見出し画像

ロイヒター・レポート(The Leuchter Report、ロイヒター報告):日本語翻訳及び批判的読解

ある人がうるさいので、ロイヒター・レポートを独自に日本語翻訳することにしました。私は正直、こんな古臭い資料はどうでもいいのです。単に「読んだのか?」とある人に怒られたので、読んではいたのですが、改めて「じゃぁ、気合を入れて隅から隅までちゃんと読んでやろうじゃねぇか!」とカッとなっただけです(笑)

以前に、めんどくさい作業は行ったものの、コピペだけはして、斜め読み程度には読んでいるのです。以下が、コピペバージョンです。当該元翻訳先資料があまりに読みにくいので、余計な脚注を省いて読みやすくしただけです。

しかしこれでは、コピペしただけとの(謂れのない)謗りを免れませんので、ちゃんと読んだことを証明するためにのみ歴史修正主義研究会の翻訳には頼らず(ある程度は参考にはしますが)自力で翻訳します。また、私のコメントを「気まぐれに」入れます。あまり入れすぎると終わらないので一応セーブはしますが、従って、客観的に読めるロイヒターレポートではないことをお断りしておきます。このロイヒター・レポートの翻訳記事を客観的に読みたい場合は、途中に挟まれている私のコメント「翻訳者のツッコミ」箇所を画面上で手で塞ぐなりして読まないでください。noteには一部を隠す機能がないので仕方ありません。なお、この私のコメントに関して、残念ながらマイダネク収容所についての知識に乏しいため、マイダネクに関するロイヒターの記述に対しては、たとえ何事か述べることが可能であったとしても、一切コメントを述べないこととします。マイダネクについて一定の知見を得たら、追加記述するかもしれません。


ロイヒター・レポートの簡単な解説:

米国の死刑コンサルタントだったらしいフレッド・A・ロイヒターは、1980年代半ば、カナダで始まった、当時カナダ在住でドイツ出身の修正主義者であるエルンスト・ツンデルが告発された裁判で、1988年から始まった第二審においてツンデル側の無罪を立証する証人として出廷したのでした。この裁判は、ホロコースト否定論について争われた裁判(通称:ツンデル裁判)で、当時はフランスの修正主義者であるロベール・フォーリソンを裁いたフォーリソン裁判や、アメリカのホロコースト歴史修正主義派の中心組織であった歴史評論研究会(IHR)を巡って争われたマーメルスタイン裁判など、欧米各地でホロコースト否定をめぐって世間的に非常に話題になっていた時期でした。これらのホロコースト否定論裁判は、映画(邦題『否定と肯定』)にもなったアーヴィングvsリップシュタット裁判で一応の決着を見ることになります(以降、2022年現在までホロコーストの内容を巡って争われた裁判は確認されません)。

さて、そのツンデル裁判で、証人として出廷したロイヒターの役目は、ホロコースト否定の重要なテーマである「ガス室の存在否定」を科学的に立証することでした。彼は、ツンデルに3万ドル(3万5000ドルという情報もある)の費用をもらって、ホロコーストの象徴ともなっているアウシュヴィッツ収容所(アウシュビッツ博物館)のあるポーランドに飛び、ガス室の跡地などから試料を採取、そしてその試料の化学分析を行い、「ガス室などあり得たハズがない」との詳細な論述とともに、その分析結果で「毒として使われたとされる青酸成分(シアン成分)はほぼ検出されなかった」として、「ガス室は存在しなかった」と結論したのです。この報告書は「ロイヒター・レポート」と呼ばれ、ツンデルが経営するサミスダット出版や、この報告書に惚れ込んだ歴史家デヴィッド・アーヴィング自身の出版社などからも出版され、最終版としては修正主義者で化学者のゲルマー・ルドルフが立ち上げたキャッスルヒル出版(現在は歴史評論研究会の関連組織であるCODOHの出版部門になっている)からも出版されました。

https://castlehill.shop/product/the-leuchter-reports-critical-edition/

一時期、あるいは現在に至るまで、修正主義者の界隈では「ガス室が存在しなかったことを科学的に立証した報告書」として高く評価されていたのです。確かに、1989年に出版されたジャン・クロード・プレサックの『アウシュヴィッツ ガス室の技術と操作』を除くと、その当時までガス室に関して詳細な研究調査を行った論文なり書籍は存在していなかったのです。特にロイヒター・レポートのように曲がりなりにもホロコーストに関して「科学的」な調査を行った研究論文は全く存在していなかったようです(但し、戦後すぐに行われたアウシュヴィッツのガス室に関する部分的な化学分析結果などは存在していた)。

それまでは、修正主義者たちはせいぜい「ガス室なんかあり得たわけがない」と懐疑論を主張していただけだったのですが、ロイヒター・レポートはガス室が存在しなかったことを見事立証してみせた、ように見えたのです。しかし残念な事実が一つだけありました。それはレポートの内容はさておき、裁判において重要となる証人の資格を、ロイヒターは欠いていたことでした。彼が出身大学で取得していたのは歴史学の学位だけで、必要となる工学系の資格は何も持たなかったのです。証人のこうした資格は、裁判においては非常に重要であり、なんとなれば証人の信頼性・重要度に関わるからです。ロイヒターは実際に死刑コンサルタントではあった(なんと言ってもロイヒターを紹介したアーモン・トラウトはミズーリ州刑務所の所長だった)ので、証人の資格こそ失いませんでしたが、レポートの証拠受理は却下されています。ちなみに、証人の資格すら認められなかったツンデル側の証人の一人としては、航空写真の解析を行なったジョン・ボールがいます。ボールの航空写真解析の知識は裁判官にも劣るレベルだったようです。

さて当然、定説側の人たちはロイヒター・レポートを徹底的に否定しました。私自身はそのうちの何人かしか存じてはおりませんが、かなり多くの人に否定されていたと思います。例えば、デボラ・リップシュタットもその一人ですし、前述のジャン・クロード・プレサックや、あるいは日本の歴史学者などからも否定はあったようです。しかしながら、今回ロイヒター・レポートを翻訳する私の目から見ると、それらの否定の多くは少々的外れのように思えていたのです。割とまともな否定をしていたのは、米国の反修正主義者たちでしたが、少々専門的すぎて、一般的にはあまり目立たなかったようです。今回の翻訳では、私のツッコミとして、あくまでも私見としてではありますが、可能な限り、よりまともでかつあまり専門的にならないように、私なりのロイヒターレポートへの否定論を示しておくこととしました。


最初から徹底的に印象操作的に述べておきますが、ロイヒターレポートなどなんの値打ちもありません。はっきり言ってゴミクズ以下のレポートです。ロイヒターレポートを読むのなら、まだ他の修正主義者の論説を読む方がはるかにマシです。たとえばカルロ・マットーニョは一応はふんだんに文献資料を用いており、ホロコーストの諸知識にもそれなりに長けていて、ホロコーストにあまり詳しくない人はマットーニョ説に反論するのは困難でしょう。しかしロイヒターレポートはホロコーストをそんなに知らなくとも批判的精神を発揮しさえすれば、その内容の多くを簡単に反論することが可能だと思います。

では、以下、ロイヒターレポートの、オリジナル翻訳バージョンを御笑読下さいませ。翻訳それ自体は、もちろん公平に訳す意図であり、いつもの通り、私のまめなめんどくさい人力的作業を含めた上での機械翻訳主体です。一括機械翻訳などではありません。

▼翻訳開始▼

ロイヒター・レポート:神話の終焉

ポーランドのアウシュビッツ、ビルケナウ、マイダネクの処刑ガス室疑惑に関する処刑装置専門家による報告書

著作権 サミズダット出版社 1988。注意:商業的な使用や利己的利用は、著作権によって明示的に禁止されています。本書は、サミズダット出版社の明示的な許可を得て、IHRのウェブサイトに掲載されています。

出版社からのコメント

第二次世界大戦中、ドイツ軍がポーランドの強制収容所で数百万人のユダヤ人をガスで殺したというユダヤ人の「ホロコースト」ほど、一つの文書が大きな歴史的神話や伝説を打ち砕く可能性を持つものは、歴史上あまり例がないだろう。


翻訳者のツッコミ:神話(Myth)」の単語を用いたホロコースト否定本(や記事)は山のようにある気がするのだが…例えば、「ホロコースト 神話」でググると、トップはこれである。

言わずと知れた、故・木村愛二氏のページだが、ホロコーストを「Myth」呼ばわりしてホロコースト否定の本を書くのは一つの定番ではある。如何に修正主義者が、ホロコーストを最初からなかったと決めつけているかがわかるというものである。有名どころでは、古くは1960年台の米国の修正主義者であるデヴィッド・ホッガンが書いた『600万人の神話』(これはリップシュタットによるとあのツンデルがばら撒いたパンフレット『本当に600万人は死んだのか?』の元ネタ本らしい)、ドイツの修正主義者ヴィルヘルム・シュテークリッヒが書いた『アウシュヴィッツの神話』、他、CODOHのブックストアで検索すると、以下のようなマットーニョの本など複数が検索された。もっとあると思う。

しかしここでちょっと言っておきたいが、神話は文字通り「神々の話」なのであって、「なかった」などと言ってはいけない気もする(笑)


ロイヒター報告書は、そのような貴重な資料の一つである。この報告書は、米国でガス室の設計・建設・保守のコンサルタントをしていたフレッド・A・ロイヒターが作成・執筆したもので、ガス処刑が行われたとされるポーランドの実際の現場で初めて行われた科学調査の方法と調査結果を紹介している。ロイヒターが現場を調査し、有能な研究所で壁や床から採取したサンプルを分析し、総シアン量を調べた結論は、「疑惑のガス室は、当時も現在も稼働ガス室として使われることはありえない」という明確なものであった。


翻訳者のツッコミ:これに対して、「ガス室跡とされている場所が(言われている通り殺人)ガス室であった可能性は否定されない」と結論したのが、いわゆるクラクフ報告である。


英国の著名な歴史家デイヴィッド・アーヴィングは、ロイヒター報告書を「衝撃的な」文書と呼び、ホロコースト神話全体が今や疑いの余地のあるものであるという確信を深めるのに役立った、と述べている。この文書は、「ホロコースト」史家が、客観的な学者としての評判を落とす危険を冒してまで無視することのできる文書なのである。ロイヒター報告以後、ドイツ人がユダヤ人に対して行なったガス室を使った大量殺戮の主張は、もはや支持されなくなった。

出版社は「ロイヒター・レポート」を自信を持ってお届けする。


翻訳者のツッコミ:このサミスダット出版は、1980年代〜に行われた有名なツンデル裁判でホロコースト否定者として裁かれ、実質的には敗訴しつつ結果的には勝訴した(刑法が憲法に定める言論の自由を侵害しているとして原判決は破棄されたのであって、原判決の論理自体は全く否定していない)エルンスト・ツンデルの出版社である。従って、いちいちこのようなコメントに批評は加えないが、ツンデルは私の見るところ、思い切り法螺吹きであることは確かである。ロイヒター報告を絶賛したアーヴィングも甚だしい嘘つき歴史家であったことはリップシュタット裁判で暴かれている。


序文

フレッド・A・ロイヒター(45歳)は、マサチューセッツ州ボストンに住むエンジニアで、全米の刑務所で使われている死刑執行装置の設計を専門としていた。ロイヒターが手がけた主なプロジェクトは、ジェファーソンシティのミズーリ州立刑務所に新設されたガス室の設計である。


翻訳者のツッコミ:以下資料によると、これはどうやらロイヒターの嘘のようである。ちなみに、ロイヒターをツンデル裁判の被告側証人として推薦したのは、そこにもある通りこのミズーリ州刑務所の所長アーモン・トラウトである。ただし、ロイヒターが死刑コンサルタントであったのは事実である。私が独自に探した限りでは、米国にはロイヒター以外に死刑コンサルタントは見つからなかったし、しばしば「唯一の死刑コンサルタント」とも呼ばれている。

...ミズーリ州には、ロイヒターが設計したとされるガス室があるにもかかわらず、今日まで稼働中のガス室はない...

https://phdn.org/archives/holocaust-history.org/williamson/williamson.shtm

以下ページと上記資料でのミズーリ州立刑務所のガス室の稼働終了時期は若干食い違っているが、いずれにしても1960年代に稼働を停止しているようであり、ロイヒターの言っていることと全く矛盾しており、さらにはロイヒターがミズーリ州の処刑ガス室を設計したという証拠は彼自身の証言以外に全く存在していない。1980年代にガス室の再稼働を検討した事実も見つからない。

ミズーリ州矯正局の広報官マンディ・スティールによれば、ミズーリ州が最後に致死性ガスによる死刑を執行したのは1968年である。その後、致死性注射がより一般的な処刑方法となったため、同州は致死性ガス室を閉鎖している。


1988年1月、私はカナダのトロントで、『600万人は本当に死んだのか』を出版して虚偽のニュースを流したとして裁判中のドイツ系カナダ人、エルンスト・ツンデル氏の弁護を手伝った。この小冊子は、第二次世界大戦中にナチスによって600万人のユダヤ人が、主に青酸ガス(チクロンBガス)を使ったガス室によって殺されたという通説に異議を唱えたものである。

エルンスト・ツンデルは、1985年に同容疑で裁判にかけられた。裁判は7週間続き、有罪判決で終わり、15ヶ月の禁固刑が言い渡された。1987年1月、オンタリオ州控訴裁判所は、法律に重大な誤りがあるとして判決を覆し、再審を命じた。この再審は1988年1月18日に始まり、この原稿を書いている時点でも進行中である。

フレッド・ロイヒターとの最初の会話は、1988年2月3日と4日にボストンで行われた。 私の質問に対する彼の回答の簡潔さと、ガス処刑の手順の細部まで説明する能力に感心した。彼は、青酸ガスによる処刑が特に危険なものであることを私に確認した。

このガスによる処刑は1924年にアメリカで初めて行われたが、1988年になっても、処刑用ガス室の建設には、漏出の問題など大きな困難が残っていたのである。私は、ロイヒターがホロコーストの標準的な概念に疑問を抱いていないことに気づいた。

私がボストンからトロントに戻り、フレッド・ロイヒターとの話し合いをエルンスト・ツンデルに報告した後、ツンデルは、アウシュヴィッツ、ビルケナウ、マイダネクのガス室疑惑に関する鑑定書を作成するようロイヒターに要請することにした。

ロイヒターは、週末にトロントで、収容所の戦時中の航空写真、火葬場とガス室の設計図、チクロンBに関する資料、スウェーデンの研究者ディトリーブ・フェルデラー氏が1970年代に撮影したスライドなどを検討し、この任務を引き受けた。

1988年2月25日、ロイヒターは妻のキャロリン、製図家のハワード・ミラー、撮影監督のユルゲン・ノイマン、ポーランド語通訳のティジュダール・ルドルフとともにポーランドへ出発した。そして、8日後の3月3日に帰国した。


翻訳者のツッコミ:ツンデルからロイヒターに直接支払われた費用は3万〜3万5000ドル程度らしいが、1988年の円ドルレートである1ドル128円程度で計算すると単純に日本円で約400万円程度だったようである。うち半分を調査経費とすればロイヒターは200万円儲けたということか。特に大した機材経費がかかっているわけでもないので、そこそこボロい業務のようにも思えるが、ざっくりした計算すぎて、よくはわからない。


帰国後、フレッド・ロイヒターは、付録を含めて192頁の報告書を書き上げた。アウシュヴィッツ、ビルケナウ、マイダネクには処刑用ガス室は存在せず、これらの場所のガス室とされるものは、当時も現在も、処刑用ガス室として利用されたり、真剣に考えられたりしたことはありえないという圧倒的な証拠があったということである。

1988年4月20日と21日に、彼はトロントで証言台に立った。まず、彼はツンデルの弁護人であるダグラス・H・クリスティ(クリスティはケルティ・ズブコとバーバラ・クラシュカに補佐された)の質問に答えた。ロイヒターはその後、公判検事ジョン・ピアソンの反対尋問を受けた。彼は公判中、別の公判検事、法律事務員、そして法廷のすぐ後ろに座っているユダヤ人アドバイザーと頻繁に相談しながら支援を受けてきた人物である。


翻訳者のツッコミ:ここでさらっと「ユダヤ人」と出てくるところがフォーリソンの思想を如実に表していると言えるかもしれない。しかしフォーリソンは物事を憶測だけで語る悪い癖があるので、本当にユダヤ人かどうかはわからない。


