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Twitterホロコースト否定論への反論(27):科学がホロコーストを論破?

目次
1.アウシュビッツのプレートの修正
2.切り離されたクレマⅠの煙突?
3.窓付きガス室のドアがペラペラ?
4.ロイヒターレポート
5.イギリス政府による嘘の疑惑
6.最初のホロコーストの流言
7.アウシュビッツのプール、病院など
8.Arbeit macht frei.
9.ワールド・アルマナックのデマ
10.赤十字統計のデマ
11.赤十字が死の収容所を視察?
12.チャーチル、アイゼンハワー、ドゴールの回想録には書かれていないガス室?
13.エリー・ヴィーゼルはガス室について言及しなかったのか?
14.エリー・ヴィーゼルは偽者?
15.より多くのヴィーゼルもの
16.アウシュビッツの暗号解読
17.生存者はガス室を見たり聞いたりしなかったのか?
18.アンネ・フランクの日記
19.ラッシニエはアウシュビッツのガス室を否定した。それともティース・クリストファーセンか?
20.ラーソンのデマ
21.偽物、信用できない、間違った目撃者
22.ガス室の壁に引っ掻き傷?
23.ダッハウのガス室、ブロシャートの手紙
24.生存者のリーバーマンとアウシュビッツのオーブン
25.ラシャウト文書
26.ホロコーストの偽写真?
27.科学がホロコーストを論破?
28.ブリタニカでガス室についての言及はないのか?
29.リストジェフスキー先生?サイモン・ウィーゼンタールのノルマ?
30.アウシュビッツでは小さな子供や人は仕事に不向き?
31.ユダヤ人はホロコーストについて嘘をつくのか?
32.確定した死亡者数?
33.ヒルバーグと有名な証人は、ツィンデル裁判で嘘つき、詐欺師であることを示したのか?
34.シンドラーのリストはフィクションの話?
35.ブルーノ・バウムはアウシュビッツで偽のプロパガンダが作られたことを認めたのか?
36.変わり続ける収容所の死の犠牲者数?
37.ソ連だけが見つけた死の収容所?
38.リックのホロコースト否定
39. 6桁の刺青でも被害者は600万人?

▼翻訳開始▼

25.科学がホロコーストを論破?

否定派の主張:

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ツイート:科学的研究はホロコーストについて何を語っているのだろうか?
結論のために投獄された科学者もいる。
画像内(左上):ホロコーストの歴史家は、トレブリンカは87万人のユダヤ人がガス室で処刑され、その後集団墓地に埋葬された収容所であると主張している。1999年、電子工学の専門家であるリチャード・クレゲは、このトレブリンカをハイテク技術で調査した。
画像内(左中):地中レーダーは、30m先までの微細な地盤の乱れや小さな物体を検出することができる。3週間の調査の結果、地盤は一度も乱されたことがなく、コアサンプルの分析でも灰は見つからなかった。この結果は、トレブリンカとベウジェツと呼ばれる地域に集団墓地が存在しなかったことを100%の確率で示している。シオニストに操られたイスラエルの建設は、主にこれらの死とアウシュビッツで起こったとされる数百万人の死に基づいていたのである。
(画像内右側テキストは判読不能)

簡単な反論:クレゲのレポートは存在しない。不発弾で失敗だ。青酸の残留物についての主張も、ただの虚偽である。「脱洗脳」デマサイトはこちら日本語訳)で完全反論されている。

更なるコメント:リチャード・クレゲは1999年10月にトレブリンカの地中レーダースキャンを行い、その結果を公表すると約束したと言われている。数十年後、約束の報告書はまだ実現されていない。これ以上言うことはないだろう。

まあ、2点ほど。まず、クレゲの結果の予備的な説明には、こんな一文がある。

比較すると、収容所内のいたるところで撮影されたレーダー画像は、人間の手が加えられていないほぼ完全な土壌を映し出していることがわかる。
[…]
地面のほとんどは、乱れのない土と砂と岩で構成されている。

もちろん、否定派でさえ、そこに収容所があったことを認めており、単に通過収容所であったと主張しているだけではあるものの、これは不可能なことなのだ。だから、クレゲの考え以外では、土壌がほとんど荒らされていないことはありえない。

トレブリンカの戦時中の墓は、1942年10月24日の日報(ドイツのポーランド軍司令官Oberquartiermeisterの公式戦争日記)に記されている

オストロー最高司令部は、トレブリンカのユダヤ人は十分に埋葬されておらず、その結果、耐えがたい死臭が漂っていると伝えている。

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トレブリンカでのユダヤ人の大量殺戮も記録されている。ワルシャワ・ゲットーの破壊に関する1943年の悪名高いシュトループ報告には、1943年4月25日のことが書かれている

