった。
多くの部分を刷新し、ブランド名を変更したにもかかわらず、否定派のシーンでは、ますます衰えた豚に口紅を塗る以上のことをする研究者や作家が不足していることは、しばらく前からますます明白になっている。さらに悪いことに、少数の新しいスターは、トーマス・クエスやフリードリッヒ・ヤンソンのように、有名になるやいなや、すぐにシーンから消えてしまう。あるいは、「インレの黒ウサギ」のように、「ホロコースト修正主義」の中核的な教義をもはや信じていないことを公然と認めているのである。
最近の背教者? ビデオ作家のエリック・ハントだ。
2011年5月から2016年5月の間に制作されたハントの5本のドキュメンタリー・ビデオは、この10年間に、マットーニョ、グラフ、クエスの全作品よりも、ホロコースト否定を存続させるために貢献したと言っても、それほど過言ではないだろう。2006年から2012年の間に制作された「DenierBud」のドキュメンタリーとともに、ハントのビデオは、今でいうところのオルト・ライトのブロゴスフィアで宣伝され、何十もの異なる「修正主義」、オルト・ライト、陰謀主義のグループによって、ウェブサイトやYouTubeチャンネルにアップロードされており、2014年にADLが指摘しなければならない事態に追い込まれている。(註:これらの動画の大半は少なくともYouTube上からは削除されている)もし1月20日に、ホロコースト修正主義者の代表的活動家は誰かと聞かれたら、私は迷わずエリック・ハントをトップ10に入れたことだろう。
修正主義者界隈が分裂していること、代替運動が人格衝突や内紛に苦しむ傾向があることはよく知られており、ホロコースト否定から得られる金の量がきわめて限られていることを考えると、1月末にハントがCODOHと袂を分かったことはまったくの驚きではなかった。ゲルマー・ ルドルフは、CODOHのメーリングリストにボランティアを募集したところ、「少し前に、ビデオ・マネージャーのエリック・ハントも、タオルを投げる決心をしました。一応、報酬はもらっていたのですが、そのレベルのプロが受け取るような額ではないので、彼もある程度はボランティアでした。エリックの決断も無理からぬことでした。 緊張が高まっていたのです」と、彼らしい率直で軽妙な表現で述べている。
「緊張」というのは、明らかに控えめな表現であった。CODOHの回覧板が出される3日前の1月27日、エリック・ハントは「ホロコースト修正主義」の核心的主張を否定する約14000語の長文を「ホロコーストを問う」ビデオシリーズのサイトに掲載していたことが判明したのである。しかし、今朝、RODOHでスレッドが立てられるまで、修正主義者も反修正主義者も誰もこのことに気がつかなかった。
否定派の反応は、認知的不協和のモデルであり、CODOHとRODOHの多くの投稿者は、誰かがハントに「手を出した」のだと確信した。否定派のウェブマスターk0nslは、「絶滅主義者のたわごと」を投稿した報復としてハントの帯域幅を制限し、今日の午後、ハントのウェブサイトを数時間にわたってオフラインにしたようである(註:このリンクではその事実は既に確認できません)。(近い将来、ウェブサイトがオフラインになった場合に備えて、このページをアーカイブしておいた。ETA 2017.2.14 日本時間正午: k0nslのサーバーが再びそれをシャットダウンした(註:このリンクも既に確認できません))反否定派は、ハントのウェブサイトがハッキングされたのではないかと声高に叫び、スタイル、トーン、言語、そして2014年にハントがかなり公に 喧嘩したデイヴィッド・コールへの継続的な攻撃から、ハントは本当に「終点」に到達したと結論付けたのである。
このように、ハント氏は比較的突然のことで、その背景については分からないことが多いのだが(ハント氏は近々詳細を明らかにすると約束している)、ハント氏が心変わりした主な理由は完全に本物のようである。その理由の第一は、否定派の「再定住」論は全く成り立たないということをハントが認めたことである。
2014年、ハントはSkeptics Society Forumでトレブリンカ経由の「トランジット(通過収容所であるという説)」について延々と議論し、私も参加した--長年にわたる彼との数少ない交流の一つである。そして、「再定住」の難問を解決するために、仲間の「修正主義者」に協力を呼びかけた(廃止されたウェブサイトのコメント、ここに保存されている)。
明らかに、彼は買い手がなく、それから2年余り後、ロベルト・ミューレンカンプが修正主義者の通過収容所説の支持者に賞金を請求する挑戦に応じる代わりに、ハントはロベルトの挑戦を宣伝しているのである。
ハントがHCの議論を引用しているのはここだけではなく、いろいろなところで引用している。
否定派にとっては、ハントがこれらの議論をHCから単に持ち出したと考えるのは都合のいいことだろうが、彼が論文のために書いた約1万4000字は彼自身のものであり、プレサックを読み返し、アウシュビッツ・ビルケナウを訪れ、特に視覚的証拠を検証して(「私は視覚学習者で、一般に視覚的に考えている」)、彼自身がこれらの結論に達したことは明らかなことなのだ。しかし、私たちの記事が、彼の考えを変えるきっかけになったことは喜ばしいことである。
