嘘ばかりついているネットのホロコースト否定論者たち、とその元ネタ:Holocaust Deprogramming Course(ホロコースト脱洗脳講座)への反論。
プレサックの『アウシュヴィッツ ガス室の技術と操作』の翻訳で、最も長い章であったクレマトリウム2と3に関する章をどうにか翻訳し終えて、後残り200ページくらいをのんびり訳していこうかなと思ってる今日この頃。
このプレサックの本には私からも突っ込みたい箇所は色々とあるのですが、しかしながら、この本を一通り読んで「ガス室があったことの証明にはなっていない」と思うのであれば、重度のホロコースト否定論依存症でしょう。それくらいプレサックは細かくよく調べてます。もちろん、修正主義者としてはこのプレサック本の主張を認めることは、立場として出来ませんので、プレサック本は猛烈に攻撃を受けました。プレサックは元々修正主義者の重鎮であるフォーリソンを師事していましたので、それもあって修正主義者からは「プレサックはダブルスパイだったのだ!」とまで言われました。
ところで、このプレサック本を翻訳しようと思い立った理由には色々とあるのですが、その一つに、プレサック本をちゃんと読めばホロコースト否定などという馬鹿げた主張をするのを止める否定派もいるのではないか? と当時思ったというのもありました。ガス室の証明になっているようなことが色々書かれていることくらいは知っていたからですが、ネットで否定派とやり取りするうちに、それは無理だろうとも気づきました。ネット否定派さんたちって、そもそも「ちゃんと読まない」んですよね。
どう説明すればいいのかわからないけれど、「きちんと読む」ってのは書いてあることを鵜呑みにすることではありません。焼き魚を食べる行為を例とすると、きちんと箸を使って身を取り出して口に運び、咀嚼して、骨があったら咀嚼しつつ飲み込まないように骨だけを取り出す、みたいなものです。分かり難いかな……、要するに、間違いや嘘はそれらの文章から取り除かないといけない。なのにネットのホロコースト否定派さんたちはそれが出来ない人ばかりなのです。で、嘘ばっかり言うようになる。
具体的にどんな嘘か、例を挙げましょう。ここのベスト回答から引用します。
嘘です。以下に、戦後すぐに出されたポーランドのクラクフ法医学研究所がアウシュヴィッツのガス室などについて法医学調査を行った報告書が掲載されています。
冒頭文章を、DeepL直訳で引用します。
結果、髪の毛からも換気口の金属板などからもシアン成分を検出しています。
続けます。
これも嘘です。過去に私がその発掘調査記事を翻訳しています。
トレブリンカもソビボルも、私自身は詳しくは知りませんが発掘調査は行われているようです。アウシュヴィッツ・ビルケナウも発掘調査されています。また、私も過去に紹介したこんな事例もあります。この虐殺を指揮したのはヴァンゼー会議にも出席した親衛隊のカール・シェンガース上級大佐であることもわかっています。
旧ソ連は、ナチスドイツから支配地域を奪い返すと、具体的な箇所の位置や箇所数こそよく知りませんが、割とすぐに大量埋葬地を掘り返したりもしています。例えば、クラスノダールでは発掘調査が行われ、数百体のガス処刑遺体を発見しています。
さらに続き。
一次ソースが全く示されておらず、実際にはどう言う内容なのか検証できません(続く翻訳記事内で検証・論破されています)が、これがそっくりここからのコピペであることは知ってます。Google検索によると、この知恵袋をはじめとして数箇所にコピペされてきたようですが、最も古いのがここです。こういうサイトですから推して知るべし、といったところでしょうか。日本にもネオナチがいたんだ!みたいな(笑)
結局、ネットの否定派さんの多くは、誰かがどこかで述べたようなコピペ的な主張をしているだけなのです。あるいは上のように全くのコピペか。せめて元ネタのようにアメリカのホロコースト否定派総本山であった歴史評論研究所(IHR)の現所長である「マーク・ウィーバー」が元ネタを書いたというくらいは示して欲しいものですが、ネットの否定派さんたちが元ネタのリンクを貼ることすら珍しかったりします。
さて、こうした否定論の「元ネタ」はネット上に色々と散在しています。IHRやエルンスト・ツンデルのサイト(現在もあったはずだけどリンク忘れました)の他にも、世界中のさまざまな有志が否定論のサイトを開設しています。Googleがそれらサイトを弾くような仕掛けをしているのかどうかは知りませんが、それら否定論紹介サイトの多くは少々探し難いのが難点です。
それで、Holocaust Controversiesブログサイトは、ホロコースト否定論の投稿が厳しくなる以前にTwitter上で流布していた否定論への反論をまとめた記事を作成していたので、私もそれを翻訳紹介しています。
さて今回は、それとは別に存在するHolocaust Controversiesにある細かい否定論への反論記事を翻訳紹介します。「お前だって、海外の記事を翻訳してコピペしてるようなもんじゃねーか!」と言わないでくださいね。それらの翻訳記事をどう咀嚼し、どう骨を取り除いて、自身の栄養分とするかはあなた次第です。
▼翻訳開始▼
「ホロコースト脱洗脳講座」の(それほどでもない)短い論破。
そのウェブサイトはこちらにアーカイブされている。
最初の文章(タイトルの後)は嘘である。
600万人のユダヤ人がガス処刑されたという主張ではない。ガス処刑されたのはホロコースト犠牲者全体の約半分ほどで、残りは大量殺戮、飢餓、死の行進などによって殺害されたのである。
そこの人。これで終わり。このサイトの著者は、自分が論破しようと定めた基本的な主張を学ぼうともしなかった。彼はわずかな手がかりも持っていない。却下。
でも、せっかくだから、もっと踏み込んでみよう。
嘘。アウシュヴィッツ基幹収容所の小さなガス室は、復元されたものである。当初は死体安置所(火葬場内)で、時折、小規模のガス処刑に使われていたが、ガス処刑がアウシュヴィッツ・ビルケナウ(実際にユダヤ人の大量絶滅が行なわれた場所)に移された後、防空壕に改造されたのである。戦後、ポーランド人(「スターリン」ではない)は、防空壕の仕切り壁を取り除き、チクロンB導入孔を再び開くことによって、元の状態を復元しようとした。このことは、デヴィッド・コールのこの論証(日本語訳)で説明されている。
著者が、誰かがガス室を「建設」したと書くと、建物全体が新しく作られたような印象を受けるが、これは嘘である。事実、化学分析によって、死体安置所の壁からHCNの痕跡が発見された(日本語訳)。
犠牲者の遺体は焼却されるのが原則なのに、どこからそんな診断が出るのだろう? また、一部の労働収容所ではガス処刑が行われたが、ガスによる大量殺人はほとんど絶滅収容所に限られたものであった。
嘘、ナチス絶滅収容所の大量墓地を参照。
こちらを参照:チャーチル、アイゼンハワー、ドゴールの回顧録にガス室は書かれていない?(日本語訳)
嘘:赤十字がアウシュビッツを視察しようとしたときだけ、許可されなかった。
なぜそうなるのか?何を隠す必要があったのだろうか?
