見出し画像

Twitterのホロコースト否定論への反論(3):ペラペラのガス室ドアに窓がある?

目次
1.アウシュビッツのプレートの修正
2.切り離されたクレマⅠの煙突?
3.ペラペラのガス室ドアに窓がある?
4.ロイヒターレポート
5.イギリス政府による嘘の疑惑
6.最初のホロコーストの流言
7.アウシュビッツのプール、病院など
8.Arbeit macht frei.
9.ワールド・アルマナックのデマ
10.赤十字統計のデマ
11.赤十字が死の収容所を視察?
12.チャーチル、アイゼンハワー、ドゴールの回想録には書かれていないガス室?
13.エリー・ヴィーゼルはガス室について言及しなかったのか?
14.エリー・ヴィーゼルは偽者?
15.より多くのヴィーゼルもの
16.アウシュビッツの暗号解読
17.生存者はガス室を見たり聞いたりしなかったのか?
18.アンネ・フランクの日記
19.ラッシニエはアウシュビッツのガス室を否定した。それともティース・クリストファーセンか?
20.ラーソンのデマ
21.偽物、信用できない、間違った目撃者
22.ガス室の壁に引っ掻き傷?
23.ダッハウのガス室、ブロシャートの手紙
24.生存者のリーバーマンとアウシュビッツのオーブン
25.ラシャウト文書
26.ホロコーストの偽写真?
27.科学がホロコーストを論破?
28.ブリタニカでガス室についての言及はないのか?
29.リストジェフスキー先生?サイモン・ウィーゼンタールのノルマ?
30.アウシュビッツでは小さな子供や人は仕事に不向き?
31.ユダヤ人はホロコーストについて嘘をつくのか?
32.確定した死亡者数?
33.ヒルバーグと有名な証人は、ツィンデル裁判で嘘つき、詐欺師であることを示したのか?
34.シンドラーのリストはフィクションの話?
35.ブルーノ・バウムはアウシュビッツで偽のプロパガンダが作られたことを認めたのか?
36.変わり続ける収容所の死の犠牲者数?
37.ソ連だけが見つけた死の収容所?
38.リックのホロコースト否定
39. 6桁の刺青でも被害者は600万人?

▼翻訳開始▼

3.ペラペラのガス室ドアに窓がある?

否定派の主張

画像1

ツイート:「ガス室」の扉 vs. アウシュビッツの布製消毒機の扉
どちらがより愚かか?
-ナチス
-それとも、このクソを買うゴイム(Goyim:ユダヤ人に対する異教徒)か?

簡単な反論:それはガス室のドアではないので、「本物の」ガス室のドアと比較する議論はすべて無意味である。

更なるコメント:まず、歴史的な背景を簡単に説明する。この小さなガス室は、1941年末に基幹収容所の火葬場Iにあった死体安置所を改造したものである。ここでのガス処刑はまれで、時折行われたもので、合計で一万人以上がこの部屋でガス処刑されたとは考えられず、主な殺戮は1942年初頭からビルケナウで行われた。

すでに説明した日本語訳)ように、第1火葬場は1944年末にナチスによって防空壕に改造された(繰り返すが、そのときの殺戮はビルケナウで行なわれ、1944年末にはいずれにしても終わりを迎えていたのである)。主な改造はナチス自身が記録日本語訳)しており、死体安置所とガス室が4つの小部屋に分かれていたことが分かっている。戦後、当局は火葬場の外観を復元しようとしたが、いくつかの点で失敗した日本語訳)。一番の失敗は、壁を1つ壊しすぎたことである。設置された小部屋の防空壁を撤去する際に、死体安置所と元洗面所の間の壁も撤去した(そのため、元々洗面所にあったトイレの排水溝が見えている)。

窓のある(あるいは上部のパネルが欠けている)ドアは、死体安置所・ガス室ではなく、洗面所のドアである。

ちなみに、このことは、現在の現場図と防空壕前の現場図とで明確に示されている

画像2
Photo credit: "Le Monde1" @flickr

基本的なことを少し読むだけで、随分と効果がある。

上記は、今日見られるそのガス室のもう一つの扉にもあてはまる。この小さな前庭は、新しく付け加えられた防空壕の入口のエアロックとして機能するために、1944年に付け加えられた。したがって、それ以前には存在しなかった二つの新しいドア(入り口ドアとエアロック・ドア)が追加されたのである。