今日のユダヤ人の恩恵により、ゲットーの山賊と最下層の非常に大きな部分が捕らえられたと私は考えている。夜が明けたので、即時の清算は行われなかった。私は明日のためにT II用の列車を入手するよう努力する。さもなければ、清算は明日行われるだろう。

T. II、すなわち、トレブリンカIIは、絶滅収容所の公式呼称であった(近くにある小さな作業収容所トレブリンカIとは対照的である)。

1943年4月26日、シュトロープはこう報告した

この時、ワルシャワにはもう捕らえられたユダヤ人はいない。先に述べたT.IIへの輸送は成功した。

そして1943年5月13日のその時

残りの住民たちは、銃殺が行われた場所で、最強の爆薬によって破壊された。ドイツ国防軍の作戦により、今日、327名のユダヤ人が捕らえられた。これらの捕虜になったユダヤ人は、T.II.に送られるだけである。

そして、1943年5月24日、ついに

捕らえられたユダヤ人全体56,065人のうち、約7,000人がかつてのユダヤ人居住区での大規模な行動の過程で破壊された。6,929人のユダヤ人がT.II.への移送によって破壊されたので、全体では13,929人のユダヤ人が破壊されたことになる。56,065人の他に、5〜6千人のユダヤ人が爆発と火災で破壊されたと推定される。

解放後の調査では、墓の跡や灰、骨などが発見された。こうして、1944年8月のソビエトによる査察の結果はこうなった。

収容所地の広大な面積が、燃えかすと灰に覆われていた。2つの収容所を結ぶ全長3キロの道路は、7〜10センチの高さの燃えかすと灰で覆われていた。大きな燃えカスには、肉眼で石灰が含まれていることがわかる。石灰は骨を燃やしたものであることはよく知られている。収容所内に生産現場はなかったが、毎日トン単位で燃えカスや灰が運び出された。この貨物を鉄道車両に積み込み、20〜30台の農民車が分配して道路に流し込んだ。(ルシアン・プチャワ、カジミエシュ・スカルジンスキーの目撃証言。スタニスワフ・クリムとりわけ)目撃者の証言、『トレブリンカの一年』(ヤンキエル・ヴィエルニク著)、大量の灰と燃えかすの存在、敷地内に散乱した個人の日用品と文書の存在、穴から発掘されたものは、収容所に火葬されるオーブンがあったことを確証している。
[…]
鉄条網、灰、燃えかす、そして火葬されたユダヤ人の家財道具が埋められた多くの穴が、収容所の痕跡として残っているのである。

ポーランドの調査では、さらなる成果が得られた。

1943年11月、収容所はついに「清算」された。現在では、焼けた柱の跡が突き出た地下道、管理棟の基礎、古い井戸を除いては、その痕跡は残っていない。ところどころに焼けたフェンスの柱や有刺鉄線の跡、短い舗装道路が残っている。また、他の痕跡もある。例えば、北東部には約2ヘクタールの土地に大量の砂混じりの灰があり、その中には多くの人骨や腐敗した組織が混じっていることが多く、このような灰が、この遺跡で発見されたのである
専門家による検査の結果、灰は人骨を焼いたものであることが判明した。収容所から発見された多数の人間の頭蓋骨を調べたが、外的な傷の痕跡はなかった。キャンプ地から半径数百メートルの範囲では、焼けた灰と腐敗の不快な臭いが目立ち、近づくにつれて強くなっている。
収容所区域の南西部は、あらゆる種類のアルミ、ホーロー、ガラス、磁器の容器、台所用品、トランク、リュックサック、衣服の残骸で覆われている。キャンプ地のほぼ全域が穴だらけになっている。

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1944年8月1日にアレクサンドル・カプースチヤンスキーによって撮影されたトレブリンカの写真。出典 RIA Novosti.