以下を参照:
赤十字が死の収容所を視察した?(日本語訳)
赤十字国際委員会のアウシュビッツ訪問をめぐるコラーシュトロームの欺瞞
コラーシュトロームとホロコーストに関する赤十字国際委員会の1948年報告書
嘘。手始めに、
殺人ガス車に関する当時のドイツ文書
ドイツ文書に見るゾンダーコマンド・クルムホーフ - 10万人のユダヤ人の抹殺(日本語訳)
キンナ報告-アウシュヴィッツでの不適格ユダヤ人の殺戮に関するドイツ文書
アウシュヴィッツとアウシュヴィッツ・ビルケナウでの大量絶滅に関する公開された証拠の目録(日本語訳)
バビ・ヤールの大虐殺に関する証拠 1941年9月29日と30日 当時の資料(日本語訳)
イェーガー報告(日本語訳)
アウシュヴィッツに関するマットーニョの反論(第5部):建設文書、G:ガス室(日本語訳)
100以上のナチス絶滅発言、1939-1944年
その他のナチスの大量殺戮発言
嘘。収容所で殺された人々のほとんどは、その収容者になることはなく、そもそも収容所登録制度に登録されることもなかったし、絶滅収容所のほとんどは、正式には強制収容所ですらなかった(例:トレブリンカ、ベウジェツ、ソビボル、ヘウムノ)。バート・アロルセンには、登録された囚人に関する非常に不完全な記録しかなく、総死亡者数とは全く関係がない。
前にも述べたように、公式には、小規模のガス処刑に時々使われるだけの死体安置所であった。工業的規模の絶滅は、後に、アウシュヴィッツ・ビルケナウで起こった。
ユダヤ人労働者だけが補償されたわけではないし、博物館やネットでそのような代替紙幣も見ることができる。著者は、それをある種の隠された知識として提示しようとしている。
労働者の効率を上げることがナチスの目的の一つであったことは明らかである。労働に適さないと判断されたユダヤ人を絶滅させることと矛盾することはない。
いや、こちらを参照:ホロコースト否定論者、ゲルハルト・マウラー、アウシュビッツでの労働に不適格なユダヤ人。(日本語訳)
簡単に説明すると、大多数を占めるポーランド系ユダヤ人が省かれた数字である。アウシュヴィッツに居住していたユダヤ人の大半は働くことができた。働けなかった少数の人々は、永久的な障害ではなく、むしろ、短期間の再⽣活期間を必要とした。こちらを参照:アウシュビッツの小さな子供や労働に適さない人々(日本語訳)
いや、上記のリンク先の記事で説明されているように、ポールはその18,000人がユダヤ人であるとは書いていない。
またしても、否定派は、何もないところに矛盾を作り出している。
実は、ビルケナウはソ連軍捕虜の収容所として設立されたのである。働くことができなかったユダヤ人については、そのほとんどがビルケナウの収容者になることなく、ビルケナウで殺害されたことが証拠によって示されている。
アーノ・メイヤーは、いかなる形でもアウシュビッツの権威や専門家ではない。以下も参照。
欺瞞と虚偽表示。ホロコースト否定のテクニック。メイヤー・ギャンビット
マーク・ウェーバー著『アウシュヴィッツ:神話と事実』の短い論破の該当箇所を参照。
アウシュビッツのプール、病院など(日本語訳)で完全に説明・論破される。
上記ですでに論破された嘘。
赤十字がアウシュビッツを視察しようとしたときだけは、許可されなかったのだ。
なぜだろうか? 何を隠す必要があったのだろうか?
赤十字が死の収容所を視察した?(日本語訳)
赤十字国際委員会のアウシュビッツ訪問をめぐるコラーシュトロームの欺瞞
コラーシュトロームとホロコーストに関する赤十字国際委員会の1948年報告書
実はあったのだ。コラーシュトロームとホロコーストに関する赤十字国際委員会の1948年報告書から引用する。
コラーシュトロームは、「その1600頁のすべてにおいて、報告書はいかなる人間ガス室もほのめかしていない」(Breaking the Spell, p.218)と主張している。この指摘が妥当性を欠くことはさておき、報告書はドイツの収容所の歴史研究ではないが、この指摘は正しくもない。
「午前7時、100人の女性の最初の一団が到着しました。飢え、汚れ、怯え、疑心暗鬼に陥った哀れな生き物を見て、彼らは自分たちが解放されるとは信じられず、私をガス室に連れて行くために送られたSSの代理人だと思いました」
(赤十字国際委員会の第二次世界大戦中の活動に関する報告書、第1巻、625頁)。
そして著者は、アウシュビッツの歯科医とされる写真を掲載した。予想通り、この写真はそのようなものではなく、実際には非絶滅の通過収容所であるウェスターボルクの歯科医である。
アウシュビッツでのクラウベルグの仕事は、女性(特にユダヤ人女性)を不妊にする実験であった。
もう一つの嘘。この主張はコラーシュトロームの本から引用したもので、レイノアールのビデオを引用している。レイノアールはさらに、ランダムなユーチューブのビデオ「真実を語るHolohoax(註:日本語で言えば「法螺コースト」)の生存者」からも引用している。
しかし、ビデオ(註:この動画は既に存在しない)では3:38に、絶滅収容所ではないブッヘンヴァルトに関するものであることを明記している。
アウシュビッツⅢ(モノヴィッツ)はガス室を持たない労働収容所だったので、全くの嘘である。
そして、そのどれもがユダヤ人ではない。この写真はデュルフェルトの弁護側展示品#1348で、1948年4月16日にIGファーベン(裁判記録、11634頁)の中でコメントした。
「この写真は、ウクライナ人音楽家の指導の下、ウクライナ人女性による合唱団」
否定派は不作為によって嘘をついた。
もう一度、非絶滅収容所モノヴィッツの写真、デュルフェルドの展示番号1347であり、無関係だ。
すでにここ(日本語訳)で説明したように、この写真はアウシュビッツのものではなく、1918年にプフォルツハイムで作られたものなのだ! 同リンクにあるように、アウシュビッツの各所に図書館はあったが、「4万5千冊の蔵書」を持つ図書館はなく、これも嘘である。
その他の点については、アウシュビッツのプール、病院等(日本語訳)とアウシュビッツの小さな子供と労働に適さない人たち?(日本語訳) でコメントされている。
写真から受刑者の健康状態を判断するのは、否定派の特殊技能に違いない。
囚人はいつ到着したのか? 彼は飢える暇があったのだろうか? 不作為による嘘。
実のところ、どちらにも使われていたのだ。
アウシュビッツとアウシュビッツ・ビルケナウにおける大量絶滅に関する公表された証拠の索引(日本語訳)
アウシュビッツに関するマットーニョの反論(その5)建設文書、G:ガス室(日本語訳)
そう、労働に適していると判断されたユダヤ人たちだ。残りはどうしたんだ?
