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占い師に10回くらい相談したけどやりたいことには到達できなかった

※自分が落ち込んだ時に見返すようメモ

人、病むと占いに行く。

「今仕事で悩んでて…」と相談して
自分に今降っている雨が
いつ頃止んでいつ晴れるのか

知りたくなって聞きに行く。

私はそれが加速して馬鹿なので
家にタロットカードがある。
オラクルカードもある。

あと、行くところまで行ってしまったので

水星逆行すると移動を慎重にしよう、とか
虎の日には旅行をして
巳の日には水回りの掃除をして
カイトのアスペクトはテンションが上がって
グランドトラインより好きだし
オポジションは緊張があって…

と、暗号みたいなのが言えるようになってしまった。
(自分できもいと思う)

小指突き指した


ところで今の私の日々の行動のガソリンは「食」
食べ物を通して世界を見るのが楽しい。

これに気付いてからは「やりたいこと」という
偶像を追いかけなくなった。

私のこの姿を見て
「やりたいことがあってうらやましい」
と旧友に言われたことがある。

でも私からすると

やりたいことは見つかってない。

転職活動で
「将来の夢は?」
「この会社でやりたいことは?」
「弊社への入社に関わらず今後やっていきたいことは?」
と聞かれても答えられなかった。
(でも答えないと落とされるので鉄板文句は準備してた)

やりたいことは分からない。
私も悩んでる。

でも今の生活を延長していけばいいや
今の楽しいを続けて行ければいいやと
そう思う日が増えた。

と、言えるのは元気な証拠。

朝起きて
「消えたい」とか思うのが
なくなったお元気な私の考え方であって

まじもんの病み期に私がこの記事を見返しても
希望を見出せない。

そんな時に見てもなんだか明日も生きれるように
いろいろメモ↓。

私がこれから
やりたいこと無いけど
やりたいことがあるように見えて
やりたいこと無いのに
なんだか楽しい毎日
というのを説明するには
例え話が必要。


そしたらまず、
後ろを向いてください。

試しに本当に3秒でいいので
後ろを向いてください。

もしこれを読んでいるのが電車で
「人目があってむーり!」
な場合は窓の外でも可。

では、どうぞ。

3、2、1





頼む。
最後のお願いです。
後ろ向いてください。



で、何がやりたかったかと言うと
後ろを向いた時に
「赤いもの」はいくつあったか。

これは意識しないと見つけられない。

今もう一回「赤いもの」を見つけようと
後ろを向けば多分いくつか数えられる。

そんな感じに私の「やりたいこと」
の答えはまだ見つかってないけど
でも必要かもしれない情報の
集め方というか
何色を見ればいいのかが
分かっているのが今。

私は赤い何かをずっと探しているけど
その何かは分からなくて
でも赤いもの探しが楽しい。
(今のところ。)

だからいつか飽きる可能性もある。

なんとなくだけど
「将来実家の米屋を助けたいなあ」と
ぼんやりと思う。

でも今の都会の暮らしが好きだから
今すぐ田舎に帰って稲作をしたいかと言われると
多分そうじゃないので
きっと米屋助けも本当にやりたいことじゃない。

いろんなところで実家の力になりたいとか
言ってるけど実際やりたいことは
見つかってないんです。
(みんなごめん)

多分見つかってたらすぐやってる。人間。

でもそんな状況の中
自分も楽しくて
実家も米屋もハッピーになれる方法を
なんとなく探している毎日。

例えば
お米の第六次産業的なことができるかもしれない
→お米を使ったパン教室に行こう
 お米を使った家具屋さんに行ってみよう
 穀物を使ったアクセサリー屋さんに行ってみよう

とかで行動してみたり。

稲作は人手が必要になる
でも地元の人では本当に足りない。
じゃあ、民宿をやって農業体験を
入れ込んだ何かができるんじゃないか

そう思うとリトリートとかの話にも
興味が出てくる。

いろんなアンテナが立つ。

答えが見つからなくても
日々の行動に熱意が籠る
自分の選択で足を出すことができる

限られたお金を
限られた休日を
限られた時間を
どこに費やそうか

見えてくる。

今snsがある。お店に行かなくても
インスタでちょちょちょって検索できる。

気付いたらインフルエンサーじゃなくて
sns頑張ってる農家さんとか
地産地消レストランをフォローして

なんとなくフォローしてた
綺麗な足したきらきら女子のストーリーが
うざくなっている。


やりたいことが見つからなくて
日々の行動がしっくりこない時、
何か特別キラキラしたものを
つい探してしまう。

でも実際何かに夢中になっている時って
「赤いものみつかったあああ!」
って喜んでるんじゃなくて
「赤いもの」を探す"作業"
ただ淡々としているに過ぎない気がした。

赤い何かは
まだどんな形をしているのかが分からなくて
ただ、赤い、と言う情報だけは知っているから
赤いものをとりあえず探す。


そして大変めんどくさいのは
「じゃあ、赤いものをこれから探そう!」
と思いつけるのは自分しかいない。

人によっては
「丸いものを探そう!」
になるかもしれないし
「長細いものを探そう!」
になるかもしれない。

私で言うと今は赤いものの
「赤い」にあたる情報は「食」

食に関係する
情報とか体験とか人とか
そういうのに触れている。

これ多分人に
「食に関すること調べてみなさい」
「きっと楽しいから^^」
って言われてもしっくりこなかった。

実際、
冒頭にあった通り私はきもいくらい
占いやら言霊やら占星術やら
スピスピしたのにのめりこんでも

「わあ!私って食関連を調べればいいのね❤」
って 到達しなかった。

実を言えば、
私が食に興味を持つことを
当ててくる人もいた。
(↑占い師知りたかったら今度教えますね)