尋問と反対尋問は、裁判官と11人の陪審員の立会いのもとで行われた。法廷内は、非常に緊張した雰囲気に包まれていた。その中には、1985年に退職する前のデュポン社の主任研究化学者であったウィリアム・リンゼイ博士も含まれていた。法廷にいる誰もが、それぞれの立場から、歴史的な出来事に参加していることを強く意識していたと思う。ガス室神話は終わりつつあった。

前日、ミズーリ州立刑務所のビル・アーモントラウト所長が、青酸ガス室の手順と実際の運用を説明する証言をしていた。もし、この方法で一人の人間を処刑するのがそれほど難しいのであれば、ドイツ軍がチクロンBを使って何十万人もの人間を処刑したと言われても、それは円積問題に等しいということが、注意深く聞いているすべての人に明らかにされた。ロイヒターに続いて証言台に立ったのは、マサチューセッツ州アシュランドにあるアルファ分析研究所の所長、ジェームズ・ロス博士(コーネル大学)である。ロス博士は、アウシュヴィッツIとビルケナウのガス室とされる内部の壁、床、天井などから採取したサンプルの分析について報告した。その結果、微量のシアンは検出されないか、極めて微量であることが判明した。唯一の例外は、ビルケナウの害虫駆除施設1番から採取された対照試料番号32であった。これらの結果は報告書の付録Iにグラフ化され、オーバーヘッドプロジェクターで陪審員に表示された。一方の害虫駆除施設と他方のガス室とされる場所との間のシアン化合物の検出量の差は壮大であった。火葬場でのシアン化合物の濃度が極めて低くであっても検出されているのは、戦時中の消毒によるものだと私は考えている。


翻訳者のツッコミ:ロイヒター報告では例えばビルケナウの火葬場Ⅲのガス室遺跡から最大で6.7mg/kgのシアン成分を検出しているが、そもそも論として火葬場をフォーリソンの言うように消毒(正確には「害虫駆除」でありシアン化水素を使ったチクロンBでは殺菌などの消毒(disinfection)はできない)する意味は理解困難である。さらに、1942年中のチフス蔓延時に一度だけ収容所内で広範囲に害虫駆除作業を行なったらしいが、1942年にはまだビルケナウの火葬場は完成していない。それ以外の時期に害虫駆除を広範囲に行った証拠もない。


私は、チクロンBを使ったとされるドイツの処刑ガス室の研究はすべて、アメリカの処刑ガス室の研究から始めるべきだと最初に指摘したと思う。1977年、私はニューヨークの弁護士ユージン・C・ブルッガー氏の協力を得て、早くもこの分野の調査を開始した。この調査の中で、私はアメリカの6つの刑務所、カリフォルニア州サンクェンティン、ミズーリ州ジェファーソンシティ、ニューメキシコ州サンタフェ、ノースカロライナ州ローリー、メリーランド州ボルチモア、アリゾナ州フローレンスの刑務所から情報を得た。私は当時、アメリカのガス室技術の専門家でなければ、ドイツの処刑ガス室とされるものがホロコーストの文献に書かれているように使用することが可能であったかどうかを最終的に判断することはできないと結論せざるを得なかった。

その後数年間、ドイツのガス室に関する私の記事は、常にアメリカのガス室について言及していた。その中には、1978年12月29日にフランスの日刊紙『ル・モンド』に掲載された「アウシュビッツの噂あるいはガス室問題」や、1979年8月にイタリアの定期刊行物『ストーリア・イラストラータ』に掲載されたロングインタビューが含まれている。私は1979年9月にメリーランド州ボルチモアのガス室を訪れ、ガス室の写真8枚と追加資料を入手した。そして、ニューヨークでフリッツ・バーグの議長のもとに開かれた会議で、私はボルチモア刑務所のガス室手順チェックシートを見せ、その意味するところを論じたのである。1980年、私は、新しく作られた『歴史評論』誌の創刊号に、「ガス処刑の力学」と題する論文を発表し、その中で、アメリカで使われていたガス室の手順について詳しく説明した。同年、私は『歴史的真実か政治的真実か?(Vérité Historique ou Vérité Politique?)』に、ボルチモアのガス室の写真8枚を掲載した。1982年に制作した「ガス室問題」と題する私のビデオは、アメリカのガス室についての分析から始まっている。1983年、私はロサンゼルスの歴史評論研究所のために、ホロコースト論争に関する英語の本を準備した。この本には、初めて、刑務所の所長に投げかけられた質問とその回答のリストが掲載される予定であった。


翻訳者のツッコミ:ツッコミではないが、上記で触れられているフォーリソンのビデオはニコニコ動画や、あるいはホロコースト否定に厳しいはずのYouTubeにもまだある(2022年11月現在)ようなので見たい人は探してみて欲しい。


しかし、この本は出版されなかった。1984年7月4日、アメリカの独立記念日に、研究所の書庫が放火で焼失してしまったのだ。この火災で、研究所の財政はどう考えても破綻し、私の本の出版を含む多くのプロジェクトが頓挫した。

ホロコーストは、巨大な比率のテーマであるかのように見える。しかし、この「巨人」は、アーサー・バッツ博士が『20世紀のデマ』の中で指摘しているように、土足の巨人なのである。その「土足」を見るには、ポーランドのアウシュビッツ強制収容所に行けばよい。ヴィルヘルム・シュテーグリヒ博士の言葉を借りれば、「絶滅論は、アウシュヴィッツが『死の工場』であったという主張によって成り立つのである」。そして、私にとって、アウシュヴィッツのすべての謎は、アウシュヴィッツIの65平方メートルのガス室とビルケナウの210平方メートルのガス室とされる部分に集約されている。


翻訳者のツッコミ:アウシュヴィッツⅠ(基幹収容所)のガス室の床面積は65㎡ではなく、プレサックによると78.2㎡である。これは、当時の図面に記載された寸法の誤りに起因する。


この275平方メートルは、戦後すぐに連合国によって法医学的に調査されるべきだったが、当時もその後も、そのような調査は行われていない。ポーランドの審査判事ヤン・セーンは、アウシュヴィッツでいくつかの法医学的検査を命じたが、処刑ガス室とされる部屋そのものは検査しなかった。

修正主義者の研究により、処刑用ガス室とされた場所がそのような目的で使用されることはありえないことが明らかになった。ディトリーブ・フェルデラーは、ガス室の通気口やドアが薄っぺらな構造であること、壁にプルシアンブルーの染みがないことを示す写真を発表した。


翻訳者のツッコミ:「ドアが薄っぺら」はよくある誤解である。アウシュヴィッツ1の現在観光用に公開されているガス室は、戦時中には防空壕に改修されていたので、戦後に復元工事を行なったものであるが、この復元工事は杜撰で完全なものでなく、ガス気密ドアは再現されていない。また、復元工事時に、防空壕時に作られた隔壁以外の壁も撤去してしまったため、「薄っぺら」なドアがガス室にあるかのように見えてしまうだけなのである。詳細は以下。ちなみに、フォーリソンは当時の図面を入手しているにもかかわらず、現場と見比べれば一目瞭然だったはずのこの事実を理解しなかったようである。

https://note.com/ms2400/n/n980101a1877cより

私自身、1975年にアウシュビッツ国立博物館の資料室(共産党幹部が厳重に保管している資料室)から、このガス室とされる部屋の設計図を発見し、さまざまな書籍や論文で最初に発表している。これらの図面は、1979年にロサンゼルスで開かれた歴史評論研究所の第一回大会にも展示され、ツンデル氏も出席している。実際には、これらのガス室とされるものは、死体安置室、あるいは、図面に示されているように、クレマIでは「Leichenhalle」(のちに防空壕に変身)、クレマIIでは「Leichenkeller」であったのである。

とはいえ、単純な常識が私たちに見させ、修正主義者の研究作業と文書が明らかにしてきたことを完全に科学的に確認するためには、アメリカのガス室専門家を探す必要があった。私は、そのような専門家を必死に探したが、率直に言って、ガス室技術の専門家であるばかりでなく、共産主義国でそのような調査を行ない、その結果が修正主義者の結論を裏付けるものであれば、それを公表するだけの勇気のある人物を見つけることはほとんど不可能であった。幸いなことに、私は間違っていた。

フレッド・ロイヒターがその専門家であった。彼はポーランドに行き、法医学的検査を行い、報告書を書き、ツンデル氏に代わってカナダの裁判所で証言した。そうすることで、彼は静かに歴史に名を刻んだのである。

フレッド・ロイヒターは、控えめだが、静かに決意を固め、的確に話す人物である。彼は優れた教授であり、どんな難しい問題でも人々に複雑さを理解させる真の才能を持っている。危険な結果を恐れていないのかと尋ねると、「事実は事実です」という答えが返ってきた。ロイヒター報告書を読んだイギリスの著名な歴史家デービッド・アーヴィング氏は、1988年4月22日、トロントでの証言で、第二次世界大戦について書く将来の歴史家にとって不可欠な、「粉砕」文書であると述べた。

エルンスト・ツンデルがいなければ、今起こっていることはほとんど何も考えられなかっただろう。彼は、歴史の正確さを追求するためにすべてを犠牲にし、影響力のある強敵と対峙しながら、困難な条件のもとで生きている。彼へのプレッシャーは永久に続き、最も予想外の、そして時には最も悪質な形をとる。しかし、彼は強い個性とカリスマ性を持っている。彼は、どんな状況でも分析し、力の比率を見極め、逆境を有利に変える術を心得ている。世界各地から有能な人材を集め、動かしている。常識にとらわれず、人や状況を鋭く洞察する天才的な深みのある人物である。

自分の研究や信念のために再び刑務所に入るかもしれないし、国外追放の危機にさらされるかもしれない。すべて可能なのだ。知的危機とそのような次元の歴史的概念の再調整があれば、どんなことでも起こりうる。修正主義は、今世紀末の知的大冒険である。何が起ころうとも、エルンスト・ツンデルはすでに勝利者である。彼は、理性と説得の力によってこの勝利を達成した平和主義者の活動家である。

ロベール・フォーリソン
1988年4月23日 トロント

PS:エルンスト・ツンデルは1988年5月11日、陪審員によって、ホロコーストに関する虚報を故意に流したとして有罪とされた。彼は9ヶ月の禁固刑を言い渡され、控訴手続きが終了するまで「ホロコースト」について書いたり話したりしないことを約束する箝口令にサインした後、保釈が認められた。こうして彼はガリレオに加わった。

PS2:カナダの最高裁判所は1992年8月27日、エルンスト・ツンデルの有罪判決を覆し、彼が9年間カナダの法廷を引っ張り回された根拠となった法律を違憲であると宣言したのである。カナダは、エルンスト・ツンデルの苦難に対する謝罪を拒否し、彼の訴訟費用等の補償の要求を拒否している。

はじめに

今年(1988年)の2月、私はロベール・フォーリソン博士からエルンスト・ツンデル氏のために連絡を受け、ポーランドでナチスが運営していた現存の火葬場と処刑ガス室を調査し、法医学的に評価して、その実現可能性と効果について工学的意見を述べる仕事を検討してほしいと要請された。

ツンデル氏、弁護人のダグラス・H・クリスティ氏、スタッフらとミーティングを行い、このプロジェクトについて話し合った結果、私の調査結果は、当時トロントの地方裁判所にかかっていた「カナダ王室vsツンデル」のケースと合わせて使われることになったという。

このことを理解した上で、アウシュビッツ、ビルケナウ、マイダネク(ルブリン)、および関連するすべての火葬場と処刑ガス室を調査対象とすることが決定された。 私はこの任務を引き受け、1988年2月25日、調査団を率いてポーランドに向かった。メンバーは、私と妻のキャロリン・ロイヒター、製図係のハワード・ミラー氏、撮影監督:ユルゲン・ノイマン氏、ポーランド語通訳:ティハダール・ルドルフ氏である。

私たちは、アウシュヴィッツ、ビルケナウ、マイダネクの必要な施設をすべて調査した後、1988年3月3日に戻ってきた。この報告書と私の発見は、ポーランドで行われたこれらの調査に対する結果である。

背景

この報告書の執筆者である研究責任者は、米国においてシアン化水素ガスによる死刑執行に使用されるハードウェアの設計に携わり、具体的に設計している。

調査員は、アウシュヴィッツ、ビルケナウ、マイダネクの施設を視察し、測定を行い、法医学的サンプルを採取し、デゲシュ社の害虫駆除室と手順、チクロンBガス、処刑手順の資料に関する設計・手順文献を検討した。検討した資料の多くは、クレマI、II、III、IV、Vの原図を含む、ポーランドの現場で購入し閲覧した文献である。

対象範囲

この報告書の範囲は、アウシュヴィッツ、ビルケナウ、マイダネクで得られた物理的検査と定量データ、3つの博物館の関係者から提供された文献、博物館で入手したクレマⅠ、Ⅱ、Ⅲ、Ⅳ、Ⅴの設計図コピー、デゲシュ社の害虫駆除室と施設に関する資料(チクロンBガスで利用した設備と手順など)、当該施設での運用手順の記述、調査対象のクレマでの科学捜査試料の採取である。

さらに、調査者自身の個人的な知識と現場での作業から得られた米国のガス室の設計と作業手順に関するデータ、および米国の火葬場と作業手順の調査も、この報告書の作成に活用された。上記のすべてのデータを利用して、調査者はこの研究の焦点を次のように定めている。

(a) アウシュヴィッツ1とビルケナウではチクロンBガスを、マイダネクでは一酸化炭素とチクロンBガスの使用によって、人間の大量殺人を達成したとされる実行ガス室の能力。

(b) 調査されたクレマが、主張された期間に主張された数の人間の火葬を達成する能力。

概要と所見

入手可能な文献を研究し、ガス室作動の設計基準に関する専門的知識をもって、アウシュヴィッツ、ビルケナウ、マイダネクの既存の施設を調査・評価し、火葬場技術を調査し、現代の火葬場を検査した結果、筆者は、通常処刑ガス室とされている施設のどれもがそのように使われたという証拠はなく、さらに、これらの施設の設計と製作から、処刑ガス室に利用され得なかったことを発見している。

さらに、火葬場の施設を評価した結果、一般的に主張されている時間枠で火葬された死体の量と矛盾する決定的な証拠が得られている。したがって、調査されたどの施設も人間の処刑に使われたことはなく、火葬場は、そこに起因するとされる作業負荷をサポートすることはできなかったというのが、筆者の最善の技術的意見である。


翻訳者のツッコミ:具体的な内容の部分で細かいツッコミは行うとして、百歩譲ってロイヒターにガス室の検証を行う専門的資質はあるとしても、火葬に関してはロイヒターにはそんな専門的資質はない。死刑コンサルタントなのだから、人間の処刑については知見を述べることは専門的にできたとしても、火葬は死刑には無関係である。

それに対し、歴史学者がアウシュヴィッツの火葬能力に関する見解を述べることは可能である。何故ならば、多くのアウシュヴィッツの火葬に関する文献資料の存在を知り得ているからである。しかし修正主義者は一般に、付け焼き刃の修正主義者であるロイヒターを含めて、それら当時の文献資料を無視する傾向がある。


方法論

報告書に結実した調査および法医学分析に関わる手順は以下の通りである。

  1. 入手可能な資料の一般的な背景調査。

  2. 物理的データ(寸法と構造情報)の取得と、化学分析のために米国に返送された物理的サンプル材料(レンガとモルタル)の除去を考慮した、問題の施設の現地調査と法医学的検査。

  3. 記録された視覚的な(現場での)ロジスティク情報の検討。

  4. 取得したデータの編集。

  5. 取得した情報の分析、およびこの情報を実際のガス室と火葬場の設計、製作、操作のための既知および実績のある設計、手順、ロジスティック情報および要件と比較すること。

  6. 現地で入手した資料の化学分析についての考察。

  7. 取得した証拠に基づく結論。

燻蒸剤としてのHCNとZyklon Bの使用について


翻訳者のツッコミ:以下、ほとんど結論に至るまで、ロイヒターは脚注や注釈表現を用いた参考資料/文献資料をほぼまるで示さない。したがって、ロイヒターの記述を彼が使用した資料を当たって調べることが出来ない。ホロコーストを検証しようとする報告書が、ある意味、検証をさせない、みたいなのはかなり矛盾してると思うのだが、ともかく、このレポートはその意味で極めて特異である。常識的には、ほとんど全員の学者先生や一般的修正主義者がそうしているように脚注で示すし、たとえ一覧にまとめてでも示すものである。


