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#人生
怖いからこそ、飛び込む。
「怖いからこそ、飛び込む」
僕が最近よく意識していることだ。フリーライター・フリー編集者になってから悩むようになったことがある。それは、委託先の担当者とのやり取りだ。特に金銭面でのやり取りについて頭を悩ませている。
編集部をとりまとめていたフリーランスの方の退職を機に、企画や採用といった新たな業務を僕が担うようになった。引継ぎが全くなかったため、手探り状態でこの2か月間をひた走ってきた。
言
通念化の波に攫われないように、
誰もが美しいと言うものに疑問を抱くことがある。誰もが凄いということに共感できないことがある。
この季節で言えば桜。日本の春を代表する花であり、多くの人々がそろそろ花見に興じる頃だろう。でもそこまで美しいのかな?梅の花と比べて特段優れている訳でもないように僕は思うけれど。桜だけがなぜこんなに持て囃されているのかが正直分からないんだ。
こんな風に思うことは、日常生活をおくるなかで数えきれないほどあ
言葉にする力はまだないけれど、
夕暮れ時の電車の窓から見える、まるで切り絵のようなスカイツリー。電車の座席には、さまざまな表情の人々が座っている。物憂げそうな表情でスマホを眺めていたり、神妙な面持ちで小説に耽っていたり……。
皆がそれぞれ、思い思いの時を過ごしているんだな。こんな時間や風景を言葉にしたいと思ったことが何度あったことか。そしてその度に僕は挫折してきた。
胸の奥が締め付けられるような名状しがたい感情を、言葉に上手
気が滅入る日もいいことがありそう。
連日の仕事疲れのせいか、はたまた彼女のご機嫌取りで疲弊したせいか、ここ最近は気が滅入りがち…。スッキリと起きられる朝なんて少ない。仕事は進めなければならないのだが、あまり気乗りしない。
「こんな陰鬱な気分をバッとどこかに吹き飛ばしてくれるような出来事が何か起こらないかな」なんて妄想しながら、コワーキングスペースへと向かう。
コワーキングスペースは、色んなジャンルの店舗が立ち並ぶビルの中にある。
曲がりくねっている。
いやはや、さては自分、相当に曲がりくねった道に両足をどっぷりと浸けてしまったのではないか……。フリーライター・編集者2年目にしてふと気づく。
安定した給料を毎月受け取れ、週に2日間の休みをたっぷりととれる会社員の頃は、メンタル面の不安はそれほどなかった。あったとしても社内の人間関係くらいなものだった。
ところがどうだ。フリーライター・フリー編集者になってからは、お金の不安がまるで悪霊のように背
薄墨で描いたような淡い水色だ。
青森での旅行を終えた僕は、新幹線を使って千葉へと移動した。千葉には約3年間住んでいたのである意味古巣と言える。東北とうってかわって千葉は暑い。とにかく暑すぎる。
短パンを持ってこなかったことをこれほど後悔したことはない。道中で短パンを買い足すのも全然良いのだが、いかんせん荷物が増えてしまう。最小限の荷物で旅をしたい僕にとって、衣類は一番かさばる天敵だ。
とりあえずこれから九州まで南下する予定だ
思い出すのは昔のことばかり。
今はそれなりに幸せだ。衣食住には困っていないし、頻繁に連絡をとりあう親密な友人もいる。だけれどふとした時にいつも思い出す、昔のことを。
もちろん、良いことばかりじゃなかった。後悔だって沢山してきた。むしろ後悔にまみれた人生だ。だからこそなのか、昔を思い出すとなんかこう、心の奥底がキュッとなる。
懐かしさ・悔しさ・楽しさみたいな色んな感情が綯(な)い交ぜになった不可思議な感覚。
ドラえもんのひ
落ち込んだっていいじゃない。
表ではどんなに元気な表情で笑っている人でも、家にかえったらくそほど落ち込んでいるかもしれない。その典型がこの僕なんだと思う。外ではよく喋る陽気な奴だと思われている。だけど一人になった時はまあまあ落ち込む。
これからの自分の未来のこととか、仕事のこととか、家族のこととか……。思いつめたらキリがない。体中にまとわりつく倦怠感にやられて動けないだってある。昨日なんて夕方から一日中寝ていたもんね。
で
水面に浮かぶは昨日のこと
とある晴れた日。地元を流れる大きな川沿いの河川敷を訪れた。久々に“川”を感じたくなったからだ。京都に住んでいた頃は毎週末ごとに鴨川へと足を運び、思うがままにゆったりと過ごしていた。
河川敷沿いのベンチに腰掛けて読書をしながら、遊歩道を行き交う人々を時おり眺める。たったそれだけのことが、僕にとって何にも代えがたい至福のひと時だった。
京都とは異なり地元の川には人がほとんどおらず、そこはかとないも
もう思い出せなくなった日々も、
今でもはっきりと思い出せる日々、朧気ながら記憶に残っている日々、そしてもう思い出せなくなった日々…。
目を閉じて必死に思いだそうとするものの、記憶の糸は一向に見つけられない。きっと脳みそのなかの最奥部にでもある書庫に厳重にしまわれてしまったのだろう。その書庫への道筋を僕は知らない。
とは言うものの、些細な出来事がきっかけで記憶の書庫が開かれることが時たまあるもの。
それはたとえば、懐かしの友
思い出したり、思い出されたり。
なんの脈絡もなくふと思い出される人たちがいる。それは、今でも親しく交流を続けていたりする人や、連絡先が分からないすっかり疎遠になった人などさまざま。
疎遠になった人を思い出した時はとくに強い印象が頭に残る。今でも仲良しの人はすぐに近況を知れるけれど、疎遠な人はそうはいかないもんね。だからなおさら頭にひっかかるのだろう。
逆に彼らもこうして僕を思い出すことがあるのだろうか?なんてことを時々考える
商工会議所がつなぐ出会い。
昨年末に商工会議所を訪れた際、“秋田さんと協働できそうな人がいたら紹介しますね”と言われていた。その後、年明けにすぐ“紹介したい人がいるから会ってほしい”といった連絡をいただいた。
お会いした人の年の頃は50代。地元由利本荘で株式会社を経営している人だった。ホームページの制作をメインに事業を行っている人だ。話によると、Webメディアを運営していたときもあるらしい。
僕がWebメディアを立ち上げ