例えば、1944年の春から夏にかけて、ハンガリーからアウシュビッツに送られたユダヤ人は約43万人である。そのうちの約11万人が労働力として選ばれ、さまざまな収容所に移された。そのうちの約32万人が労働に適さないことが判明した。否定派は、1944年に労働に適さないこの32万人のユダヤ人の運命を説明できるはずだ。彼らはどうなったのか? 彼らはどこへ行ったのか? その根拠は?
もちろん、チクロンBの缶が山積みになっているだけでは、殺人的なガス処刑があったことを証明することにはならない。
一方、火葬場の死体安置室が公式にガス室/ガス処理用地下室と指定されていたことを示す文書(日本語訳)(多数の証人によって記述されている)、およびそれらが害虫駆除施設ではなかったことを証明する文書は、このことを立証している。
この害虫駆除室が大量殺戮に使われたとは誰も言っていないので、また何が言いたいのか?
すでに指摘されているように、嘘。
火葬場の死体安置所(害虫駆除施設ではない)。
蒸気室の噂は、アウシュビッツではなくラインハルトの収容所に関するものなので、オートクレーブは何の関係もない。
註:オートクレーブについてはこちらを参照。
前と同じように、チクロンBの存在だけでは証拠にならないが、オラニエンブルクは強制収容所監察局の所在地であり、他の収容所に配布するためにチクロンB缶を保管する論理的場所であったから、この議論はいずれにしてもインチキなのである。
しかし、ガス室として使用されたことを否定するものではない。
そして、資料の中では、ビルケナウ火葬場の死体安置室は、はっきりと、「ガス室(gas chamber)」、「ガス室(gas cellar)」、「ガス処理室(gassing cellar)」と呼ばれているのである。
彼はそれを「発見」することができなかったのだ。当初は屋根の開口部が少なかった(3つまたは2つ)ことを示唆する証拠があるが、否定派はそれがなかったことを証明することができないのである。
しかし、著者はその主張の根拠を何も示していない。ただ、「薄っぺらいドア」や「偽の煙突」など、いつもの頭でっかちなミームを繰り返すだけである。
クレマIのガス室とその再現の試みについての詳細は以下。
デヴィッド・コールのアウシュビッツのビデオを論破する(日本語訳)
切り離されたクレマ1の煙突?(日本語訳)
ペラペラのガス室ドアに窓がある?(日本語訳)
彼のホームページの最初の文のように、著者はアウシュビッツの歴史について何も知らない完全な馬鹿であることを露呈しているのである。明らかに彼らは1942年から1944年にかけてビルケナウでガス処刑された。
爆発するにはある濃度まで達する必要が、殺人的ガス処理(理論的には、害虫駆除のガス処理であれば殺人ガス処理よりも高い濃度となるが、それでも爆発濃度には達しないだろう)では到達しそうにない。
註:青酸ガスの爆発・引火濃度はこちらの資料によると、56,000ppm〜400,000ppmであり、殺人ガス処理には数千ppmもあれば十分なので、爆発・引火は考えられない。
ここは死体安置所であるが、ガス処刑がビルケナウに移る前は、臨時のガス室として時々使われていた。
煙突と穴については上でコメントしたとおりだが、(アウシュヴィッツ国立博物館の「館長」になったことのない)ピーパーが「ガス室ではなかった」と認めたという著者の主張は、真っ赤な嘘である。明らかに、ピーパーはそのようなことを述べたことは、一度もない。こちらも参照して欲しい:デビッド・コールのアウシュヴィッツ・ビデオを論破する(日本語訳)
ダッハウのガス室については、ダッハウのガス室、ブローシャート書簡(日本語訳)を参照。
シルマーはそのような主張をしてはいたが、それは誤りである。実際、ザクセンハウゼンのガス室は存在し、その設備は連合国が到着する前に取り外され、収容所に保管されていたのである。ソ連が到着した後、彼らは設備があった場所に漆喰の穴が開いたガス室を発見した。彼らはこの状態を正直に報告書に記述し(これが、ソ連がこの点で嘘をつかなかったことを知る方法である-彼らはガス室をそのまま発見したと言うことができた)、その後、再び装置が設置されたのである。シルマーが偽ガス室の狭窄と表現したのは、この既存の建物への設備の再設置であろうが、そのようなことは何もなかった。
参照:G.モルシュ、「ザクセンハウゼン強制収容所での毒ガスによる殺戮(Tötungen durch Giftgas im Konzentrationslager Sachsenhausen)」 in G. Morsch, B. Perz (Hrsg.), 『ナチスの毒ガスによる大量殺戮に関する新しい研究(Neue Studien zu nationalsozialistischen Massentötungen durch Giftgas)』Historische Bedeutung, technische Entwicklung, revisionistische Leugnung, 2012 (2. Aufl.), pp. 275-6.
リュフトルがシュライバーに実際にインタビューしたという信憑性だけで、何もないのだ。
シュライバー(カットヴィッツのフータの主任技師になったのは、火葬場が完成したずっと後の1943年11月)がこのように言ったとすると、彼の主張は、前述の文書-これらの安置室をガス室と呼んでいる-によって簡単に反駁されてしまうのである。
ガス室の問題はまず第一に歴史的なものだから、それは藁人形的な要求である。科学的報告は、ガス室の壁にHCNの痕跡がある(日本語訳)こと、ガス室の屋根に穴が開いている(日本語訳)ことを示すことができるが、その主張を行なうには、実際の歴史的証拠がなければならない(註:ツンデル裁判の時にはまだ、クラクフ報告もマザールらによるクレマ2(等)の天井の穴の調査もなかった)、だから、ヒルバーグはガス処刑に関する純粋な科学的報告を挙げることができなかった--そのような報告はほとんどありえないのだ。基本的なことだ、本当に。
アウシュビッツとアウシュビッツ・ビルケナウにおける大量絶滅に関する公表された証拠の索引(日本語訳)
この記録ファイルは5060ページもあり、著者は、証人が何かを見つけられなかったとされる場所を見つけるために、単にページ番号を与えるのではなく、そのすべてに目を通すことを期待しているようである。「学問」の見事な例である。
明らかに、目撃者が何十年も経ってから、地図上のある場所を特定できなかったとしても、ガス室がなかったということにはならないのである。なぜ否定派はそのような稚拙な論理を使うのだろうか?