ポーランドの調査団が指摘したように、深い爆弾のクレーターもあった。

最大で深さ6メートル、直径約25メートルの爆発によるクレーター(多数の破片がこの爆発が爆弾によって引き起こされたことを証明している)のうち、その壁は大量の灰と人骨があったことを示す明白な証拠であり、収容所のこの部分の穴の深さを発見するために、さらに発掘が行われた。この発掘調査によって多くの人骨が発見されたが、その一部は腐敗した状態のままであった。土壌は灰と砂が混ざったもので、色は濃い灰色、形は花崗岩である。発掘の際、土からは強烈な焦げ臭さと腐敗臭が漂っていた。深さ7.5mの地点で、混じりけのない砂の層からなる底に到達した。この地点で掘削を中止した。

さらに、解放後、トレブリンカではゴールドラッシュが起こり、その際に土壌が非常に荒らされた(またしても)。

最後に、キャロライン・スターディ・コールズ氏のチームが部分的な地中レーダー探査と部分的な発掘調査の両方を用いて行った現代考古学調査によって、かつての集団墓地とガス室の一部と思われる場所が判明した(「一部」と「部分」については、かつての収容所エリアのほとんどが、現在森になっているか、最大の集団墓地を覆うように設計された記念館の石の下になっているためである)。彼女の成果のほんの一例を以下に紹介する。

スターディ・コールズの博士論文「ホロコースト考古学:ナチスの大量虐殺と迫害の風景への考古学的アプローチ 」(考古・古代学研究所、文学部・法学部、バーミンガム大学、2011年9月)、p.215.を参照。

デス・キャンプの東側では、GPRによって5つのピット(G50-G54)が確認された(図4.29、図4.34)。しかし、地中レーダー探査では、これらのピットの全容を把握するのに十分な深度範囲を確保することができなかったが、 深さ4メートル以上、大きさも相当なものであったということができる(G50は34m×12m、G51-19m×12m、G52-22m×15m、G53-18m×7m、G54は20.8m×14mの範囲で見ることができた)。集団墓地の大部分を含むと思われる地域にあり、記念碑に近いことから、これらはさらに処分されたものであると主張する強い根拠がある。同様に、戦後の略奪の結果にしては大きすぎるように思われる。

C. スターディ・コールズ、M. ブランスウェイト, 「「これが証明」? トレブリンカ絶滅収容所における法医学的証拠と曖昧な物質文化」『国際歴史考古学ジャーナル』2017年、22(3)、430-453頁。

トレンチ4の発掘調査によって、地中レーダーの結果にあった22×15mの異常は、実際にナチスがトレブリンカに建設した最初のガス室(旧ガス室)の基礎であり、地下0.85mに存在することが確認された。この小さなトレンチからは、712個の個別の物品も回収された。これらの遺品は3つのグループに分けられる。
(1) 建築資材 - 例:タイル、レンガ、しっくいなど
(2) 身の回り品 - 宝石類、ヘアクリップ、ベルトのバックル、硬貨など
(3) 機能的なもの - はさみ、ナイフ、弾丸、電池、ガラスなど
発見された項目の一部を図2に示す。
入れ歯、金歯、銀歯も、かなりの量の断片的な人骨とともに見つかり、その中には焼かれた形跡のあるものとないものがありました。これらの異なる種類の物質の痕跡はすべて混ざり合っており、1943年秋にガス室が破壊されたことと、地中レーダーの結果に示された地盤の激しい乱れを確認することができた。このことは、ガス室の基礎部分の外側にあるトレンチ3から286個の物品が発見されたことによって立証された。この領域で発見された品々もまた、上記のカテゴリーに分類することができ、人骨もこの領域の品々に混じって発見された。

クレゲの言う「人間の手が加わっていないほぼ完璧な土壌」というのは、ただのデマだ

最後に、この出所不明の画像は、何年もの間、多くの否定派によって、トレブリンカに墓がないことを証明したクレゲのスキャンの結果として宣伝されてきたことを述べておく(これは、他の多くの場所やミームの中で、デヴィッド・アーヴィングのサイトとクレゲの2000年の論文のCODOH版に見られるが、オリジナルのドイツ語版ではない)。

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実際にGPRの専門家であり、『地中レーダー:考古学者のための入門書』(1997)、『考古学のための地中レーダー』(2004)、『地中レーダーの考古学的解釈』(2012)、『地中レーダーと磁力計による埋没地形解析』(2018)といった著書を持つローレンス B. コンヤーズ博士はこの画像について質問されてからこう答えている。

ホームページを拝見し、送っていただいた画像も拝見しました。これは、彼の「グリッド」のほんの一部に過ぎません。この画像は、彼が200MHzのアンテナを使い、巨大なグリッドの中で約1m間隔のトランセクトを集めているところです。その画像は加工されておらず、5mほどの長さの部分が一列に並んでいるだけのものです。また、その横断面でも、右側の地面に「物」がたくさんあるように見えますが、これは集団墓地と見て間違いないでしょう。この人はGPRのことを何も知らないか、少なくとも処理方法を知らないことが明らかです。本当に良い仕事をするには、データを3Dキューブの反射に入れ、収集したプロファイルをすべて含めて一括して処理する必要があります。 もし本当に真相を知りたいのであれば、彼のデータを入手して誰かに加工してもらうか、全部集めて自分でデータを加工し直す必要があります。これは決して科学的、代表的な地盤の研究ではありません。

Oops.