繰り返しになるが、もともとのガス室には、洗面所とガス室の間の今はもう存在しない壁にあるドアと、ガス室と炉の間のドアの二つしかなかったのである。

否定派は、炉室とガス室の間の開口部を指摘して、そこにドアがなかったと主張することがある。しかし、普通の死体安置所であっても、炉への出入り口はあるはずであり、その出入り口にはドアがあるはずである。そして、実際、オリジナルの資料によると、それは存在していたのだ。

しかし、炉室とガス室の間の本来のドアの開口部も、ナチスが防空壕に改造する際に封印したものであり、上に述べたことはすべて、このドアにもあてはまる。現在の開口部は単にオリジナルではない。実際、上の図を見ると、間違った場所に再開され、オリジナルの扉口はまだ封印されたままである。

しかし、他の否定派は、炉室とガス室の間にドアがあったことを認めているが、ドイツの計画では、それはスイングドアであり(たとえば、1942年4月の計画では)、大量ガス処刑にはガス気密性や強度が十分でなかったと主張していることを指摘している。

否定派は、1942年4月のプランにあるスイングドアは間違いではないという前提に立っている。しかし、このような計画に誤りがあったことは明らかである。1942年4月の計画(左)と1940年11月の計画(右)を比較してみよう。

画像4

ドアの位置と開き方の違いに注目してほしい。これらのほとんどは、何の目的もなく(洗面所とガス室の間のドアの開く方向を除いては、死体がふさがらないように、ドアは確かに外側に開かなければならなかったので、非常に示唆に富む変更である--ただし、位置の変更にも注意)、したがって、どちらかの計画には誤りが含まれている。もともとそこにスイングドアがあったことは事実だが、1941年後半に通常のガス密閉式のドアに交換されなかったことは、後の図面ではそうなっていたにもかかわらず、製図者が単に古い図面からコピーした可能性が高いというだけの話である。

さらに、この仮説を裏付けるものとして、1944年の火葬場が防空壕になった図面がある。

画像5

ここでも同じようにスイングドアが描かれているのがわかるだろう。問題?そこにはもうドアどころか、ドアの開口部すらなかったのだ! それは、否定派でさえ認めざるをえないことである(たとえば、ルドルフは『ホロコースト講義』2005年、255頁:「しかし、このドアとそれに属していた壁の開口部は、この建物が空襲シェルターに改造されたときに取り外されたので、III.72の平面図はこの点で誤っている」、上の図は本書から引用したものである)。つまり否定派は、このドアが1944年に古い図面から無造作にコピーされたことを知っている。それはもう存在しないだけでなく、防空壕の部屋をガス密閉にするという目的そのものに矛盾しているのに、彼らはまだこの点で1942年4月の図面が絶対に正しいと言い続けているのだ これは不合理なことだ。

アウシュビッツのガス室では、実際にどのようなドアが使用されたのか? 害虫駆除室と同じもの、すなわち、ガス気密のものである。注目すべきは、アウシュヴィッツの害虫駆除室では、フェルト・ストライプによってガス気密性を高めた木製のドアが使われていたことである。ここに、基幹収容所ブロック1の害虫駆除ガス室のそのような木製のガス気密ドアがある。

画像6
出典

これはビルケナウのカナダⅠにあった害虫駆除ガス室の木製のガス気密ドアである。

画像7
出典

そしてもうひとつ、カナダⅠの害虫駆除用ガス室の木製ガス気密ドア。

画像8
出典

チクロンBの害虫駆除室に木製のドアを使う可能性は、1940年にディゲシュ社(チクロンBの製造者)の技術者G・ペータースとE・ビュスティンガーによって説明されている(「青酸チャンバーでの材料害虫駆除作業」、 『衛生動物学と害虫駆除のジャーナル』, 1940年、第32巻10/11号、p. 193).