実際、HCNは沸騰しなくても比較的早く蒸発する(日本語訳)し、数千人とは言わないまでも数百人の人間が部屋にいたのだから、その温度はすぐに30℃以上になったであろうことは、否定派のマットーニョでさえ確認している(Auschwiz:The Case for Sanity, 2010, vol. 1, p. 117)。
1940 年と 1941 年にドイツで大規模に行われた軍の兵舎の消毒に関連して、マイナス 4℃からプラス 8℃の温度で得られた経験は、「すべての場合において、ガス放出の本質的段階は 1 時間かせいぜい 2 時間後に完了する」(Peters/Rasch、136 ページ)ことを実際 に示している。27℃以上あればシアン化水素の蒸発が早くなるのは間違いないが、そのために加熱装置を設置する必要があったのだろうか。別のところで紹介したように(1994b, p.65)、立っている成人の身体は1分間に1.72kcalを発生する(Flury/Zernik, p.29)。1,800体の場合、1分間に3,096kcalを発生させることになる。シアン化水素の蒸発潜熱は1molあたり-6.67kcalで、分子量は27.03なので、6kgのシアン化水素の蒸発に必要な熱は(6000×6.67)÷27.03=1480kcalとなり、1分間に1800体が発する熱の半分以下となる。
もちろん、必要であれば、ガス室はいつでも火鉢で予熱することができた。
そして、ロイヒターも含めて、誰一人としてガス室の専門家では決してない。
まず第一に、目撃者が体の色を全く説明することはほとんどない。それは、大量殺人の事実と比較して、言及すべき最も重要な詳細事項ではなかっただろう。また、明らかに、死体の引きずり降ろし作業は、臨床現場での最適な照明条件のもとで常に行われたわけではない。
第二に、目撃者は赤い変色について言及している。アウシュヴィッツのもっとも重要な目撃者の一人であるヘンリク・タウバーは、ガス処刑された死体(HCN)をこのよう(日本語訳)に描写している。
「二重になっている裸の死体が山ほどあった。ピンク色で、ところどころ赤くなっていた。緑色の痕があり、口からは唾液が出ていた」
S. I. ピリュノフは1944年5月20日にベラルーシでガス車犠牲者の死体について述べている(Prestupleniya nemetsko-fashiststkikh okkupantov v Belorussii. 1941-1944, 1965, p. 172):
「死体の皮膚は、風呂に長く入った後のような赤さが際立っていた」
ドイツの化学者テオドール・フリードリヒ・ライディヒ博士は、ザクセンハウゼンのガス車でのソ連人捕虜へのガス処理の結果を次のように説明している(06.02.1959, E. Kogon et al, Nationalsozialistische Massentötungen durch Giftgas, 1983 (4. Aufl. 2003), p.84; BArch B162/5066, p.107):
「いくつかの死体は外に落ち、他の死体は収容者たちによって降ろされた。その死体は、私たち化学者が立証したように、CO中毒で死んだ人によく見られるピンクがかった赤色をしていた」
アインザッツグルッペCのガス車運転手ヴィルヘルム・フィンデイゼンの証言(1967年10月17日の尋問、BArch B162/18154, p. 90; ハンス・メッツナーに感謝します)。
「犠牲者の死体は車内でバラ色の顔で横たわっていた」
アントン・D、KdSヴァイスルーテンのガス車運転手(1969年3月28日の尋問、BArch B162/3460, p. 32; ハンス・メッツナーに感謝します、BArch B162/3412, p. 199の1962年6月7日の同様の証言)。
「ミンスクの運転手が2回目に来た時、車の中の収容者はすでに死んでいた。彼らは肥大し、ピンク色の肌をしていた」
他の目撃者の中には、ベウジェツのガス処刑の犠牲者が「顔に青みがかった膨らみ」を見せたと述べたヴィルヘルム・プファンネンシュティールのように、異なる色合いを描写する者もいる。
その理由は簡単で、いわゆる毒殺の特徴的な皮膚の色は、個々のケースに適用されるもので、通常、追加の物理的損傷がなく、十分な酸素があれば、変色は死の状況に強く依存するからである。
明らかに酸素不足で、多数の身体的傷害を伴う大量ガス処刑の場合には、必ずしも当てはまらない。アウシュヴィッツでもラインハルト収容所でも、多くの犠牲者が純粋な窒息死であったにちがいない。実際、これこそ、プファイネンシュティールが主張する死因であり、エンジンの排気ガスが原因ではないのである。
したがって、皮膚の変色は、ガス処理によって、さまざまな要因によって変化することになる。しかし、アウシュヴィッツに限って言えば、青酸カリによる毒殺の説明にはこうある。
「青酸カリ中毒」の場合、ほとんどの場合、皮膚の色は健康的なピンクから赤になる。しかし、身体の損傷や酸素不足が関与している場合は、皮膚の色が青っぽくなることがある。目の充血や瞳孔散大は青酸中毒の症状である。チアノーゼ(皮膚の青色変色)は、重度の青酸カリ中毒に伴う傾向がある。
アウシュビッツでの大量ガス処刑は、言うまでもなく、肉体の損傷、酸素不足、重度のシアン化合物中毒を伴う。
それは欺瞞に満ちた主張である。ソ連がそう主張した(多かれ少なかれ、薪炭の使用については曖昧にしていた)のだが、判決はその主張を繰り返さなかった。
またしても誤解を招くような謳い文句である。冷えたオーブンから始めて(温めるのに多くの時間と燃料が必要)、骨壷の中で見栄えが良くなるように骨を白くする期間も含めて、すべての手順にとても時間がかかる。
これは、戦時中の収容所でのやり方には、全く当てはまらない。これについては、スティーブ・アンダーソンの論破に詳しく書かれている。
ビルケナウには46のマッフルがあり(ずっとではありませんが)、約50万体ほどを処理しなければならなかった(残りは野外で焼却された)。ここにオーブンの容量がある。計算してみて欲しい。
連続焼却には不適切である。このように、ヴィースバーデンの判事は、1949年12月19日に、(アウシュヴィッツのオーブンを建設した)トプフ&ゼーネ社に手紙を出した(ThHStAW, Bestand Topf u. Söhne, 231, Bl. 35)。
クレトナー主任技師は、 最新の経験による改善点を考慮した上で、計画した火葬炉の改造を2週間半で実施したことをここに確認します。
クレトナー氏は炉の作動を実演し、3日間の試運転で合計16回の火葬を行い、本日完全に満足して引渡しを行いました。
オーブンの性能、特に燃費は期待以上でした。試運転から3日目には、火葬に必要な(オーブンの)加熱以外の燃料消費なしに、すでに40分の火葬時間が達成されました。
このオーブンは、事前にお知らせした上で、関係者に自由に見せることができます。
上記の手紙をこちら側で事前に許可を得ずに公開することは禁止されています。
嘘、そんな主張はない。
連続焼却の場合は不要であり、そして、コークスに関する完全な文書がないのだ。
山のようなコークスを見せる必要はなかったが、それ以外のものを見せると証拠になる。
大量殺戮の証拠としてのアウシュビッツ野外焼却写真(日本語訳)
