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くそったれの世界

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過去にパニック障害とうつ病を併発し、7年間苦しみました。原因となった家族関係や、そのときの経験など、少しずつ書いていこうと思います。
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被害者の順位~虐待が生みだす負の連鎖~

被害者の順位~虐待が生みだす負の連鎖~

別にそんな壮絶な虐待をされていたわけではない。

ただ強制的に勉強させられて、したくないと駄々をこねると怒鳴り散らすから、その恐怖から言うことを聞いて勉強するしかなかった。それ以外にも、日常生活のなかで父の思い通りに動かないことがあると、怒鳴られ、時に平手打ちをくらった。10代後半の姉たちはもっと殴られ、蹴られたりしていたそうだ。あまりの殺意に包丁を向けたこともあると話していた。

そんなことが日

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彷徨う言葉

彷徨う言葉

「お父さん」
ときどきふと思い出しては、その言葉を声に出して言ってみる。

すると私の発したその「お父さん」という言葉は、ふわふわと当て所なく宙を彷徨い、終いにはスーッとどこかへ消え去ってしまうのだった。

いつもこうだ。

何が言いたいかというと、私のなかで「お父さん」という言葉は、実感を伴わない、とてもふわふわとした中身のない言葉なのである、ということだ。

「お父さん」と実際に会ったのは小学

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永遠のテレビっ子

永遠のテレビっ子

私を傷つけたのは、なにも父だけというわけではない。

両親が別居することも、そして引っ越す先も、すべてが決まってあとで言われるだけ。のちに正式に離婚したことも、その後数年経ってから知らされた。

当時私はまだ小学生だったから、仕方のないことだとは思う。しかし小学生だからこそ、きちんとした説明がほしかった。引っ越すことによって友人と離れてしまう不安。誰も知ってる人のいない中学校へ進学しなくてはならな

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夢にあらわれる父。そしていま安心な場所へ。

夢にあらわれる父。そしていま安心な場所へ。

私が9才のとき、両親は別居を始めた。
別居することを知ったときは、本当に心の底から嬉しくて、正直これまで母にしてもらったことの中で1番嬉しかったんじゃないかと思うくらい。そのくらい私にとっては大きな出来事だった。

離れて暮らし始めてからしばらくは、まだ家が同じ町内にあり、そして相変わらず勉強はしなければならなかったため、ほぼ毎日父の家に通い勉強を教わっていた。しかしそれもふとした事がきっかけで行

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死際

死際

父について語ることは容易ではない。あまりに思うことがありすぎる。

普段の生活のなかで父のことを思い出すことはほぼないが、ふとした瞬間に思い出したときの、あの苦々しいような重苦しいような、そんな気持ちはたぶん一生消えないのだろう。

私が9歳のとき両親は別居。10歳のとき離婚。父と最後に面と向かって会ったのは12歳。その後、19歳のときに一度電話で話すも、そこからは一切連絡を取ることもなく、私が2

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安心な場所

安心な場所

この世に生まれて初めて接する大人の男性。それが父親だ。

私の父は、自分が絶対の人だった。そこに歯向かう人は、彼にとって悪で、必要のない者だった。

7つと6つ年の離れた姉たちがちょうど反抗期に入り自分の思いどおりにならなくなった頃、私はまだ6才で、親の言うことになんの疑問も持たずに生きていた。そんな私を見て、父のターゲットは姉たちから私に移ったのであった。

父の理想の子供というのは、どうやらよ

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くそったれの世界

くそったれの世界

一時期、私の世界は真っ暗でした。
生きていることが苦痛で、こんな生活が一生続くのかと思うと、絶望感で一刻も早くこの世界からいなくなってしまいたいと、本気で毎日思っていました。

そういう苦しみや、その苦しみの根本的な原因について、文字に起こして語るという作業は、あの絶望感や苦しみの数々をリアルに思い出してしまうため、これまでずっと避けてきました。挑戦してみたこともあったのですが、いろいろな思いが噴

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