ハントが「修正主義」に幻滅したもう一つの理由は、彼が言うように「『修正主義』が他のますます奇妙な陰謀論と絡み合っている」ことであり、それは「ナチの大量殺人否定が同様のナンセンスであることを暴露する」ことだという。最近『オブザーバー』紙のインタビューを受けたときに述べたように、陰謀論界と「修正主義」界隈は近年ますます重なり合ってきているが、このクロスオーバーはまったく新しいものではない。故ウィリス・カートが発行していた『スポットライト』とその後継の『アメリカン・フリー・プレス』は、1970年代以降、反ユダヤ主義、ホロコースト否定、極右政治と並んで陰謀論を宣伝し、AFPは2000年代初頭、若い真理探究運動活動家の間で布教しようと意図して9・11陰謀論の流行に飛び乗った。若い白人ナショナリストたちは、9.11陰謀論は言うまでもないと考えているようで、ストームフロントの「修正主義」フォーラムの4分の1近くが9.11の話題に特化している。
ハントを最も不安にさせたのは、「修正主義」運動とその指導者、特にゲルマー・ルドルフが、2000年代末から2010年代初頭にかけてホロコースト否定を信念のレパートリーに加えたジェームズ・フェッツァーやニコラス・コラーストームといった連続陰謀論者を歓迎していることである。最後の藁は、地球平面説が復活し、「修正主義」とクロスオーバーしたことだと思われる。現在の地球平面説復活の立役者であるエリック・デュベイはホロコースト否定論者でもあり、ソーシャルメディア上の著名なホワイトナショナリストの多くが地球平面説を受け入れることにしたのである。
ハント氏は、本格的な陰謀論者集団に対する嫌悪感を表明している右派の一人というわけではない。しかし、ホロコースト「修正主義」の否定が、彼の基本的な政治姿勢を変えたと考えるべきでないのである。極右、白人民族主義者、「人種的現実主義者」、新右翼、オルト・ライトの結びつきは、ホロコースト否定と「ヒトラー問題」に関して、いかに根本的に分裂しているかということである。コメント欄の下層はホロコースト否定論者であることが多いのだが、上層の書き手は単に興味がないだけであることが多いのである。(デイリーストーマーはこのルールの最も顕著な例外である)
『ホロコーストとジェノサイドの否定:文脈的視点』の近刊で指摘したように、これらの重なり合う場面の著名人の多くは、たとえイデオロギーとしての反ユダヤ主義に徹底的にこだわるとしても、「修正主義」の戦術的・戦略的関連性を見出さないだけなのである。ハントは、マット・パロット、グレッグ・ジョンソン、ケビン・マクドナルドといった新右翼の著名人と同じ立場に立っていることが明らかだ。
ハント氏は、自分の仕事を続けるための寄付を訴えた後、こう結んでいる。
だから、彼がADLの年末年始の挨拶状リストに載ることはないだろう。
ハント氏の脱皮については、他にも多くのことが語られているが、「時間がかかった」理由などを説明する記事をさらに掲載することを約束しているので、コメントはそちらを待つことにする。 一方、ハント氏は、現在編集されている自分のビデオ作品を否認し、拒否しているので(「私の古いビデオ、録音、著作のコピーは、特に若い人たちに誤解を与えるので削除してほしい」)、この爆弾発言は「リビジョニスト」の活動にとって極めて不都合であることは否定しようがない。ハントがここまで来た経緯がどうであれ、彼の正確な動機がどうであれ、彼の真意がどうであれ、彼のウェブサイトがどうであれ、この件は本当に後戻りができない。モンティ・パイソンならこう言うだろう。
投稿者:ニコラス・テリー@2017年02月14日(火)
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フォーリソンが事実上牽引してきた、ホロコースト否定派の界隈も、アーヴィングを否定派に引き入れたまでは勢いはあったのですが、アーヴィングはリップシュタットに裁判で惨敗・完全敗訴、その後は衰退の一途で、例えば2000年代前半にIHRの機関紙であったジャーナル・オブ・ヒストリカル・レビューも発行停止になっています。もちろん、媒体がネットに移ったということもあるのですが、所長のマーク・ウェーバーがホロコースト否定止める、みたいなことを言い出したりしたのは2010年ごろ。欧州を中心としたホロコースト否定禁止法も広がり、逮捕者や逃亡者も続々と出て、ネットでも大手SNSはガンガン規制する状況で、衰退の一途ではあります。記事にもある通り、目立った修正主義の論者もほんとに新たに出てきてはいない様子。おそらく、マットーニョが引退か死ぬかすれば終わるような気もします。
もちろんそれはある種のプロ否定派だけの話で、陰謀論の一つとしてはしぶとく残るのでしょう。世界中のネットなどに蔓延る否定派は万単位で存在するのでしょうし、古臭い否定論を繰り返し繰り返し何度も使い続けて、そしてそれへの反論・批判も繰り返されるのだとは思います。
しかしカルロ・マットーニョの執筆意欲は衰えを知らず、ゲルマー・ルドルフ率いるCODOHの出版部門であるキャッスルヒル出版の最新刊はこれです。
ノイエンガンメとザクセンハウゼンのガス室の本? 誰がそんなもん読むねん!(笑)
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