クレゲは否定の恥になったから、彼の存在しない研究がここでもてはやされるのはおかしい。ツイッター否定派は無知で馬鹿な否定派が一番多い。

さらに別の否定者(その後、否定を放棄し、糾弾した)エリック・ハントは、スターディ・コールズの発掘がいかに「デマ」であるかについて、映画全体を制作した。以下は彼女の回答である(『ホロコースト考古学 アプローチと今後の方向性』2015年、348頁)。

特に、修正主義者は、ガス室のタイルにダビデの星があったことを番組で示唆したことに注目している。しかし、番組内での考古学者のコメントは、文脈から切り離されたタイルを見たときの最初の反応であった。ところが、現地でタイルの出所を調べたところ、ポーランドの会社が製造したものであること、星はダビデの星ではなく、会社のロゴマークであることが判明したのだ。しかし、撮影から放送までの時間が短かったため、ドキュメンタリーには最初の反応しかなく、タイルがダビデの星を持つということがマスコミに取りざたされることになった。またもや修正主義者たちは、この発掘がデマであることを示すものとして発表したのである。それ以前にこの地で行われた作業は文書に含まれていなかったので、修正主義者は、絶滅収容所では集団墓地は発見されなかったと主張している。

彼女はまた、すでに論破されたクレゲを直接取り上げ、集団墓地、人骨、ガス室を発見したこと、さらに「かつての収容所地域全体にかなりの乱れがあった」ことを指摘している。

また、シアン化合物の残留物が発見されなかったとか、結果が保留されたとかいうのは嘘だ。

マルキェヴィッチらはガス室の壁を検査し、シアンの残留を発見し、その結果を発表した日本語訳)。

害虫駆除室に青色染色があるからといって、殺人ガス室にも青色染色があることを自動的に意味するわけではない。害虫駆除と殺人ガス処刑は、まったく異なる条件のもとで行なわれたのだから、両者を比較することは、リンゴとオレンジを比較するようなものである。

ロイヒターは既に日本語訳)論破され、ルドルフはこちら日本語訳)で論破されている。

▲翻訳終了▲

クレゲの件については、詳細な調査レポートがないので、ほぼ論評のしようがありません。CODOHのアーカイブされたリンクには確かにこう書いてあります。

この寄稿文は、現在準備中の、より詳細な調査の概要であり、後日発表される予定である。

その詳細がないのですから、そんなもの何の意味もないですね。実際にはクレゲのその「寄稿」に書いてあったとされる「人間の手が加えられていないほぼ完全な土壌」とは矛盾する記録がたくさんある上に、研究者スターディ・コールズの調査結果とは真っ向から対立し、さらにはクレゲのたった一枚のグラフ図からでさえも専門家に、「その横断面でも、右側の地面に「物」がたくさんあるように見えますが、これは集団墓地と見て間違いないでしょう」と言われてしまうのですから、どう評論すればいいのか…。素人の私ですら、確かに右側には白い箇所がまだらにたくさんあるようですし、この断面図をパッと見て乱れていないようには全く見えません。一体、発注者のIHRは何を考えていたのでしょうか?

なお、ロイヒターについては私も以下で論破しています。

ったく、ロイヒター・レポートをそれなりに真面目に読んであまりの酷さに呆れてしまいました。そこにも書きましたが、ロイヒター・レポートで唯一、検討対象になるのはサンプルからのシアン成分検出量だけです。これは、プルシアンブルーについて論じなければならず、そこがわからないとロイヒターレポートの最大の欠陥を指摘出来ません。ロイヒターのアップデート版であるルドルフの方は、上の記事中にあるリンク先もありますが、こちらも参考にしてください。

さて、今回は記事中に出てくるエリック・ハントの記事を追加で翻訳紹介します。こんな動画でも解説されるほどになかなかの有名人です。結構イケメンさんにも見えますがどうでしょうか?


