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デヴィッド・コールのビデオってどんな内容?

前に自分で書いた記事、「『西岡論文「戦後世界史最大のタブー。ナチ『ガス室』はなかった」』を反論してみる。」の中でデヴィッド・コールについてはさらっと触れています。西岡論文ではこう書いてあります。

また、同じくユダヤ系アメリカ人のもっと若い世代に属するデイヴィッド・コウルというビデオ作家がいる。彼は、ユダヤ人であるにもかかわらず、「ガス室によるユダヤ人虐殺」は作り話だと、はっきり主張しているの
である。

デヴィッド・コールのアピールポイントは二つあって、一つは彼がユダヤ人であることです。ユダヤ人がホロコースト否定の主張をしている、というのは修正主義者にとっては分かりやすく・使いやすいアピールポイントです。もう一つは、今回紹介するビデオを作成したことです。現時点でもそうですけど、YouTubeを代表として、動画ってとにかく分かりやすいわけです。彼は、このアウシュビッツ収容所を現地取材したビデオによって1990年台に修正主義者界隈でいきなりスターダムにのし上がりました。当時はネットはまだほとんど認知のなかった時代でしたが、IHRのある人がコールの意思に反して勝手にこのビデオをコピーして売ってしまい、界隈では大ヒットしたようです。ここで簡単に、英語Wikipediaを翻訳してデヴィッド・コールを紹介しておきます。

デヴィッド・クリストファー・コール(David Christopher Cole)は、デヴィッド・スタイン(David Stein)としても知られる、アメリカの映画監督である(1968年頃生まれ)。1990年代には、ホロコースト否定論者として注目を集めた[2][3][4][5][6][7][8][9][10]。死の脅しを受けてデイヴィッド・スタインに改名した後は、共和党を代表する活動家として知られるようになった[1]。 2014年にFeral Houseから出版された書籍『Republican Party Animal』の著者でもある[11]。

「死の脅し」とは、コールはアメリカのリビジョニスト界隈で一気にスターダムにのしあがって有名人になってしまった為、ユダヤ人の過激な団体に追いかけられてしまうようになり、ホロコースト否定主張の撤回をするように脅迫され、実際に撤回してしまいます。コールのその撤回に関しては、フォーリソンがコールに対し「根性なしめが!」のように激怒されたという話も噂程度に聞いておりますが、変名したことからも分かるように、脅迫されたからであって、後にやむを得ず撤回表明しただけだ、のように本人も告白しているようです。

ともかく、デヴィッド・コールの価値は、問題となったビデオにだけあると言っても言い過ぎではありません。他の修正主義者のようにホロコースト否定の論文や著書を出しているわけでもなく、ビデオの内容も他の修正主義者たちの主張の焼き直しみたいなものであり、コールの主張の根幹であるクレマトリウム1の捏造疑惑も、元々はフォーリソンが言い出した話です。ただ、再度言いますが、動画であることによるインパクトは大きかったのです。1990年ごろはようやっと一般家庭に普通にビデオデッキがある時代になっていたのです。

その問題の動画は過去、Youtubeでも普通にアップロードされていて見られた時期はあったのですが、近年はホロコースト否定は厳しく取り締まられていますので、少なくともYouTubeにはないようです。ですが、日本のニコニコ動画にはありがたいことに日本語字幕付きで2022年2月現在でも削除されずに公開状態にあります。ニコニコ動画には他にも否定論の動画はそこそこ存在し、Youtubeにもある『ホロコースト論争』シリーズの動画もそうですが、日本だとマスメディア的に問題視されない限り、サイモン・ヴィーゼンタール・センターも日本のこのような状況には無関心のようで、いい加減なもんなのだなぁと個人的には呆れております(削除しろと言ってるのではありません。私は言論の自由は否定論にも認められるべきと思っています)。

ユダヤ人が語るホロコースト否定論1/5
ユダヤ人が語るホロコースト否定論2/5
ユダヤ人が語るホロコースト否定論3/5
ユダヤ人が語るホロコースト否定論4/5
ユダヤ人が語るホロコースト否定論5/5

今回はこの動画を使用して、Holocacust Controversiesにあるこの動画への反論記事を翻訳紹介したいと思います。動画をスクショして画像紹介として挿入しています。実際にはそのシーンを動画で見ないと分かりにくいかもしれませんが、その為に一応目安として上記動画の番号と大体の時間を入れておきました。ただし、ニコニコ動画の方は元の動画を分割しているので、正確に同じ位置を指定できているとは限らないのでご注意ください。

▼翻訳開始▼

デヴィッド・コールのアウシュビッツ・ビデオを否定する

映像はこちらで閲覧できる(註:既に削除されていてリンク先では閲覧できません。閲覧は前述のニコニコ動画をご覧ください。いつまで閲覧可能か分かりませんが)。

まず、簡単に歴史的な紹介をする。このビデオは、いわゆるメインキャンプであるアウシュビッツIのガス室を扱っている。

この小さな間に合わせのガス室は、1941年末に、本収容所の火葬場Iの死体安置室から転用されたものである。ここでのガス処刑は臨時のものであり、この部屋で合計10000名以上の人々がガス処刑されたとは考えられない。主な殺害は、1942年初頭からアウシュヴィッツ・ビルケナウで行なわれたが、最初は、部屋をその場しのぎのガス室に改造した2つの農民の家で、その後、1943年初頭に完成した4つの大きな火葬場で行なわれた。

火葬場Iは、1944年末にナチスによって防空壕に改造された(繰り返しになるが、当時の殺戮はビルケナウで行われ、1944年末にはいずれにせよ終焉を迎えていた)。主な変更点はナチス自身によって記録されており、死体安置室/ガス室が4つの小さな部屋に分割されていたことがわかっている。

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上図は1941年9月の火葬場1の図面。下図は1944年9月の図面。

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戦後、当局は当時の火葬場の外観を復元しようとしたが、いくつかの点で失敗した。一番の失敗は、壁を一枚多く壊してしまったことだ。設置された小部屋の防空壕の壁を撤去する際に、遺体安置所と旧洗面所の間の壁も撤去してしまったのだ(そのため、元々洗面所にあったトイレの排水口が見えてしまったのである)。

