【小説・3話】🧚‍♂️シュレディンガー家の奇喜劇👺波乱万丈な家族愛ミステリー

ティムは穏やかに、イタズラ小僧っぽい雰囲気と好奇心を醸し出す有輝と優愛に話しかけると、ハッとしたように2人が驚いて振り返った。

ティムの穏やかな顔に浮かぶ目には凛々しさが混ざる。紳士はどうやら、温かく探りを入れているものの、若干2人の子供を咎める気持ちも抱いているようだ。

有輝と優愛は一瞬目を合わせて、ティムに向き直った。

優愛(スーザン・優愛)は何食わぬ顔でティムに微笑み、右手に握手を求めるように差し出しながら、「私はスージー。骨肉腫で先日足を手術したから、ここに入院してるの。こっちは姉のベス(エリザベス・有輝)。私ががん遺伝子を持っているから、ベスも遺伝子検査を受けるの。あなたは?」と笑顔で淡々と慣れたように自己紹介をする。

ティムの目は一瞬穏やかになったのも束の間、少し険しい表情を経て、穏やかな笑顔になった。「これはこれは、聡明な若いレディーだね。失礼。私はティム。こちらは妻のメーガンだ。メーガンは悪性リンパ腫という、血液のがんになってね。細かい話は省くが、今度骨髄移植をすることになったんだよ。ここへは移植についてロバート先生に伺うために来たんだ。君も移植を? 親御さんはどちらかな?」

優愛は少しバツが悪そうに耳の裏を一瞬左手で擦るような仕草をしたが、その後胸を張って堂々と答えた。

優愛「私は、もう移植は終わったの。先日足首を太腿に移植したの。術後の抗がん剤治療で治るつもり。メーガンはいつ移植をするの? 血液のがんなのに、何をどうやって移植するの?」とティムを質問攻めにした。

ティムはついつい笑ってしまった。「そうか、君は自家移植を手術でしたんだね。この外来は、手術でやる移植とは違うんだ。抗がん剤を点滴で入れて、放射線を全身に当てるんだよ。この抗がん剤が悪い細胞も骨髄という血液を造る臓器も殺すんだ。そこに、新しい骨髄を作ってくれる「造血幹細胞」という細胞を輸血のように入れるんだよ。だから、メスを入れたり、縫ったりは違う。手術ではない代わりに、超大量抗がん剤や放射線の全身照射、移植したドナーの骨髄が造る免疫細胞が全身の至る所を拒絶するという、別の厳しさがある移植なんだ。」

有輝「なんで、造血幹細胞を点滴で入れると、骨髄っていう臓器が身体の中で造られるの?」

ティム「難しい質問だなぁ。人体は不思議だよねぇ。そして、強い再生力があるんだね。」

有輝「おじさん、知らないの? 」

ティム「僕は血液内科医じゃないからね。そこまでは詳しくないんだ。でも、造血幹細胞は、血管に入れてあげるだけで、色々な骨の中にある骨髄の場所が分かって、そこに行ってくれるんだ。そして、移植から10日から14日くらいで、元々骨髄があった場所に根付いて、血球を造り始めてくれるんだよ。」

優愛「じゃぁ、輸血みたいに入れるのに、造血幹細胞は血球じゃないの?」

ティム「鋭いところを突くね。」

優愛は照れくささと誇りが混ざった笑顔を浮かべて、白くてキレイに並んだ白い歯を見せる。有輝も優愛の後ろに立ったまま、好奇心が溢れ出る瞳を輝かせて、食い入るようにティムの話に聞き入っている。

ティム「ベス(有輝)もこっちに座るかい?」とティムの右隣の待合椅子に軽く手を乗せる。ティムの左隣には、まだティムの腕を右腕で抱える、吹けば転びそうなほどにほっそりとした体のメーガンが座っている。

有輝は優愛の車椅子のロックを確認して、ティムの隣に、ティムに向き合うくらいの鋭利な角度でポンと座る。スムーズで静かなほんの些細な動作だが、機敏さと、溢れんばかりのエネルギーも滲み出ている。