シアン化水素ガス(HCNまたは青酸)は、第一次世界大戦以前から燻蒸剤として利用されてきた。蒸気や熱風と並んで、また第二次世界大戦中には米国とその連合国によってD.D.T.と並んで使用されてきた。

HCNは、一般にシアン化ナトリウムと希硫酸の化学反応により製造される。この化学反応により、HCNは残りの青酸(hydrocyanic acid)と共に空気中に放出される。この反応は通常、セラミック製の電気鍋(crock pot)の中で生じさせられる。

この方法は、船舶や建物、特別に設計された部屋や構造物での害虫駆除に利用されている。使用者(技術者)の安全を確保するために、特別な設計と取り扱いの配慮が必要である。シアン化水素は、燻蒸剤の中で最も強力で危険な薬品の一つである。このために特別に建設されたり、改造されたりした建物は、世界中のすべての軍隊や保健機関で使用された。HCNはあらゆる場所で病気の予防に使われてきた。特にペストやチフスの予防、すなわちネズミやノミ、シラミの駆除に使われてきた。

第一次世界大戦以降、欧米では特殊チャンバーが使用されていた。これらの部屋の一部は、第二次世界大戦前後のヨーロッパでドイツ軍が使用していたもので、もっと以前には、ニューヨーク港のエリス島でアメリカ移民局が使用していた。この燻蒸槽の多くは、ドイツのフランクフルト・アム・マインにあるデゲシュ社(DEGESCH)のために作られたものである。戦時中はチクロンBの流通を監督していた。

チクロンBは、青酸を含む特殊な市販の製剤であった。チクロンBという名前自体が商号であった。HCNは工場で調合され、木材パルプや珪藻土(石灰)などの多孔質の担体に吸収させた形で納入された。円盤状か小片状、あるいはペレット状で供給された。この調合液は気密性の高い缶に封入され、特殊な缶切りが必要であった。この形態では、HCN-チクロンBはより安全で取り扱いが容易であった。出来上がったチクロンBガスはHCNであった。

円盤状、小片、ペレットは、燻蒸する場所の床に撒き、チャンバー内の空気を循環させて華氏78.3度(摂氏25.7度)以上に加熱して使用しなければならなかった。建物、船舶、テント内で樹木や農産物の燻蒸に使用する場合は、HCNの沸点である華氏78.3度を超える温度まで加熱する必要がある。これを怠ると、燻蒸完了までにかなりの時間を要することになる。燻蒸には最低でも24時間から48時間かかる。


翻訳者ツッコミ:この「華氏78.3度(摂氏25.7度)以上に加熱して使用しなければならなかった」は実験的に誤りである。以下グラフを見て欲しい。

上記グラフは沸点である26℃より低くともチクロンは十分な量の青酸ガスを放出するという実験結果である。以下資料に詳しい。

ディゲシュ社の取説にも、沸点以上にしろという指示はない。気温が低ければ燻蒸時間を長くしろとあるだけである。これは、液性のシアン化水素が沸点以下でも蒸発しやすい、つまり揮発性がある程度高い上に、個体支持体はその揮発性をある程度高めているからである(シアン化水素を含んでいる微細なたくさんの隙間はシアン化水素の液体表面を広くしているということである)。


燻蒸後は、場所(容積)にもよるが、最低でも10時間、窓や換気扇のない建物の場合はそれ以上かけて換気する必要がある。その後、燻蒸した場所に入る前に、ガスの存在を化学的に検査する必要がある。防毒マスクを使用することがあるが、安全ではないので10分以上は使用しないこと。皮膚中毒を防ぐために、完全なケミカルスーツを着用する必要がある。気温が高く、乾燥している場所ほど早く、安全に取り扱うことができる。


翻訳者ツッコミ:「完全なケミカルスーツを着用する必要」など、チクロンの取説には書かれていない。ガスマスクだけである。以下写真に見るように、完全防護服には見えないし、素手で取り扱っているようにさえ見える。


ガスの仕様は表1の通りである。

表1:HCNの仕様
名前: HCN, hydrocyanic acid(シアン化水素酸), prussic acid(青酸)
沸点: 25.7°C/78.3°F at 760 mm Hg
比重: 0.69 at 18°C/64°F
Vapor density: 0.947 (air=1)
融解点:-31.2°C/8.2°F
蒸気圧:750 mm Hg at 25°C/77°F 1200 mm Hg at 38°C/100°F
溶解度:100%
外見:透明
色:わずかに青
臭い:苦いアーモンド、非常にマイルド、非刺激臭(臭いは、毒を検知する安全は方法ではない)
危険性:
1. 熱、アルカリ性資料、水に不安定
2. 20%の硫酸と混ぜると爆発する
3. 重合(分解)は熱、アルカリ性資料、水によって激しく生じる。反応が一度始まってしまうと、自触媒作用的に進み、コントロールすることができない。爆発する。
4. 引火点:-18°C/0°F
5. 自動発火点: 538°C/1000°F
6. 空気中での可燃限界: lower 6 vol.-%, upper 41 vol.-%
出典 シアン化水素、デュポン社出版、7-83

燻蒸施設の設計基準

燻蒸施設は、建物であれチャンバーであれ、同じ基本的な要件に従わなければならない。密閉可能で、加熱可能で、空気の循環と排気の両方が可能で、排気用の十分な高さの煙突とガスを均一に分配する手段(チクロンB材料と同様)を備えていなければならない。


翻訳者ツッコミ:ともかく、ロイヒターは参考文献を一切示さないので、記述が正しいのかどうかわからないのは困り物である。さて、加熱条件は既に却下したが、空気循環や排気用煙突も同様に却下される。あった方がいいのはいうまでもないが、必要条件ではない。単純に考えて、害虫駆除現場に煙突なんかないことはしばしばあり得たであろう。空気循環やガスを均等配分する手段もそうである。そんなのが必要条件だというのであれば、害虫駆除現場は極端に制限されたに違いない。それではチクロンは使いにくくてまるで売れなかっただろう。詳しい話は、以下を読んでいただけると助かる。何でもかんでも翻訳紹介してなどいられない(笑)。続く部分も、全く文献を示さないので、正しさを確認できないが、厳しすぎてあり得ないと言わざるを得ないだろう。アウシュヴィッツには何箇所も衣料品用害虫駆除室があったし、現存もしているが、そんな厳格な仕様のあった部屋は存在していない。


まず、現在チャンバーを使用する場合、不活性(エポキシ)塗料、ステンレス、プラスチック(PVC)でコーティングされた溶接され圧力テストされた容器でなければならない。扉は耐HCN材料(アスベスト漬け、ネオプレン、テフロン®)でガスケットされている必要がある。建物の場合は、レンガや石造りで、内側も外側も不活性(エポキシ)塗料やピッチ、タール、アスファルトでコーティングされていなければならない。ドアや窓にはガスケット、またはゴム引きやピッチドキャンバスを使用し、ネオプレンシーラントまたはタールで密閉しなければならない。いずれの場合も、極めて乾燥した状態であることが必要である。「密封」という用語には、第一に、施設からの漏出を機械的に防止すること、第二に、施設の露出した多孔質面をチクロンBガスによる含浸を受けないようにすること、の二つの意味がある。

第二に、チャンバーや構造物にはチクロンB用のガス発生器や分配システムが必要で、チクロンBや発生器の上に熱い空気を送り込み(発生器は密閉されていれば水で加熱してもよい)、暖かい空気とガスを循環させることになるのである。燻蒸に必要な混合物は、3200ppm(百万分の一)または0.32%(総量)のHCNである。チャンバーは、障害物がなく、強力で一定した大量の空気の流れが可能なものでなければならない。

第三に、チャンバーや構造物には、有毒な空気とガスの混合物を排気し、新鮮な空気と入れ替えるための手段が必要である。一般的には、1時間あたりの空気の入れ替えに十分な大きさの排気弁または吸気弁またはルーバーを備えた排気ファンまたは吸気ファンによって行われる。通常、十分な立方フィート/分(cfm)のファンと吸排気口があれば、1/2時間で完全な空気の入れ替えが可能で、少なくとも1時間の必要時間の2倍、あるいは2時間稼働させる必要がある。施設が大きくなると(使用できるファンの大きさの関係で)実用的でなくなり、排気時間が数時間以上かかることもある。

排気は、気流がガスを放出できる施設上空の安全な距離で行う必要がある。これは通常、構造物の上方40フィートだが、構造物が風から保護されている場合は、もっと高くする必要がある。焼却炉を使用する場合、煙突は数フィートの高さしかない場合がある。HCNを焼却する場合、短時間に大量の空気を処理しなければならないため、一般にコストがかかりすぎる。

施設の壁、床、天井、排気設備にHCNが結露しないように、施設内の壁や空気、吸気の温度は青酸の沸点(78.3度F)より10度以上高く保つ必要がある。温度が華氏79度以下で結露した場合は、塩素系漂白剤またはアンモニアで除染する必要があり、前者が最も効果的である。これは、自動または手動で壁にスプレーすることで実現される。手動で行う場合は、保護服(一般にネオプレン製)を着用し、技術者はガスマスクは安全でなく危険なので、空気呼吸シリンダーを使用しなければならない。塩素系漂白剤の蒸気が排気システム内の液体HCNを中和するために、建物内部をより長く排気する必要がある。次の使用までに、建物内部を水洗いし、十分にモップがけをして乾燥させる必要がある。

さらに、HCNがすべて除去されたかどうかを判断するために、建物内の空気のチェックを行う必要がある。検査方法は、ガス検知器によるものと、酢酸銅・ベンジデン法によるものがある。前者は10ppmまで検出可能な電子式表示器である。もう一つは、ベンジデン溶液と酢酸銅溶液を混合し、試験紙を湿らせ、HCNが存在する場合、程度の差こそあれ、青色に変化させるものである。


翻訳者ツッコミ:何度も述べるけれど、ロイヒターは文献を全く示さないので、記述の正しさを確認できないのは本当に困り物である。したがって、極端な話が、ロイヒター報告はそもそもが検証できないゴミ報告書に過ぎないのである。彼は、工学系の資格を持ってなかったことは裁判時点からバレていたことである(自分でそう証言しているのだから)。資格も持ってない人間の記述に、使用文献さえ示さないのだから、一体どうやって信用すればいいのか見当もつかない。

だから、その上でこちらも述べる他はないが、これらの厳しい仕様を述べる意図は、「チクロンBはあまりにも危険な燻蒸剤であり、極めて厳格な取り扱い方法を守らなけらばならなかったのだから、アウシュヴィッツのガス室とされるような貧弱な仕様でしかなかったとしか考えられない場所で使用できたわけがない」と印象操作したいからであるとしか考えられない。

これは、元々フォーリソンがこの報告の序文で述べているのと同じ趣旨であり、フォーリソンは米国の処刑ガス室のような極めて高コストな仕様がなければチクロンでガス処刑などできたわけがないとする趣旨の主張と同じである。もちろん、フォーリソンも同様に徹底的に印象操作しているだけでその証明は何もない

ここまで訳しつつ、読んだ私の感想は「これは否定派ならば、非常に気持ちの良い・喜ばしい報告書に読めるのだろう」である。それ以外に特に内容はないのである。道理でアーヴィングが絶賛したわけである。ともあれ、以降、文献名を示さないことに文句は言わないこととする(笑)


死刑執行用ガス室の設計基準

燻蒸施設に関する要件の多くは、執行施設にも適用される。ただし、一般に、死刑執行施設はより小規模で効率的なものとなる。チクロンBは、不活性担体からガスを追い出すのに時間がかかるため、一般に、処刑用ガス室での使用は推奨されない。そのため、これまではシアン化ナトリウムと18%硫酸を化学反応させ、その場でガスを発生させる方法が唯一の効率的な方法であった。最近、ミズーリ州ジェファーソンシティにあるミズーリ州立刑務所の2人用ガス室に使用されるガス発生器の設計が完了した。著者はこの執行ガス室の設計コンサルタントを務めている。

この発生器は、電気的に加熱されたウォータージャケットを使い、円筒形の容器内でHCNを予備沸騰させるものである。使用時、HCNはすでに気化しており、バルブからチャンバー内に放出される。使用後は窒素バーストシステムにより配管をクリアにする。実行時間の合計は4分未満である。チャンバーは2分に1回の割合で15分間排気し、約7回の空気の入れ替えを行う。

チャンバーは、溶接されたスチール構造またはプラスチックPVC製である。ドアと窓は、標準的な船舶用防水構造であることが望ましい。ドアはシングルハンドルの圧力シールでガスケットされている。照明や電気設備はすべて防爆仕様である。チャンバーには、ガス分配配管、液体HCNのボトルを備えたガス発生器、電子心臓モニター装置、死刑囚用の座席2つ、外部から電子的に10ppmまで読み取るガス検知器などが設置されている。

致死性の高いガスが封入されているため、万が一にも内側に漏れることがないよう負圧で運転される。チャンバーの圧力はバキュライザーシステムによって制御され、チャンバーを1平方インチあたり10ポンド(psi)の部分真空に保つ必要がある(運用時:8 psi + 2 psi of HCN)。負圧の維持は、外気温度を基準としている。このシステムは電気的に制御され、17.7 cfmの置換型真空ポンプでサポートされている。さらに、チャンバー内の圧力が動作限界を3psi上回る12psiに達すると、緊急システムが作動するよう圧力スイッチが設定されている。

吸排気システムは、2分ごとに空気の入れ替えができるように設計されている。チャンバーの入口側で2000cfm以上のファンから空気を供給し、チャンバーの上部から排気している。吸気弁と排気弁は、真空損失を防ぐために共に内側に閉じるタイプで、排気弁が先に電気的に開くようにタイミングが設定されている。これは高さ40フィート、直径13インチのPVCパイプを通して排気され、風がガスを無害に拡散させる。吸気は、HCNが凝縮して排気されないことを保証するために、予熱機能を持つ必要がある。

ガス検知器を活用し、安全性を高めている。次に、チャンバーの外にある立会人と職員のエリアでは、アラームを鳴らし、排気・吸気システムを作動させて立会人を保護するとともに、死刑執行を中止してチャンバーから避難させることができるようになっている。この安全システムには、警告ベル、ホーン、ライトも含まれている。

また、チャンバー内には緊急用呼吸器(エアタンク)を設置し、医療関係者向けにHCN専用の救急箱、HCN用救急医療機器、蘇生器も隣接した場所に設置している。

処刑用ガス室の設計には、多くの複雑な問題を考慮する必要がある。どの分野でも間違いがあれば、証人や技術者に死傷者が出る可能性があるからである。


翻訳者ツッコミ:ここもまたロイヒターの無意味な駄文でしかない。ともかく、前述した通り、ロイヒターは刑務所への売り込み用に処刑用ガス室を独自に設計したかもしれないが、主張しているミズーリ州にロイヒターの設計した処刑用ガス室が設置されたことはない。それどころか、ロイヒターの設計した処刑用ガス室は全米に一つもないのである。一応は死刑コンサルタントであるのだから、ある程度の処刑用ガス室の知見はあったのではあろうが、実績のない人物の述べていることは戯言に過ぎない。それでも、言いたいことはフォーリソン同様に「処刑用ガス室の設計はこんなに高度なのです。ですからアウシュビッツのガス室のような貧相な処刑用ガス室などあり得ません」ではあるのだろう。単なる印象操作であるだけで無意味な主張に過ぎないが。

ただし、全文が嘘だったり間違っているとは私は言っていないし、「証人や技術者に死傷者が出る可能性がある」は唯一重要な示唆である。そう、米国では死刑の際に、一般市民の証人が立ち会うのである。今のところは私もちゃんとした資料までは探りあてていないので「立ち会うらしい」とまでしか言えないが、割と常識のはずである。従って、ロイヒターの主張するように証人や技術者などの関係者に万が一のことはあってはならず、特に青酸ガスを使うような処刑はもちろん危険であるので、安全対策は厳重にされなければならないだろう。