共産主義者によって改ざんされたことを考えると(悪意は証明されていないが)、基幹収容所に再建された小型ガス室は、現状ではそれだけではガス処刑の「証拠」にはならない。しかし、ガス室の元々残っていた壁にHCN残留物があったことは非常に示唆的(註:翻訳記事リンクはこちら)であり、目撃者の証言を確実に裏付けるものである。

このビデオでは、一部の人々(ツアーガイドを含む)がガス室の状態を誤って伝えていることを扱っているが、それはホロコーストの歴史性とは率直に言って無関係である。私たちはオリジナルのドキュメントやその他のソースを持っており、自分で証拠を調べることができる。歴史上の重要な出来事については、第三者による誤った記述が常に存在するが、それがその出来事を疑うことになるわけではない。また、現在、アウシュビッツ博物館では、ガス室が再現されていることを明確にしている。

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博物館による事実の表現と誤認は、もちろん公正で重要な議論の対象となる。しかし、このような議論を歴史の否定に結びつけようとする不誠実な人たちとは別である。

ビデオ:

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1:35[1/5-01:55]:アウシュビッツの証拠は、ニュルンベルク裁判で提示されたソ連からのものが中心だという主張は、もちろんナンセンスである。アウシュビッツに関する裁判は、ニュルンベルク以降、西ドイツやオーストリアなどで数多く行われているが、強制力が働いたという証拠は皆無である。

ソ連の公文書館からも多くの証拠となる文書が出ており、何も問題はない。例えば、プレサックが使用したアウシュビッツ建設事務所のアーカイブは全てモスクワにあり、誰かに改ざんされたという証拠は全くない。

証拠の概要については、アウシュヴィッツとアウシュヴィッツ・ビルケナウにおける大量殺戮に関する公開証拠の索引(註:翻訳記事はこちら)を参照のこと。

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8:10[1/5-8:44]:アウシュビッツ劇場、スイミングプール:アウシュビッツのスイミングプール、病院など(註:翻訳記事はこちら)を参照。

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11:48[1/5-12:18]:コールは、「ホロコーストの証拠」と「殺人ガス室の証拠」とを誤って混同している。そして、これらの証拠は目撃者の証言と告白だけで構成されていると主張している。

しかし、殺人的なガス室はホロコーストの一部に過ぎない。アインザッツグルッペンや秩序警察などがユダヤ人(女性や子供を含む)を大量に射殺したことを記録した文書はたくさんある。

射殺に関する資料のごく一部をご紹介する。

バビ・ヤールの虐殺に関する証拠 1941年9月29日、30日当時の資料(註:翻訳記事はこちら
イエーガー報告書(註:翻訳記事はこちら

そして確かに、ナチスの絶滅計画の証拠文書がある。

100以上のナチスの絶滅発言、1939-1944年
ナチスの大量殺人に関する発言の数々

ヒトラーが41年12月12日にガウと帝国のリーダーに向けて行った演説の中にも含まれている。

ユダヤ人問題に関しては、総統は一掃することを決意していた。総統はユダヤ人に対して、「もしユダヤ人が再び世界大戦を起こせば、自分たちも絶滅の憂き目に遭うだろう」と予言していた。これは単なる空論ではなかった。世界大戦があるのだから、ユダヤ人の絶滅は必然的な帰結に違いない。この疑問は、感傷的にならずに見なければならない。私たちはユダヤ人に共感するためにここにいるのではなく、むしろ私たち自身のドイツ人に共感しているのである。もし、ドイツ国民が今、再び東方作戦で16万人もの死者を犠牲にしたのであれば、この血塗られた紛争の作者たちは命をもって償わなければならない。

そして、タウブナーに対するSS法廷判決。

被告人は、そのようなユダヤ人に対する行為のために処罰されてはならない。ユダヤ人は絶滅させなければならないし、殺されたユダヤ人は誰一人として大した損失ではない。被告人は、ユダヤ人の絶滅が、この目的のために特別に設置された公団の任務であることを認識すべきであったが、自分自身がユダヤ人の絶滅に参加する権限を持っていると考えたことは許されるべきである。

そして、1942年のレトゲルマンに対する軍法会議の判決(註:翻訳記事はこちら)。

したがって、最近SDの仕事となっているユダヤ人の射殺は、国家の行為(Akte des Staates)であり、一定の方法(der die Austilgung dieser Feinde in einer bestimmten Art and Weise anordnet)でこれらの敵を絶滅させるために命令され、この方法で実行されるものである。国が必要と判断したこれらの措置を実行するために、特別な機関が使用される。これらの機関には厳しいガイドラインが適用される。[...]弁解の余地のある状況を検討する際には、ユダヤ人の清算(die Beseitigung der Juden)がドイツ人の権威を損なうものであってはならないことを考慮しなければならない。なぜならば、これらの措置には国家によって与えられた指針があるからである。特にSD活動では、このガイドラインに沿って施策を実施している。

移動式ガス室についても十分な記録が残されており、単に目撃者の証言だけで裏付けられているわけではない。殺人ガスバンに関するドイツの当時の文書

そして、そう、アウシュヴィッツのガス室は、地下火葬場の死体安置室1を「ガス処理地下室」("Vergasungskeller")、「ガス地下室」("Gaskeller")と命名しているなど、ドイツ側の文書によっても裏付けられている。これはまさに、信憑性のある目撃者が殺人ガス室と表現した死体安置室である。アウシュヴィッツとアウシュヴィッツ・ビルケナウにおける大量殺戮に関する公開証拠の索引(註:翻訳記事はこちら

アウシュビッツでのユダヤ人大量殺人も資料で証明できる。キンナ報告書には「収容所の負担を軽減するために、無能者、馬鹿者、不具者、病人を収容所から短期間で排除しなければならない...ユダヤ人に適用された措置とは逆に、ポーランド人は自然な死を迎えなければならない」と書かれている。

そしてこの記事。アウシュビッツの「個別収容施設」:超法規的処刑の合言葉

これは証拠のごく一部に過ぎない。

だから、コールの主張は純粋なごまかしなのである。

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12:06[1/5-12:36]アウシュビッツの暗号解読(註:翻訳記事はこちら)を参照。

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14:44[2/5-00:20]:航空写真を見てみよう。

ジョン・ボールの航空写真によるアウシュビッツの証拠(註:翻訳記事はこちら
大量殺戮の証拠としてのアウシュビッツ野外焼却写真(註:翻訳記事はこちら
1944年8月25日のアウシュビッツ・ビルケナウ収容所での人の動き 航空写真

