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Twitterホロコースト否定論への反論(36):変わり続ける収容所の死の犠牲者数?

目次
1.アウシュビッツのプレートの修正
2.切り離されたクレマⅠの煙突?
3.窓付きガス室のドアがペラペラ?
4.ロイヒターレポート
5.イギリス政府による嘘の疑惑
6.最初のホロコーストの流言
7.アウシュビッツのプール、病院など
8.Arbeit macht frei.
9.ワールド・アルマナックのデマ
10.赤十字統計のデマ
11.赤十字が死の収容所を視察?
12.チャーチル、アイゼンハワー、ドゴールの回想録には書かれていないガス室?
13.エリー・ヴィーゼルはガス室について言及しなかったのか?
14.エリー・ヴィーゼルは偽者?
15.より多くのヴィーゼルもの
16.アウシュビッツの暗号解読
17.生存者はガス室を見たり聞いたりしなかったのか?
18.アンネ・フランクの日記
19.ラッシニエはアウシュビッツのガス室を否定した。それともティース・クリストファーセンか?
20.ラーソンのデマ
21.偽物、信用できない、間違った目撃者
22.ガス室の壁に引っ掻き傷?
23.ダッハウのガス室、ブロシャートの手紙
24.生存者のリーバーマンとアウシュビッツのオーブン
25.ラシャウト文書
26.ホロコーストの偽写真?
27.科学がホロコーストを論破?
28.ブリタニカでガス室についての言及はないのか?
29.リストジェフスキー先生?サイモン・ウィーゼンタールのノルマ?
30.アウシュビッツでは小さな子供や人は仕事に不向き?
31.ユダヤ人はホロコーストについて嘘をつくのか?
32.確定した死亡者数?
33.ヒルバーグと有名な証人は、ツンデル裁判で嘘つき、詐欺師であることを示したのか?
34.シンドラーのリストはフィクションの話?
35.ブルーノ・バウムはアウシュビッツで偽のプロパガンダが作られたことを認めたのか?
36.変わり続ける収容所の死の犠牲者数?
37.ソ連だけが見つけた死の収容所?
38.リックのホロコースト否定
39. 6桁の刺青でも被害者は600万人?

▼翻訳開始▼

36.変わり続ける収容所の死の犠牲者数?

否定派の主張:

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ツイート:マイダネク。200万人の死者から7万8千人へ(2500%の誇張) 「変わり続ける数字」-アウシュビッツ、マウトハウゼンなどでも同じパターン

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ツイート:マイダネク。200万人の死者(と82万足の靴)から7万8千人の死者(2012年)へ
そして、600万人という数字は変わっていない

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ツイート:1944年。ユダヤ人新聞 150万人以上が集団墓地で発見された、マイダネク。「ナチス」はさらに400万人のガス処刑を計画
今日 78,000人が死亡

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ツイート:600万人はどこにいるの?
アウシュビッツ:最初は400万人→その後100万人
マウトハウゼン:200万人→14,000人
マイダネク:200万人→78,000

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ツイート:1963年 ブリタニカ百科事典
マウトハウゼン:200万人のユダヤ人が死亡
アウシュビッツ 300万人のユダヤ人
今日は
マウトハウゼン:14,000人のユダヤ人(USHMM)
アウシュビッツ:96万人のユダヤ人

簡単な反論:初期の誇張された犠牲者数は、不完全な情報、誤った見積もり方法、そしておそらくプロパガンダに起因している。全体の死者数は、個々の収容所の死者数に基づいて推定されたものではないので、論理的には、その修正によって全体の死者数が修正されることはないはずである。

更なるコメント:このテーマについては、すでにこの項目日本語訳)とこの項目日本語訳)で触れている。

文献上の推定値が異なることは、何も新しいことではなく、ホロコーストを「反証」するものでもない。ドレスデン爆撃の死者数は、2万人から100万人までと推定されている(本当の数字は2万5千人である)。それは、ドレスデン爆撃が起こらなかったことを意味するのだろうか。そうではなく、すべての推定値が同じように信頼できるわけではない、というだけだ。

まず、凡庸な数字と、一般的な数字を分けよう。ブリタニカのマウトハウゼンでの誇張された死者数は、ナチスの歴史を扱う多くの歴史家に受け入れられることはなかった。繰り返す日本語訳)が、一般向けの百科事典は学術的な資料ではないので、ブリタニカが何を書こうと、はっきり言って関係ない。学問的なコンセンサスで認められた数字ではないのだ。

100万人を超えるマイダネクの死者数は、共産主義国ポーランドではすでに比較的早く下方修正され、ユダヤ人あるいはほとんどユダヤ人の死者を示すものではなかったので、その修正もユダヤ人全体の死者数とは無関係である。ただ一人、前述のルーシー・ダヴィドヴィッチは例外で、彼女だけが知っている理由で、マイダネクでのユダヤ人死者数を130万人以上と主張している。