しかし、アウシュヴィッツのガス室にはそんな人はいないのである。せいぜい、数名の親衛隊員がいる程度であり、危険なら彼らはガスマスクをつけていればよかった。他は、ユダヤ人ゾンダーコマンドであり、彼らは極端な話がそんなに遠くない時期に死ぬ運命は決まっていたのだ。また、極秘の絶滅施設であり、極端な安全対策など必要があったわけがない。一体全体、何事かがあったとして、マスコミが騒ぐほどの社会問題にまで発展し得たであろうか? そんなことはあり得た筈はなかったのである。全ては闇の中に葬られただけなのだ、絶滅させられたユダヤ人たちのように。従ってフォーリソンのような主張はあまりにも現実を無視した荒唐無稽であるだけなのである。

ちなみに、ガス処刑の毒ガスによってではないが、ガス室処刑の直前くらいに親衛隊員一名がガス室で処刑される運命にあったユダヤ人によって殺された事例は存在している。また、毒ガスによって体調を悪くしたという証言も存在する。ハインリッヒの法則的に考えれば、暗数として、ガス室の毒で死傷したり、処刑作業で死傷したりした人はもっと多いかもしれないのである。


1920年以降のアメリカ合衆国の処刑用ガス室

処刑用のガス室は、1920年にアリゾナ州に初めて作られた。この装置は、ドアと窓をガスケットにした気密室、ガス発生装置、防爆電気システム、吸気と排気システム、吸気にアンモニアを加える装置、ガス発生装置と排気を作動させる機械的手段から構成されるものであった。吸気口は、機械的に作動する複数のバルブで構成されていた。ハードウェアだけが現在に至るまで変化している。

ガス発生装置は、硫酸の希薄溶液(18%)を満たした食器鍋で、機械的な放出レバーが付いていた。処刑室は処刑後にアンモニアで洗浄されなければならず、処刑者も同様であった。約25グラムのシアン化ナトリウムのペレットが使われ、600立方フィートの部屋の中で3200ppmの濃度を発生させた。

その後、他の州でも処刑方法としてHCNガス室が採用され、設計技術も変化していった。イートン・メタル・プロダクツは、ほとんどのガス室を設計・製造・改良した。ほとんどの場合、椅子が2つあり、負圧を保証し、内側にのみ漏れるように真空システムが装備されていた。すべてのシステムは、1960年代後半まで、最も効果的で簡単な手順であったガス発生器技術を採用していた。チクロンBを使うように設計されたシステムも、使われたこともない。その理由は至極簡単である。チクロンBは不活性担体からHCNを蒸発(または沸騰)させるのに時間がかかりすぎるため、加熱空気と温度制御システムが必要なのである。


翻訳者ツッコミ:修正主義者にしばしば見られる無知だが、ロイヒターには「濃度・量」の概念が希薄である。確かに、前述で示したグラフの通り、チクロンは青酸ガスのその全量を放出するには、-18℃の極低温を除けば、3〜4時間掛かる。しかし、一般に言われる人間に対するシアン化ガスの即死濃度は300ppm程度であり、また別の指標として存在する高めの致死濃度(1分で半数の人が死ぬ濃度)を取っても2000ppmである。これは、シラミの致死濃度5000ppmに比べれば16分の1〜2.5分の1程度である。また、必要な濃度を素早く得るには、チクロン投入量を増やせば良いだけである。従って、「時間がかかりすぎる」は無意味な意見である。


ガスは即効性がないばかりか、爆発の危険性が常に存在する。

混合ガス全体は一般に、混合ガスの空気下限爆発濃度(LEL)0.32%以下(混合ガスは通常3200ppmを超えてはならないため)であるが、発生器(またはチクロンBの場合の不活性担体)でのガスの濃度ははるかに高く、90~99体積%になることも十分にあり得る。これはほぼ純粋なHCNであり、この状態はチャンバー内のポケットにある時点で存在する可能性がある。


翻訳者ツッコミ:ここは何が言いたいのか不明瞭だが、フォーリソンが言っていた「シアン化ガスは引火性があるから危険」の話だろうか? 細かい話はしないが、シアン化ガスは高濃度下で引火性があるのは事実ではあるが、引火性があるというだけの話であり、必ず引火するわけではない。当然濃度にもよるし、温度条件や燃えるために必要な酸素濃度、あるいは空気湿度状態など、色々と条件があるだろう。しかし例えば、ガソリンエンジン車は修正主義者も知っている通り、一酸化炭素を多く発生するのだけれど、同様に一酸化炭素ガスも引火性があるガスである。あるいはガソリンそのものも引火性があるのは当然である。レース車両などではマフラーからバックファイヤを吹いている光景などもよく知られている。しかし、頻繁に排ガスが燃えるわけではなく、逆に滅多なことでは燃えたりはしない。フォーリソンを含め、シアン化ガスの引火の危険性を語る人たちは、では一体どの程度危険性があるのかについて示したことは一度もない、と思うのだが。例えば、青梅には青酸が含まれると言われるが、青梅を食したからと言って死ぬ人はいない。極微量だからである。死ぬには何トンも食す必要がある(笑)。いずれにしても、「発生器(またはチクロンBの場合の不活性担体)でのガスの濃度ははるかに高く、90~99体積%になることも十分にあり得る」はアホらしくて話にならない。極端な話が、青酸分子がたった1分子でもその1分子だけを考えれば100%である。そんな馬鹿げた議論があるか(笑)


チクロンBの場合、周囲の空気温度または加熱された空気温度をかなり高くし、人為的にコントロールする必要がある(蒸発は厳密に物理的なプロセスであるため)。ここで、ガスジェネレーターの場合、ジェネレーター内の化学反応は始動後自己触媒的に起こるため、温度を低く制御することができる。電気接点やスイッチは最小限にとどめ、防爆仕様でチャンバーの外に置く必要がある。1960年代後半からの技術により、ミズーリ州のシステムは、ガス気化器と液体HCNの供給システムを利用し、執行後の残留シアン化水素の取り扱いや廃棄の危険性を排除した、これまでで最も高度なシステムとなる予定である。

チクロンBは、表面的にはガスを効率的に供給し、青酸の残留問題を解消したように見えるが、問題の解決策にはなっていない。実際、チクロンBを使用すると、実行時間が長くなるため、危険なガスの取り扱い時間が長くなり、また、ヒーターの必要性から、爆発の危険もあったのである。デゲシュ社の駆除装置のように、ガスを外部で加熱し、ガスと空気の混合物を庫外の配管で循環させ、再び庫内に戻すという方法もあったが、これでは漏れの危険性が高まり、使用者に害を及ぼすだけである。加圧されたチャンバーの外にガスが出るのは、設計が悪く、非常に危険である。ディゲシュ社の機器は、オープンな場所、または換気の良い場所で使用することを意図しており、訓練を受けた人がいる場合のみ使用し、訓練を受けていない人がいる場合は使用すべきではないようになっている。

米国では、アリゾナ、カリフォルニア、コロラド、メリーランド、ミシシッピ、ミズーリ、ネバダ、ニューメキシコ、ノースカロライナがガスを処刑方法として利用している。しかし、ガスの取り扱いには危険が伴い、使用する機器の維持費も高額になるため、一部の州(ネバダ州、ノースカロライナ州、ニューメキシコ州)では、致死注射を唯一、または選択できる方法として法制化したところもある。他の州もおそらくこれに続くだろう。著者は、ミズーリ州、カリフォルニア州、ノースカロライナ州のコンサルタントを務めている。

いずれにせよ、HCNガスの製造コスト、装置のハードウエアやメンテナンスコストがかかりすぎるため、過去も現在も、ガスが最も高価な実行形態である。


翻訳者ツッコミ:これは正確な話は読者の方がご自身で調べてほしいが、正確ではないと断った上で話すと、ロイヒターはロイヒター・レポートを発表したがために、それが遠因で、死刑コンサルタントの職を結果的に失ったのである。米国の各州が、取引の基準に工学資格の保持を求めたからである。修正主義者はこれを、ユダヤ人らのロイヒター排除の企てだと主張したらしいが、ロイヒターのような信頼できない人間を採用するのは危険だから、と考える方が合理的だろう。

あと、ガス処刑のコストがかかるのは、すでに述べた通り、米国でのガス処刑には安全面でのコストが嵩むからである。アウシュヴィッツの場合は害虫駆除剤として導入していたその一部をガス処刑に回しただけであり、ガス気機密ドアや機密シャッター、金網投下装置などの専用装備も内製であって、極めて低コストだったのである。


シアンガスの有害性

医学的な実験によると、空気中に300ppmのシアン化水素ガスの濃度があると、急速に致命的な状態になる。一般に死刑執行の目的では、速やかな死を確保するために3200ppmの濃度が使用される。これは、温度と圧力にもよるが、約120から150グラム/2立方フィートのガスの重量/体積である。約100ppmのHCNは30分以内に致死量となる。毒性は、皮膚刺激と発疹、目の刺激、視界のぼやけと永久的な目の損傷、非特異的な吐き気、頭痛、めまい、嘔吐と衰弱、急速な呼吸、血圧低下、意識不明、痙攣と死亡、酸化的代謝の破壊による窒息、呼吸困難、失調、震え、昏睡と死亡の症状。

青酸は吸わなくても致命的である。50ppm以上の濃度では、身体を完全に保護するためにケミカルスーツを着用し、ボトル入りの空気を吸わなければならない。防毒マスクは一般的に効果がないので、絶対に使用するべきではない。専門の応急処置キットと医療用品が入手可能であり、人がガスに接触する可能性のあるすべての場所に設置する必要がある。


翻訳者のツッコミ:すでに写真で示した通り、「身体を完全に保護するためにケミカルスーツ」など不要である。ディゲシュの説明書はガスマスクの着用を求めている(ちなみにプレサック本にはシアン化水素ガス専用のフィルターを装着したガスマスクの写真も掲載されている)。医療品の携帯や準備の必要は合っている。ビルケナウの火葬場には医務室もあった。

第三帝国軍用ガスマスクGM38型、合成ゴム製で5点で頭部に装着する。チクロンB用のJ型フィルターカートリッジを装着。

ドイツ軍の処刑用ガス室とされる施設の歴史について

筆者が入手した資料によると、ドイツ人は1941年末のいつかから、処刑目的のために、一連の大型(3人以上)ガス室を建設し、1944年末まで利用したとされている。

アウシュヴィッツIの地下室での最初のガス処刑疑惑に始まり、赤と白の家、あるいはブンカー1と2として知られているビルケナウ(アウシュヴィッツII)の二つの改造農家、アウシュヴィッツのクレマI、ビルケナウのクレマII、III、IV、V、マイダネクの実験施設、これらの施設では、ガスとして、青酸をチクロンBという形で使用したとされている。マイダネクでは、一酸化炭素(CO)も使用したとされている。

アウシュビッツやマイダネク国立博物館で入手した公式文献によると、これらの処刑施設は高度な工業地帯に建てられた強制収容所の中にあり、収容者は戦争に必要な材料を生産する工場に強制労働力を供給していたという。これらの施設には、処刑されたとされる人々の遺骨を処理するための火葬場も含まれていた。

さらに、処刑ガスとしてCOのみを利用したとされる施設が、ベウジェツ、ソビボル、トレブリンカ、ヘウムノ(ガス車)にあった。これらの追加施設は、第二次大戦中か戦後に破壊されたとされており、検査を受けておらず、本報告の直接の対象ではない。

しかし、一酸化炭素(CO)ガスについては、この際、簡単に考察しておこう。COガスは、死に至るまでに時間がかかりすぎるという点で、比較的始末の悪いガスであり、おそらく30分程度、循環が悪いとそれ以上かかると思われる。COを利用するためには、4,000ppmの量が必要であり、COで約2.5気圧の加圧をする必要がある。さらに、CO2(二酸化炭素)も提案されている。CO2は、COよりもさらに効果が低い。これらのガスは、ディーゼルエンジンから発生すると言われている。ディーゼルエンジンの排気ガスには一酸化炭素はほとんど含まれず、死をもたらすのに十分なガスを発生させるには、空気とガスの混合物で処刑室を加圧する必要がある。一酸化炭素は、3000ppmまたは0.30%の量で、1時間暴露すると吐き気と頭痛を引き起こし、おそらく長期的に何らかの障害をもたらすと考えられている。


翻訳者のツッコミ:この部分、「加圧」とか何言ってんのかよくわからないのだが、以下にこちらにある一酸化炭素濃度と中毒症状について簡単にまとめた表を示しておく。字が小さくて見づらい場合は、元サイトで確認して欲しい。ロイヒターは明らかに一酸化炭素の毒性に関する知識がない。

二酸化炭素の提案など聞いたことがないが、ディーゼルエンジン説については、現在では詳細な証言等の検討の結果、実際にはガソリンエンジンが使用された可能性が高いとのことである。この件に関しては、2000年頃までは、ソビボルを除く一酸化炭素が使われたとされる絶滅収容所やガス車についてはディーゼルエンジン説が通説であったが、ディーゼルエンジンでは一酸化炭素量が低いので処刑に適さないとする修正主義者の主張に、反修正主義者側は「ディーゼルエンジンの排ガスでも殺人は可能」との趣旨でやや無理やり反論していただけだった。しかし、ディーゼルエンジン説の元になっていた多くの証言等の証拠を精査すると、実際にはガソリンエンジンであった可能性の方が高いことがわかった。従来の歴史研究ではエンジンの種類を精査・特定する研究はなされていなかったのである。また修正主義者の主張には誤りもあった。詳しくはこちらを参照してほしい。


4000ppm以上の濃度になると、1時間以上の暴露で致命的となる。筆者は、約9平方フィート以下(乗員周囲のガス循環を確保するために必要な最小面積)の乗員で満杯の部屋では、追加ガスが効果を発揮する前に、乗員は利用できる空気を自ら使い果たし窒息死すると主張する。そのため、この狭い空間で実行装置を閉じるだけで、外部からのCOやCO2が不要になる。

アウシュヴィッツI(クレマI)、マイダネクの処刑施設とされるものは、原型をとどめたまま、まだ存在している。ビルケナウでは、クレマII、III、IV、Vは崩壊しているか、基礎まで壊されており、ブンカーI(赤い家)はなくなり、ブンカーII(白い家)は現在修復されて個人住宅として利用されている。


翻訳者のツッコミ:ブンカー2(白い家)は、個人住宅として利用などされておらず、それどころか、土台が残っているだけである。何をどう誤解したらそんな話になるのか理解不能である。

https://www.auschwitz.org/en/gallery/memorial/former-auschwitz-ii-birkenau-site/bunkers-provisional-gas-chambers,2.htmlより

マイダネクでは、最初の石油燃焼式火葬場は撤去され、ガス室とされる火葬場はオーブンだけがオリジナルで再建されている。

アウシュヴィッツのクレマI、ビルケナウのクレマII、III、IV、V、そしてマイダネクの既存の火葬場は、火葬場とガス室が一体化したものとされている。ビルケナウの赤と白の家屋は、ガス室だけであったとされている。マイダネクでは、実験的ガス室は火葬場に隣接しておらず、現在は現存していない別の火葬場が存在した。

疑惑の処刑ガス室の設計と手順

入手可能な歴史的資料と施設そのものを調査すると、処刑ガス室の大半は、以前の設計、目的、構造から改造されたものであると思われる。これは、マイダネクのいわゆる実験室がガス処刑施設として特別に建設されたと言われていることを除けば、事実である。

ブンカーIとIIは、アウシュビッツ国立博物館の文献では、いくつかの部屋と窓が封印された農家を改造したものと説明されている。これらはオリジナルの状態で存在せず、検査も行っていない。クレマスI、II、III、IV、Vは歴史的に記述と検査の結果、死体安置室を改造したもの、あるいは死体安置室を火葬場と同じ施設に連結して収容していることが確認された。これらの構造物を現地で調査した結果、これらの施設が実行ガス室として機能するとすれば、その設計は極めて不十分で危険であることが判明した。ガスケット付きのドア、窓、換気口はなく、ガスの漏れや吸収を防ぐためにタールなどの密閉材で覆われていない。隣接する火葬場は爆発の危険性がある。