コールは、写真には「死体が焼かれている様子」が写っていないという暗黙の嘘をついている。なぜなら、写真には、目撃者が死体処理場の一つとして説明した場所で、野外の火葬が写っているからである(そして、そう、もう一つの客観的証拠である、同じ場所で撮影されたゾンダーコマンドの写真によって、それらが死体であり、他のものではないことがわかっている、上記2番目のリンクを参照)。

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15:12[2/5-00:45]:アンネ・フランクはガスを浴びていない。

アウシュビッツでは、小さな子供や仕事に適さない人たちも?(註:翻訳記事はこちら
アンネフランクの日記(註:翻訳記事はこちら

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15:45[2/5-01:09]:コールは、「修正主義者」は実在の建物であることに異論はないと主張する。

しかし、多くの人々は、それが戦後のソ連の捏造であると主張し、今もそうしている。もしその人たちが火葬場の存在に異議を唱えないのであれば、なぜ切り離された火葬場の煙突(註:翻訳記事はこちら)のような脳天気なミームを繰り返すのだろうか?

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16:35[2/5-02:10]:壊された壁とトイレの排水溝については既に述べた。

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16:45[2/5-02:25]:彼はかつて5つの部屋があったと「主張」している。明らかに、防空壕になっていた段階ではそうだった。それ以前はそうではなかった。冒頭で述べた内容を見てほしい。

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(註:「殺菌室」ではなく「害虫駆除室」のことである。チクロンBが作用するのはシラミなどの害虫・害獣であり、菌ではない)

16:55[2/5-2:30]:青色の染色はなかったが、ここは害虫駆除室ではなく、殺人ガス室であり、手順(使用頻度、濃度、ガスの持続時間など)がまったく異なっていたことを考えると、なぜ青色の染色がなければならないのか? しかし、壁からはHCNの痕跡が見つかっている(註:翻訳記事はこちら)。

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17:10[2/5-02:43]窓付きの薄っぺらいガス室のドア?(註:翻訳記事はこちら

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21:40[2/5-07:32]アウシュビッツの銘板の修正(註:翻訳記事はこちら

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23:03[2/5-08:36]:コールは、ニュルンベルク裁判で400万人以上の数字を受け入れたという真っ赤な嘘をついている。判決では、300万人の犠牲者に関するヘスの声明を引用したものの、いかなる数字も直接認めなかった。(註:この件についてはこちらの記事に詳しいです)

ここで注目すべきなのは、後にヘスが自分の古い死者数の見積もりを否定し、約100万人に修正したことである。ソ連の公式発表では400万人だったのである。現在では、この数字がほぼ正確であることがわかっている。ヴァンペルトのレポート(註:翻訳記事はこちら)を見てほしい。

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30:10[3/5-1:57]:コールは1944年末以前の火葬場の状態については明らかに無知である。その前は死体安置所だったと記録されていることを知るべきである。なぜなら、彼はビデオの中でプレサックの本を紹介しており、そこにはこのことを示すオリジナルの文書が提示されているからである(註:この翻訳記事冒頭で示した火葬場1の平面図を参照)。しかし、彼はまだ、そこがもともと小さな部屋のある防空壕であったという印象を与えている(イントロのリンクを参照)。コールは極めて欺瞞的であるか、極めて無知であるかのどちらかである。

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30:30[3/5-02:22]:彼は、ガス室があったという証拠があるかどうかを尋ね、何も見ていないと主張しているが、これは、目撃者の証言を証拠の一形態としてすべて否定していることを意味しているが、そのようなことは歴史家は決して行わない。

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31:00[3/5-02:40]:彼は、アウシュビッツが絶滅センターとして使われていたのであれば、なぜ小部屋でのガス処刑が中止されたのか、という疑問を投げかけている。答えはとても簡単で、大量ガス処刑はビルケナウで行われたが、この間に合わせのガス室はこの目的には不十分だったからである(長期的に)。ビデオにあるような秘密保持の問題もあったかもしれないが、数百人以上をガス室に入れることはできなかったし、遺体をすぐに処理することもできなかった(間に合わせのガス室で行われた数千人の殺害ではなく、計画的に行われた大量殺戮のことを言っているのであれば)。

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34:08[3/5-04:53]:ナチスがガス室をカモフラージュしていたという事実と矛盾するとされる航空写真について。

ブライアン・ハーモン、邪悪なものはない:ジョン・ボールのぶれない航空写真分析

ボールはまた、火葬場2と3の周りにあるフェンスと思われる太くて暗い線が、写真では数ヶ月の間に動いているように見えると主張している。歴史的な証拠によれば、これはフェンスではなく、アウシュビッツの元司令官ヘスの回顧録、イエジー・ビエルスキの証言、ニュルンベルク文書4463に記載されているセキュリティ・スクリーンである。セキュリティスクリーンの地上絵を公開している。このスクリーンは、ガス室から収容所内の他の場所への視線を遮り、人々が死へと導かれていることを囚人に知られないようにするために設置された。

ハーモンが言及した1943年06月11日付のNO-4463という文書にはこう書かれている。

収容所司令官親衛隊中佐ヘスの指令に基づき、捕虜収容所の火葬場1と2には、自然な収容所の境界線として緑地帯が設けられることになった。

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(註:「ルチャー」となっているが、ロイヒターのこと)

34:35[3/5-06:12]:イエス、ガス室の壁には、HCNの痕跡が残っている。(註:翻訳記事はこちら

ロイヒターについてはこちら:ロイヒター・レポート(註:翻訳記事はこちら

ガス室と害虫駆除室の比較は、ガス処理の時間と濃度が異なることを考えると、無意味である。また、仮設ガス室(註:火葬場1のガス室)でのガス処刑は非常に少なかったという事実もある。さらに、ロイヒターは、害虫駆除室のプルシアン・ブルーとして変色している部分をテストしているが、適切な比較のためには、ポーランドの専門家が行なっているように、プルシアン・ブルーのない部分だけをテストすべきであった。そうでなければ、りんごとオレンジの比較(註:本来比較できないものの比較をしていること)になってしまう。

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36:50[3/5-08:29]:目撃者の証言によると、一日に何度も殺人的ガス処刑が行なわれたとされているが、確かに、時々は起こったであろうが、比較的少数のガス処刑しか行なわれなかった基幹収容所(アウシュヴィッツ1)のガス室ではなかった。コールは、騙しているのか、無知なのか、これをビルケナウのガス室と混同している。37:10でピーパーに、火葬場1ではなく、火葬場3について質問しているので、騙している可能性が高い。