ティムも孫を見るかのような温かい目で、優愛と有輝を交互に見て口元が緩む。

ティム「造血幹細胞というのはね、骨髄の中のどの血球も造れる、工場みたいな細胞なんだ。この造血幹細胞には、CD34という値札のようなマーカーというのが出現しているんだ。赤血球や血小板、白血球等の血球も識別できるようになっている。少し難しいかな?」

優愛はちょっとムッとして、「子供だからって、馬鹿にしないでよね。これくらい分かるよ。スーパーの値札みたいなのがあるんでしょ?」

ティムは笑いながらが「悪かったね。君は将来博士になれそうだ。」と再び笑った。

有輝は「移植するのが造血幹細胞なら、なんで看板は骨髄移植外来って書いてあるの?」とティムに尋ねる。

ティムは笑顔で、とても嬉しそうに滑舌良く説明を続ける。「今でも一般的に骨髄移植と呼ばれているんだよ。最近、では大半がドナーさんの血液に呼び出した末梢血造血幹細胞や、産まれたばかりの赤ちゃんの臍帯血を捨てずに移植できるように加工して、造血幹細胞を採取するんだ。でもね、昔は腰の骨にボルトのように針をいくつも刺して、直接骨髄をドナーさんから注射器で吸い出して、それを点滴していたんだ。今でも、やっぱり移植するのも骨髄が良い場合には、骨髄をドナーさんからもらって、それを移植するんだ。でも、これは随分と頻度が減ったんだよ。」

優愛「おじさんなんでそんなに詳しいの?」

ティム「ホッホッホッ。」と笑いながら答える「私も引退前は医者だったんだよ。もう、今じゃぁ化石のような古い知識さ。」

優愛と有輝が目を合わせる。

有輝は笑いながらが、「おじさんが化石なわけないよ。」と言いながら、有輝と優愛は目を合わせて笑う。

一瞬、優愛はおじさんの気持ちが分かるように感じた。治療が長いと、お友達が新しい歌手やテレビ番組、本の話をしても、イマイチピンと来ないことがある。皆んなとは仲間だし、友達なんだけれども、たまに、本当に稀なふとした瞬間、自分だけが世界から取り残されているような、皆んながガラス玉の中の光しか知らない世界にいるような、不思議な感覚を覚えることがある。

この思考を優愛が自覚することはなかったが、化石という突拍子もない表現に笑いながらも、一瞬、ほんの一瞬だけ、ティムと誰とも通じ合ったことがない心の何かがストンと居場所を見つけたような感覚がよぎった。

ティムは昔医学部講義の教壇に立った時の血が疼き始めたのか、さらに続ける。「骨髄移植というと、白血病や悪性リンパ腫の血液がんで行うことが多いと聞くだろう。しかし、近年の治療の発展によって、固形腫瘍や非悪性疾患にも用いられることがあるんだ。また、移植を受けるタイミングにも個人差が大きいんだ。緊急入院から、ずっと入院治療を続けて、急いで移植を必要とする場合もある。けれども逆に、ドナーさんを探すのにとても長い期間を容し、その間何度も抗がん剤治療を受け続けて寛解を頑張って維持して移植に漕ぎ着ける場合もあるんだ。他にも色々な状況があるが、いずれも事前に様々な検査が必要だし、骨髄移植、おっと造血幹細胞移植だね。この移植は、沢山の事前検査と多くの人々の力が合わさってはじめて実現可能になるんだよ。本当に、奇跡のような治療なんだ。その分、過酷だがね。」