翻訳者のツッコミ:これについてはすでに述べたが、これは修正主義者の化学者であられるゲルマー・ルドルフ氏に解説を任せようと思う。こちらから引用する。

[爆発する混合気を生成するには、空気中に60000ppm(6%)のHCNが必要であるが、処刑に必要な濃度はそのような数値に達することはほとんどないために、また、炉はガス室からかなり離れたところにある(とくに、焼却棟Ⅱ-Ⅴ)ために、爆発の危険はまったくない。このような危険が生じるとすれば、それはチクロンBの媒体の近くで、室内において火花が散る場合、例えば、倒れ掛かる犠牲者の指輪が壁を引っかく場合、もしくは、抗爆発処理をなされていない電気スイッチや証明から火花が散る場合だけであろう]。

http://revisionist.jp/leuchter_01.htm

だそうである。


このような施設では、露出した多孔質のレンガやモルタルにHCNが蓄積され、数年間は人体に危険な状態になる。


翻訳者のツッコミ:これもルドルフ氏に任せよう。

多孔性の建築資材はたしかにHCNを蓄積するが、HCNの使用が中止されれば、HCNはそのままのかたちで長期にわたって壁に残っているわけではない。数週間たつと、HCNの大半は揮発してしまうか、危険なものではないより安定した合成物(鉄シアン化合物)に化学的に変形してしまう。実験データについては、see L. Schwarz, W. Deckert, Zeitschrift fur Hygiene und Infektionskrankheiten, 107 (1927), pp. 798-813; ibid., 109 (1929), pp. 201-212]

http://revisionist.jp/leuchter_01.htm

クレマIはアウシュヴィッツのSS病院に隣接しており、


翻訳者のツッコミ:隣接していると言っても、およそ20m離れている。修正主義者には本当に濃度・量の概念が希薄な人が多いのか、あるいはクレマ1の実態を考えたこともないのか、である。致死濃度から言えば、即死濃度としてよく知られる300ppm、あるいは半数が1分で死ぬLD50としての2000ppmがある。それが換気のためにガス室から外へ拡散される。この時に20m離れた病院でのシアンガス濃度を計算するには、大気汚染の計算でよく使用されるプルーム式等の大気拡散方程式や微分方程式、シミュレーション計算などちょっと高度な計算が必要なので私には出来ないが、しかしそんな計算より簡単にわかることがある。それは、解放空間では時間と共にさっさとシアンガスが大気中に拡散してしまってガス室内とは違って滞留しないということである。実際に、シアンガスを用いた毒ガス兵器は第一次世界大戦頃に使用されたらしいのだが、シアンガスは空気より若干空気密度(大気比重)が小さい(0.95)ので大気中にあっさり拡散してしまうために、兵器としてはほとんど使い物にならなかったらしい(Wikipediaにも「しかしながら、シアン化水素は空気よりわずかに軽いため、 特に、野外で化学兵器として使用しても、早期に上空へと浮き上がり、散逸してしまう。 このため化学兵器としてのシアン化水素の用例は稀」とある)。青酸ガスを用いた毒ガス兵器として有名なものには旧日本軍の毒ガス兵器であった「ちゃ剤」と呼称されていた兵器があるが、これは戦車の中にいる兵士を殺傷するためのものであり、戦場において大量殺戮用としては使えなかった。対して毒ガス兵器の成分として有名な塩素ガスは空気密度が通常空気の2〜3倍もあるので塹壕などに滞留しやすく膨大な犠牲者を生んだ。だからこそ、ガスが拡散しない密閉室内での害虫駆除剤としてシアンガスを用いたのである。それがどうして、解放空間で危険性を持つことになるのであろうか? よほどガス室に密接するほど近くない限り、その危険性を考慮する必要などあるわけがない。実際に、アウシュヴィッツではチクロンBを本来の用途で用いる害虫駆除室がたくさんあったのであるが、例えばプレサック本のこちらにはこう書かれている、「この図面は、SSが、青酸(すなわちチクロンB)を使ったガス室から3メートル離れたところで服を脱いでシャワーを浴びることを恐れていなかったことを示している」。あるいはまた、ちょっと考えればわかる話であるが、もし万が一危険であるというのであれば、ガス処刑中は病人を単純に避難させただけであろう。さらに、クレマ1の使用頻度は、1941年9月末ごろから1942年末頃までの使用期間の間に、一万人も殺されていない程度の使用頻度だったようであり、素人的な認識での「毎日連続的にずっとガス処刑を行っていた」ようなものではなかったのである。むしろ、数日、あるいは数週間程度に一度、時間にして一回あたりせいぜい1時間以内であった(火葬に時間がかかることくらい修正主義者ならよく知っているはずである)。以上の通り、フォーリソンが発案と思しきこの修正主義者の「病院が近くにあるから使えたはずがない」説が如何にアホらしいか理解できたであろうか? このことに突っ込まないルドルフの考察力の低さにも呆れるしかない。

なお、このクレマ1でのガス処刑に関する証言はいくつあるのかまでは知らないが、ルドルフ・ヘスやペリー・ブロードなどの親衛隊員、あるいは数名のゾンダーコマンドの他にも、一般囚人の目撃証言も複数存在する。特にその病院からの目撃証言を以下に二つほど紹介しておくので、修正主義者・否定派でない人は参考にしてほしい。修正主義者の方は「危険な病院からの目撃証言などあり得るわけがないので嘘である」でおしまいなので見なくていい(笑)

こちらのエドワード・スタイシュの証言。
こちらのエドワード・パイシュの証言。


床の排水口は収容所の主要な下水道に接続されています--これでは、施設のすべての建物にガスが入り込むことになる。


翻訳者のツッコミ:これは再びルドルフ氏に解説していただく。

[普通の衛生施設はすべて悪臭を放つガスを防止するためにU字型パイプを備えているために、また、HCNはすぐに水に吸収されてしまうために、HCNガスが下水システムを介して、ほかの建物に浸透してしまうことはほとんどありえない。しかし、下水には毒素が混じってしまうので、入り江や川の下流では、魚が死んでしまうかもしれない]。

http://revisionist.jp/leuchter_01.htm

「U字型パイプ」とは、一般的には「排水トラップ/封水トラップ」と呼ばれるもので以下のようなものである。

https://sos-mizu24365.com/dictionary/dic60.htmlより

排水トラップにはさまざまな形式があるが、要は排水管路の途中で水を常時滞留するような構造にしておくことで、その水(封水と呼ばれる)によって下水の悪臭漏れを起こさないようにしておく仕組みである。いつからこんな仕組みがあったのかについてはこちらに「排水管からの臭気を防ぐ封水トラップは18世紀までに考えられたようであるが、便器に用いられたのは19世紀なかばである」とある。しかしそもそもガス化しない限り、シアン成分の危険性は水性生物でもない限り考えられないのだから、ルドルフが解説する通り、下水に流れてしまった時点でシアンガスの毒性は全く考慮の余地はないのである。


使用後のガスを排出する排気装置もなく、チクロンBを導入したり蒸発させたりするためのヒーターや分散装置もなかった。


翻訳者のツッコミ:換気装置については、このレポート発表後に多数の人から散々突っ込まれており、要するに換気装置は少なくともクレマⅠ、クレマⅡ及びⅢには存在していたのである。二つのブンカーとクレマⅣ及びⅤには換気装置はなかったようであるが、扇風機を使っていたとする証言も見たことはある。この換気装置がなかったらしいブンカーなどは地上型ガス室施設で、ガス気密ドアや気密シャッターの全解放、及びガスマスクの使用によって危険性を回避していたと考えられる。ともかく、少なくともクレマⅠ、クレマⅡ及びⅢには換気装置が存在していたことは判明していて、うち規模の大きいビルケナウのクレマⅡとⅢには吸排気の両方の機能を備えた高能力の換気システムがあった(能力的な話としては、ゲルマー・ルドルフは換気能力は不十分としているが、私自身はクレマ1の死体安置室に元々あった換気装置の能力はまるで知らないが、クレマⅡとⅢの換気システムも元々は死体安置室計画時のままであったようではあるが、ジェラルド・グリーン氏らの計算によると能力は十分だったようである。)。また、クレマⅡとⅢには、ロイヒターの想定するような「分散装置」ではないとは思われるが、チクロンの金網導入装置があったのである。当然、修正主義者は金網導入装置どころかそれが設置されているガス投入のための天井の穴自体を「ない!」と言い続けている。ヒーターについてはクレマⅡやⅢで導入の検討自体はあったが実現しなかった。しかし、すでに述べた通り、加熱すればチクロンからのシアンガスの蒸発はより加速されただろうが、加熱せずとも人を殺すには十分な量のシアンガスが放出されたのである。いずれにしても、ロイヒターはアウシュビッツの図面類についてはアウシュヴィッツ博物館の売店で購入した程度であり、プレサックのように博物館のアーカイブ(資料保管庫)からアーキビストに手伝ってもらってまで資料収集などしていないのであるから、十分な調査を行えたはずなど全くなかったろう。そもそも論として、何度か述べた通り、ロイヒターは一切資料的根拠を示してはいないので、そもそも信ずるに全く足りていない。それに対し、プレサックは膨大な資料を著書の中で提示している。


チクロンBは屋根の換気口から落とされ、窓から入れられたというが、ガスやペレットが均等に行き渡らない。施設はいつも湿っていて、暖房もない。先に述べたように、湿気とチクロンBは相容れない。


翻訳者のツッコミ:同じ内容の批判を避けるとして、まだしてないツッコミに一つは「湿気」があるが、これについてはロイヒターは一切、資料的根拠を示しておらず独自の証明もしていないのでロイヒターの戯言と捨て去ることができる。また、ディゲシュ社の説明書にも、湿気のあるところでは使えないとの注意書きもされていない。「均等に行き渡らない」と言う指摘も、少なくともガス室内に詰め込まれた犠牲者の体温によって、密閉室内の空気は対流を起こす。また、一箇所だけからチクロンが投入されるわけではなく、全員を処刑できさえすれば良い程度の複数のチクロン投入口を準備すれば事足りたのである。簡単な話であるが、例えば日本で一般家庭用に市販されているゴキブリ駆除に使われる有名な「バルサン」の使用において、拡散装置が必要であろうか? もっと単純に、チクロンの合法的使用である害虫駆除作業では、各所にチクロンを撒くだけでよかったのである。こうした極めて素人的な考察からも、ロイヒターはただ単に必死で思いつく限りの「否定論」の駄文を羅列しているだけだということがわかる。


この部屋は物理的に収容するには狭すぎるし、扉はすべて内側に開いているので、遺体の搬出ができない。


翻訳者のツッコミ:ロイヒターがここで述べているガス室の「扉」はクレマ1のことなのであろうが、既に述べた通り、現在も残っているその扉はガス室のガス気密ドアではない。「扉はすべて内側に開いているので、遺体の搬出ができない」については、クレマ1については正確な図面が残っていないので、そうではなかった「証明」は出来ないものの、外開きに変更された可能性が高いことは推測できる。これについてはこちらを参照されたい。クレマⅡ(及びその鏡像であるⅢ)については、プレサックの研究により、死体安置室から使用用途がガス室に変更されたと推測し得ることを示す図面の変化自体が「ガス気密ドアが図面上で外開きに変更されていた」ことなのである。クレマⅣとⅤに関してはガス室とされる部屋は全てドアは外開きに書かれている(以下図参照)。

https://holocaust.hatenadiary.com/entry/2022/07/14/214549#p402より


「収容するには狭すぎる」については後述する。


ガス室が満員になった状態では、HCNが室内で循環することはない。さらに、長い時間をかけてガスが充満した場合、屋根の通気口からチクロンBを投げ込み、室内の犠牲者の死亡を確認する者は、HCNに暴露されて自らも死亡することになる。疑惑のガス室はどれも、何年間も安全に効果的に稼働していた害虫駆除室の設計に従って建設されたものではない。いずれも、当時米国で稼働していた施設の既知・実績のある設計に則って建設されたものではない。これらのガス室の設計者と思われる人物が、当時ガスで囚人を処刑していた唯一の国であるアメリカの技術に相談したり、検討したりしなかったのは、異常なことだと思われる。


翻訳者のツッコミ:「循環することはない」については、バルサンの例で十分なので二度と反論しないが、「通気口から死亡確認をする者」については、ロイヒターは「ガスマスク」を前述で勝手にオミットしているので、議論から除外できると踏んだのであろう。「害虫駆除室の設計」については、プレサック本などを参照すればわかる話であるが、特に殺人ガス室とされる場所と変わることはない。米国の死刑用ガス室との違いについては既に述べた通りであるが、当時のナチスドイツがユダヤ人らを極秘に大量殺戮するのに、敵国である米国に相談せよなどと考えるロイヒターの方がはるかに異常であることは言うまでもないことである。


マイダネクの施設も同様に、主張された目的を果たすことができない。まず、ガス室とされる火葬場が再建されている。建て替え前に存在したのは火葬炉の部分だけだった。伝えられるところによると、この建物は存在しない図面から再建されたものである。この施設は、主張された部屋内にガスを封じ込めることができないような構造になっており、部屋自体が小さすぎて、犠牲者の数を収容することはできなかった。建物は湿気が多く、寒いのでチクロンBガスを有効に利用できない。ガスが炉に到達し、技術者を皆殺しにした後、爆発を起こし、建物を破壊したのだろう。さらに、コンクリート打ちっぱなしという構造は、施設の他の建物とは根本的に異なっている。要するに、この建物は、その主張された目的には使用できず、最低限のガス室の設計にさえ従っていないのである。

マイダネクの第2施設は、地図上ではコの字型の建物になっているが、実際は2棟に分かれている。この複合施設は、浴場・消毒棟1と2に指定されている。建物の一つは、厳密に害虫駆除施設であり、ビルケナウで受け入れられている他の害虫駆除施設と同じように設計されている。建物の正面には、シャワー室とガス室とされる部屋がある。この部屋に青い染みがあったことは、ビルケナウの害虫駆除施設で発見された青い染みの存在と一致する。この部屋には、害虫駆除の後、部屋を換気するための2つの屋根の通気口がある。チクロンBは床の上に手で置かれたのであろう。この部屋は明らかに処刑室ではない。空気循環のための設備はあるが、換気用の煙突はない。

他の施設と同様に、処刑用ガス室として設計されておらず、また使用することもできない。この建物の奥には、実験用ガス室があります。このエリアには、風除室、制御ブース、ガス室として使われたとされる2つの部屋がある。3つ目の部屋は密閉されており、検査することができなかった。これらの部屋は、いずれもブースから制御される一酸化炭素ガスを使用するとされる配管がある点でユニークである。一方の部屋には、天井に換気口があるが、屋根を切り開くことはなかったようである。もう一つの部屋には、加熱された空気を部屋に送り込むための加熱循環システムがある。この循環システムは、吸気口と排気口が近すぎてうまく機能せず、換気口も設けられていないなど、非効率的な設計・構造になっている。両チャンバーとも、4枚のスチール製ドアに、ガスケットを設置するための溝と思われる切り込みがあるのが特徴的である。伝えられるところでは、両方の部屋はチクロンBか一酸化炭素のために使われたとのことである。これは真実であるはずがない。

2つのチャンバーのうち、1つは未完成で、一酸化炭素に使用することはできなかった。また、HCN用に利用されたとされているが、HCN用に設計されていない。大きい方の部屋はHCN用に設計されたものではない。ドアに「実験的」と書かれていたにもかかわらず、この部屋では、必要な2.5気圧の圧力で4000ppm(致死濃度)を作り出す必要があるため、COによる処刑は不可能であった。どちらの部屋も、換気、暖房、循環、漏水に関する設計要件を満たしていなかった。レンガ、スタッコ、モルタルの内側も外側も、どこにもシーリング材が塗られていなかったのである。

この施設の最も顕著な特徴は、これらの部屋の三方を窪んだコンクリートの歩道で囲んでいることである。これは、インテリジェントなガス処理設計とは全く矛盾しており、ガスの滲出がこの溝に蓄積され、風から保護されているために放散されないのである。これでは、特にHCNの場合、このエリア全体が死の罠と化してしまう。

したがって、この施設はHCNガスの限定的な使用すら想定していなかったと判断せざるを得ない。

火葬場

ドイツの火葬場が与えられた任務を遂行する能力があるかどうかを判断するために、新旧の火葬場を検討しなければならない。

死者の火葬は新しい概念ではない。何世紀にもわたり、多くの文化圏で行われてきた。数千年前には行われていたが、カトリック教会に嫌われ、18世紀後半に教会の反対運動が緩和されるまで、最近では行われていない。