註:多少解説が必要だと思ったので、この箇所について若干の説明をします。本当に多くの初歩的否定論者が誤解しているのですが、問題はガス殺後の遺体処理に時間が掛かることにあります。仮に基幹収容所のガス室で一回につき500人の遺体が生じたとします。否定派は認めないでしょうが、仮に一体当たりの算術的火葬処理時間を15分とします。これはアウシュヴィッツ親衛隊の公式見解の数字ですが、500人ですから、

500人×15分=7500分=125時間

これは火葬炉が一つしかなかった場合ですが、火葬場1には六つありましたので、

125時間÷6炉=約21時間

になります。つまり、500人でも理論計算上はほぼ丸一日かかるのです。実際に、司令官ルドルフ・ヘスも次のように答えています

>私はこの方法を理解しようとしたが、彼は修正してくれた。「いいえ、あなたはそれを正しく理解していません。殺すこと自体には一番時間がかからなかったのです。2,000人を30分で処分できますが、時間がかかったのは燃やす方でした。

実際には、火葬場1のガス処刑後の遺体処理には数日掛かったようであり、本格的なユダヤ人絶滅作業には非常に使い難かったと考えられます。

しかし問題は他にあって、一体コールのいう目撃者の証言が具体的にどんな内容であるかを示していないことです。もしかすると、それらの目撃者の証言内容は、煙突から煙が一日中出ていた光景の目撃記憶に基づいていて、そこから類推して「ガス殺人は昼も夜も絶えず行われていた」との証言になっただけなのかもしれません。あるいは、1944年のハンガリー作戦時のように、1日当たりで複数の火葬場・ガス室を並行使用していたので、その複数箇所分まとめて述べているだけかもしれません。親衛隊員や遺体処理にあたったゾンダーコマンド以外の囚人は、ガス処刑作業それ自体を目撃することは基本的にないので、証言内容の詳細が重要になるのです。なのに否定派は、コールを含め証言は信用できないと最初から決めてかかっており、証言をきちんと精査することはありません。否定派は単に「証言は矛盾している」とだけ言いたいのです。

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38:15[3/5-09:55]:これは単純に事実ではない。火葬がボトルネックになって、30分どころではない時間がかかっていただろう。

限定的なガス処刑は、目撃者の証言や高い死亡率のどちらとも矛盾するとして、コールはこれを示すために、わざわざ計算をする必要はなかった。

註:しかし、目撃者の証言をきちんと精査し、かつ上で示したような簡易な計算だけで、コールの主張こそ矛盾していることは簡単にわかるでしょう。

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38:48[3/5-10:32]:限定的なガス処刑の概念が、ドイツの「ユダヤ人全体を完全に抹殺する」意図を作るというのは、純粋に無知な(あるいは欺瞞的な)でたらめである。

ガス処理率は死体処理率によって制限されていたはずで、ナチスの「意図」とは関係がない。また、ナチスの意図は最終的にはヨーロッパのユダヤ人全体を一掃することであり、即座にではない。

註:「死体処理率」=火葬効率だけでなく、ユダヤ人の移送状況など他の要因にも左右されます。例えば、実際には、1944年5月〜7月にかけて行われたハンガリーユダヤ人の絶滅作戦以外の時期では、個人的に行った簡易な推計計算では、ビルケナウの絶滅作業が稼働してから1日当たりで平均的には約千人程度しかユダヤ人を処刑していません(推計では火葬場のみで1日当たり3000人程度の処理能力がありました)。それがハンガリー作戦になると最大で一万人以上にも増えています。ハンガリーのユダヤ人をアウシュヴィッツで絶滅させるようになったのは、ナチスドイツが1944年3月にハンガリーに進駐し占領したからです。それまではハンガリーはドイツとは同盟国でしたが、ユダヤ人の移送には抵抗していたのです。また、ハンガリー作戦時には、それまで稼働停止していた「白い家」(ホワイトバンカー)まで使い、遺体処理も火葬場だけでなく、野外火葬まで行って大幅に焼却能力を向上させ、状況変化に対応する努力をしています。コールはこれらの状況変化を完全に無視しているのです。

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40:18[3/5-12:08]:また、すべてのユダヤ人がすぐに殺されるわけでもなかった(誰もそんなことを主張していないので、これも藁人形のような議論である)。アウシュビッツでは小さな子供や労働に適さない人も?(註:翻訳記事はこちら

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40:40[3/5-12:24]:誰も共産党がガス室を正確に再現したとは言っていない。彼らがこの仕事を一部失敗したことは事実である。この記事の冒頭を見てほしい。彼らの不当な再現によって、ガス室はガス処刑の証拠としてふさわしくないものとなってしまったのである(前述の通り、元の壁に残っていたHCNの痕跡を除いて)。例えば、共産主義者が天井に開けた穴は、もともとあった穴よりも多かったと思われる(2個か3個)。「火葬場1の屋根にあるZyklon B導入孔の数について」を参照。

註:ここで参照として紹介されている記事は、以前訳そうとしましたが、読んでいるとどうも確証に乏しいと思えました。私はHCの著者よりは遥かに無知ですが、時期の違いを考慮していない点が気になりました。というのは、クレマトリウム1の天井の穴は、もしかすると時期によって違っていた可能性もあると思えたからです。例えば、犠牲者が殺されると気づいてガス室入口のドアに殺到した可能性があり、その場合、ガス室ドア付近の天井からチクロンを落とす穴を増設するというアイデアもあります。いずれにしても、証言者によって穴の個数が違うのは事実であり、クレマトリウム1の場合は、穴の個数が確定的なクレマ2や3と違ってはっきりしないのは確かです。

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41:30[4/5-00:00]:ソ連当局がホロコーストの死者数(ユダヤ人犠牲者の数)を誇張していないことは確かである。というのも、ユダヤ人犠牲者の数を隠すのがソ連の一般的な政策であったからである(国際主義などのために、どの国の「平和的市民」である必要があった)。だから、例えば、ソ連はアウシュビッツの犠牲者400万人がユダヤ人を指しているとは決して主張しなかった。アウシュヴィッツの銘板の修正(註:翻訳記事はこちら)を参照