両端に設ける扉(木製も含む)の安全性と気密性を十分に確保するため、室内はできるだけ狭くすること。可能であれば、ドアにはスチールフレームを使用し、その上にシール面(ラバープロファイルまたは弾性フェルトストリップ)を設置する必要があります。燻蒸装置の適性はもちろんのこと、この扉の気密性が殺虫成功の決め手となるのです。

強制収容所フローセンビュルクの害虫駆除室については、1940年4月12日の費用見積もりがある(F・フロイント、B・ペルツ、K・シュトゥルップファラー, 「マウトハウゼン強制収容所の殺戮施設の歴史的遺構」、『現代史』、1995年、22巻、9/10号, p. 310).

ガス室用の二重壁の木製ドアの製造と納品(全面にシールエッジとクロージャ、フレーム、温度計を含む) [...] ガス室用の木製ドアのパテ処理と保護塗料による塗装は2回、サイズは60posから。

指摘の通りである。木製のドアはどうにかしてガス気密性を高めることができないという否定派のいつもの主張は、害虫駆除ガス室がそのような木製のドアを使っていたという明白な事実によって打ち破られている(より高いHCN濃度と長い時間のガス処刑のために)。また、「そんなドアは群衆の圧力に耐えられない」という反論も通用しない日本語訳)。


翻訳者註:これは何人ものネット上の素人修正主義者とやりあってきた経験から述べますが、それらネットの修正主義者は決して厳密な否定証明を提供することはないので、そのような反論をしても「それらの人たち」には通用しません。それらの人たちからの反応は「木製の扉なんか2000人もの圧力が加わったら壊れるに決まってるだろ! そんなの小学生でもわかる話だ、バーカ、バーカ」でおしまいです。従って、そんな反論を「それらの人たち」にしても無意味なので、やめておきましょう。


アウシュヴィッツの文書にある殺人ガス室のガス気密扉についての言及日本語訳)の中で、もっとも不思議なのは、次のものである。カール・ビショフからDAWへの1943年3月31日の書簡(ヴァンペルト、『アウシュヴィッツの真相』、pp.314, 315参照)の中で、ビルケナウの火葬場2号と3号の死体安置室No.1について述べている(証人たちが殺人ガス室と表現したのと同じ部屋である)。

この際、1943年3月6日の別の注文、Bw30 aの火葬場3の死体安置室1用のガスドア[Gastür]100/192の納入を思い出してください。このガスドアは、向かいにある火葬場2の地下室のドアの形とサイズにぴったり合わせて、ゴムシールと金具付きの8mm二重ガラスの覗き穴がつくられていなければなりません。この注文は非常に緊急のものであると考えなければなりません。

画像9

ガス室のドアがガス気密であっただけでなく、「非常に緊急な」命令であったにもかかわらず、ビショフは、「二重の8mmガラスの覗き穴」をガス気密でドアに設置することを指定していることにも注目してほしい。覗き穴は害虫駆除室のドアにしばしば見られるが(そして、ここは害虫駆除室ではなく、死体安置所と指定されていた)、そこでは必要ではないのに、なぜこのような緊急命令を難しくしているのであろうか。

この文書は、おそらくこのタイプの頑丈なガス密閉式ドアのことを指しているのだろう。

画像10
画像11
画像12

ドアの内側に重い覗き穴の保護グリッドがあったのはなぜだろう?

続きを読む:ハンス・メッツナーのガス室の扉と群衆の圧力について。

▲翻訳終了▲

以上の通り、否定派による火葬場1に対する捏造疑惑(ガス気密扉に関する話はまた別の話でもありますが)は綺麗に反論されるわけですが、文中でも私自身の注釈を入れたように、ネットの素人否定派がこれで納得することはありません。残念ながら、ホロコースト否定はある意味宗教的信念、すなわち信仰レベルの強い信念でなされているものなので、それは仕方ありません。

個人的に思うのは、アウシュヴィッツの第一ガス室が捏造なら、どうしてそんな中途半端なガス室を捏造したのか? 意味がわからないことなんですけどね。どうせやるならビルケナウの方に大規模ガス室を捏造しませんか? ところがビルケナウの火葬場が破壊されているのはソ連がやったことだ、などというわけのわからない主張をするのです。ほんとに否定派の主張は訳がわかりません。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?