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チクロンBの低温での蒸発について:否定派が言うようにチクロンBを温めないと青酸ガスが発生しないなんてことはない。

アウシュヴィッツなどで、毒ガス発生剤として用いられたチクロンBについては、しばしばネットでも誤解が色々と散見されます。こんなことをおっしゃる人もいます。

高須氏のこのツイートはかなり突っ込まれていますが、この発言自体は、間違ってない、と読むことも可能です。高須氏おっしゃる通り青酸ガスで燻蒸された服を着ても特に危険はないようです。しかし、この発言は以下のツイートを受けてのものですので、認識を間違っているのは事実でしょう。(何故このツイートの約3年半後に町山氏がこれを引用RTしたのかは謎ですが)

チクロンBは猛毒ガスを発生させる極めて危険な劇物であり、DDTのように振りかけられたら間違いなく即死するでしょう。

チクロンBは元々、軍事用化学兵器として青酸ガスを使用することを考えていたものの、青酸ガスは空気よりも軽いという欠点があり、戦場ではすぐに効果がなくなってしまうため軍事用としては使いづらく、毒ガスの父と呼ばれるフリッツ・ハーバーの下で、殺虫剤への使用研究を行ったことが発端で開発されたものです。ですから、元々が殺人・殺傷を目的としていたのですから、極めて危険なガスであることは当然の前提です。チクロンBの取扱説明書を読めば色々と厳しい取り扱いが求められています(プレサック『アウシュヴィッツ ガス室の操作と技術』)。

しかしながら、毒ガスの実際など、経験した人など皆無だと思いますし、私も含め、チクロンBについては「知識」でしか知らない人が100%でしょう。普通は発生ガスが「青酸ガス」だと言われて、猛毒だと気がつく程度なんじゃないでしょうか? それでもなかなかわかりにくいらしく、あの日本における毒ガス研究の第一人者と言われる常石敬一氏も、マルコポーロ事件くらいの時代に「もしかしてナチスのガス室はサリンを使ったのではないか?」などと言っていた、というような記述を見かけたことがあります。確かにナチス時代にドイツはサリンを開発しましたが、親衛隊のほとんどの人はサリンの存在など知らなかったのではないでしょうか? 1938年開発ですし。常石氏が発言した当時はオウム真理教で大騒ぎしていたので、そういう発想になっただけかもしれませんが。

ですので、チクロンBの細かい物性に至るまでの理解は、ほとんどわからない人の方が多いと思います。そこが否定派の狙いどころとなったようで、青酸ガスは爆発する危険があるだとか、青酸ガスは皮膚呼吸もあるから危険であるだとか、よくわからない部分をいかにも「知ったか」でいう人が後をたたない部分があるようにも思えます。そんな知ったか知識の中でも、チクロンは温めないと使えないと思っている人も結構いたように思います。ロイヒターもそのうちの一人でした。確かに、HCNの沸点は25.8℃です。しかし、水がそうであるように、沸点以下でも蒸発して気化します。「そんなわけない!」と、もし思われる方がいらっしゃったら、例えば、物干し竿に干した洗濯物が乾かないことがあり得るのか等について考えてみたら如何かと思います。

今回は、それを説明した論文の翻訳紹介をします。非常に記事自体は短いですが、チクロンは温めないと使えないというのが嘘であることがはっきりわかります。

▼翻訳開始▼

もう一度:「青酸の低温での効率性」について
R. イルムシャー著
ドイツ害虫駆除協会、フランクフルト・アム・マイン

イルムシャーのこの論文は、ホロコースト歴史プロジェクトが主催する毒ガスの蒸発に関する技術報告書の第3弾である。

そのガスとはシアン化水素(青酸)であり、その原料は悪名高いチクロンBである。この毒薬は、アウシュビッツのガス室で殺人兵器として採用される前に、害虫駆除に使われており、この3つの論文が書かれたのは、害虫駆除のためなのである。この論文は、シアン化水素の蒸発に関するホロコースト否定派の主張に反論するのに役立つので、関連性が高い。

この論文とピータースとラッシュによる1941年の論文は、より低温でのHCNの蒸発速度を研究している点で、ピータースによる1933年のモノグラフと対照的である。温度が下がると蒸発速度が遅くなるが、後者の研究では、いずれも害虫駆除ができなくなるほど遅くなるわけではないことが示されている。

イルムシャーの研究は、ピータースとラッシュの研究とは異なり、より低い温度範囲での研究であるだけでなく、2つの異なる固体支持体(段ボールの円盤とエルコである。エルコは石膏(CaSO₄²-)製品である。)を研究している。イルムシャーの論文の結果は、ピータースとラッシュの初期の研究とほぼ一致している。このわずかな差は、使用した支持体の違いか、湿度の違いによるものだろう。イルムシャーは、湿度が蒸発速度に影響を与えることを断言している。

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チクロンB:「個体支持体」とは青酸(液体)を含ませてある個体のこと。写真に見られるようにペレット上になっているものや、段ボール円盤などがある。

この論文は、蒸発に関する否定派の議論に終止符を打つものである。この論文にもとづいて、ガス室に加えられたチクロンの量を低く見積もった場合でも、数分のうちに急速に致死的な濃度のHCNが蓄積されることが明らかにされている。このことは、換気の問題と言われるものが誇張されていることを示す一助にもなっている。ガス室に蓄積されるHCNの濃度は十分に小さく、許容できる40-50ppmvに達するには、20-100倍の希釈が必要なだけで、ゾンダーコマンドがガスマスクなしでもガス室に入ることができる濃度である。固体支持体は、蒸発しなかったHCNとともに、他の場所で安全に蒸発させるために取り出すことができる。