ジョン・ボールのアウシュビッツに関する航空写真証拠資料(日本語訳)
火葬場での大量火葬の専門家は、そのような主張をしていない。現代の火葬場の手口(個別火葬)は、すでに上で指摘したように、当てはまらないのである。
600万人の死体が全く、ましてや火葬場で火葬されたとは主張されていないので、著者はまたもや馬鹿な無知を晒していることになる。収容所の火葬場で焼却された死体の数は、100万にも達しない。ホロコースト犠牲者の死体の大半は、実際には野外で焼却され、多くは埋葬されている。
これは、1日に1つのマッフルで4つの死体、6時間で1つの死体という、否定派の基準からしてもとんでもなく少ない数字で、ラガセが単なる詐欺師であることを示している。
欺瞞的な著者が言及しないのは、それがどんな歴史家にも真剣に受け取られない単なる伝聞であったということである(生存者リーバーマンとアウシュビッツの炉(日本語訳)を参照)。
著者のリンクはもう機能していないが、この文献はおそらく、ベルゼン裁判でのチャールズ・ジギスムント・ベンデルの証言に対する、ある新聞社の二重の揶揄のような主張であろう。
1945年10月1日、ベンデルはこう証言している。
「その2日後、その日の労働者になったとき、ガス室が稼働しているのを見たのです。その時はウッチのゲットーで、80000人がガス処刑されました」
ベンデルの言葉は、明らかに8万人が一度にガス処刑されたという意味ではなく、3週間以上かかった連続作業であった。
しかし、一部の新聞は彼の主張を誤解し、「8万人のウッチのユダヤ人がオシフィエンチムで一夜にして殺された、ユダヤ人医師が証言」という見出しを掲げたのである。 AP通信は、ベンデルがベルゼンのことを話しているのだと思い込んで、さらに間違いを重ねた。
「ドイツのリューネブルグで、ベルゼンおよびオシフィエチム強制収容所での戦争犯罪に対する男女45人の裁判で証言したユダヤ人医師は、ベルゼン収容所で一晩でポーランド・ウッチのゲットー全体に相当する8万人のユダヤ人がガス処理または焼却したと述べた。」
確かに、この82万足の靴は、ほとんどがベウジェツ、ソビボル、トレブリンカで殺害されたラインハルト作戦の犠牲者のものであり、マイダネクそのものではないが、それで?
それどころか、この写真は非常に証拠能力が高い。
大量殺戮の証拠としてのアウシュビッツ野外焼却写真(日本語訳)
ジョン・ボールのアウシュビッツに関する航空写真証拠資料(日本語訳)
これは、登録された収容者だけにかかわることだ。アウシュヴィッツの犠牲者のほとんどが収容者であったとは誰も主張していないので、このことは、収容所の総死亡者数とは無関係である。
イギリスの解読については、アウシュヴィッツの暗号解読(日本語訳)を参照。
すでに上で取り上げた嘘。
世界年鑑はユダヤ人ではないので、「世界のユダヤ人人口数に関する最も信頼できる資料」と見なされていたのも嘘。ワールドアルマナックのデマ(日本語訳)を参照。
またしても嘘。既に述べた。
確かに、収容所は、奴隷労働に関する限り、秩序正しく効率的でなければならなかった。これは、労働に適さないと判断された人々を絶滅させることとは何の関係もない。
嘘。既に論破されている。
また嘘。E562はビルケナウではなく、リビョンシュで働いていた(このリンクは既に存在しない)。
すでに上記で対応済み。
アウシュヴィッツの暗号解読(日本語訳)を参照。
嘘。
それは成り立たない。ドイツは常に被収容者を人道的に扱っているように装っていたので、肯定的な回答をしない理由はない。
具体的には、戦争に負けたことが明らかになったとき、ヒムラーは連合国との休戦を望み、ユダヤ人を含む一部の囚人を手駒として抱えていた(一方で、囚人のグループごとに矛盾した命令を出していたらしい)。
いずれにしても、その答えは予想されたものだった。もちろん、現実と完全に一致しているわけではない。大規模な収容所全体が殺害されたわけではないが、死の行進は行われた。
とにかく、この連合国側とドイツ側との「コミュニケーション」の問題は、収容所の収容者が避難の際に殺されるかどうかという、ある特定の話題に集中していた。連合国側は、一般的な絶滅政策に一秒たりとも疑いを抱いていなかった。
例えば、1945年1月22日(午後8時)にドイツ側に収容者を生かすという期待を送った後、シュテチニウスはハリマンに次のように送っている(午後9時)。
ドイツ軍は過去の残虐行為の記録に従って、撤退前にアウシュビッツ(オシフィエチム)やカトヴィッツ近くのビルケナウ、その他の地域の収容所でユダヤ人やその他の生存者を虐殺することが懸念されているのです。ソ連当局に、これらの地域のドイツ人にラジオやパンフレットで適切な警告を伝えることを緊急に提案してください。ソ連軍が近くにいるため、彼らからの警告は有用かつ効果的であると思われます。また、ソ連当局が収容所の収容者を保護するための直接的な対策を講じる可能性について、ソ連当局と協議してください。
理事会は、撤退前のドイツ軍が残存ユダヤ人を絶滅させる政策を続けているかどうかを示すものとして、数ヶ月前にウッチで報告された6万から8万のユダヤ人が生きて発見されたかどうかを聞くことを切望しています。問い合わせと結果の電報をよろしくお願いします。
つまり、ドイツ軍を脅して収容者を生かすということであった。また、この時点では、数日後に退去する予定の収容所を爆撃することなど、当然ながら誰も考えていなかった。
真っ赤な嘘。明らかに彼らは選ばなかった。著者は予想通り、エリ・ヴィーゼルの小説・回想録『夜』における言葉の選択を誤って、ナチスが捕虜に何らかの選択を与えたと主張しているが、明らかにヴィーゼルはそのようなことを主張していない。
ヴィーゼル一家が選択したのは、重病のふりをして収容所に留まるか(SSに殺される危険もある)、避難輸送に乗り、途中で死ぬか、あるいは、そのような危険を冒すか、ということだった。
その「選択」はSSから提示されたものではなく、「医務室に滞在することができ、そこでは私の医師のおかげで、彼(シュロモ・ウィーゼル)は患者としても衛生兵としても入ることができた」からであった。(エリー自身はその時すでに入院していた)。
そういうことなのである。SSによるいわゆる選択オプションは嘘だ。
「夜」からの引用はこちら(日本語訳)。
引用された数字は、文書による裏づけのないランダムな証言源からの明らかな誇張であり、否定派はユダヤ人の絶滅に関する主張であれば、これを否定するだろう。
1939年12月31日のSS統計家リヒャルト・コルヘアによると、「旧帝国」、スデテンランド、オーストリア、ボヘミアとモラヴィア、東部領土、総督府を含む「帝国地域」には312万人のユダヤ人がいたらしい。
これだけでも著者の馬鹿げた数字より多いし、占領されたヨーロッパ(とソ連)の大部分はまだ征服されていないのである。これについては、占領地における500万から600万人のユダヤ人犠牲者を立証した徹底的な人口学的研究に言及する以外、これ以上コメントする必要はないだろう。このことは、著者の欺瞞的な主張をさらに自動的に反証している。
これは、彼の次の嘘、「ユダヤ人はまだ生きていた」にも当てはまる。
ただし、「600万人のユダヤ人」ではない。
捏造された名言:アウシュヴィッツの生存者ベネディクト・カウツキーはホロコースト否定論者だったのか?
