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お気に入りの創作さん

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他のクリエイターさんのグッときた作品をまとめています。グッと余韻に浸れます。
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記事一覧

やさしく立ち上がる男

やさしく立ち上がる男

やさしく立ち上がる男

私が
忘れられないのは
やさしく
立ち上がる男

木の椅子
ファミレスのソファ
ダブルベッド
浴槽のへり
ベンチ

気が付くと
立っている
音もなく
動きすら消したように

あの
身のこなし

そっと立っているのかもしれない
多分
つよい筋肉

立つだけで
あれほど
やさしい

あの
優しさだけがいい

求てめない

音を立てずに
風だけが
ふっと

ふっと
前髪がはらけ

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文明と幸福

文明と幸福

夢の中でぼくは、どこか知らない国の、小さな民族のひとりだった。自分以外に生命の気配はない。膝のあたりに水の流れを感じながら、じっと上流を見つめ佇んでいた。空は限りなく青く、広い。静かな風の音が耳を擦り、穏やかで心地良い。そこでのぼくは、“幸せ”という言葉や概念を知らなくて、だからこそ自由に、程よくくたびれるまで働き、丁寧に祈りを捧げ、1日の終わりにはウーンと伸びをし、ぐっすりと眠りにつくことができ

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詩)こころの裏口〜記憶から詩へ

詩)こころの裏口〜記憶から詩へ

仲間はづれの
小さい子が
じぶんのうちの
 背戸口で
貝殻笛を吹くやうに
私はげんじつを逃げて来て
こころの裏口で
詩をあそぶ
〜新美南吉詩集〜ハルキ文庫より

記憶。
それは どうやって生きてきたかという連鎖

あの日 先輩の結婚式の写真係を頼まれた。新郎は南部市場で働くヒゲのお兄さん。目の細い優しい人だ。結婚するのは同じ市場のマスミちゃん。しょっちゅう下宿に遊びに来ていた。
丸顔で笑顔が

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小説|心が痛かったら手を上げて

小説|心が痛かったら手を上げて

 歯医者さんに「心が痛かったら手を上げてくださいね」と言われました。奥歯は痛くても、心は痛くなかったので、あなたは手を上げませんでした。帰り道、買ったばかりのアイスを落とした時、あなたは手を上げました。

 横断歩道で手を上げているのは、あなたと下校中の小学生たちだけです。手を上げたまま歩いているせいで、タクシーを何台も止めてしまいました。手を上げているわけを話すと、運転手さんたちはみんな慰めてく

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アパラチア山脈のふもと

「俺はアパラチア山脈の麓で生まれたからな」
 それが友人の口癖だった。どうやらそれは本当の話らしかったが、だからといってどうだと言うのかさっぱり分からなかった。その事実は彼のアイデンティティ形成に深く影響を与えているらしく、むしろ根本から規定しているといっても過言ではなかった。何しろそれは出自にまつわることなのだ。当然なのかもしれなかったが、しかしだから何なのかよく分からなかった。
 たとえば居酒

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君の後ろを歩きたい

君の後ろを歩きたい

「なんで後ろを歩くのよ?」
 彼女は立ち止まって振り返る。その顔は不満で溢れていた。幅のない歩道では、僕は無意識のうちに彼女の後ろについてしまう。どうやらそれが気にくわないようだ。

「前を歩いてよ」
「いいけど」そう言って彼女の前に出る。

 僕は背が高い、なんなら歩くのも速い。前を歩くといつも困ってしまう。一体どのくらいの速度で歩けばいいのだろうかと。速すぎると彼女を置いて行ってしまう。それが

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「冷たい水」

「冷たい水」

重苦しい夢をみて
目が覚めた夜明け前に
コロンとひとつ氷を入れて
冷たい水を飲む

口中から喉を浄めて
それは身体に沁みわたる
循環していって
わたしの一部になる

清浄なままではなく
いずれは澱んでいくにしても
このひと口が
わたしの今日を生きる最初の力になる

ありがとう

この冷たい水が
今日のわたしを覚醒させてくれる

【詩集】「黄昏月幻想」つきの より

5時間

明け方、カーテンと窓のすき間にはちみつ色がやってきた。溶けそうなまるい光だった。

お邪魔します、すこし休ませてください。

どうぞ、どうぞ。 

おむつ替えをしながらわたしは言った。
赤ちゃんはなかなか寝ない。
わたしは眠たいので、寝てほしい。
しかしさっきまで寝ていたんだからなかなか寝ないのはそりゃそうだ。

わたしが赤ちゃんを抱っこして揺れている間、光はずっと窓のところで休んでいた。
赤ちゃ

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囚われの春

囚われの春

新卒だった5年前の春、私は自分の初心というものを小さな鳥かごの中にしまっていた。
この心を忘れないようにと、しっかりのその鳥かごに鍵をかけ、それを無くさないようにと大事に手の中に握っていた。

過ぎ去る時間の中、私は乱流にもまれながら、切り傷のあとも気にせず必死に前へと進む。
遠くにはぼんやりとした光が見えているのに、進めど進めど、一向にその光のもとまでたどり着くことは出来ない。

いつしか私は自

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値引き

値引き

『他店より高い商品がございましたら、ご遠慮なく販売員にお申し付けください』そう書かれた広告が、自動ドア横のガラスに何枚も貼られている。僕と上司の工藤さんは、家電量販店の前に立っていた。その謳い文句は、僕達の足を止めるには充分すぎるほどの存在感があった。

「ここ、入ったことないんですよね」僕は建物を見上げる。
「俺もないな。ポイントカードがあるから、いつも同じ店使うしな」
「ですよね。まあでも時間

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味のしないラーメン

味のしないラーメン

 男ってさ、ラーメン好きだよね。ラーメン好きな彼氏に連れられて、わたし達は、色んな店を巡った。わたしには、彼には伝えきれずにいたことがある。それは父がラーメンを営んでいること。
 父は数年前に脱サラして、念願のラーメン屋を始めた。わたしが大学生になった今も続けているようだった。
 なんとなく恥ずかしくて、彼には言えなかった。

 彼からLINEがきた。
『明日ラーメン食べ行こうよ。おいしそうな店見

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ぼくの悲しみと、君の悲しみと

ぼくの悲しみと、君の悲しみと

 街を歩いていて、ふとショーウィンドウを見るとぼくのとよく似た悲しみが展示されていた。ぼくは自分の首からぶら下げたそれを確かめる。本当によく似ている。首からぶら下げたぼくの悲しみと、ショーウィンドウのなかの悲しみ。瓜二つと言ってもいいくらいだ。どちらがどちらか見分けがつかない。それの持ち主であるぼくですら。
 ぼくは愕然とした。ぼくのそれは、この世にひとつのものだと思っていたからだ。この広い世界中

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ドライブデート

ドライブデート

妻を誘ってドライブに出かける。
最近はずっと忙しくて、
家にいなかったせめてもの償いだ。
妻はスマホを手に落ち着かない様子でいる。
久々のデートなのだから当然かもしれない。
トランクには彼女の彼氏を積んである。

小説|今を忘れる

小説|今を忘れる

 イマという漢字をあなたは思い出せなくなりました。イマまでこんなことはなかったと思います。イマでも信じられません。イマ、紙に書いてみようとしましたが、どうしても手が止まってしまいます。

 仕方がないのでスマートフォンに「いま」と入力してみましたが、なぜか変換されません。「いま」と検索してみると一件も見つかりませんでした。イマがこの世から消えてしまったかのようです。

 イマをないがしろにしてきた

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