有輝は、少し鋭い視線を見せた。「事前検査って、どんな検査? 固形腫瘍や非腫瘍疾患って、どういうこと? 非腫瘍疾患って何?」

ティムは調子に乗って喋りすぎた、と少しだけ動揺で視線が揺れたが、表情は笑顔のまま2人を見つめた。「ホッホッホッ。君たちがあまりに賢いから、つい医学部で授業を教えていた時のことを思い出してしまったよ。いやいや、私はやっぱり化石のような古い知識だからね。けれども、ベス(有輝)の質問も実に的確だ。検査は昔と今でも、病気によってもきっと違うだろうから、現役の医師に聞いた方が良い。非腫瘍疾患の非は、違うという意味だ。だから、がんじゃない病気でも、移植をすることで治療できるものも出てきているんだよ。」

有輝は、無意識にチラッと優愛を見た。心の中で「おじさん逃げたでしょ」と思ったが、納得しきらない表情で「分かったよ。色々教えてくれてありがとう。」と笑顔で返した。

丁度、会話に切りがついたこの瞬間、ティムとメーガンが骨髄移植外来室に呼ばれた。

ティムは、メーガンに一瞬目で合図を送ると、メーガンはティムが持つメーガンのバッグからメモ帳とペンを取り出してティムに渡した。ティムは急いで紙に
「ティム・グリーン
TEL:xxxx−xxx−xxx」と走り書きして、有輝に紙を渡しながら「いつでも、気が向いたら電話してくれ。また話せたら嬉しいよ」とウィンクをした。

メーガンが立ち上がるのを支え、右腕を再びメーガンに差し出し、並んだ2人は診察室へと入って行った。

有輝もピヨンと椅子から飛び上がり、優愛に「部屋に帰ろうか」と言いながら車椅子の持ち手に手をかけた。

阿吽の呼吸で、優愛は頷きながら両手でポンと車椅子のロックを外した。

そこまで激しく動き回らかった2人の顔には、疲労とも少し違う何かが射し込んでいた。

病室に戻ると、ピーターが凄い剣幕で大声を出した。

ピーター「何時だと思ってるんだ! どんなに皆んなが探したと思ってる! 何処に行ってたんだ!」

丁度、ピーターの胸がワッと開くように張り、右手拳を握って振り上げる寸前に、病棟看護師のレベッカが病室のドアを開けた。

有輝が「え!? なんで分かったの?」とレベッカに聞くと、「スージーの心電図モニターに波形が戻ったから、リハビリから帰ってきたんだと気がついたのよ。」とウィンクをした。

ピーターは「リハビリ?」と一瞬戸惑いを見せるが、直ぐさま「あ〜、リハビリね。スージーはリハビリを頑張っていて偉いんだ。」と笑顔になる。

有輝は内心「高次脳機能障害の症状の作話だなぁ。記憶がないなら、嘘つかずに覚えてないって言えば良いのに……」と安堵とフラストレーションの入り混じった感情がよぎる。有輝も、作話はあくまで症状であり、意図的につく嘘とは違うとは分かってはいても、どうしても一瞬負の感情が湧いてしまう。

この晩は、優愛も発熱せずに夜を乗せた。何度も何度も、カテーテルに繋がった痛み止め注入ボタンを押して、痛みを緩和しようと努めた。そうはいっても、あんまり何度も痛み止めを入れていると、一定の時間はそれ以上薬が入らないように、ロックがかかってしまう。そうすると、ナースコールで看護師さんに痛みを伝えて、使える薬の投薬や当番の先生に何か使える薬を処方してもらうこともある。使えるオプションは全て動員しても、疼痛緩和が不十分であれば、ひたすら耐え続けるしかない。痛みは激しくとも、楽しい記憶に全神経を集中させると、涙目になって歯を食いしばっても、耐えてやり過ごせる。辛い治療を耐え抜く中で、優愛はいつしか肉体的苦痛から思考を分離させて、極力苦痛を認識せずに凌ぐ術を修得していた。

人知れず、肉体的苦痛に耐えようとも、やっぱり朝が来て、家族や友人と会うと、喉元過ぎれば熱さを忘れる。その時の楽しさ、面白さ、幸福感に満たされて、やっぱり素敵な1日が記憶に刻まれる。その間、苦痛で休むこともあるし、投薬が必要なこともある。それでも、その愛くるしい笑顔に偽りはない。