なお、この論文には2つの誤りの可能性があるが、印刷物のとおりに再現している。P.36の表のデータのキャプションは、プロットのキャプションと逆になっているようである。どちらかが間違っているのであって、ガス放出が遅いのはダンボール円盤の方だと考えており、さらに確認を進めている。また、同ページの脚注「*)」は、おそらくP37の図2の曲線の出典であろう。この推論は、ポーターとペリーの論文の実際の内容と一致する。

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もう一度:「青酸の低温での効率性」について
R. イルムシャー著
ドイツ害虫駆除協会、フランクフルト・アム・マイン

本誌8/9巻に掲載された論文*)に続き、同じような実験結果をいくつか追加して報告することにする。

1939/40年の冬にポーランドで、その後1940/41年の冬にフランスで、徹底した青酸ガス処理を行ったときは、-8℃までの室温を克服しなければならなかったが、1941/42年の冬は、東部で異常な需要があり、時々見られる低い室温で青酸を使うことが技術的にまったくできないのかという疑問が出てきたのである。

液体の青酸は-14℃で凍ることが知られている。表面的に考えると、-14℃より低い室温では凍らないように見えるかもしれない。表面的に考えて、室温が-14℃より低いと、チクロンに吸収された青酸の蒸発が非常に困難になり、すなわち遅れて、所定の反応時間内に有効ガス強度に達することがほとんどできないように思われるかもしれない。 一方、微細な多孔質体には、凝固状だけでなく、蒸発速度も未吸収時と異なるなど、さまざまな理由で吸収された状態として液体として存在し得る。このため、指定された温度以下でも、吸収された青酸が十分に蒸発することが保証されていることが前提となっているが、いずれにしても、まずは関連する実験によって証明されなければならないだろう。

実験の配置。

温度が-18℃に達するような適切な低温貯蔵室は確かにあったが、青酸の実験のために他の宿舎から借りていたため、解放することができなかった。そのため、観測は、この任務のために特別に設計された6.6立方メートルの容量を持つ隔離されたトランクの中で行われなければならず、その中には吸収された青酸(チクロン)の担体が通常の方法でペーパーブロッターの中に散らばっていた。金属で裏打ちされたトランクは、大きな氷漬けの塩水浴で冷却されており、十分に一定の温度レベルを保つことができた。今年の1月に始まった寒冷期は、記載された順序で実験を完了させることを容易にした。

トランクの漏れや壁の素材への青酸の吸着による誤差をできるだけなくすために、部屋の空気の分析ではなく、残骸の重量を測定することで青酸の蒸発量を測定したのである。

*) G. ピータース及びW. ラッシュ:低温における青酸蒸散の効率,衛生動物学及び害虫駆除学雑誌,第8/9巻,1941年.

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先に記した各実験用のチクロン量を、実験に必要な温度に冷却した。吸収材には、ある場合は円盤状の紙、ある場合はエルコキューブ(多孔質の石膏材)が使用され、この2つは青酸ガスの実施に最もよく使用される担体材料である。全温度範囲の概要を把握するため、-18°C、-6°C、0°C、+15°Cの順で実験を行った。

(いずれにせよ、部屋の湿度が高く、蒸発する表面に水や雪(温度による)が付着し、蒸発速度が著しく低下する場合には、この方法では関係の計算を行うことができない。)

実験の結果

結果の数値は以下の表とさらにその下の図に示されている。

表1
ダンボールディスクに吸収された青酸の放出

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表2
エルコキューブの吸収による青酸の放出

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*) J.H.ペリーとF.ポーターより。アメリカ化学会誌 48, 299; 1926.

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凝固点温度以下でも蒸発速度が比較的速いのは、その温度での蒸気圧が-28℃でも50mm程度であることから、すぐに説明できる。図2は、青酸の凝固点以上の温度と凝固点以下の温度に対する蒸気圧の依存性を示している。

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図2
**G. BredigとL. Teichmannから。Z.S. ムース 31, 449; 1925.

まとめ

実験の結果、極低温および凝固点以上で吸収した青酸を十分に速く蒸発させることができ、通常の時間内に害虫駆除に必要なガス強度を達成できることが証明されたものと考えることができる。確かに、低温ではガスの放出が著しく遅くなるが、-20℃でも3時間以内に半分以上の青酸が放出される。残りの蒸発は、余分な湿気や蒸発面に雪が積もらない限り、この温度でおよそ7〜8時間以内に行われる。反応時間を遅くすれば、このような状況でも青酸による徹底的なガス処理は技術的に支障がない。青酸の低温での生体反応については、すでに報告されている。

▲翻訳終了▲

というわけで、沸点以下でもチクロンBは十分使えるというのが、わかりやすいグラフで証明されました。頑張って……というほどでもありませんが、表とグラフは画像コピペせず、エクセルで作成しています。最後のグラフは値がないので無理でした。

他には、前述したような引火濃度については、これはフォーリソンがルドルフ・ヘスの自伝に難癖をつけるために持ち出した屁理屈なので無視して良いとして、青酸ガスの皮膚呼吸もフォーリソン発祥だったように思いますけど、そんな心配はいらないとは思いますが、どこかにこれも反論記事があったと思いますので、見つけたら紹介したいと思います。他、遺体に青酸ガスは染み込んでるから、その遺体を素手で扱うのは自殺行為であるとか、色々と主張があるのは知ってますが、個人的には馬鹿馬鹿しいとしか思っておりません。単純な話ですが、自動車の排ガスをマフラーから直接吸い込んだらそりゃ危険ですが、近くで体に浴びる程度、普通に考えてどうってことありませんしね。ただし、これも否定派のお決まりですが、皮膚呼吸毒性の詳しい話を否定派からは聞いたことがありません。これがまた調べるとなると難しい話になるようで、あんまり妙な主張は相手にしない方がいいのかもしれません。以上。


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