正統派ユダヤ教では火葬は禁じられていた。1800年代初頭には、ヨーロッパでは再び火葬が限定的に行われるようになった。病気の予防にもなるし、混雑しているところでは土地を確保することもできるし、冬場は地面が凍るので死体の保管も不要になるなど、利点は多い。ヨーロッパの初期の火葬場は、石炭やコークスを使った炉であった。

遺体を火葬するための炉は、正しくはレトルトと呼ばれる。初期のレトルトは、遺体の水分をすべて煮出して灰にするオーブンに過ぎなかった。骨は燃やすことができないので、現代でも粉砕しなければならない。しかし、初期の乳鉢と乳棒は、粉砕機に取って代わられた。現代のレトルトはほとんどがガス焚きだが、中には石油用のものもまだ供給されている。アメリカやカナダではまだコークスや石炭で焚くものはない。

それ以前のレトルトは、単なる乾燥窯や焼成窯で、単に人骨を乾燥させるだけであった。レンガを敷き詰めた鋼鉄製の近代的なレトルトは、実際にノズルから火を吹きつけて遺骨を燃やし、燃焼を促進させる。また、最近のレトルトは、燃焼したガス状物質に含まれる汚染物質をすべて再燃焼させるためのセカンドバーナーやアフターバーナーを備えている。この2つ目のバーナーは、大気汚染を管轄する様々な州の機関が定めた要件である。注意しなければならないのは、人骨が汚染の原因になっているわけではないことだ。全ては使用する化石燃料が原因である。電気レトルトなら、ランニングコストは高いが、汚染物質がない。

この最新のレトルトや火葬場は、華氏2000度(≒摂氏1000度)以上の温度で燃焼し、アフターバーナーの温度は華氏1600度(≒摂氏870度)である。この高温によって体が燃焼し、自らを消費することで、バーナーを停止させることができるのである。木製の棺や紙箱は、昔はともかく、現在は高温のため焼く時間を追加することなく、遺体と一緒に焼かれる。欧州の一部の機種は、従来の800℃より低い温度で、より長い時間動作させる。

華氏2000度以上で、外部から2500CFMの送風を行う場合、最新のレトルトでは1人の遺体を1.25時間で火葬することができる。理論上、24時間で19.2回となる。通常運転で持続的に使用する場合の工場推奨値は、1日あたり3回以下の火葬が可能である。旧式の石油、石炭、コークス炉で強制空冷(直火不可)の場合、通常1体の死体に3.5〜4時間かかる。理論的には、24時間に最大で6.8体の死体を処理することが可能である。通常の運用では、24時間以内に最大3回の火葬が可能である。これらの計算は、1回の火葬で1つのレトルトに1体の遺体を入れた場合である。この最新のレトルトは、すべてスチール製で、高品質の耐火レンガで裏打ちされている。燃料はレトルトに直接送られ、すべての制御は電動で自動化されている。石炭とコークスを使った炉は、均等な温度(最高華氏約1600度)で燃えないため、常に手で燃料を供給し、上下にダンパーをかける必要があった。遺体に直接炎を当てるわけではないので、送風機で炎をあおり、窯の温度を上げるだけである。この粗雑な運転方法では、おそらく平均温度は華氏1400度(≒760度)くらいになる。

ドイツの視察先で使用されていた火葬場は旧式のものであった。赤レンガとモルタルで造られ、耐火レンガで裏打ちされていた。すべてのオーブンは複数のレトルトを持ち、一部は送風式(ただし直接燃焼式はない)、アフターバーナーはなく、マイダネクに現存しない1施設を除いて、すべてコークスで焼かれていた。すべての場所で検査・調査されたレトルトは、いずれも複数(遺体同時)の死体焼却用に設計されたものではなかった。特に骨と肉と熱の比率が高くなるように設計されていない限り、レトルトはその中に入れた材料を消費しないことに注意しなければならない。1回の火葬で1つのレトルトに1体の遺体を入れた場合の、理論上およびリアルタイムでの推定最大24時間出力は、表IIにある。


翻訳者のツッコミ:以上の火葬場の議論についても、ロイヒターは全く資料的根拠を示さないので、これもただのゴミ駄文である。従って、反論・批判の必要性など全くなくこのまま捨て去って無視していいものである。そもそもが、既に述べたように、ロイヒターは死刑コンサルタントではあっても、火葬の専門的知見を有する専門家ですらない。その意味では、ツンデル裁判に出廷した、ロイヒター同様の被告側証人であったカナダの火葬場技術者であるイヴァン・ラガセの証言のほうが重要視されて然るべきであるが(しかしラガセは単にカナダの民間火葬場の技術的専門家であって、アウシュヴィッツの火葬場についての技術的専門家ではなかった)、いずれにしても、火葬場に関する説明目的は、「アウシュヴィッツの犠牲者数とされる100万人以上もの死体を、アウシュヴィッツの火葬場で処理できた能力などなかった」ことを示して、ツンデルの主張していたホロコースト否定論をデマではなく正しかったと示すことにある。ところが述べた通り、ロイヒターは根拠を全く示さないので、これが正しいかどうかなどこれのみでは何もわからない。なのに、このロイヒター説に「ふむふむなるほどそうか!」と納得する否定派が存在していたらしいから、訳がわからない。

では実際にはどうだったのか。

アウシュヴィッツの火葬に実際についてここで長々と述べるのはロイヒター報告に単なるツッコミを入れるだけという本来の趣旨を大幅に超えてしまう。従って、以下の論文や記事などを参考にしてほしい。

これにプラス、アウシュヴィッツ・ビルケナウではクレマトリウムだけでは火葬処理が追いつかない場合には、野外火葬を実施していたのである。収容所司令官のルドルフ・ヘス曰く、野外火葬では処理できる遺体の量に実質的には際限はなかった、そうである。そりゃそうだ、必要な分だけ穴を掘ってそこで焼けばいいだけだからである。ここでは素人的修正主義者がよく主張する「じゃぁ何故火葬場があったのだ?、野外火葬だけでやればいいじゃないか?」についてはこれも長くなるので説明はしない。あるいは、穴を掘ってその中で大量遺体の野外火葬などできた訳がない、については以下の日本における実例を示せば十分だろう。終戦末期の物資に窮乏していた日本ですら、焼却のための油くらい用意できたのである。

ちなみにロイヒターは、ツンデル裁判で以下の有名な当時の文書資料(一般に記述した人物の名前を取って「ヤニシュ書簡」と呼ばれる。アウシュヴィッツ・ビルケナウの火葬場の全てで焼却実施したと仮定して、日あたり4756体の火葬能力を示した、当時の親衛隊建設部がベルリンの親衛隊経済本部に送った書簡である)を検察側に突きつけられて、「見たことはありません」と答えたくらい無知だったのである。日あたり4756体は、ロイヒターの示した理論的能力の約10倍、推定した実際の能力の概ね20倍である。

https://www.hdot.org/debunking-denial/ab3-german-documents-ovens/より

HCN、シアン化合物、火葬場に関する法医学的考察

前述のように、ポーランドの現場からレンガ、モルタル、コンクリート、堆積物の法医学的サンプルを選択的に採取した。シアンおよびシアン化合物は、ある場所に長期間留まり、他の化学物質と反応しなければ、レンガやモルタルの中を移動する可能性がある。


翻訳者のツッコミ:これはよく知られていることであるが、ロイヒターはアウシュヴィッツ博物館に無断でガス室跡や害虫駆除室から試料採取を行なっている。ロイヒターらは証明のために試料採取時にはビデオ撮影を行なっているが、ばっちり違法であることを証明する間抜けである。ポーランドの法律は知らないが、日本だと明確に器物損壊罪になるだろう。もちろん、建造物侵入罪だって適用可能だ。従って、本来、違法収集証拠は証拠にならないのであるが、一応は「正史派」側もロイヒターの化学分析結果それ自体を信頼できないとはしていない。しかし、ロイヒター自身はツンデル裁判で一応証人として認められたものの、工学系の資格を持っていないことなどの理由から、レポート自体は証拠採用されず、裁判的にはツンデルの支払った調査費用3万ドルは全くの無駄だった。しかし、サミスダット出版から出版された今訳しているこのロイヒター・レポートの書籍は、ある程度は売れただろうから元くらいは取れたのかもしれない。


31のサンプルがクレマスI、II、III、IV、Vの疑惑のあるガス室から選択的に採取された。コントロールサンプル(本当にガス室だったのかどうかを値として比較・検討するための基準サンプル)はビルケナウの第1害虫駆除施設から採取された。対照サンプルはシアンが使われたと知られ、青い染色として明らかに存在していた場所の害虫駆除室から採取された。対照試料#32の化学検査では、シアン化合物の含有量が1050mg/kgと非常に高い濃度を示した。これらの試料が採取された場所の条件は、対照試料の条件と同じで、寒くて暗くて湿った場所であった。クレマIVとVだけが異なっており、これらの場所には日光があり(建物は取り壊されている)、日光は非錯合シアンの破壊を早める可能性がある。シアン化物はモルタルやレンガの中の鉄と結合し、非常に安定した鉄-シアン化物複合体であるフェリフェロシアン化物、あるいはプルシアンブルー顔料になるのである。


翻訳者のツッコミ:反修正主義者と、修正主義者で化学者でもあるゲルマー・ルドルフとの間で、ロイヒターやルドルフの試料分析結果に関する争点の中心となったのがこのプルシアンブルーである。

アウシュヴィッツの害虫駆除室から試料採取を行っているゲルマー・ルドルフ。プルシアンブルー化した部分を選択的に試料採取している様子に注目してほしい。

このプルシアンブルーに関する議論については、以下に詳しい。

ロイヒター、ルドルフの後で行われたポーランドのクラクフ法医学研究所の調査ではこのプルシアンブルーを検出しない方法で、シアン成分の検出を行なったのである(クラクフ報告)。

ここでは簡潔に説明するが、争点はゲルマー・ルドルフ曰く「シアンガスがあれば必ずプルシアンブルーが生ずる」であり、クラクフはそれを否定し、プルシアンブルー化していないシアン成分を比較しなければならない、としたのである。何故かというと、プルシアンブルーは顔料や染料に使われるほど、長期的に安定的な化合物であり、プルシアンブルー化していないシアン成分は容易に水に流出してしまうからである。特にビルケナウのクレマは全て爆破解体されていて、長年に渡って雨の影響を受け続けていたのであり、シアン成分がわずかしか検出されなくなっていても不思議ではなかった。また、害虫駆除室と殺人ガス室の運用形態の違いから、殺人ガス室ではシアンガスがプルシアンブルーを形成しなくても不思議はなかったのだ。単純に、衣料品類の害虫駆除は害虫駆除室で24時間という長時間、シアンガスで燻蒸されたのに対し、殺人ガス室ではせいぜい1日あたり30分程度で室内を換気してしまう、という明確な違いがあった。

また、ロイヒターの調査結果でも微量なシアン成分を検出していることを「正史派」側がシアンガスがそこで使われた証拠だとしていたが、ルドルフはそれをバックグラウンドレベルのシアン成分値である可能性を否定できない(これはそのとおりであり、「正史派」の主張は間違いと言っていいだろう)とし、よくわからないどこか(バイエルンだそうだが)の農家のサンプルによる検出結果を示した。しかし、クラクフはそもそもがロイヒター・ルドルフらの試験方法よりもはるかに微量(ロイヒターらはmgオーダーだったが、クラクフでは分析感度としてその一千倍のμgオーダーである)を検出可能な、微量拡散法を用いて分析値を得ており、1942年に一度だけチクロンによる燻蒸が行われた囚人住居棟の試料採取をを行い、住居棟試料は全てシアン成分は検出限界以下だったのである。

さて、ではプルシアンブルーをシアン成分の分析時に含めることが正しいのか、含めないことが正しいのか、いずれであろうか? ただ純粋にシアン成分の実測値を得たいのなら含める、すなわちロイヒター・ルドルフの方法を選択すべきであることは言うまでもない。しかし、ロイヒターらはプルシアンブルーでないシアン成分があり得ることを説明しなかった。クラクフの方法ではプルシアンブルーを除外してもシアン成分値を得ることができたのである。この事実のみで、いずれが正しい分析方法かは明らかであろう。


分析試料を採取した場所は、表IIIに示すとおりである。

注目すべきは、ほぼすべてのサンプルが陰性であり、陽性であった少数のサンプルが検出レベル(1mg/kg)に非常に近いことである;クレマIIIで6.7mg/kg、クレマIで7.9mg/kg(註:翻訳元では「79」となっていたが、誤りである)。コントロールサンプルの測定値1050mg/kgと比較して、どの試験場所でも結果的な測定値がなかったことは、これらの施設が実行ガス室でなかったという証拠を裏付けるものである。検出された量が少ないということは、これらの建物がある時点でチクロンBで害虫駆除されたことを示している--これらの施設のすべての建物がそうであったように。


翻訳者のツッコミ:一度だけ収容所内でチクロンによる害虫駆除が行われたことがわかっている1942年にはまだビルケナウの火葬場は未建設または建設最中であったことは既に説明したとおりである。


さらに、青く染まっている部分は鉄分が多く、もはやシアン化水素ではなく、フェリフェロ・シアン化物を示している。

ガス室とされる場所から採取されたサンプルからは、(そこで利用されたとされるガスの量が多いので)コントロールサンプルよりも高いシアン化合物が検出されると予想される。それとは逆に、検査で得られた他のすべての証拠と合わせると、これらの施設は実行ガス室ではなかったと結論づけなければならない。


翻訳者のツッコミ:誤りである。既に述べたとおり、プルシアンブルーは長期的に安定的に存在するが、そうでないシアン成分は容易に水に流出する。ガス量については、害虫駆除、殺人ガス室ともにチクロンからの室内でのガス放出総量を算定しない限り不明である(害虫駆除作業が何回行われたかなんて全くの不明である)。プルシアンブルーでないシアン成分が存在する以上、比較対象とできるのはプルシアンブルーでないシアン成分のみである。ロイヒター・ルドルフはシアンガスがあるなら必ずシアン成分が存在するという、その理論的な生成機序を全く説明しておらず(ルドルフはそこにあるからある、のようなトートロジカルな説明以上の説明は全くしていない)、クラクフがプルシアンブルーでないシアン成分を検出している以上、コントロールサンプルをプルシアンブルーとするのはインチキも甚だしいと言っても過言ではない。

また、あくまでも模式的なものだが、年月が経てば経つほど、安定性のあるプルシアンブルーと、安定性のないそれ以外のシアン成分の濃度差はどんどん開いていくことを示した図が以下である。これを見ても分かるとおり、プルシアンブルーのある害虫駆除室と、そうでないガス室跡のシアン成分を比較する場合には、いずれにも存在するプルシアンブルーでないシアン成分を比較しなければならないことは明らかである。


クレマIのオーブンは完全に再建され、クレマIIとIIIは部分的に破壊されて部品がなくなり、クレマIVとVはなくなってしまったので、クレマの機能に関する証拠は存在しない。マイダネクでは、1つのクレマは完全になくなり、2つ目のクレマはオーブンを除いて再建された。マイダネクの記念碑の灰の山を目視すると、ベージュ色という不思議な色の灰がある。実際の人骨灰は(筆者が独自に調査したところ)オイスターグレーである。マイダネクの慰霊碑には砂が混じっている可能性がある。

さらに、筆者はこのセクションで、焼却(火葬)ピットの疑惑についても言及する。

著者は自らビルケナウの焼却炉を視察し、写真に収めた。 このピットで最も注目すべきは、地下水位が高いことだ。おそらく地表から1.5フィート(45センチ)しか高低差がない。歴史的な記述では、この穴は深さ6メートル(19.55フィート)であったとされている。水中で死体を燃やすことは、人工的な促進剤(ガソリン)を使っても不可能である。博物館の地図に公式に指定されているすべてのピットが検査されたが、ビルケナウが沼地に建設されたため、予想されたように、すべての場所で地表から2フィート以内に水があった。ビルケナウには焼却穴は存在しなかったというのが、筆者の意見である。


翻訳者のツッコミ:ロイヒターが「歴史的な記述」と称して野外焼却ピットの深さが6メートルと記述した何某かの資料があったと言っているが、私はそれほどまでの深さの記述は残念ながら見たことがない。たとえば、ここにあるゾンダーコマンドだったスラマ・ドラゴンの証言では深さ3mとなっている(幅は6mだと証言しているが)。ビルケナウの地下水位が高かったのは事実のようである。しかし、ロイヒターの言うように地表から45〜60cmしかなかったなどあり得ないだろう。ロイヒターはまたしてもここでも根拠を示してはいない。たとえば以下の写真は、1943年のビルケナウでの作業風景を撮影したものである。