ティムとメーガンに優愛と有輝が会った翌日、真宙はグリーン家に電話をかけて、この日のお礼をした。ティムと真宙は同じ医療従事者である患者家族という独特な立場としての想いも共有した。今までの人生を目の前の患者さんや患者さんのご家族に寄り添って、日々勉強と修業を重ねてきた。そのために、時にはプライベートや食事、睡眠も返上して奮闘し続けた。しかし、いざ自分自身の家族が病気になって、患者の身近で医療行為を施せず、治すことも代わってあげることもできない環境というのは、葛藤もある。ただ寄り添うことしかできない。同時に、ただ傍にいて、ただ苦痛以外のことに意識を向けられる時間の大切さも痛感している。そして、目の前の一瞬一瞬の尊さも存分に理解している。患者家族の中では、少数派になる医療従事者という不思議な立場が故に生まれる辛さもあるが、幸福もある。この日の電話で、真宙とティムの間には、独特の友情の種が芽生えた。そして、ティムは優愛と有輝に非常に好感を抱き、ぜひともお見舞いに、と申し出てくれた。真宙は優愛にこのことを伝え、喜ぶ優愛の元にティムがお見舞いに来てくれることに感謝した。

ティムは優愛の入院の度にお見舞いに来てくれた。そして、優愛の体調が許せば、ティムが彼のお母さんから受け継いだ唯一のレシピ、チキンのクリーム煮を差し入れてくれた。ティムは日本店なる場所を見つけてくれて、お見舞いの度に様々な日本の食べ物を差し入れてくれた。

ティムは手で胃をかばうように腹部に手を上げ、ちょっと腰を屈めて、表情を一瞬歪めて「食欲がない時には、僕もうどんを食べるんだよ。」と見ているだけで辛そうでリアルな記憶を垣間見せながら、優愛を気遣うティムにはシュレディンガー家の女3人はありがたく微笑んだ。

ティムが差し入れてくれた袋は見た目よりも大きく、中を覗くと様々な食材が溢れんばかりに入っていた。

椎茸を見て、真宙が「免疫に良いのよね」と嬉しそうに取り上げてティムに再びお礼を言う。

有輝も優愛も我先に中身を嬉しそうに引っ張り出す。ティムは有輝には地元で手作りされている瓶入り納豆を毎回差し入れてくれた。

当然、ティムがくれる様々なプレゼントはとってもとっても嬉しい。しかし実は、一番の楽しみは、ティムが世界中を旅行や出張した時の土産話だった。

ある時、ティムがガラパゴス諸島でテニスのトーナメントに参加した時の話をしてくれた。テニスは1回戦敗退だったものの、その後現地の自然の中を満喫したそう。ガラパゴス諸島にしか存在しない綺麗な花の写真や、珍しい動物の写真も見せてくれながら、実に愉快な気分になる笑いに富んだ語り部はプライスレス。ティムはいつの間にか、優愛にとって実の祖父かお父さんにも似た存在になっていった。

そんなある日、有輝の家族歴(真宙とピーターの家族の誰が何歳でどのがんを発病したか)と優愛のTP53遺伝子変異を元に調べた、有輝の遺伝子検査の結果が出た。有輝は両親と3人で、その結果を聞きに行った。元々、全てをオープンに共有し、嘘を決して許さないシュレディンガー家では、検査結果も最初から当事者の子供も姉妹も皆が説明を聞く方針だった。(そもそも、現代では、医学的にも心理学的にも、子供に本当のことを告知することが推奨されている。理解度が年齢によって影響される場合でも、その子にとって適切で分かりやすい表現で嘘偽りなく事実を伝えるのが良しとされている。)

