だから僕は音楽を辞めたの「心の中に一つ線を引いても」について考えたこと

ヨルシカさんの『だから僕は音楽を辞めた』の「心の中に一つ線を引いても」という歌詞について考察しました。

「心の中に一つ線を引いても どうしても消えなかった 今更なんだから なぁ、もう思い出すな」と続きます。

「線を引いても」=栓をしても でもある気がしました。
気持ちに栓をしても消えなかったと。

「辛」に一つ線を引くと「幸」になる事が、『ヒッチコック』で言及されています。
心の中の「辛い」を「幸い」だと言い聞かせても、辛さは消えなかったって事かなと。
「辞」という字に「辛」が含まれていますし。

2番での同じ箇所に、「幸せな顔した人が憎いのはどう割り切ったらいいんだ」とあります。
割り切れない数でも、1を足せば割り切れることがあるように、
辛い気持ちを幸いだと思う(一つ線を引く)事で、気持ちを割り切ろうとしたのかなと。

『ヒッチコック』に、「幸せの文字が¥を含むのは何でなんでしょうか。 一つ線を抜けば辛さになるのはわざとなんでしょうか。」とあります。
だから僕は音楽を辞めたの「売れることこそがどうでもよかったんだ 本当だ 本当なんだ 昔はそうだった」と繋がりを感じます。
今の僕の音楽に¥が含まれていることに、辛さがあったのかなと。


差が1の自然数は割り切れない(互いに素)ので、
「辛」い人は「幸」せと差が1だから割り切れないと取れます。
「幸せな顔した」≒幸せな顔の下≒「君が引かれてる0の下」
と思うと、藍二乗を連想します。
幸せから一が引かれ(マイナス1)、辛さになったと。



信念(売れることこそがどうでもよかった)が、今の心じゃなくなった(昔はそうだった)と思うと、
「信念」から「今」を引いて(心の中に一つ線を引いて)「信心」。
信心→信者→儲
「音楽とか儲からないし」とあるので、
信念が過去になり、儲からない音楽を辞めてしまったのかなと。


心をココロとし、
ココに一を書き足すと「出」を横に倒した形になるので、
ココロに一つ線を引く=出口
と思えます。
音楽を辞める=音楽人生の出口に行く という。
「心の中に一つ線を引いても どうしても消えなかった」
音楽を辞めようとしても、どうしても消えない思い出が頭をよぎるのかもしれません。


心=こころ=556
線=せん=1000 とすると、
心から線を引く=556-1000=-444
となり、マイナスししし、になります。
私(し)や詩(し)、志(し=こころざし)を捨て去ろうとしたのかなと。




「辞めた筈のピアノ、机を弾く癖が抜けない」についてです。
弾く(ひく)から「引く」を連想しました。
「心の中に一つ線を引いても どうしても消えなかった」は、
自分と音楽の間に線引きをしても、机を弾く癖は消えなかったのかなと。

「心の中に一つ線を引いても」を 1を引く=−1=藍二乗 と取ると、
藍二乗は君がいない事を表すので、
君(エルマ=音楽)と距離を取っても「どうしても消えなかった」
エルマを忘れられなかった、音楽を辞められなかったのかなと。

藍二乗=君がいない事 としたのは、
「今の暮らしはi^2 君が引かれてる0の下」(六月は雨上がりの街を書く)
エルマ=音楽 としたのは、
「君だけが僕の音楽」(藍二乗)
からです。

暮らしからピアノを引いても机を弾く癖は残った と思うと、
音楽を辞める事さえも音楽になる、この曲自体の構造に似てる気がします。



「心の中に一つ線を引いても」は、
heart(心)の中のear(耳)に線を引く、耳に栓をしたのかなと。
耳栓をして音楽から離れようとしても心の中の音は鳴り止まなかった、机を弾く癖が抜けなかったとか。

heart=hear+(プラスを聴く) から線を引いて hear-(マイナスを聴く)
君が引かれてる0の下(藍二乗)を聴くのかなと。
「君だけが僕の音楽」
エルマの日記で「本当の静けさを音楽だと言われたら、たぶん納得する」と語るエイミーは、エルマの不在の中にも君を感じていた(君が消えなかった)気がします。

エルマ(曲)の
「狭い部屋も冷たい夜も 眠い昼も 寂しい朝も
 さよならの言葉越しに君の顔を見てる」
≒不在の中に存在を見る
≒無音の中に音楽を見出す
と思えます。


「正しい答えが言えない」は、正の数であれない、負の数(藍二乗)、負け犬(負のワン=マイナス1)でもある気がします。
「あんたのせいだ」 あんたは正で、僕は負であると。
「間違ってるんだよ わかってるんだ」とありますし。



衷心は心の中という意味で、衷と哀と衰は形が似ています。
「心の中に一つ線を引いてもどうしても消えなかった」は、
衷の中の哀に一つ線を引く=衰
衰えても哀しみは消えなかったのかなと思いました。

心に穴が空いたの「小さな穴が空いた この胸の中心に一つ」は、衷に穴が空いて(縦線が無くなって)哀になった、哀しくなったのかなと。
「これから僕だけ年老いて」衰えていく、
衷に空いた穴が違うもので埋まってしまう(縦線ではなく横線で埋まり、衰になってしまう)とか。




「心の中に一つ線を引いても」は、
こ/ころ だと頃
ここ/ろ だと此処
now/here(今此処)が見えます。
no/whereなら何処でもない場所です。
今此処(now here)に線を引いて、無い場所(no where)にしたのかなと。
それでも理想(何度でも君を書いた昔)は「どうしても消えなかった」から音楽を辞めた、のかなと思いました。



塵の¥ と書いて 鹿の幸 になります。
「幸せの文字が¥を含む」
「思い出なんてただの塵だ」
「今じゃ塵みたいな想いだ~売れることこそがどうでもよかったんだ~昔はそうだった」と歌詞にあります。
塵みたいな思い出を¥(お金)に変えていくことが、
鹿(ヨルシカ)にとっての幸せなのかなと。

強盗と花束についてです。
「金にならない常識なんてもう、忘れてしまえ」
「塵みたいな理性なんてほら、飛ばしてしまえ」
常識を忘れ、塵みたいな理性を飛ばして¥(金)にする。
強盗はお金を奪い(または盗作し)、
花束は花の散り際に値を付ける(または「ドラマチックに人が死ぬ」売れ線のストーリーにする)
この2つに何の違いもないのかもしれません。



信じる者は救われる(「二十七で死ねるならロックンロールは僕を救った」)
信じる者がいると儲かる(「音楽とか儲からないし」)
「いつか死んだらって思うだけで胸が空っぽになる」
ロックンロールを信じることを辞め、生きること(儲けること)を選んだ感じがします。
搾取される側(信じる者)から、搾取する側(信じられる者)になると。

ロック=6×9=54
「人生、二十七で」の27は54の半分、ロックのド真ん中と取れます。
「僕だって信念があった 今じゃ塵みたいな想いだ」
塵=ゴミ=53 で、
ロック(54)から1が引かれ(藍二乗)、塵(53)になったのかなと。


レプリカントについてです。
「さよなら以外全部塵」=さよなら以外は53(ゴミ)
逆に「さよなら」はロック(6×9=54)なのかなと。
「冷たくなって年老い」た時、この世からさよならする時はロック、
「空は酷く青いんだから それはきっと魔法だから」は音楽(ロック)の魔法なのかもと思いました。


以上です。
お読みいただきありがとうございました。