註:ソ連が「ユダヤ人」を特に示そうとはしなかった件については同意しますが、ここでHCの著者は「なぜ400万人なのか?」については曖昧にしていると私は思います。ソ連の主張はこちらの報告書に載っていますが、この報告書から直接的に判明するのは、400万人はソ連が推計したアウシュヴィッツにおける火葬能力から計算されたものだとしかわかりません。私は個人的にはヘンリク・タウバーらのゾンダーコマンドの証言を元にしたのだろう、とは推測はしてはいますが、確証があるわけではありません。が、同様に「誇張された」の確証もありません。コールら否定派は「誇張している!」と主張したがるのですが、ホロコースト全体の「捏造」を含め、その直接的な証明がなされたことは一度もありません。デイヴィッド・アーヴィングがドレスデン爆撃の犠牲者数を25万人だと主張している場合は、直接的な証明がなくとも明白に「誇張だろう」と言えるとは思いますが、ソ連の場合、1945年5月の報告であり、ソ連はアウシュヴィッツについてはほとんど何も知らなかったでしょうから、単純にちゃんと調べておらずいい加減な数字であるに過ぎない、と私は思います。

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42:20[4/5-01:00]:ソ連が持っている実際の死亡記録は? もちろん、収容所の収容者だけであるが、コールがよく知っているように、アウシュヴィッツの犠牲者のほとんどは、登録された収容者ではなかった。それゆえ、アウシュヴィッツの推定値と死の記録とのあいだには何の矛盾もない。

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42:40[4/5-01:25]:蒸気室、感電死室など。- 常識的に考えて、非ナチス(ナチス関係者以外)の証人は人々が殺されたことを知っていたが、必ずしも正確な方法ではなかった。ナチス側の証人で蒸気や感電について証言した人はいない。

捏造された、信頼性の低い、または勘違いされた証人翻訳記事
リビジョニストが捏造したトレブリンカの「蒸気の物語」の原型の神話翻訳記事
ベウジェツ、ソビボル、トレブリンカ。ホロコーストの否定とラインハルト作戦。第1章 その名を語るに忍びないデマ(2)。戦時中の報告書翻訳記事

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43:25[4/5-02:04]:ブッヘンヴァルトの干し首の製作については、「信用できない」ということはない。生産されたのは客観的な事実である。どうやってそれを知ったのか?

ブッヘンヴァルトの病理部で贈答品(Geschenkartikel)として製造されたものは、上からの命令ではなく、独自の判断によるものだった。このことを知った上層部は、ブッヘンヴァルトのナチスにそのようなものの生産を中止するように命令したが、その中止命令書がこれである。

「人肌のランプシェード」というのは、収容者の間で噂になっていた。噂はほとんど真実ではなかったが、ある核心的な真実に基づいていた。ブッヘンヴァルト博物館によると、1941年のコッホ司令官の誕生日に、このようなランプシェードが1つ作られたという。大量生産というのはもちろん神話で、どちらにしても何の証明にもならない。

詳しくは「ナチスの縮こまった頭、人肌のランプシェード、人間の石鹸、人毛の織物?伝説と真実を見分けるために」(註:翻訳記事はこちら

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43:42[4/5-02:13]:「原爆」の主張については、「欺瞞と不実の主張、ホロコースト否定のテクニック。ナチスの原子爆弾」を参照。

註:この参照文献は興味深いので、若干以下に翻訳引用してみます。

<引用開始>
ジャクソン判事:さて、私の手元には、アウシュビッツ近郊で行われたある実験の情報がありますが、それについて聞いたことがあるか、知っているかどうかをお聞きしたいと思います。実験の目的は、これまで行われてきたような銃撃やガス、燃焼といった遅延やトラブルを伴わずに、迅速かつ完全に人を破壊する方法を見つけることであり、これが私のアドバイス通りの実験です。村、小さな村が仮設で建てられ、そこに約2万人のユダヤ人が入れられていました。この新発明の破壊兵器によって、2万人の人々はほとんど一瞬にして、跡形もなく駆逐されてしまったのです。この爆発物は、400度から500度の温度を発生させ、全く痕跡を残さずに破壊したのです。

あなたはその実験を知っていますか?

シュペーア:いや、まったくありえないことだと思います。もし、そのような武器を準備していたならば、私はそれを知るはずです。しかし、そのような兵器はありませんでした。 化学戦は、どちらが先に始めるかわからないため、双方であらゆる兵器の研究が行われたことは確かです。

ジャクソン氏は次の質問で、なぜこの話、つまり「自分の手に渡った情報」を問い合わせたのかを明らかにした。

ジャクソン判事:
では、ドイツ国民を戦争に引き留める目的で、新・秘密兵器の報告が誇張されたのでしょうか?

シュペーア:それは主に、戦争の最後の段階でのことでした。1944年の8月、いや6月か7月から、私は頻繁に前線に出ました。私は、前線の約40個師団を訪問したが、ドイツ国民と同様に、兵士の使用を必要とせず、軍事力を必要とせず、勝利を保証する新兵器や不思議な兵器が登場することに期待を寄せているのを見ざるを得ませんでした。常識的に考えれば戦争は終わっているのに、ドイツでは多くの人が命を捧げたのは、この信念に秘密があります。近い将来、新兵器が登場すると信じていたのです。

この時点で、ジャクソンとシュペーアは、「新しい秘密兵器の報告」がプロパガンダ目的であることに同意していたことがわかる。
<引用終了>

つまり、「原子爆弾」の話は、ナチス自身のプロパガンダなのです。これに類する話はヘスの自伝である『アウシュヴィッツ収容所』にも「新兵器の嘘」とタイトルされた項目で出てきます。そういう話を、「連合国のでっち上げ」に流用して話をすり替えるのが否定派なのです。

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43:43[4/5-02:20]:「ユダヤ人の石鹸」は単なる噂であり、ほとんどの歴史家は証明された事実として提示していない。

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43:53[4/5-02:31]: 写真を見ると、ダンツィヒの石鹸が写っている。これはいろいろな意味で欺瞞的である。

1.人間用の石鹸を作る実験をしていたと非難されたスパナー博士は、死体を浸軟化させたときにできる石鹸のような脂肪分を含んだ副産物が実際に存在することを認めた(忘れてはならない、あれは解剖学の研究所だった)。