プレサック、『技術』、p206より

明らかに、少なくとも地表よりも1メートル以上は掘り下げている。あるいは、以下のクレマ2の断面図では、クレマ2のいわゆる「Leichenkeller」になる場所であるが、ビルケナウの地下水位が高い影響で完全な地下構造には出来なかったことがわかる反面で、ロイヒターの言うような極めて浅いところい以上に掘れなかったわけではないことが明らかである。

プレサック、『技術』、p322より

アウシュビッツ・クレマI

クレマIの公式に主張されている処刑ガス室を詳細に調査し、博物館関係者から入手した既存の設計図を詳細に分析した結果、ガス室とされる場所は、ガス処刑が行なわれた当時は死体安置所、後には空襲用シェルターであったことが判明している。このレポートの著者が提供したクレマIの図面は、1941年9月25日から1944年9月21日までの期間を再現したものである。7680立方メートルの死体安置所が描かれており、2つの出入り口があり、どちらのドアも外には開かない。


翻訳者のツッコミ:クレマ1のドアについては既に述べたとおりである。


一方の出入り口は火葬場、もう一方は洗面所に通じていた。 どちらの開口部にも扉はなかったようだが、片方の壁が取り払われ、片方の開口部が移動していたため、確認することはできなかった。 なお、アウシュビッツ国立博物館の公式ガイドブックには、この建物は物理的には1945年1月27日の解放の日と同じ状態で残されていると書かれている。


翻訳者のツッコミ:ロイヒターが調査した1988年当時の事情はよくは知らないが、現在は「ガス室があった」当時のままではないことは、現場にはっきり表示されている。以下写真の左側が当時のものであり、右側が現在の状態である。クレマ1は1941年9月末ごろに死体安置室に簡易な改造をおこなってガス室としても使えるようにし、1942年末まで散発的に使用されたあと、1944年中に防空壕に改修され、アウシュヴィッツ博物館としての公開に先立って1946-7年ごろにポーランドによって再びガス室に見えるように復元されたが、完全な復元工事ではなかった。


安置エリアには、4つのルーフベントと1つの暖房用の煙道がある。煙道は開かれており、閉じられた閉められた形跡がない。屋根の通気口はガスケットがなく、新しい木で最近作り直されたことがわかる。壁と天井は漆喰で、床はコンクリート打ちっぱなしである。床面積は844平方フィートで、天井は梁があり、床には空襲時のシェルターの壁が剥がされているのが見える。照明は防爆仕様ではなく、現在も防爆仕様ではない。チャンバーの床には、主収容所の排水・下水道システムにつながる床排水がある。ガス循環のために一人当たり9平方フィートの面積を確保すると仮定すると、それでも非常に厳しいのであるが、最大94人がこの部屋に一度に入ることができる。この部屋は最大600人まで収容できると報告されている。


翻訳者のツッコミ:クレマ1のガス室の床面積は、実測を行ったらしいプレサックによると、78㎡である。ここにもし仮にロイヒターの言うように94人とすると、1.2人/㎡となる。また述べられている600人だとすれば、7.7人/㎡となる。私がしばしばよく使う明石花火大会歩道橋事故の報告書に掲載されている表を以下に引用する。

第32回明石市民夏まつりにおける花火大会事故調査報告書の第二部技術解析(p.93)より

ロイヒターの見立てがあまりにも馬鹿馬鹿しすぎることは言うまでもないし、600人はまだ十分あり得る数値であることがわかる。


疑惑の処刑ガス室は、前述したように、そのような使い方をするようには設計されていない。この構造物には、いかなる種類の排気システムもファンも存在した形跡はない。


翻訳者のツッコミ:クレマ1のガス室には換気装置があったらしいが、その図面を掲載しているらしいジャン・クロード・プレサックによる『アウシュヴィッツの火葬場』(1993)は未見なので私は確認していない。情報自体は、ティル・バスティアンの『アウシュヴィッツと〈アウシュヴィッツの嘘〉』の後書きで、石田勇治氏がプレサックの同著に載っていると述べている(p.146-147)。元々死体置き場なのだから、悪臭を放つ可能性のある死体を置く部屋に換気扇がないのは不自然である。


ガス室とされる部屋の排気システムは、屋根の表面から2フィート未満のところにある4つの四角い屋根の排気口だけであった。このような方法でHCNガスを排気すれば、毒ガスは間違いなく、道路を挟んで少し離れたSS病院の敷地内に到達し、患者と支援者が死亡することになる。


翻訳者のツッコミ:そんなことにはなりそうもないことは既に述べた。


この建物には、ガス漏れを防ぐシール材もなく、ガスが火葬場に到達するのを防ぐガスケットのドアもなく、収容所内のすべての建物にガスが到達することを許す排水溝もなく、暖房システムも循環システムも排気システムもガス分配システムもなく、常に湿気があり、室内に人が多いために循環せず、チクロンB物質を満足に導入できないことから、この安置所を処刑ガス室として利用しようとすることは全くの自殺行為であると言えるであろう。その結果、爆発したり、収容所全体にガスが漏れたりすることになる。


翻訳者のツッコミ:これも既に反論済みである。


さらに、このようにチャンバーを使用した場合、(100立方フィートあたり4オンスまたは0.25ポンドというDEGESCHの数値に基づいて)30.4オンスまたは1.9ポンドのチクロンBガス(チクロンBの総重量は3倍である)が発生する。華氏41度で16時間使用した場合(ドイツ政府の燻蒸の数値に基づく)。換気には最低20時間かかり、チャンバーが安全かどうかのテストも行わなければならない。排気装置なしで1週間でガスが澄むかどうかは疑問である。これは明らかに、1日に数回のガス処理というこの部屋の使用方法と矛盾している。


翻訳者のツッコミ:そもそも「1日に数回のガス処理というこの部屋の使用方法」など誰が主張したのであろうか。遺体の火葬処理に時間がかかるので、数百名を毎回処刑したと仮定した場合、クレマ1では毎日ですらガス処理は不可能だろう。修正主義者やよくわかってない人たちは、このような誤解をすることが多いようである。ユダヤ人絶滅の主体となった現場はあくまでもビルケナウの方だった。また、「換気に最低20時間」はチクロンの取り扱い説明書(NI9912)の記述である。当時はチクロンを使用していた様々な害虫駆除現場が存在していたのであるから、内部構造が複雑な現場でも安全な作業が可能なように、安全側に配慮した数字であることは当然であろう。しかしながらアウシュヴィッツのガス室はどこもただ単にガランとした空間だっただけである。繰り返し述べるが、シアンガス専用のフィルターを備えたガスマスクもあった。遺体搬送作業を行うのは人権どころか生存権さえ奪われたユダヤ人囚人のゾンダーコマンドだった。


クレマIと疑惑の実行ガス室の最大容量時の理論使用率と実測使用率の計算結果は表IVに示す通りである。

表IV -- クレマIの仮想的な処刑率と火葬場使用率
処刑率
94人/週(仮説)
火葬率
286人/週(理論値)
126人/週(リアルタイム)


翻訳者のツッコミ:処刑人数などを極端に過小評価して、大量虐殺などあり得なかったとするのは、修正主義者の十八番である。しかしながら、クレマ1はユダヤ人絶滅に関しては犠牲者規模に関する主要な議論の対象ではないため、ここでは以下のヘンリク・タウバーが示した参考的な証言のみを引用することとする。

第一火葬場には、先に述べたように3つの炉があり、それぞれに2つのレトルトを備えていました。それぞれのレトルトでは、5体の人間の死体を燃やすことができました; そのため、火葬場では一度に30体の人体を燃やすことが可能でした。私が火葬場で働いていた頃は、このような負荷は、燃やすのに短くても1時間半もかかっていました。

アウシュヴィッツの様々な議論(9):証人の宣誓供述書1:ヘンリク・タウバーより

ビルケナウ--クレマII、III、IV、V

これらのクレマを詳細に調査した結果、次のような情報が得られた。

クレマスIIとIIIは、それぞれ15基のレトルトを持つ複数の死体安置所と火葬場からなる鏡像の施設であった。安置室は地下に、火葬場は1階にあった。安置室から火葬場への遺体搬送には、エレベーターを利用した。図面は、アウシュビッツ国立博物館で入手したオリジナルの設計図と、現地での観察・計測から作成されたものである。構造はレンガ、モルタル、コンクリートである。

調査されたのは、両方の図面で死体安置所1と指定されているガス室とされる場所である。クレマIで述べたように、クレマIIには換気装置、暖房装置、循環装置、内外の密閉材がなく、さらに死体安置室のドアもなかった。このエリアは筆者が調査したが、ドアやドアフレームの痕跡は見つからなかった。クレマIIIについては、構造物の一部が失われているため、この判断はできなかった。両者とも鉄筋コンクリートの屋根で、開口部らしきものはない。さらに、ガスを運ぶ柱が中空であるという報告も事実ではない。すべての柱は、鹵獲したドイツの図面通りに鉄筋コンクリートで固められている。ルーフベントにはガスケットがない。これらの施設がガス室として使用されれば非常に危険であり、この使用はおそらく使用者の死とガスが火葬場に到達したときの爆発をもたらすであろう。これらの施設がガス室として使用されれば非常に危険であり、この使用はおそらく使用者の死とガスが火葬場に到達したときの爆発をもたらすであろう。各施設には、2.1メートル×1.35メートルの遺体用エレベーターが設置されている。このエレベーターは、明らかに1体の遺体と1人の付き添い人を乗せるのに十分な大きさである。


翻訳者のツッコミ:クレマⅡには吸気・排気の両方の機能を備えた換気装置があったことはロイヒターよりもずっと前からアウシュヴィッツを研究調査していたプレサックが明らかにした。暖房装置は計画はされたが実施されなかったものの、チクロンは比較的低温でも致死量を達成するには十分なシアンガスを発生し得た。循環装置など不要であり、米国のガス処刑室のように証人や技術者を守るための過剰な安全対策は不要だった。ビルケナウの火葬場は全て設備撤去作業後に爆破解体されていて、ドアなどが発見されなくとも別に不思議はない。ガスを運ぶ柱、すなわち金網導入装置は撤去作業時に撤去されたと考えられる。シアンガスは犠牲者の死後、換気装置により換気されるし、シアンガスの引火濃度は致死濃度よりはるかに高い56,000ppm以上であり、離れた位置にある火葬場に対する危険性を考慮する必要は全くない。


クレマIIとIIIのそれぞれにあったとされるガス室の面積は2500平方フィートであった。 これは、9平方フィート説にもとづくと、278名を収容することができる。もし、この部屋に必要なHCNガス(0.25ポンド/1000立方フィート)を充填し、天井高を8フィート、空間を2万立方フィートと仮定すれば、5ポンドのチクロンBガスが必要となる。ここでも、換気に少なくとも1週間かかると仮定する(クレマIの場合と同様)。この換気時間はまた疑問であるが、我々の数字を計算するのに役立つであろう。


翻訳者のツッコミ:クレマⅡまたはⅢのガス室に278名しか入らないとするロイヒターの説は、修正主義者であるデニール・バッドですら「いくらなんでもそれは言い過ぎだ」とクレームを述べるかもしれない。換気については30分程度で致死量をはるかに下回る濃度までに換気できる能力のある換気装置が備わっていた。以下に、反修正主義者であるジェイミーマッカーシー及びジェラルド・グリーンによるクレマⅡガス室におけるシアンガス濃度の理論的変化グラフを示す。以下に示したグラフは、同報告書に二つあったグラフのうちで換気に時間がかかっている方のグラフである。要は、クレマⅡ及びⅢにあったチクロンをガス室内に導入するための金網導入装置によって、犠牲者が十分に死亡したらチクロンをガス室内から引き抜く(つまりシアンガスを放出し続けるチクロンをガス室内から撤去する)、その時間をチクロン導入から10分とするか20分とするかの違いがあるだけである。

https://note.com/ms2400/n/nf2fca75bf2d4より


ともかく、ロイヒターの算出するそれら数値は、いくらガス室などあり得なかったと主張したかったとしても、あまりに出鱈目すぎて話にならないのである。そもそも論として、一方で少しガスが漏れただけでも危険だと主張し、一方で十分に循環させないと効き目はないかの如くに主張するのは、ロイヒターは言ってることが滅茶苦茶だと評するしかない。


クレマIIとIIIの使用率(理論値と実測値)、および最大容量での実行ガス室とされる使用率を表Vに示す。

表V -- クレマIIとクレマIIIの仮想的な死刑執行率と火葬場使用率
クレマII
処刑率
278人/週(仮説)
火葬場利用率
714人/週(理論値)
315人/週 (リアルタイム)
クレマIII
処刑率
278人/週(理論値)
火葬場稼働率
714人/週(理論値)
315人/週(リアルタイム)

クレマスIVとVは、それぞれ4つのレトルトを持つ2つの炉からなる火葬場と、死体安置室、事務所、倉庫として利用される多数の部屋からなる鏡像の施設であった。内部の部屋は鏡像に合致していなかった。これらの部屋のいくつかは、ガス室として使われたと言われている。建物がずっと前に壊されたことはありえない。土台や床のどこにもシーリング材は見当たらなかった。報道によると、チクロンBガスペレットは、今は存在しない壁面ポートから投げ込まれたとされている。建物の図面が正しい場合、これらの施設も同様に、クレマI、II、IIIについて先に繰り返したのと同じ理由から、ガス室ではなかったのである。構造は赤レンガとモルタルで、床はコンクリート、地下室はなかったようだ。なお、クレマⅣとⅤに火葬・処刑施設があったというのは、根拠がない。


翻訳者のツッコミ:ロイヒター自身がなんの根拠も示していない。また上記の「死刑執行率と火葬場使用率」と称するロイヒターの計算値は、ツッコミで述べてきた通りの無茶苦茶な想定の上で算数計算しただけであり、いちいち批判的検証をする意味すらない。


アウシュヴィッツ国立博物館から入手した統計と、現場で測定した、ガス区域とされるクレマIVとVに関する統計に基づき、天井高を8フィートと仮定すると、計算された統計は次のとおりである。

クレマIV
1875平方フィート、209人収容可能。15000立方フィートでは、0.25ポンド/1000立方フィートで3.75ポンドのチクロンBガスが使用される。

クレマV
5125平方フィート、570人収容可能。41,000立方フィートでは、0.25ポンド/1000立方フィートで10.25ポンドのチクロンBガスが使用される。

クレマ IVとV(理論値と実測値)、および最大容量と1週間の換気時間におけるガス室の計算された疑惑使用率は、表VIに示されている。

表VI -- クレマIVとVの仮想的な処刑と火葬場の使用率
クレマIV
処刑率
209人/週(仮説)
火葬場使用率
385人/週(理論値)
168人/週(リアルタイム)
クレマV
死刑執行率
570人/週(理論値)
火葬場レート
385人/週(理論値)
168人/週(リアルタイム)


翻訳者のツッコミ:既に述べた通り、こんなくだらない推定値など批判的検証の値打ちもないのだが、ここで、アウシュヴィッツ・ビルケナウに設置されたトプフ・ウント・ゼーネ社の火葬炉について軽く触れておく。詳しくは、前述で示したフォルクハルト・クニッゲの『「最終的解決」の技術者たち』を読んで欲しい。

ツンデル裁判にツンデル側の証人として出廷したカナダの火葬場技術者であったイヴァン・ラガセは、アウシュヴィッツの火葬場と自身の職場(?)であるカナダの火葬場はよく似ているとか言ったらしいが、外見は似ているのかも知れないが、構造は似て非なるものであった。アウシュヴィッツのトプフ炉はあくまでも、遺体の大量焼却処分を目的としたものであって、ただ単純に死体の火葬処理を行うために存在した一般の民生用火葬炉とは大きく異なる。何が最も異なるかといえば、アウシュヴィッツのトプフ炉は、マッフル(ロイヒターの言うレトルト)が二つ、乃至は三つ、あるいは四つのマッフルを連結した二つの炉をさらに連結して八つ、遺体を焼くための部屋であるマッフルが内部で繋がっていたのである。つまり、連結されたそれぞれのマッフルは、炉の内部で熱を共有できたのだ。