修正主義者界隈でも何人かは修正主義から足を洗っています。リップシュタットとの裁判で負けたデヴィッド・アーヴィングもその一人です。1990年代にはアウシュヴィッツについてのビデオ映像が流布して日本にも木村愛二の誘いで来日したデヴィッド・コールもそうです。この両名はなぜかアウシュヴィッツのガス室だけは認めていないそうですが、ラインハルト作戦の絶滅収容所は認めているそうです。

さて、エリック・ハントはIHRの関連団体であるCODOHでビデオを作っていたビデオ作家の修正主義者ですが、あのノーベル文学賞作家のエリ・ヴィーゼルを襲うほどのある意味真面目(?)な修正主義者でした。しかし、その真面目さが原因なのか、修正主義に愛想をつかしてやめてしまったのです。以下ではその理由が語られていますので是非ご一読ください。

▼翻訳開始▼

エリック・ハントはもはやホロコースト否定論者ではない

[SR(セルゲイ・ロマノフ)による更新:ここDenierBud以前私たちによって論破された)が、ハントが強制されることなく自分自身で考えを変えたことを確認している。

修正主義者界隈はますます問題を抱えている。そのビデオ、スパム、その他のプロパガンダが極右や陰謀論の世界の少なくとも一部で炎を保ち続ける一方で、「運動」は活動家を維持できないようである。「ホロコーストに関する開かれた討論のための委員会(CODOH: Committe for Open Debate on the Holocaust)」の創設者ブラッドリー・R・スミスが亡くなってからもうすぐ1年になる(註:2016年死亡)が、新聞の死亡記事はゼロ、反名誉毀損監視団からの認識もほとんどなく、CODOH帝国は「ホロコーストハンドブック」出版社のゲルマー・ルドルフの手に委ねられることになった。

多くの部分を刷新し、ブランド名を変更したにもかかわらず、否定派のシーンでは、ますます衰えた豚に口紅を塗る以上のことをする研究者や作家が不足していることは、しばらく前からますます明白になっている。さらに悪いことに、少数の新しいスターは、トーマス・クエスやフリードリッヒ・ヤンソンのように、有名になるやいなや、すぐにシーンから消えてしまう。あるいは、「インレの黒ウサギ」のように、「ホロコースト修正主義」の中核的な教義をもはや信じていないことを公然と認めているのである。

最近の背教者? ビデオ作家のエリック・ハントだ。

2011年5月から2016年5月の間に制作されたハントの5本のドキュメンタリー・ビデオは、この10年間に、マットーニョ、グラフ、クエスの全作品よりも、ホロコースト否定を存続させるために貢献したと言っても、それほど過言ではないだろう。2006年から2012年の間に制作された「DenierBud」のドキュメンタリーとともに、ハントのビデオは、今でいうところのオルト・ライトのブロゴスフィアで宣伝され、何十もの異なる「修正主義」、オルト・ライト、陰謀主義のグループによって、ウェブサイトやYouTubeチャンネルにアップロードされており、2014年にADLが指摘しなければならない事態に追い込まれている。(註:これらの動画の大半は少なくともYouTube上からは削除されている)もし1月20日に、ホロコースト修正主義者の代表的活動家は誰かと聞かれたら、私は迷わずエリック・ハントをトップ10に入れたことだろう。

修正主義者界隈が分裂していること、代替運動が人格衝突や内紛に苦しむ傾向があることはよく知られており、ホロコースト否定から得られる金の量がきわめて限られていることを考えると、1月末にハントがCODOHと袂を分かったことはまったくの驚きではなかった。ゲルマー・ ルドルフは、CODOHのメーリングリストにボランティアを募集したところ、「少し前に、ビデオ・マネージャーのエリック・ハントも、タオルを投げる決心をしました。一応、報酬はもらっていたのですが、そのレベルのプロが受け取るような額ではないので、彼もある程度はボランティアでした。エリックの決断も無理からぬことでした。 緊張が高まっていたのです」と、彼らしい率直で軽妙な表現で述べている。

「緊張」というのは、明らかに控えめな表現であった。CODOHの回覧板が出される3日前の1月27日、エリック・ハントは「ホロコースト修正主義」の核心的主張を否定する約14000語の長文を「ホロコーストを問う」ビデオシリーズのサイトに掲載していたことが判明したのである。しかし、今朝、RODOHでスレッドが立てられるまで、修正主義者も反修正主義者も誰もこのことに気がつかなかった。