私は警察での供述を繰り返し、付け加えます。ダンツィヒ解剖学研究所では、人間の脂肪から限られた範囲で石鹸を製造していました。この石鹸は関節剤の製造にのみ使用されました。

2.この石けんは、ソ連がユダヤ人犠牲者から生産されたと主張したものではない。コールは、ソビエトが「ユダヤ人」の石鹸を提出したと真っ赤な嘘をついている。このように、ユダヤ人の石鹸伝説に関する学者の意見は、本物のダンツィヒの石鹸とは何の関係もない。ヴィーゼンタールのような一部の人々(あるいは一部の生存者)がユダヤ人の石鹸伝説を信じていたことは、やはり、ホロコーストの歴史性とはまったく無関係である。

2つの異なるソープストーリーがあり、それぞれを混同してはいけない。

ナチスの縮こまった頭、人間の皮のランプシェード、人間の石鹸、人間の髪の毛の織物。伝説と真実を見分ける。を参照(註:翻訳記事はこちら

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48:20[4/5-06:40]:すでに指摘したように、移動式ガス室は非常によく記録されている。アウシュヴィッツのガス室もよく記録されているが、「このグループの人々は今日ガス処刑された」と明確に述べた文書はないので、火葬場のガス室に言及している文書の文脈を説明しなければならず、そこに否定派が飛び込んでくる。意味をなさない「別の説明」を提示しているのである(それが、専用のガス室施設があったにもかかわらず、ガス室であったのか、防空シェルターであったのか、そのようなシェルターは当時の文書にはなく、感染している可能性のある死体がある死体安置所では意味をなさないにもかかわらず、である)。

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49:25[4/5-07:58]:アーノ・メイヤーは、いかなる意味でもアウシュビッツに関する権威や専門家ではない。以下も参照のこと。
欺瞞と不実の主張。ホロコースト否定のテクニック。メイヤー・ギャンビット

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50:58[4/5-09:35]:コールは、害虫駆除室のドアが「ソビエト」によって殺人室のドアと誤認されたと主張し、これに基づいてもう一つのドアを問題にしている。

プレサックが実際に書いた文章を紹介しよう。

「フォーリソン」裁判でLICRA弁護団が殺人ガス室の存在を示す証拠として提出したガス室ドア。ポーランドにおけるヒトラーの犯罪調査のためのワルシャワ中央委員会の文書館から提供された展示物。

つまり、この写真を提供したのは「ソビエト」ではなく、そう誤って報告したのはLICRAだったのである。プレサックの文章には、殺人ガス室のドアであるというワルシャワ中央委員会の主張については何も書かれていない。

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さらに、コールの議論は単純な理由で無効である。プレサックは次のような根拠で、次の写真が殺人ガス室のドアを示していると結論づけている。

この2枚の写真は、ヘス裁判の第11巻でヤン・セーン判事が作成した「装置と設備の性質」に関する報告書に添付されたもので、バウホフ(アウシュヴィッツ収容所の建設資材を保管していた場所)で発見されたガス密閉式ドアの外観(31)と内部(32)を示している。覗き穴の内側を保護する重い半球状の格子は、殺人目的の使用と結論づけるのが妥当である。

つまり、プレサックは委員会の調査結果に依拠していないのである。また、コールはドアの真正性を疑うような証拠を挙げていない(写真は火葬場が再建されるずっと前に撮影されたものだった)。コールはまたしても欺瞞に満ちた、あるいは極めて鈍感な人物である。

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55:00[4/5-13:42]:確かに、再検討してみよう。ソビエトは一般的に、大量虐殺のユダヤ人性を公には抑えようとしていたので、「アウシュビッツでのユダヤ人絶滅」という物語の発案者ではありえないことを考慮に入れて欲しい。また、私的には、アウシュビッツの大量虐殺のユダヤ人性を知っていたことも考慮に入れなければならない(ソ連はアウシュビッツについて何を知っていたのか?)。

また、アウシュビッツに関する主張は、ソ連以外のアウシュビッツ脱出者、ポーランドのレジスタンス、西ドイツやオーストリアの裁判など、ソ連以外の多くの情報源から出ていることも忘れてはならない。「ソビエト」は、このように、真っ赤なウソである。ソ連の解釈は(アウシュヴィッツの死者数のように)ほとんどの歴史家を拘束することはなかった。他の収容所についても同様で、コールは後で同じストローマンを提起しているからである。

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55:20[4/5-13:55]:コールは、トレブリンカ、ベウジェツ、ソビボルといった他の収容所についても言及している。コールは現在、そこでのユダヤ人の大量ガス処刑を認めるようになっている。「ユニコーンヴィレとホロコースト否定派」(A Reply by David Cole)を参照されたい。

コルヘアの「疎開した人」という数字は、ゲットー、収容所、労働組合、移住などで説明できない「強制移送された」ユダヤ人のことで、数万人の誤差があるかもしれない。しかし、250万人近い人間の数を考えると、数十万人を差し引いても、説明すべき膨大な数の人間がいることになる。

否定派はそれを説明することができない。彼らは議論するための代替理論を持っていない。私はこの点を何度も何度も指摘してきた。

だから、あのね。ブラッドリー・スミス自身の言葉を、君たちにぶつけてみるよ。何十年にもわたって延々と繰り返されるブラッドリーの要求。「予算はどこだ?」「ホロコーストの予算はどこだ?」と。

「疎開した人」がどこかに送られて再定住し、終戦までの3年間、生かされ、衣食住を与えられたと考えるなら、そのための予算はどこにあるのだろう? 「予算はどこにある?」というのは、もはや立派な論点には見えないよね、スミス? つまり、250万人近くの人々を殺しに行く片道の旅に連れて行くなら、「予算」は必ずしもそれほど大きくなくてもいいのではないか。つまり、宿泊費、食費、衣服代、治療費などを考慮する必要はない。

しかし、250万人の人々を3年間も世話するのは? そのためには、かなりの予算が必要だ。また、ラインハルト時代の大量殺人は、ゲッベルスが自らの日記で「詳しく語ってはいけない」と述べるほどの極秘作戦だったため、「簿外」で予算が支払われていたというのはもっともな話であるが、「疎開した人」が親切で思いやりのある扱いを受けていたのであれば、なぜその予算を隠すのだろうか?