これは、少なくとも、仮にそれぞれのマッフルで遺体を一体ずつしか焼かないとしても、連結された他のマッフル内で遺体を焼かないのであれば、単に熱を無駄に捨てるだけのものとなってしまうことを意味する。つまり、マッフルが複数連結されていることの意味は、連結されたそれぞれのマッフルで遺体を同時に火葬する目的を持っていたことなのである。しかも、この連結マッフル構造によって、遺体それ自身の燃焼エネルギーを利用していたと言うこともわかる。なぜならば、コークスの燃焼エネルギーだけしか使用しないのであれば、マッフルが独立していたって構わないわけで、連結する意味がないからである。ついでに言っておけば、修正主義者がしばしば問題視する火葬のための燃料の無駄遣いも、遺体の燃焼エネルギーそれ自体を利用するのだから、極めて低燃費だったのである。修正主義者がよく主張する「合理的なドイツ人」を考慮すべきである(笑)。

ということは、ラガセがツンデル裁判で証言したような、炉を加熱し始めてから温度が上がった段階で遺体を焼却し始めて、終了ののちに冷却して…、などという火葬炉の運用など、アウシュヴィッツの火葬炉では想定していなかったことをも意味する(そのような使い方ができなかったという意味ではないが、それは単なる無駄である)。従って、アウシュヴィッツの火葬炉はたとえ修正主義者が言うように「マッフルには一体しか入らなかった」としても、少なくとも連続的に使用することを前提としていたと言う他はないのである。

もちろん、アウシュヴィッツでは「働き手にならないユダヤ人」として多くの子供がガス室で殺されたのだから、ルドルフの主張するような「炉の口が狭くて一体しか入らない」なんてことは、子供の存在を考えればそれもまたあり得ないことである。大人の遺体の上に小さな子供の遺体を載せて同時に焼くことくらい出来たであろうし、また先に入れた遺体が脱水・燃焼して体積がある程度減った段階で引き続いて遺体を投入すれば、複数遺体の同時火葬は全く可能だったとしか考えられない。ルドルフは、連続遺体投入などをすれば、外気の導入によって温度が下がってしまい非効率的である、のような主張をしているが、それもまた「マッフルが連結されていた」ことを考慮すれば、それによって温度変化は最小限に抑えられた(連結されていた他のマッフル(当然、それらのマッフルでも遺体焼却中である)の扉が閉められていたのであれば高温は維持されただろう)とも言えてしまうので、ルドルフの反論は無意味である。

以上は、翻訳者である私の考察に過ぎないので、間違っているようであればご指摘をいただきたいところであるが、裏付けとなる証拠は色々とあるとだけは言っておく。


赤と白の家は、ブンカーIとIIと呼ばれ、ガス室であると主張され、建物に関する推定値や統計はない。

マイダネク

マイダネクには、現在は撤去されている当初の火葬場、処刑ガス室とされる火葬場(現在は再建されている)、浴場・消毒棟2号(明らかに害虫駆除施設)、浴場・消毒棟1号(シャワー、害虫駆除、貯蔵室、実験CO・HCNガス室とされる)があり、興味深い施設がある。

撤去された最初の独立した火葬場については、前に述べたとおりである。第2浴場と消毒室については、閉鎖されてはいるが、窓からの点検で、その機能がビルケナウのものと同様、害虫駆除施設に過ぎないことが確認される。再建された火葬場と疑惑のガス室については、先に述べたものの、再度、簡単に考察することにする。炉は、元の施設の中で唯一、再建されていない部分である。基本的な構造は、マイダネクの他の施設(実験室を除く)と同様に、木造のようである。 しかし、よく観察してみると、建物の大部分が鉄筋コンクリートで、収容所の残りの部分とまったく矛盾していることがわかる。処刑ガス室とされる場所は火葬場に隣接しており、HCNガスを封じ込める手段はないようである。

建物は密閉されておらず、主張される目的には使用できないだろう。存在しない当初の計画から再建されたとされているが、物理的には、いくつかの死体安置室を持つ火葬場にすぎないようである。これは、すべての疑惑のガス室の中で、圧倒的に小さく、取るに足らないものである。

第1工場(Bath and Disinfection #1)の害虫駆除/保管エリアは、内部に木製の仕切りとドアのあるL字型の部屋です。7657立方フィートの容積と806平方フィートの面積を持ち、漆喰塗りの壁、梁構造、2つのガスケットなしの屋根換気口がある。空気循環システムの設計が不適切で、吸気口と排気口が近接している。フェリ・フェロシアン色素によるものと思われる青い染色が、目に見える形で壁面を覆っている。 設計上、ここは害虫駆除室または害虫駆除された物質の保管室であったと思われる。屋根の換気口は、保管物の長期的な換気を行うためのものでしかない。ドアにはガスケットがなく、密閉性が高い設計になっている。部屋の中も外もシーリング材で密閉されていない。この建物には、永久に封印され、筆者が検査することができない場所がいくつかあった。この部屋は、明らかに、処刑室ではなく、説明された基準のどれにも当てはまらない。図面を参照して欲しい。

もし、これが推定処刑室として利用されるとすれば、最大でも90名を収容し、2.0ポンドのチクロンBガスが必要であろう。排気時間は少なくとも1週間でなければならない。最大使用処刑率--90人/週。

実験用ガス室とされるのは、第1浴場消毒棟にあり、レンガ造りの建物で、緩い木造構造で主要施設とつながっている。この建物は、三方を窪んだコンクリートの歩道で囲まれている。2つの部屋、未知の領域、コントロール・ブースがあり、そこには一酸化炭素が入っていたとされる2つのスチール製シリンダーがあり、2つの部屋に配管されている。4つのスチール製のドアがあり、ガスケットのためと思われる溝がある。扉は外側に開き,2つの機械式ラッチとロッキング・バー(hasp)で固定されている。

4つのドアにはすべてガラスの覗き穴があり、内側の2つのドアにはチャンバー内の空気を検査するための化学試験シリンダーが設置されている。コントロール・ブースには6インチ×10インチの窓があり、ガラスやガスケットはなく、補強ロッドで水平・垂直に塞がれ、第2チャンバーに面している。図面を参照のこと。ドアの2つは、第1室の前部と後部にあり、外部に面している。1つのドアを開けると、正面に第2会議室がある。もう一つの扉は、第2室の背後にある未知の領域に通じている。両室とも一酸化炭素ガス用の配管があるが、#2室の配管は未完成のようで、完成していない。チャンバー#1には配管が完成しており、部屋の2つの角にあるガスポートで終端している。チャンバー#2にはルーフベントがあるが、屋根を切り開いたことはないようである。チャンバー#1には空気の加熱・循環システムがあるが、これは適切に設計されておらず(入口と出口が近すぎる)、換気のための設備はない。壁は漆喰、屋根と床は打ちっぱなしのコンクリートで、内外ともにシーリングは一切施されていない。建物の側面に小屋のように作られた2つのヒーターサーキュレーターがあり、一つは31号室用、もう一つは前方のバス・消毒施設の何か用である(図面参照)どちらも適切に設計されておらず、通気・排気のための設備はない。チャンバー1の壁には、特徴的な青いフェリ・フェロシアン化合物の染色がある。建物は暖房がなく、湿っている。

一見すると、これらの施設は適切に設計されているように見えるが、処刑ガス室や害虫駆除施設として必要な基準をすべて満たしていない。第一に、内外のどの表面にも密閉材がない。第二に、窪んだ通路は、HCNのガス・トラップとなる可能性があり、この建物をきわめて危険なものにしている。第2貯蔵庫は不完全で、おそらく一度も使用されたことはないであろう。配管は不完全で、屋根の通気口は一度も開けられたことがない。チャンバー#1は一酸化炭素については作動可能であるが、通気性が悪く、HCNについては作動不可能である。ヒーター/サーキュレーターの設置が不適切である。換気口や煙突がない。

したがって、1号室と2号室が処刑用ガス室として使われたことはなく、また、使われえなかったというのが、筆者の最善の技術的意見である。マイダネクのどの施設も処刑目的には適していないし、使われたこともない。

第1号室の面積は480平方フィート、容積は4240立方フィート、収容人員は54名、使用するチクロンBガスは1ポンドである。第2号室の面積は209平方フィート、容積は1850立方フィートで、24名を収容し、0.5ポンドのチクロンBガスを使用する。ガス室使用と仮定すると、最大週単位の処刑率は表VIIに示した数字になるであろう。

表VII--マイダネクにおける仮想的な処刑率
第1室 54人/週
第2室 24人/週


翻訳者のツッコミ:冒頭で述べた通り、マイダネクについては翻訳者である私の知識が乏しいため、ロイヒター説に関する批評・反論は一切しないが、一応、多少の参考になる資料は翻訳しているので、それを以下に示しておくこととする。


統計情報

表VIIに示した統計は、本報告のために作成された。ガス室が存在したと仮定すると(存在しなかったが)、これらの数字は、各施設の24時間、週7日の最大出力と必要なチクロンBガス量を表している。

ヘウムノ(ガス車)、ベウジェツ、ソビボル、トレブリンカ、その他の処刑施設とされるものに関連して、一酸化炭素ガスが使われたとされていることに注意しなければならないだろう。

上述したように、一酸化炭素ガスは処刑用ガスではないので、ガスが効果を発揮する前に、全員が窒息死していただろうと筆者は考えている。したがって、CO処刑で死亡した者はいないとするのが、筆者の最善の技術的見解である。


翻訳者のツッコミ:再度、こちらにあった表を再掲しておく。

実際のところ、ロイヒター以外で「一酸化炭素ガスは処刑用ガスでない」とする修正主義者は見たことがない。ロイヒターは火事で死ぬ約半数の犠牲者は一酸化炭素中毒によることや、あるいはまた自動車の排ガスを用いた自殺、などの知識はないのだろうか? ほんとに呆れてしまう。こんな人物が死刑コンサルタントをしていたというのだから信じ難い話ですらある。工学資格以前の問題として、まともな知識すらないのだ。



翻訳者のツッコミ:こんな表、全くのゴミであることは言うまでもない。ただし、ポケ〜っと何も考えずにこれを見せられたら、なんとなくそれっぽく見える表ではあるかも知れない。


結論

すべての資料を検討し、アウシュヴィッツ、ビルケナウ、マイダネクのすべての現場を視察した結果、著者は圧倒的な証拠を発見した。これらの場所のいずれにも、処刑用ガス室は存在しなかったのである。検査した場所のガス室とされるものは、当時も現在も、処刑用ガス室として利用されたり、真剣に考えられたりすることはありえないというのが、筆者の最善の技術的意見である。

1988 年 4 月 5 日、マサチューセッツ州モルデンにて作成。

フレッド・ロイヒター・アソシエイツ

[署名]

フレッド・A・ロイヒターJr.
チーフエンジニア


翻訳者のツッコミ:ロイヒターレポートの「結論」など全く無意味であることは言うまでもない。冒頭で述べた通り、「ロイヒターレポートなどなんの値打ちもありません。はっきり言ってゴミクズ以下のレポート」でしかない。

▲翻訳終了▲

しかしながら、ロイヒターレポートの調査結果でほとんど唯一価値があったのは、そのアウシュヴィッツにおける現地調査結果の中のシアン分析結果でした。なぜ価値があったかというと、確かにそれはアウシュビッツ・ビルケナウのガス室跡からの採取サンプルを分析したものだったからです。修正主義者たちの多くも、ロイヒーター・レポートについてはほとんど「ガス室跡からシアン成分がほぼ検出されなかった!やっぱりガス室はなかったのだ!」としか言わないのがその象徴です。修正主義者にとって大事なことは「ガス室は存在しない」ことなのです。

さてその詳細なシアン成分分析結果は、上記の結論以降のページで付録資料としてサイトに掲載されているのですが、それを示してもなんのことやらさっぱりわからない表ですので、わかりやすくまとめられている、歴史修正主義研究会にある表を以下に画像としてコピペします。それにしてもよく見るとロイヒターは重要な「害虫駆除室」のサンプルをたったひとつしか取ってなかったのですね。それに引き換えルドルフはいくつもサンプルを取っており、かなりプルシアンブルーに執着していることがわかります。

http://revisionist.jp/leuchter_01.htmより

こちらの方は、サミスダット出版社ヴァージョンではなく、CODOH(ホロコーストに関する開かれた討議委員会:歴史評論研究会(IHR)の関連組織)が出したホロコースト・ハンドブックシリーズの中の一冊(Leuchter
Reports: Critical Edition
)にあるものです。この本はゲルマー・ルドルフの解説付きであり、ルドルフ報告とのセットと言ってもいいものです。従ってこの表はルドルフがまとめたのでしょう(翻訳自体は歴史修正主義研究会)。

ただし、採取試料の化学分析自体はマサチューセッツ州のアルファ分析研究所が行なっています。ゲルマー・ルドルフは自身が在籍していたドイツの超有名な研究機関であるマックス・プランク研究所にて、研究所に無断で分析機器を使用して自分で分析したそうですが、彼もマックス・プランク研究所を事実上クビになったとは言え、一応化学者の端くれですので、分析結果それ自体は捏造などではない、と考えたいところです。

ロイヒターレポートの後に実施されたクラクフ報告との比較についてですが、ロイヒター・ルドルフの調査結果とクラクフ報告は矛盾すると考えている人がいるかも知れませんが、実は分析値そのものは全く矛盾してなどいません。その相違点の一つは、分析方法が異なることであって、最大の違いはプルシアンブルーを含める・含めないか、です。もう一つは、これはあまり議論されないのですが、ロイヒターらはコントロールサンプル、つまりガス室からの分析結果を評価するための基準値を、事実上プルシアンブルーを資料に含めた害虫駆除室の検体に置いたことに対して、クラクフは「1942年の夏頃に一度だけチフス対策のためにチクロンで燻蒸が行われた住居棟」の検体をコントロールサンプルにしたことです。

そして、ロイヒターらは害虫駆除室とガス室跡からのシアン成分検出データーが三桁以上も違うことを以って、事実上、ガス室跡ではシアンガスが使われたとは言えない、としたのです。しかし、クラクフの場合は、住居棟のシアン成分検出データが全てゼロ(検出限界以下)だったのに対して、ガス室跡からはシアン成分を検出しており、さらにプルシアンブルーを除外した検出結果において、ガス室跡と害虫駆除室との差が桁では違わないレベルだったことを示して、ガス室跡では確かに害虫駆除室同様にシアンガスが使われた、とデータ的に示したのです。

ちなみに、ルドルフはなぜかクラクフの分析結果で、住居棟のシアン分析値が全てがゼロ(検出限界以下)だったことを無視しているようです。穿った見方かも知れませんが、それをルドルフが認めてしまうと、クラクフ報告の評価を認めざるを得なくなるからだと思われます。なぜならば、ルドルフはバイエルンのどこかの農家のサンプルを分析して、彼らが実施したガス室跡の分析値と似たような値が出たことを示して、微量データなどバックグラウンドノイズみたいなものだから無視し得るとしていたからで、分析値の感度がロイヒターらの分析とは異なって、桁数で一千分の1であるクラクフ報告でゼロとされてしまうと、自身の説が成り立たなくなるのです。

それで、ルドルフはクラクフの調査結果を「プルシアンブルーを除外したのは政治的な意図からのものだ!」のように誤魔化しているではないかとさえ思われます。しかしそれを言い始めたらルドルフが勝手に実施した「バイエルンのどこかの農家」の分析結果も怪しくなると思うのですが……。

以上、ロイヒターレポートを自分で翻訳し、ツッコミも入れまくって、隈なく全部目を通して読解したことを証明しました(笑)。とにかく、ロイヒター・レポートみたいなクズ資料、いつまでも有り難がってんじゃねぇ!と言いたい(笑)

追記:ところで、現在のロイヒターはどうしているのかというと、2016年の話として以下の記事を見つけました。

アメリカのホロコースト否定論者で、処刑装置の製造者、ホロコースト否定の文献や講演の著者として知られるフレッド・A・ロイヒター・ジュニアが、マサチューセッツ州サマーヴィルのアセンブリ・スクエアにあるホーム・デポの園芸部門でパートタイムで働いているのが目撃された。
この謙虚な紳士は、現在ではかなり年をとっているが、新しい仕事では非常に礼儀正しくプロフェッショナルであり、この地元のホームデポでわざわざ客を助け、親切にあいさつをしている。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?