この日の3人は、大柄なピーターまでが、ちょこんと座って見える雰囲気で診察室の椅子に座っている。

医師が穏やかでアットホームなカウンセリング室の椅子に座り、子供部屋にあるような高さの小さな温かい深みのある茶色の木目がクッキリした机を挟んでシュレディンガー家の3人と向き合って座っている。その表情は、そこまで読み取りやすくないものの、若干穏やかな風貌にも見える。頭はフサフサした白髪が生い茂り、顔面はサンタ・クロースのように大きな髭で覆われている。クリスマスに子供が膝の上に座って、記念写真を撮る様子が浮かぶような風貌は、部屋全体に外とは違う時間を流す魔法のようだ。

A4の紙を読みやすいように有輝に見せながら、太い声で説明が始まる。医師は、両親にも気を配りながらも、有輝に直接検査説明を始める。「これが調べた遺伝子だよ。そして、こっちが結果だ。TP53は陰性と出ている。良かったね。」3人は安堵の表情で目を合わせる。そして、医師はいくつか他のことを述べた後で、質問があるかと尋ねた。

有輝は「じゃぁ、私はがんにならないんだね。」と笑顔で述べる。すると、医師は「がんは家族性のことの方が少ないんだ。だから、他の人よりも遺伝的になりやすい変異が見つからなかった場合でも、発症する可能性はあるんだ。だから、他の人と同じ確率は発症リスクがあるけれども、特段高いわけではないということになるんだよ。」とゆっくり温かくて太い声で言った。そして、少し語り口調で、教えるように「何をしてもがんにならないと高を括らずに、禁煙して、野菜も沢山食べて、適度な運動を心がけて、なるべく早寝早起きをするのは大切だよ。」と付け加える。そして、「心配する必要はないさ。皆んな同じだよ。それは、僕もね。楽しく適切な生活習慣を心がけるだけさ。」と微笑んだ。真宙の顔にも安堵が広がり、色々質問して、お礼を述べた。ピーターは舞い上がったように、何度も何度も医師と握手をして、その腕を上下に振って、無邪気に喜んだ。シュレディンガー家が退室をする際、笑顔で肩を寄せる3人だったが、ピーターは半ばスキップして飛び出して行った。それを、真宙は恥ずかしそうに、でも安堵と微笑ましさも浮かぶ表情で見てから、有輝と少し目を合わせる。真宙と有輝には、良い結果に対する共通の想いに加えて、2人にしか分からない想いも芽生え、目線で共有されたようだった。

いつしか、シュレディンガー家とティムのグリーン家は自宅を行き来するほど仲がよくなっていた。

なんと、優愛の抗がん剤卒業式の日が、丁度メーガンの移植日になった。神様のイキな計らいだろうか?

こうして、優愛とメーガンはセカンドバース・デイ仲間としても、親友としても仲を深めていった。

実は、火傷で重症を負ったスティーブも、優愛やメーガンよりもひと足早くリハビリ病院へと転院していた。事故の後遺症で顔面を含めた皮膚には傷跡がクッキリ残って、耳も焼け落ちて欠損している。肺の損傷も激しかったために、事故の後遺症といかに共存するかを学び、今までとは大きく異なる生活様式に慣れていかなければいけない。

スティーブは転院の日に「生きていることに感謝、そう愛する妻や我が子トビーを抱ける幸福には感謝している。」と自分に言い聞かせるかのように、心の中で呟く。

しかし、鏡を見る度に、タバコを吸っている人を見かける度に、料理の少しでも何かが焦げた臭いを感じるだけで、再び事故に巻き込まれた瞬間を再体験するようになってしまった。何度も何度も、痛みも苦しさも、その瞬間の全てが今まさに現実として起きているように感じる。悪夢にも魘される日々が続く。

スティーブの心の中には、あの事故以来それまで抱いたことのない想いが芽生えることがある。「正直、毎日毎日、何度も爆発に巻き込まれ続けて、生き地獄にいるようだ。辛い。事故に巻き込まれたくなかった。けど、たまにあれから生還したのが間違いだったのではないか」と思ってしまう。