否定派の反応は、認知的不協和のモデルであり、CODOHとRODOHの多くの投稿者は、誰かがハントに「手を出した」のだと確信した。否定派のウェブマスターk0nslは、「絶滅主義者のたわごと」を投稿した報復としてハントの帯域幅を制限し、今日の午後、ハントのウェブサイトを数時間にわたってオフラインにしたようである(註:このリンクではその事実は既に確認できません)。(近い将来、ウェブサイトがオフラインになった場合に備えて、このページをアーカイブしておいた。ETA 2017.2.14 日本時間正午: k0nslのサーバーが再びそれをシャットダウンした(註:このリンクも既に確認できません))反否定派は、ハントのウェブサイトがハッキングされたのではないかと声高に叫び、スタイル、トーン、言語、そして2014年にハントがかなり公に 喧嘩したデイヴィッド・コールへの継続的な攻撃から、ハントは本当に「終点」に到達したと結論付けたのである。

このように、ハント氏は比較的突然のことで、その背景については分からないことが多いのだが(ハント氏は近々詳細を明らかにすると約束している)、ハント氏が心変わりした主な理由は完全に本物のようである。その理由の第一は、否定派の「再定住」論は全く成り立たないということをハントが認めたことである。

私はずっと、自分は真実を探していて、真実を伝えるために出てきたのだと主張してきた。私は、「ホロコースト否定」論争の中心的な問題に関して、関連する研究が行える範囲の「終点」に到達したと判断した。私は、「ホロコースト否定」の中心的問題に関して、結論と呼べるものに到達したのだ。

アウシュビッツ・ビルケナウ、トレブリンカ、ベウジェツ、ソビボル、ヘウムノに送られた、働くことができないとされたユダヤ人(小さな子供や老人など)は、これらの場所でガス処刑されなかった場合、どこに行ったのだろうか?

長年にわたり、私は何人かの著名な「修正主義者」にこの質問を投げかけてきた。最も多い答えは、「私は知らない」である

この答えが、講堂で笑われるどころか、公開討論に勝てるような答えに聞こえるだろうか? それどころか、間違いなく負け組である。そして、これこそが、修正主義者が、奇跡的な、地球を揺るがすような新しいデータを追加しなければ、「ホロコースト否定」の議論に「勝利」することができない理由なのである。

2014年、ハントはSkeptics Society Forumでトレブリンカ経由の「トランジット(通過収容所であるという説)」について延々と議論し、私も参加した--長年にわたる彼との数少ない交流の一つである。そして、「再定住」の難問を解決するために、仲間の「修正主義者」に協力を呼びかけた(廃止されたウェブサイトのコメント、ここに保存されている)。

1942年7月22日から9月21日にかけてワルシャワのユダヤ人はどこに行ったのか、特にこの期間にどこかを通過して生き残ったという個人の話を聞いて、できるだけ多くの新しい情報を得るためにチームを作りたいと考えている。

これは、修正主義者の事件の穴の一つであり、マットーニョ、グラーフ、クエスによってなされた以上に、この穴をふさぐ手助けができれば、我々の大義に大きく貢献することになるだろう。実際、もし私たちが十分な情報を得ることができれば、トレブリンカのデマは一件落着となるだろう。

明らかに、彼は買い手がなく、それから2年余り後、ロベルト・ミューレンカンプが修正主義者の通過収容所説の支持者に賞金を請求する挑戦に応じる代わりに、ハントはロベルトの挑戦を宣伝しているのである。

ホロコースト研究者ロベルト・ミューレンカンプは、トレブリンカ、ベウジェツ、ソビボルを経由して、「ロシア東方」に移動したユダヤ人を一人でも証明すれば、金銭的報酬を与えると申し出ているが、これは、約150万の「移動」とされるユダヤ人の中から、修正主義者が提案する「通過キャンプ説」に合致する一人でも見つけることができればの話である。この強力な挑戦は、受け入れられている歴史がいかに強力であるか、そしてリビジョニスト/否定派の「通過儀礼」説がいかに驚異的に弱く、説得力がないかを証明するものである。

ハントがHCの議論を引用しているのはここだけではなく、いろいろなところで引用している。

否定派にとっては、ハントがこれらの議論をHCから単に持ち出したと考えるのは都合のいいことだろうが、彼が論文のために書いた約1万4000字は彼自身のものであり、プレサックを読み返し、アウシュビッツ・ビルケナウを訪れ、特に視覚的証拠を検証して(「私は視覚学習者で、一般に視覚的に考えている」)、彼自身がこれらの結論に達したことは明らかなことなのだ。しかし、私たちの記事が、彼の考えを変えるきっかけになったことは喜ばしいことである。