私が言いたいのは、秘密裏に行われる短期的な殺人計画のための「予算」を期待するのであれば、250万人近くの「疎開した」ユダヤ人の長期的なケアと食事のための予算を期待しないのはなぜか、ということだ。一方の予算を期待して、他方の予算を期待しないのは非常識である。

それで、予算はどうなっているんだ? 出費を考えてみると......「移転都市」や「再定住村」など、呼び名は自由だが(どうせフィクションだから、「ユニコーンヴィレ」と呼んでもいいかもしれない)、そこに運ばれる食料。衣服、住居、医療品、衛生設備、水道など。面白いことに、強制収容所の収容者の食事や医療に関する文書や、44年にアウシュビッツに送られたハンガリーのユダヤ人の世話や食事に関する文書がある。しかし、1942年にユニコーンヴィレに送られた約250万人の「疎開した人」に関する文書は、一枚もないのだよ。

一枚もない? ナチスは収容所の囚人のために食事(文字通りカロリー計算までして、ヒムラーがハンガリーのユダヤ人女性に食事を提案するまで)や医療の記録を綿密に残していたのに、ユニコーンヴィレとその何百万人もの住民のための同じ関心事を網羅した文書がないというのか?

ユニコーンヴィレへの物資輸送の記録はどこにあるのか? 衛兵の配置の記録はどこにあるのか? 安全上の懸念や闇市場での取引に関する内部メモや暗号通信(収容所、総督府のゲットー、オストランドのゲットーについてはある)は?

ユダヤ人が生かされている場所では、ナチスは記録を残していた。ユダヤ人が生かされていた場所ではどこでも、食料、薬、看守、セキュリティの問題、闇商売の問題などが記録されていた。そして、ユニコーンヴィレのような膨大な人口を抱える収容所は一つもなかったであろう。

しかし、ユニコーンヴィレの資料は一枚も存在しない。

くそ、ユニコーンヴィレが存在したという証拠は少しもないようだ。

一方、私が以前から丹念に指摘してきたように、ラインハルトの「疎開した人」の大多数の最終目的地が死であったことを示す同時代の文書からの証拠がたくさんある。

私はもうユニコーンヴィレの存在について議論するつもりはない。存在しないことを証明するのは私の役目ではなく、存在したという証拠を示すのは否定派の役目なのだから。もしあなたが「デイブ、バカなことを言うな」と言いたいのであれば。再定住予約は1つではなく、おそらくいくつかあったはずだ」というのであれば、少なくとも1つのユニコーンヴィレの証拠を見せてくれ。

たった一つでいい。

彼はまだアウシュビッツを疑っているが、彼の疑念が合理的な議論に基づいていないことはすでに見たとおりである。彼が同じ論理をアウシュビッツに移送され、その後行方不明になっている何十万人ものユダヤ人に適用しないのは残念だ。

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57:15[5/5-00:49]:ヘスについては、すでに述べたとおりである。コールは、裁判での主な証拠が拷問された自白と再建された防空壕であったことを考えると、ヘスの死刑判決は正当だったのか、と問いかけている。この主張には、多くの欺瞞が詰まっている。

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まず第一に、コールは、小さな間に合わせのガス室がアウシュヴィッツのガス室のひとつにすぎないことを「忘れて」いる。ビルケナウのガス室を省略するように慎重に言葉を選ぶことで、彼は、ほとんど無知な聴衆に、アウシュヴィッツのガス室はここだけだと誤解させているのである。そうでなければ、なぜそのガス室(すべてのガス室の遺体をまとめてではなく)がヘスに対する重要な証拠の役割を果たすのだろうか?

しかし、もちろんそのように使われたわけでもなく、裁判は再現されたガス室をまったく根拠とせず、ドイツ側の文書や目撃者の証言などの証拠を積み重ねて行われた。

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この断片の直前にコールは、ヘスが捕まったときにイギリス人に最初に拷問されたことをしばらく語っていた。しかし、この最初の拷問による自白が、ポーランドの裁判とどのような関係があるのだろうか。コールは基本的に、ほとんど何も知らない聴衆に対して、ヘスが英国の自白に基づいてポーランドの裁判所から判決を受けたと欺瞞的にほのめかしている。もちろん、ポーランド人がヘスに対して独自の調査と尋問を行ったので、英国の自白は無関係であり、これはナンセンスである。

註:この段落に関しては、『死の軍団』を海外からお取り寄せまでして(笑)、独自に記事を起こしてあるのでこちらを読んで下さい。私自身は、ルパート・バトラーの著述には誤りはあっても、それなりには事実を記述しているとは思っていますが、肯定的な証言の一部でも疑わしければ全体を否定する筈の否定派的に読めば、事実を記述しているとは認定出来ない筈なので、『死の軍団』を利用してヘスの証言の信憑性を失わせようとする否定派が如何に欺瞞的かがよく理解できる一件でもあると思います。

なお少々余談ですが、このビデオ制作の頃のデヴィッド・コールの背後にはフォーリソンがいた筈だと私は思っているのですが、上のスクショの中にある「自慢している」は、この『死の軍団』に関するフォーリソンが書いた記事の中でフォーリソンがそのように解釈して用いた表現です。この「自慢」という表現にまんま引っかかったのが日本人否定派の木村愛二であり西岡昌紀です。『死の軍団』はあくまでも、バトラーが書いたものであって、イギリス軍人であるクラークが書いたのではありません(笑)

そのためには、ポーランド人の自白も拷問によって得られたものだということにしなければならないが、その証拠は何もない。もしヘスがポーランド人から拷問を受けていたら、400万人という数字を自白し、イギリス人による最初の拷問については黙っていただろう。その代わりに、彼は死者数の見積もりを約100万人に修正し、イギリス人の拷問について話したのだ。コールはまた、防空壕が常にそこにあったという混乱を繰り返しているが、これはコールが読んでいる筈のプレサックの本で反論される。

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58:00:コールは、バッキーのばかげた悲観論「Other Losses」に依拠して、誤った同等性を作り出しているのである。この論文はその後、実際の歴史家たちによって論破された

概要:コールのビデオは極めて無知で欺瞞的である。せいぜい彼が暴露したのは、一部のツアーガイドが間に合わせのガス室について不正確な情報を与えていたことである。なんというか、彼のビデオは、受け入れられているアウシュヴィッツの歴史学のどの部分にも疑問を投げかけていない。