生存者はガス室を見たり聞いたりしていないのか?(日本語訳)を参照。
筆者の戯言に反論するため、拙稿を引用する。
それは、否定がどのように機能するかということである。あるトロイの木馬は、別のトロイの木馬を引用し、純粋な信仰ですべてを受け止めているのだ。ベーアが1944年にアウシュヴィッツ1の司令官であったことは問題ではないが、実際には、その収容所にガス室はなかった。公判前の尋問が公開されている(フランクフルト裁判のDVDなど)のは関係ない。ベーアがアウシュヴィッツ複合施設のガス室の存在を否定したことはなく、むしろ、ガス処刑はビルケナウで行なわれたので、1944年の主要収容所の司令官であった自分はガス処刑とは無関係であると正しく述べている(1960.12.22)ことも問題ではない。
Ich bin nur Lagerkommandant im Lager Auschwitz I gewesen. Mit den Teillagern, in denen Vergasungen stattfanden, hatte ich nichts zu tun. Ich habe auch keinen Einfluss auf die Vergasungen selbst gehabt. Die Vergasungen fanden im Lager II statt. Dieses Lager unterstand nicht mir, sondern dem Hauptsturmfuehrer Kramer. Er war zu meiner Zeit Kommandant des Lagers II.
<翻訳>
私はアウシュビッツI収容所の収容所長にすぎませんでした。私は、ガス処刑が行われたサブキャンプとは何の関係もありません。また、ガス処刑そのものに影響を与えたわけでもありません。ガス処刑は第二収容所で行われました。この収容所は私の指揮下ではなく、クラマー親衛隊大尉の指揮下にありました。彼は、私がいた当時、第二キャンプの司令官でした。
そんなことはどうでもいい。神話を繰り返すことを拒否して殺された勇敢な司令官の話を夢想したほうがいい。この方が、私たち愚鈍な者にとって、ずっと楽しいことだ。
完全に信用を失った。ラッシニエはアウシュビッツのガス室を否定した。それとも、ティース・クリストファーセンか?(日本語訳)を参照。
シュテーグリヒはアウシュヴィッツから10kmほどの村に駐在しており(鳥が飛ぶように)、3、4回収容所を訪れたと主張しているが、著作で認めているように、火葬炉を見たことさえなく(Kritik, 1978, Nr. 23, p. 68)、ビルケナウ火葬炉を「疑惑」と呼ぶようにしているので、おそらく、絶滅地区ではなく、基幹収容所だけを訪問し、いずれにしても絶滅施設には近づかなかったのだろう。したがって、彼の「目撃者」としての証言は無関係である。
彼の本は、否定派の神話と誤った解釈の盛り合わせに過ぎない。
嘘だ、西側連合国は殺人ガス室のあるいくつかの収容所を解放した。ソ連だけが見つけた死の収容所?(日本語訳)を参照。
ワイルダーの『デス・ミルズ』にはそのような主張はなく、確かにユダヤの石鹸についての主張もない。
ブッヘンヴァルトでは、少なくとも1個の人間ランプシェードが作られたという証拠(日本語訳)がある。
縮んだ頭は実在した(日本語訳)し、歴史家も疑っていないので、これも否定派の嘘だ。
誤解を招く記述 - ソ連がニュルンベルク裁判でカティンの責任をドイツ軍に押し付けようとしたのに対して、西側連合国はソ連に裁判規則を悪用させず、被告に自分たちの証拠を提出させて、ソ連の証拠を論破したのである。その結果、ニュルンベルク判決はカティンについて全く触れていない。
そのようなドイツ人は、アルノ・デューレを除いてはいなかった。彼の偽りの自白は、ソ連でも広く知られていなかった(彼は処刑されなかった)。彼はソ連の収容所から解放されたときに、それを放棄した。
これが何を証明することになるのか、はっきりしない。ミストロポリトス・ニコライは明らかに飾り物だった。ブルデンコは委員会の長であり、彼がカティンのドイツ人の罪を心から信じていたと思われる理由がある。しかし、それはさておき、歴史家たちがソ連の報告書をアウシュビッツの一次資料のようなものとして使っているわけではない。この馬鹿馬鹿しい運動の目的は一体何なのだろうか?
嘘。そんな本はなかった。ヴァン・ローデンの署名入りの記事ですが、実際には彼が書いたものではない。137対の睾丸が潰れたというのはデマ。137のつぶれた嘘、あるいは否定はなぜ修復不可能なのか(日本語訳)を参照。
そのような公式の告発はなかった。ナチスの原子爆弾(その一部はこちらで翻訳)を参照。
移動式火葬場は明らかに存在した。しかし、それ以外は心を病んだ者のたわごとである。ただ、悪いリンゴはいつでも見つけられるものだ。
著者が何も反論していない事実。
https://collections.ushmm.org/search/catalog/pa5048
https://collections.ushmm.org/search/catalog/pa10008
そのような目撃証言も自白もなく、おそらく、遠く離れた観察者がガス室を誤って解釈したにすぎない(寒い冬の日に高温のガス室から出るすべての「蒸気」を想像して欲しい-これが誤った印象を与えたのかもしれない)。
修正主義者が捏造したトレブリンカ「蒸気の物語」の原型の神話(日本語訳)を参照
噂であって、実際の目撃証言や自白はない。
ブッヘンヴァルトでは、少なくとも1個の人間ランプシェードが作られたという証拠(日本語訳)がある。
ニュルンベルクの告発は、ダンツィヒ解剖学研究所で実際に行われた人体石けん(日本語訳)の使用事件に関するものだった。
これは一人の目撃者の証言に基づくもので、その証言は実に信憑性に欠けるものであった。そういうこともあるのだ。
そんな虐待が起こることもあった。
実は、ヘットルの主張は、提示された証拠の合計によって裏付けられていたのだ。現在では、このような主張に頼る必要はなく、500万から600万人のユダヤ人が死亡したことを示すこのような研究がある。
ポーランドの調査団は収容所周辺を調査し、資料を調べ上げ、多くの犯罪の痕跡を発見したのだ。何十年も経ってから、プレサックは彼らの足跡を辿った。今日では、主要なガス室がどのように機能したのかについて、網羅的でもなく、常に矛盾がないわけでもないが、印象的な詳細がわかっている。
これは、すでに上記で事実でないことが示されている。
筆者は偽の否定派文書に引っかかった。ラシャウト文書(日本語訳)を参照。
ナンセンス。アウシュヴィッツでのガス処刑については、数多くの記述があり、その多くは、ヘスのものと同じくらい詳細である。ここ(日本語訳)に、証拠のごく一部を紹介する。
正しい。同じ手記で、彼はポーランド人捕虜の予想に反して、死者数を約100万人に減らしている。それが、彼の手記が信頼できるものであることの証明になる。最初の自白を否定しても、彼の回顧録は残っている。
註:少なくとも日本語版の『アウシュヴィッツ収容所』では、ヘスが犠牲者数を約100万人にまで減らしている、ようには読めないが、ソ連の主張した400万人よりははるかに低い250万人(アイヒマンが言っていたとして)の殺害を裁判で主張した(宣誓供述書)のは事実である。但し、実際にはヘスは最終的には120万人程度ではないかと自身で推計したようである。
マッカーシーらの主張は、マルメディ公聴会で調査され、不正行為のケースは発見されたものの、残虐行為の主張はほとんど根拠がないことが判明した。
再度、137のつぶれた嘘、あるいは否定はなぜ修復不可能なのか(日本語訳)を参照して欲しい。
いずれにせよ、これらの疑惑は、戦後、まだ熱気を帯びていた時期に行われた調査に起因している。
一方、西ドイツでは1960年代に多くの裁判が行われ、被告人は絶滅プロセスの全体像と詳細の両方を豊かに説明した。この一連の裁判では、拷問や強制の疑いは一つも投げかけられていない。
確かに、一時期はそうだった。それで?