「あなたは手に力がある。その手で人を癒す力がある。」
「ITより生きているものに触れる仕事がいいかも」
「手仕事関係で何かを作る料理関係もいいね」

そういう占い師さんもいた。

で、これ聞いて
「はいそうですか」とならんかった。
腑に落ちなかった。

そう、腑に落ちない


人に言われてるだけでは腑に落ちない。
人に言われたから
みんながいいから
世間的にいいから
親に言われたから。

それでやってきたことって
何か違うよね。


あと、よく"やりたいこと"
行方不明になったときに言われるのが
「小さい頃の夢中になってたことを思い出して」
ってやつ。

インナーチャイルド?的な?
心の中の純粋な気持ち?的な。

これも間違ってはいない。

例えば私の小学生の頃。
塾で「何で勉強は必要か」の
作文を書かされた。

その時私は
勉強は夢を叶えるためにすると思います。」
の出だしからはじまり

私の夢はケーキ屋さんです。
ケーキを作るには計算をする必要があります。
だから算数を勉強します。
レシピを読むには国語も必要です。
あと、天気によってお客さんの来る数も変わると思うので
天気を予想するのに理科も必要です。
食材を仕入れるには社会の勉強も必要です。

記憶の中の作文(本物は燃やしたからない)

と、食というかお菓子というか。
ケーキ屋さんに紐づけて勉強をする意味を
見出していた。

だからこれを思い出せれば
今も夢中になっている「食」に
結びついたかもしれない。

でも今やっている仕事を辞めてまで
いきなりケーキ屋さんになるかというと
そうはいかない。

お金が…家が…
世間的に…

そういうのがくっついてくるから
やっぱりこれも思い出したとしても
腑に落ちない。

明日足を踏み出す勇気にはならない。


大人になって社会にもみくちゃにされて
私たちはかっこよく生きていく。

それが本当にやりたいことだった人もいれば
そうじゃないのにそういう皮を何重にも重ねて
今まで来ている人もいる。

その皮はもうぴったりとしてしまって
周りの人も同じような皮を付けているから
変だとも思わない。
寧ろ普通の当たり前になっちゃう。

そんな状態で本当に自分が心から
やりたいこととか
純粋に熱意燃やして取り組めることとか。
見つけるのは一苦労。

私の場合はまず素直に話せる存在が必要だった。
気付いていない皮たちを
はがしてもらわないといけなかった。

今やってるそれって

本当にしたいこと?
それってどんな気持ちになるの?
その時どう感じた?
で、あなたはどうしたいの?

そうやって質問を投げかけてくれる人がいたから
変な言い訳とか
何というか
「会社がやれっていったから」
「だって家族が」
「だって生活が」
と苦しい言い訳がだんだん出来なくなっていった。

そうやって皮が剥がれて行って

そうか。私は「食」について調べたかったんだ。
と、やっと腑に落ちた

今私の毎日の行動に謎のワクワクと自信がある

もし、「なんでなんでなんで?」と
どんな角度で何を聴かれても

「だって食について調べるのが楽しいから」
「料理をするのが楽しいから」
「八百屋さんに行くのが楽しいから」

で、それ以上の理由、いる?

まで言えるようになった。

やっと強い芯のようなものが出来た。
これが私の【素】だった。

その代わりこの芯の部分に
不都合が生じると
怒ったり悲しくなったり

例えば「くっだらない!」と言われると

「あ?くそが」
となる。

(頑固過ぎるのもよくないね)
(反省)


結局、占い通いも悪くもないし
幼少時代の記憶を深ぼるのも
悪くはない。

多分行きつくのは一緒の場所。

でもその過程が自分なりに
しっくりくるかどうか。

私の場合は人に言われると
しっくりこなかった。
自分で分かる必要があった。

幸い信頼できる人が周りにいて
私が何をしても反対せず、
逆に過度に加担もせず、
応援してくれて
「この投稿おもしろかったよ」
「こんなイベントあるよ」
「こんなことやろうよ」

そう言ってもらえる人がいたから
皮をはがしまくって素の自分が
やりたいと思うことにも
正直になれた。
無防備でも進むことができた。


やりたいことは私は今も見つかっていない。
でも探し物をしている今が楽しい。
それに気づかせてもらえたのは
休職中につながりの学校で知り合った人たちが
いたから。

もともと私は友達がいなかったから
このプログラムを利用したけど
もし周りに信頼できる友達がいたら
時間気にせず
なんでなんでなんで?って聞いてもらうのもいいし
皮を自分から脱いでみるのもいいし

やりたいことは見つからなくても
何探しが自分にとって楽しいのか
分かるかもしれない。

近しい友人と話が出来れば
占いに行くよりもハードルも低い

かも、しれない。

占いはほどほどにしろよ、私。

(私の変化をワークショップで味わえるそうです↓)
(よ)








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