最後に、ピーパー博士が1993年10月21日に行ったコールに対する個人的な論破を全文引用することが有用である。

親愛なる皆様。
デイビッド・コールの広告(1993年2月19日、デイリー・テキサンへの公開書簡)に関連して、彼が「デイビッド・コール-インタビューズ・ドクター・フランチシェク・ピーパー」というビデオテープを提供していることを、あなたの読者にお知らせしたいと思います。

1.そこでの私への見せかけのインタビューは、アウシュビッツやホロコーストという人類の偉大な悲劇に真剣に向き合わなかった若者のネオナチ風の独白である。潔癖な彼は、無実の犠牲者ではなく、殺人者の部分を止めることにしたのである。このビデオテープの中では、コール(アメリカの知人にアウシュビッツが本当は大量虐殺の場であることを信じさせたい男だと偽りの自己紹介をした)のいくつかの質問に対する私の答えが、ごく一部だけ紹介された。

2.彼の広告では、私を「アウシュビッツ国立博物館のアウシュビッツ・アーカイブスの責任者」と紹介している。 これは真実ではない。 コールが他の宣伝ビラで主張しているように、私は、アウシュヴィッツ文書館の責任者でもなければ、アウシュヴィッツ博物館の館長でもない。 このように事実を操作する目的は明らかである--彼の「インタビュー」ビデオテープの潜在的な購入者を惹きつけるためである。

3.コールは、ナチスがガス室のあった問題の火葬場を防空壕に転用したという、博物館のガイドでも知られていないとされる事実を、私が初めて認めたと主張する。これは真実ではない。アウシュビッツガイドの基本的な読み物である書籍のページを同封する。1957年に出版されたヤン・セーン著「強制収容所オシフィエンチム・ブルゼジンカ(アウシュヴィッツ・ビルケナウ)」の152ページには、「1944年5月、基幹収容所の古い火葬場Iは、空襲用のシェルターとして使用された」と書かれている。この事実は、ジャン・クロード・プレサックの著書『アウシュヴィッツ』でも確認されている。The Beate Klarsfeld Foundation, New York 1989 (515 Madison Avenue)から出版されている。157ページには、こう書かれている。「建物の一部を空襲用のシェルターに変え、1945年1月にSSがクレマトリウム Iを放棄した状態である」私は、プレサックが書いたことを繰り返し、ナチスが行った改造の内容と、その改造を除去して以前の姿に戻すためには何をしなければならないかを話した。それらはすべて「ピーパーの暴露」にされた。このような二次的な修復が必要であったにもかかわらず、問題のガス室が戦前から現在まで存在している同じ建物に収容されていることは紛れもない事実である。

4.ナチスの殺人者たちがガス室(ビルケナウでは他の5つのガス室の廃墟を見ることができる)を使って、罪のない男性、女性、子供、主にユダヤ人を大量に抹殺したという事実は、何千もの手記や目撃者の証言、ドイツの公式文書や計画によって証明されている。これは、この問題に取り組もうとする誰にとっても明らかな事実であり、今も生きている目撃者に連絡を取り、歴史的資料を研究しようとしている。

5.私は28年間の人生を、ナチスの蛮行による無数の犠牲者の記憶を守るために捧げ、不正、苦しみ、罪のない人々の殺害につながる、あらゆる形態の人種的、宗教的、民族的な憎悪に無関心であることを人々に警告してきた。 そのため、私の名前がこのような嘘を広め、明白な真実を隠すために使われていることは、誠実さと尊厳の欠如であると考えている。

謹んで申し上げます。
フランチシェク・ピーパー

Posted by セルゲイ・ロマノフ at 2017年6月24日(土)

▲翻訳終了▲

デヴィッド・コールのこのビデオは1990年台前半以降に出回ったようですが、当時はどの程度直接的な反論がなされたのでしょうね。日本の昔の「対抗言論」サイトでは、例えば以下のような言及がなされていた程度のようです。

 木村さんの『争点』には、ディヴィッド・コールという米国のユダヤ人で、熱心な否定派の話がなんどか出てきます。彼はかつての『マルコポーロ』「騒動」のとき、来日して木村さんの支援のもとに記者会見まで持ったそうです。彼は米国では、ホロコーストはなかったというヴィデオを作ったことでも知られています。
 さて、このコールですが
 http://www.jdl.org/cole.html(註:このリンクはありません)
 には、米国のユダヤ人防衛同盟(JDL)あての彼の1998年1月8日づけの手紙が掲載されています。
 そこで彼ははっきりと自分が間違っていたことを認め、ホロコーストが存在したこと、自分が否定派として活動したのは同胞への罪だったことを語り、謝罪しています。
 JDLはかなり戦闘的なユダヤ人組織で、コールに対しては、Web上でその顔写真を公開し、彼の住所情報に報奨金を出すといったことをやってきました。
 私はこのような脅迫的な手段には反対で、この点では木村さんにも同意する部分があります。しかし、コールの改心は確かなようです。
 否定派はひとりの論客を失ったわけです。
https://web.archive.org/web/20160601150700/http://homepage3.nifty.com/m_and_y/genron/holocaust/stove137.htm

実際には、今回の翻訳記事中に書かれているように、ラインハルト収容所での虐殺は認めても、アウシュヴィッツだけは頑なに認めない、のが2017年当時のコールだったようです。なお、山崎氏は「改心は確か」と書かれていますが、コール本人は脅迫されたから仕方なかったと後に述べていたようですし、いずれにしても脅迫されているのですから、そんな改心に意味はないでしょう。その後、彼は名前をデビッド・スタインに変えて、別人になりすますのですが、ホロコーストの知識があったからか、ホロコースト教育用のビデオを作成したりしていたようです。

にしても、今回この翻訳記事を起こすにあたって、初めてコールのビデオをダラダラと閲覧しました。所々飛ばして閲覧しましたが、コールの語り口には冷静さがあり、内容は全く別として、感覚としては説得力を持っていたとは思います。ビデオ作家だけあって、編集も当時としてはそこそこのレベルにはあるんじゃないでしょうか?

ですが、実際の内容は、他のホロコースト否定論者と同様、かなり杜撰ですね。それに、コールの主張は他の否定論者が言ってることがほとんどのようで、このビデオを作成したことと、アウシュヴィッツ博物館のピーパー博士に直撃インタビュー取材したこと以外に、オリジナリティは感じられませんでした。本当に彼はこのビデオまでに10年もホロコーストを研究したのでしょうか? 非常に疑問です。


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