PWEの行動がどうであれ、安楽死ガス室に関する情報が先行していたのである。1940年、グラフェネックのアメリカ知識、または、ナチスの安楽死に使われた一酸化炭素ガスとボトルに関するドイツの当時の史料を参照。
デマはなかったのだから、発明されたわけでもない。
嘘 - 反ソビエトのポーランド亡命政府は、1942年末にはすでにホロコーストに関する情報を公表していた。ドイツ占領下のポーランドにおけるユダヤ人の大量絶滅を参照。
嘘、そんなことは書いていない。ホロコースト(=ユダヤ人絶滅)にも触れていないし、捏造についても何も言っていない。英国政府による嘘の主張(日本語訳)を参照。
もちろん、1944年までには、ホロコーストの基本的な事実がとにかくよく知られていた。
で?
ガス室はチャーチル、アイゼンハワー、ドゴールの回顧録に書かれていない?(日本語訳)を参照。
ホロコーストのデマの始まり(日本語訳)を参照
賢い人たちは、ナチスの政策が最終的に何をもたらすかを見抜いていたのだ。
「最終的解決」という言葉は、政策の変化とともに、その意味も変化していった。一時は領土的な解決を意味したが、それが現実的に不可能であることが明らかになるにつれ、殺人を意味するようになった。
関係ない頭のおかしい人の適当な本。
彼らはユダヤ人の一部であったり、「アーリア人」の配偶者であったりしたので、政策がさらに明確になるまで(このようなケースになると常に曖昧で、この問題については多くの議論が行われた)、いくつかの例外が作られたので、何もおかしなことはなかった。ユダヤ人の大多数は強制移送され、殺害された。
ダニエル・シルバーは『地獄の避難所-ベルリンのユダヤ人病院はいかにしてナチスを出し抜いたか』(2003年、49ページ)で説明している。
もし、ナチス内部での議論が、アーリア人の血筋を証明できないドイツ国内の人間を無慈悲に排除する方向で決着していたら、ドイツの敗戦によって病院が存続することはなかっただろう。しかし、幸いなことに、ナチスの混血や家系をめぐる不安の結果は、完全な排除に近づくことはあっても、それに至ることはなかった。ヒトラーは、戦況が悪化する中で、国民のかなりの部分を政権に敵対させるような手段をとることをためらったのだ。彼は、事態が好転するまで行動を延期したが、それは実現しなかった。その結果、終戦までドイツには最小限のユダヤ人の存在が残された。
実際のストーリーはこうだ。
1938年11月の大虐殺の際、ナチスの暴漢が当時の内装を破壊した。しかし、ベルリンに現存するいくつかのシナゴーグと同様に、隣接するアパートメントハウスに近接していたため、放火を免れた。1940年までここで礼拝が行われていたが、ドイツ軍に接収されて荒廃し、厩舎と倉庫になった。
それらはほとんどミシュリンゲであった(そして、ユダヤ人であった者は早くからドイツ国防軍から排除されていた)。
確かにそれはタスクの1つであった。もう一つのタスクは、ユダヤ人をユダヤ人として殺害することだった。例:イェーガー報告書は137,346人の殺害を報告している。「このうち、合計135,391人(98.50%)がユダヤ人、2,056人(1.50%)が非ユダヤ人(コミュニスト、パルチザン、捕虜、精神障害者、その他)」(日本語訳)とある。
さらに最新の報告書では、138,272人の殺害の内訳は、A) 136,421人のユダヤ人、B) 1,064人の共産主義者、C) 56人のパルチザン、D) 653人の精神病患者、E) ポーランド人44人、ロシア人捕虜28人、ジプシー5人、アルメニア人1人。合計138,272人、うち女性55,556人、子供34,464人。
もういいや。
実はない。アインザッツグルッペンの報告書(イベントレポート)を参照。
時々、移動ユニット(秩序警察を含む)によるすべての射撃が「EG射撃」というタイトルで誤って包含され、それ故に矛盾が生ずる。
嘘。バビヤールの虐殺は、当時の多くの資料で徹底的に記録されており、一度も論破されたことがない。
1941年9月29日と30日のバビ・ヤールの大虐殺に関する証拠。当時の資料(日本語訳)を参照。
そのようなことはない。その主張はこちら(日本語訳)で論破されている。
ラインハルト収容所での殺人に反論することも、そこに追放されたユダヤ人の別の運命を指摘することも、誰もできていないのだ。これで否定は終わりである。
ここで、修正主義者のトランジット・キャンプ説を支持する人たちに、非常にシンプルな挑戦をしてみよう。
ただし、エリック・ハントはその後、ホロコースト否定論を非難し、これらの収容所が絶滅の場所であったことを認めている(日本語訳)。
せっかくなので、著者はしばしば黒ウサギのもう機能していないホロコースト否定ブログにリンクしている。そういやBRoIも否定を放棄してたな〜。
このピエロはとっくに反論されて処分されてる。
代わりに、「リビジョン・トランジット・キャンプ説支持者への挑戦状」に参加してはどうだろうか。
1000ドルでシングルネームを探すのは簡単なはずだが?
アーヴィングも認めているように、日記は完全に本物であるからだ。いつも証拠となる文書を捏造だと言って喜んでいる人、何が言いたかったんだっけ?