ハントが「修正主義」に幻滅したもう一つの理由は、彼が言うように「『修正主義』が他のますます奇妙な陰謀論と絡み合っている」ことであり、それは「ナチの大量殺人否定が同様のナンセンスであることを暴露する」ことだという。最近『オブザーバー』紙のインタビューを受けたときに述べたように、陰謀論界と「修正主義」界隈は近年ますます重なり合ってきているが、このクロスオーバーはまったく新しいものではない。故ウィリス・カートが発行していた『スポットライト』とその後継の『アメリカン・フリー・プレス』は、1970年代以降、反ユダヤ主義、ホロコースト否定、極右政治と並んで陰謀論を宣伝し、AFPは2000年代初頭、若い真理探究運動活動家の間で布教しようと意図して9・11陰謀論の流行に飛び乗った。若い白人ナショナリストたちは、9.11陰謀論は言うまでもないと考えているようで、ストームフロントの「修正主義」フォーラムの4分の1近くが9.11の話題に特化している。

ハントを最も不安にさせたのは、「修正主義」運動とその指導者、特にゲルマー・ルドルフが、2000年代末から2010年代初頭にかけてホロコースト否定を信念のレパートリーに加えたジェームズ・フェッツァーやニコラス・コラーストームといった連続陰謀論者を歓迎していることである。最後の藁は、地球平面説が復活し、「修正主義」とクロスオーバーしたことだと思われる。現在の地球平面説復活の立役者であるエリック・デュベイはホロコースト否定論者でもあり、ソーシャルメディア上の著名なホワイトナショナリストの多くが地球平面説を受け入れることにしたのである。

最近、「リビジョニスト」の制作関係者の間で、文字通りの「平らな地球 」という概念を広める動きがある。そう、本当に。地球は丸いのではなく、実は平らなのだというのだ。デボラ・リプシュタットも喜んでいるに違いない。特に、シニード・マッカーシーは、ゲルマー・ルドルフの『ホロコースト・ハンドブック』シリーズのビデオのナレーターに選ばれ、地球は平らであると信じている。マッカーシーは、文字通り平らな地球という概念を宣伝する一連のビデオ、記事、インターネットラジオ番組の制作に携わった。それ以来、マッカーシーはビデオに出演したり、「地球の湾曲実験」を撮影したりして、地球が文字通り平らであるという確信を持つようになった(註:このリンク先にある動画はアカウント停止で閲覧不可)。

マッカーシーが完全に動揺している証拠を見るまでは、私はもともとマッカーシーが私の「問いかけ」のビデオのナレーターに適していると考えていた。より親しみやすくするために、女性のナレーターを希望していたのだ。歌の経験がある彼女は、心地よい声を持っていた。カイル・ハント氏の「ヘルストーム」ビデオのナレーションを担当したマッカーシー氏。次の音声のように(註:このリンク先の動画は削除されています)、マッカーシーが完全に動揺している証拠が出始めた。

「ホロコーストを問う:私たちはなぜ信じたのか?」の最初の数分間を録画しただけで、私はマッカーシーが地球は文字通り平らだと激しく主張するビデオに接した。文字通りの地球平面説主義者であるエリック・デュベイが彼女を説得したようだ。それは、上のビデオと同じくらい不穏で、動揺していた。私はマッカーシーに、リップシュタットの夢である、文字通りの地球平面説主義者を「修正主義」と結びつけるようなことは絶対にできないと言った。このビデオや、マッカーシーが文字通りの平らな地球への信仰を宣伝する恥ずかしいビデオは、その後削除されたが、痕跡は残っている。

ルドルフに対しては、シニード・マッカーシーの平らな地球のばかばかしさを警告したにもかかわらず、平らな地球の概念を信じて推進した人物、シニード・マッカーシー本人に、ホロコースト・ハンドブック・シリーズのために次の「学術的」ビデオ(註:この動画も既にありません)のナレーションをさせることにしたのだ。

ハント氏は、本格的な陰謀論者集団に対する嫌悪感を表明している右派の一人というわけではない。しかし、ホロコースト「修正主義」の否定が、彼の基本的な政治姿勢を変えたと考えるべきでないのである。極右、白人民族主義者、「人種的現実主義者」、新右翼、オルト・ライトの結びつきは、ホロコースト否定と「ヒトラー問題」に関して、いかに根本的に分裂しているかということである。コメント欄の下層はホロコースト否定論者であることが多いのだが、上層の書き手は単に興味がないだけであることが多いのである。(デイリーストーマーはこのルールの最も顕著な例外である)

