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入院37日間。ついに退院決定!入院の日々を振り返る

31週目の妊婦検診にて、妊娠糖尿病、羊水過多と診断され、32週頭から37週まで37日間もの入院生活。

ついに、ついに……。

37週2日目にして、退院が決定。

ああ、この日まで本当に長かった。辛かった。キツかった。孤独だった。

やっと、やっと退院だ!

ただ、喜ぶのはまだ早い。今日からは、血糖値測定も自分でやらなければならない。そこで、完全に自分で血糖値測定ができない限り、家にはまだ帰れないのである。

まず、午前中はみっちり看護婦さんから血糖値測定方法について指導を受ける。

血糖値測定方法は、針を設置して指にプスッと刺し、測定器に血をあてる。

血糖値測定は、入院中は7回だったのが、家では4回で大丈夫とのこと。

残念ながら、練習では何度も何度も失敗を繰り返すワタシ。

看護婦さんにやってもらうのは平気だけど、自分で自分の指に針を刺すとなると尻込みしてしまい、ついつい針を刺す手が言うことを聞かない。自分の血を見ると、恐怖すら感じてしまう。

この測定が自分でできないと、退院の許可が降りない。

今のところ、午前の部は合計7回ほど失敗。

果たして、午後の測定ではすぐに出来るだろうか。家でも、上手く測定できるだろうか。不安が尽きない。穴だらけの指を見て、ぼんやり溜息をつく。

それでも、退院できただけでも私にとっては嬉しい。

思い起こせば、入院中は心に余裕なんて全くなかった。それでも、なんとか平常心を保つべく本を読んだり、TV、映画を見たりを繰り返した。

やがて数日経てばこんな生活も飽きてしまい、そのうち何やっていいかさえもわからなくなってゆく。

SNSやnoteもなんとか続けてきたけど、果たして続けるのが良いのかさえもわからず。

それでも、この仕事を続けていくと覚悟したのだから、できるなら続ける限り続けてみるかという感じだった。

実を言えば、精神が安定してる時のみSNSなんてやった方が良いんじゃないかとさえ思った時もある。

特に仕事に繋げるためにSNSやnoteを運用するなら、その方が良いのかもしれない。

なぜかというと、これまで色んなクライアントさんに直接会ってきたものの、実力云々よりも、やり取りしやすそうな人、頼みやすい人(使いやすい人)、癖のない人を求めてる方が本当に多いなと思っていたから。

まぁ、お客様からすれば頼んだらサッと納品して貰えるだとか、仕事やりやすいに越したことはない。

ここで、あーだこーだ言われちゃうと、あっもういいよ、他探すから的な感じになっちゃう気もする。ただてさえ、ライター飽和時代だからね。

もちろん「どうしてもあなたじゃなきゃ!」って言ってくれる人はいるかもしれない。けど、基本的に多いのは前者のスタンスで仕事を探してる人じゃないかなと思う。

だから、もしいいお客様と出会ったら、なるべくサッと無駄なく仕事した方がいいなと肝に命じている。

もしかすると、たまたま私が会った人達がそうなのかもしれないし、気難しいけどハイレベルな実力がある方、癖のある人を好む方もいるだろうから。一概には言えないけど。なんとなく、企業案件だと少ないような気がするのよね。

そんな訳で、できれば私は癖のある部分を人に見せたくはないのだ。

しかし、ここで私はなぜか「いやいや、こんな時だからこそ伝えられるものもあるんじゃないかな」という気持ちになり、ふと入院記録を綴ろうと思ったのである。

こういう所は、流石元アメブロ廃人だなぁと思う。noteで書き綴った、実に不安定な入院記録の数々。果たして吉となるか。凶となるか。

とりあえず反応は決して悪くないので、誰か1人の心に届いたり、役に立てばそれでいいかな。

それにしても、入院中の暇つぶし方法には手を焼いたものだ。ストレスなくゆっくり過ごせと言われても、これまで仕事ガシガシしてきた人間にぼーっとしろというのは拷問に近い。

そこで、この時期は少しでも時間を消費できたらとAmazonプライムで邦画を見るのにハマっていた。映画なら、あっという間に時間も経つだろうと思ったからだ。

なお、この時期に私が見た邦画には、なぜか必ず俳優の三浦春馬さんが出演していたものだ。進撃の巨人、SUNNY、こんな夜更けにバナナかよ……。

なぜかこの時期、どの映画を見ても、春馬くん春馬くん、春馬くん。春馬くんが出ている作品を不思議とチョイスしていた。

「こんなに映画にたくさん出演されてる方なのかぁ、凄い活躍だなぁ。でも、今まで意識して見たことなんて一度もないのにどういうことだろう?」と、疑問に思っていた。

その流れで、まさかの突然の訃報が流れたため、言葉を失った。私はすっかり怖くなり、今ではAmazonプライムで邦画を見るのが怖くて怖くてたまらくなった。

もし私が映画を見て、ふと不思議に感じてしまう人がいたら、またいなくなってしまうような気がして怖かったのだ。

映画も、ドラマも、ニュースを見るのも怖くなった。もう私の知ってる人、誰も死んで欲しくない。そう思った。

気分転換になるはずの情報や娯楽が、少しずつ恐怖に感じる日々。

TwitterなどのSNSでは、どこかの誰かが人の生死について、それぞれが「正論」と信じているものをぶつけ合う。

正しいのか正しくないのか、どうしてなのか、なぜなのか……などなど。

そんなものは私にとってはどうでも良かった。

こんな話を、メディア関係の仕事をしている人間が言うのはどうかと思うかもしれないが、

ただひたすら、私は全てに対して悲しくて悲しくて堪らなくなったのである。

しかし、その悲しいと思う気持ちすら表に出してはいけないような気がして、押し殺すしか他なかった。

病院では、生まれたての赤ん坊、車椅子に乗る高齢患者がたくさんいて、常に生死が頭をよぎる日々だった。

私は今、41歳。

人生折り返し地点の人間である。病院にいると、まるで人生のスタートとゴールを中間地点で見せつけられているような気がして、なんとも複雑な気持ちになる。

人生は、もしかすると自分が思っているよりずっと短いのかもしれない。

やりたい事があれば、後悔しないようにすぐやろう。そう思えた。

この時期は、むしろ仕事してる方が気分転換になっていたのかもしれない。仕事をしてる時は集中するので、あれこれ余計なものを考えずに済むからだ。

そもそも、私自身「このまま破水すると、母子ともに危ないから入院です」と言われて入院した身。

そこで、我に返るのが怖くて怖くて。そんな時こそ、現実逃避、没頭できるものが大事だと気づいた。

ぼちぼち単発の仕事を受けていたのが、逆に私にとって精神カンフル剤になっていたのかもしれない。やっぱり私は、生粋の仕事人間なのかも。

神経と精神がギリギリの中で、改めて自分にとって何が大切なのかを見つめ直す日々だった。

きっとこの日々は、私にとって無駄じゃない。もしかすると、育児において辛いと感じた時に乗り越えられるようにと、神様が先に試練を与えたのかもしれない。だったらいいな。

そう思って、振り返る日がいつか来ればいいなと思う。



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