著者は、ホロコーストとはあまり関係のない、あるいは彼の主張の根拠となるような、ランダムな日記をいくつか挙げている。何でもいいのだ。ホロコースト関連の文書が偽造されたという証拠は提示されていない。
捏造の証拠はない。著者はいくつかの文字化けした情報を指摘しているが、これはこれらの人々が持っていた間違った知識を示しているだけで、何かが捏造されたわけではない。
もちろん、長年に渡って、疑わしい主張や誇張があったことは確かだが、しかし、だからといって、彼に関する生存者の証言の核心が真実でないとは言えない。
ああ、地球は平らだ。著者は、否定派の基準からしても、狂信的なカッコーピエロであることを自ら暴露したに過ぎない。もちろん、マットーニョやルドルフのような否定派は、これだけ記録が残っているのだから、刺青を否定することはないだろう。
参照:
タトゥーの否定
6桁のタトゥーなのに600万人の被害者?(日本語訳)
完全な処理法を見るには、ナチスの縮み上がった頭、人肌のランプシェード、人体石鹸、人毛の織物?伝説から真実を見極める。(日本語訳)
偽の、信頼できない、または間違いのある目撃者(日本語訳)を参照。
傷だらけのガス室の壁(日本語訳)を参照
この壁は、1944年初頭に取り壊されたオリジナルの黒壁の復元であるため、Auschwitz 1940-1945. Węzłowe zagadnienia z dziejów obozu, vol.III, 1995, p.71n222) を参照。Duh(註:「当たり前だろ」を示すスラング)
ヒルバーグや有名な証人が、ツンデル裁判で嘘つき、詐欺師であることが示されたのか?(日本語訳)を参照。
ブルーノ・バウムは、アウシュビッツで偽のプロパガンダが作られたことを認めたのか?(日本語訳) を参照。
参照:
エリー・ヴィーゼルの嘘(日本語訳)
エリー・ヴィーゼルはガス室に言及してない?(日本語訳)
もっとヴィーゼルのことを(日本語訳)
グレーニングはガス室について証言した。
「新しい荷物が到着したのだ。私はタラップ当番に任命され、荷物を守るのが仕事だった。ユダヤ人はすでに連れて行かれていた。目の前の地面には、ガラクタや残飯が散らばっていた。突然、赤ん坊の泣き声が聞こえた。子供はぼろ布にくるまってスロープに横たわっていた。乳児を連れた女性はすぐにガス室に送られることを知っていたのか、母親が置き去りにしていったのだ。別のSS兵士が赤ん坊の脚をつかむのを見た。泣き声が気になったのだろう。赤ん坊の頭をトラックの鉄面に叩きつけ、無音になるまで叩き続けた」
「膨らみすぎた風船に誰かが針を刺したかのような爆発であり、オスカー・グレーニングの人生における重要な瞬間である。グレーニングは、「それについては、もう少し知っている。今度、話し合ってみよう」と言う。収集家の仲間は、老ナチス、ティース・クリストファーゼンの「アウシュビッツの嘘」という本を彼に渡す。グレーニングは、クリストファーセンへの答えである自分の言葉を数ページ含む本を返した。
...
「私はすべてを見た」と彼は書いている。「ガス室、火葬、選別作業。アウシュビッツでは150万人のユダヤ人が殺された。私はそこにいたのだ」」
…
「グレーニングは、この意味を知りたがっている。誰かが言う、「ユダヤ人が到着し、収容所に入れるようになった。運が良ければの話ですが」
「それはどういう意味ですか?」とグレーニングが尋ねる。
「彼らのうち何人かは絶滅させられるということです。」と別の男が言う。
…
「ある夜、彼は口笛の音で目を覚ます。ユダヤ人が脱走したのだ。暗闇の中を走り抜け、ある農場にたどり着くと、そこには死体が散乱していた。彼は、裸の人々が農家に押し込まれるのを見守り、上級士官がドアを閉めてガスマスクをかぶり、缶を開けて中身をハッチに流し込むのを見るのだ。そして、悲鳴が聞こえる。悲鳴は轟音に変わり、轟音はハミングになり、そして静かになる。
彼はもう一人の男と兵舎に戻る。もう一人の男が言う:近道があるんだ。その道すがら、もう一人の男がグレーニングに、死体を鉄板で焼くとどうなるかを教えてくれる。
体がまっすぐになり、男性のペニスも勃起するそうだ。
近道は、ちょうど死体が燃やされている薪小屋の前を通る。グレーニングは、人間が燃えるとどうなるかを見ようと近づいていく。」
グレーニングは最後まで証言を貫いた。彼のケースは、ドイツの司法がガス室の証言で元ナチスに報いるのではなく、それとは全く逆のことを証明している。
また嘘、アンネ・フランクの日記を参照。
ホロコーストの偽写真(日本語訳)を参照。
ドイツの軍服を着たロシアのパルチザン」が出てくるバージョンは偽物で、ドイツ人のせいにする… を参照
またまた、はてしない嘘。実はこの写真は、ミゾッホ・ゲットーの女性たちがナチスに撃たれているところなのだ。
実はこの写真は、ヴィニツァでナチスに銃殺されたユダヤ人の姿なのだ。
私たちは否定法に反対しているが、実は否定派の多くは、この悲鳴の著者を含め、ただの不滅の嘘つきであることが十分に証明されているところなのである。また、共産主義者の犯罪やアルメニア人虐殺を否定することを禁じる法律も存在する。で?
[2018.12.08更新]
投稿者:セルゲイ・ロマノフ@2018年04月22日(日)
▲翻訳終了▲
約35,000字と、思ったよりも長くて翻訳に時間かかりました。こうした細かな否定論各論はまだまだあるのは知ってますが、それだけ否定で潰しておかないといけない証拠・根拠がホロコーストには膨大に存在することを意味します。否定派は、こうした状況を「こんなにたくさんの嘘がある・こんなにたくさんのホロコーストが嘘である証拠がある」のように主張するのですが、実際にはそれらは個々に全面論破されるだけだったりします(上記のように)。
それにしても、今回の翻訳内容の大半は、ツイッター否定論と重なる主張ですね。それだけ同じ主張ばかりが延々とあちこちで繰り返されているということでもあります。否定派の人たちは、どれだけ論破されようとも、滅多なことでは一度主張した否定論を取り下げることはないので、こうした細かな否定論が消えるどころか増えるばかり(近年は否定論は下火なので、あまり増えてないと思いますが)で、あまりに細かな議論が多く、こうした界隈の議論にはついていけない人も多いと思われます。
それに加えて、ネット上の否定派さんたちの大半は、そうした細かな否定論が論破されてること自体知らないし、知ろうともしないし、その否定論の量の多さに圧倒されて、鵜呑みにするだけで精一杯なのでしょうね、きっと。また、ネットでそうした否定派さんと議論になると、細かい否定論がいっぱいあるせいで、論点をどんどんすり替えられ、まともな議論になることは滅多なことではありません。
ネットの否定派さんたちにとっては、それらの細かい否定論があることは、たくさん武器を持っているような感覚に陥っているのかもしれません。どの武器の一つ、何の役にも立たないガラクタ、要するに否定論の正体は単なる嘘なのですが。
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