ホロコーストとジェノサイドの否定:文脈的視点』の近刊で指摘したように、これらの重なり合う場面の著名人の多くは、たとえイデオロギーとしての反ユダヤ主義に徹底的にこだわるとしても、「修正主義」の戦術的・戦略的関連性を見出さないだけなのである。ハントは、マット・パロット、グレッグ・ジョンソン、ケビン・マクドナルドといった新右翼の著名人と同じ立場に立っていることが明らかだ。

一方、ケビン・マクドナルド博士は、デビッド・アーヴィング/デボラ・リプシュタット名誉毀損裁判で証言までしているが、ナチスの大量殺人を否定することからは賢明にも遠ざかっている。集団進化戦略としての欧米におけるユダヤ人破壊運動に関するマクドナルドの研究は、大きな成果と説得力を持ち、成長する「オルト・ライト」運動内でのリーダーシップは、実を結ぶ兆しを見せている。マクドナルドは、ナチスのユダヤ人大量虐殺を否定することなく、修正主義者/否定派と同じことに関心を持つ人々のために成功への道を切り開いたのである。

ハント氏は、自分の仕事を続けるための寄付を訴えた後、こう結んでいる。

多くの点で、「否定」の問題は、西洋文明の存続に不可欠な他の問題への取り組みから私を遠ざけたと感じている。特にナショナリズム、人種的リアリズム、ユダヤ人主導の白人大量虐殺キャンペーンに反対することだ。

だから、彼がADLの年末年始の挨拶状リストに載ることはないだろう。

ハント氏の脱皮については、他にも多くのことが語られているが、「時間がかかった」理由などを説明する記事をさらに掲載することを約束しているので、コメントはそちらを待つことにする。 一方、ハント氏は、現在編集されている自分のビデオ作品を否認し、拒否しているので(「私の古いビデオ、録音、著作のコピーは、特に若い人たちに誤解を与えるので削除してほしい」)、この爆弾発言は「リビジョニスト」の活動にとって極めて不都合であることは否定しようがない。ハントがここまで来た経緯がどうであれ、彼の正確な動機がどうであれ、彼の真意がどうであれ、彼のウェブサイトがどうであれ、この件は本当に後戻りができない。モンティ・パイソンならこう言うだろう。

'E's not pinin'! 'E's passed on! この修正主義者はもういない!彼はもう存在しないのだ!Eは期限切れで創造主に会いに行ったんだ! 死人だ!安らかに眠れ!お前が縛り付けなければヒナギクを押し上げてた!代謝のプロセスはもはや歴史だ!小枝から離れた!バケツを蹴り、死すべき運命から逃れ、カーテンを駆け下り、血塗られた聖歌隊の仲間入りをしたのだ。これは元修正主義者だ!

投稿者:ニコラス・テリー@2017年02月14日(火)

▲翻訳終了▲

フォーリソンが事実上牽引してきた、ホロコースト否定派の界隈も、アーヴィングを否定派に引き入れたまでは勢いはあったのですが、アーヴィングはリップシュタットに裁判で惨敗・完全敗訴、その後は衰退の一途で、例えば2000年代前半にIHRの機関紙であったジャーナル・オブ・ヒストリカル・レビューも発行停止になっています。もちろん、媒体がネットに移ったということもあるのですが、所長のマーク・ウェーバーがホロコースト否定止める、みたいなことを言い出したりしたのは2010年ごろ。欧州を中心としたホロコースト否定禁止法も広がり、逮捕者や逃亡者も続々と出て、ネットでも大手SNSはガンガン規制する状況で、衰退の一途ではあります。記事にもある通り、目立った修正主義の論者もほんとに新たに出てきてはいない様子。おそらく、マットーニョが引退か死ぬかすれば終わるような気もします。

もちろんそれはある種のプロ否定派だけの話で、陰謀論の一つとしてはしぶとく残るのでしょう。世界中のネットなどに蔓延る否定派は万単位で存在するのでしょうし、古臭い否定論を繰り返し繰り返し何度も使い続けて、そしてそれへの反論・批判も繰り返されるのだとは思います。

しかしカルロ・マットーニョの執筆意欲は衰えを知らず、ゲルマー・ルドルフ率いるCODOHの出版部門であるキャッスルヒル出版の最新刊はこれです。

ノイエンガンメとザクセンハウゼンのガス室の本? 誰がそんなもん読むねん!(笑)


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