翻訳者註:このルーシー・ダヴィドヴィッチによるマイダネクの死者数はまず間違いなく、マイダネクのソ連による報告書にこうあるからである。

委員会は、火葬場だけで60万体以上が焼かれたこと、クレムベッキの森の巨大な焚き火で30万体以上が焼かれたこと、二つの古い炉で8万体以上が焼かれたこと、火葬場近くの収容所で40万体を下らない焚き火で焼いた事実を立証している。

この死体の数字を足すと138万になり、ダヴィドヴィッチの数字にピタリ一致する。しかし、ソ連の報告書にあるこれら数字がどのように「立証」されたのかは報告書にはその根拠は何も書いていない。


しかし、一人のハッカー歴史家がコンセンサスを得たわけではない。ほぼ同時期に、ラウル・ヒルバーグはマイダネクでのユダヤ人の死亡を5万人と推定しており、彼の数字は現在の知識とほぼ一致している。

80万人以上の靴は簡単に説明できる。マイダネクは、ラインハルト作戦絶滅収容所(トレブリンカ、ベルゼク、ソビボル)の選別・貯蔵所の一つであった。

アウシュヴィッツの死者数については、すでにコメントしたとおり日本語訳)である。これら二つの収容所についてのソ連の最初の非常に誇張された死者数は、そこで利用可能であるとされる火葬能力に基づいており、何かを計算するには非常に信頼性の低い方法であった。ソ連の死者数は西側では一般に受け入れられなかったが、西側の歴史学はルドルフ・ヘスの250-300万人の犠牲者に関する以前の発言の一部から影響を受けた。しかし、ヘス自身は後に、大まかに記憶していた輸送統計に基づき、この推定値を約100万人に修正した。ラウル・ヒルバーグの推定も約100万人であった。

現代の推定は、主に輸送データに基づいている。データは不完全であるが、歴史学者によってより多くの資料が分析されるにつれて、収容所の推定はより正確になっていく。時には、ヘフレ電報日本語訳)のように、予想外の新しい文書が発見され、全体像が洗練されることもある。

言い換えれば、私たちが目にしているのは、センセーショナルなニュースやプロパガンダから、利用可能なすべての情報源をより冷静に分析するようになる自然なプロセスなのである。歴史家こそ真の修正主義者である。否定派のハッカーはただの嘘つきだ。

▲翻訳終了▲

否定派は、最初から大前提としてホロコーストの定説それ自体を否定しているので、犠牲者数を修正しようと修正しまいとどちらにせよ文句を言います。その象徴的なのが「アウシュヴィッツの死者数が400万人から110万人に減っているのに、ホロコーストの600万人が変更されないのは明白におかしいではないか!」というものです。

否定派に、600万人のホロコースト犠牲者数は人口統計学的に主張されたものであり、たくさんの研究者の調査で確かめられたものであること(『ジェノサイドの規模』)を全く知りません。それに対して、個別の収容所などについては、例えばアウシュヴィッツならアウシュヴィッツそれ自体に焦点を当てた調査結果なのです。従って、この前者と後者は何も矛盾しません。

また、本稿で扱われたマイダネクではなくアウシュヴィッツの犠牲者数についてですが、例えばフォーリソンはこちらで「「ホロコースト」の定説の支持者はいささか不快感を感じながらも、修正主義者の圧力に押されて、アウシュヴィッツの死亡者数を下方修正せざるをえなくなった」などと述べていますが、アウシュヴィッツ博物館の研究者であったフランシスチェク・ピーパー博士の研究結果である110万人(最大値として150万人)の犠牲者数が石碑に刻まれるに至った背景は、当時ポーランドが民主化寸前だからであって、それまで400万人はポーランドが政治的に変更を許さなかったからです。修正主義に影響力があろうわけありません。単なるフォーリソンの妄想です。

しかし、マイダネクの犠牲者数が現在では約8万人(2000年ごろに就任した博物館館長(歴史学者)の研究結果である)というのは、さすがに「あまりに低すぎるのでは?」との印象が拭えませんね。マイダネクは強制収容所でありかつ絶滅収容所、つまりアウシュヴィッツと同じだと言われてきたからです。ただ、ヒルバーグはとっくの昔(1961年)に5万人と推計しており、1942年末までの数字として判明したヘフレ電報でも約2万5千人であり、むしろそれまでの数字が過大に過ぎたとはいえるのかもしれません。

なお、ルドルフ・ヘスが述べた犠牲者数の変遷は、私も結構拘って色々と調べましたが、結局のところ、ヘスは現場で犠牲者数の記録を取っておらず、アイヒマンかアイヒマンの同僚に聞いた数字しか知らなかったようで、それ以外にはガス室や火葬場の能力を多少は知っていただけだったようなのです。それで、アイヒマンがヘスに「250万人」と言っていたようで、他には個別の作戦の数字しか知らなかった(自伝)。ヘスの犠牲者数はしばしば「最終的には110万人(113万人)に落ち着いた」などと言われますが、自伝のその記述にあるのは個別の作戦の各数字だけで、ヘス自身は合計値としては述べていません。多分ヘス自身の推計値は「150万人」だったのではないかと思われます。


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