そんな中でも、レベッカやトビーの笑顔を見ると、その瞬間だけは全てが嘘だったかのように救われる。彼らの笑顔は、延々とループし続ける奈落の底での地獄のような時間に、一瞬差し込む一筋の光のよう。同時に、一度も健康な頃の父親の顔を記憶に残せないトビー、一緒にスポーツができないであろうトビー、息子との尊い時間が奪われてしまったようにも感じ、とてつもない焦燥感と怒り、深い悲しみの波が押し寄せることもある。リハビリ病院への転院は悲劇からの生還でもあり、生涯消えることのない後遺症の存在も刻印するものでもあるようだ。

一方、優愛の抗がん剤治療終了パーティーは、免疫力が回復した頃に行われた。空手やサッカーの仲間、近所や学校の友達も優愛が幼い頃から可愛がっている、有輝のチアリーディングの仲間も招いて、盛大に行われた。

この時、メーガンはまだまだ入院治療中だった。移植の合併症で感染してしまい、一時は危ない状態だった。ようやく、造血幹細胞が骨髄に根付いて生着という状態になったものの、新しい免疫がメーガンの全身を拒絶するGVHD(移植片対宿主病)を発症してしまった。高熱が続き、全身の皮膚が火傷のように爛れて、腸や肝臓も攻撃されてしまった。せっかく、がんが寛解という目に見えない状態に至っても、このGVHDという全身を免疫が攻撃してしまう状態で苦しんだり、最悪命を落としてしまう場合もある。そんな中、メーガンは頑張り続けている。

ティムもシュレディンガー家に訪れたり、優愛の外来の日に病院のカフェでお茶をする時には、持ち前の明るさで優愛を笑わせるような世界中でのお土産話を聞かせてくれた。けれども、ティムが以前よりも少しだけ痩せてみえた。真宙もティムに食事や栄養になりそうな手作りのお菓子の入った、自然派の無着色の麻からできた、布地の袋を手渡しながら、「ちゃんと眠れている? しっかり食べてね。ティムが栄養を十分摂って、体を休めるのも大切よ。」と声をかけた。

優愛や有輝の前では、気丈に振る舞うティムだが、たまに真宙にメーガンのことを相談したり、少しだけ弱音混じりに自分を奮い立たせることを言うこともあった。

ティム「忙しさにかまけて、妻と過ごす時間が今まで十分に取れていなかったんだ。これからの時間は、メーガンと共に目一杯満喫して恩返ししたいんだ。メーガンのセカンドバース・デイは、僕にとっても人生のセカンドチャンスだよ。これから、移植で落ちた体力も、合併症もまだまだあるけれども、免疫抑制剤が減量できるように祈りながら、毎日今日があることに感謝して生きるよ。」と感謝とも抱負とも取れる意気込みを述べる。

過酷な入院を頑張り抜いたメーガンは、移植後137日後、ようやく退院に漕ぎ着けた。

まだまだ、免疫抑制剤を沢山飲んでいるメーガンは、子供との接触は禁止されていた。だから、有輝と優愛で色々考えて、ドライブイン・パーティーを企画した。

場所はシュレディンガー家近くの空き地で、そこを盛大に飾り付けた。優愛と有輝は、ブライアンやマックス(マキシミリアン)、教会の大人達にも色々手伝ってもらい、花火も沢山用意した。小さな打ち上げ花火は、合法に打ち上げられる。優愛は普段の日常生活用義足から、スポーツ用義足に付け替えた。誰よりも速く、細やかに走り回って、パーティーを皆んなを動かして企画を実現させた。

こうして、花をアーチ状に車が停まれる大きさに作成して、空き地にティムがメーガンを乗せた車を乗り入れられるように工夫した。

そして、真宙やピーター、キャサリンやゾスピンテ、教会の大人達が花火を仕入れたり、安全に発火する。

すると、メーガンは車から降りず、子供達とも直接接触することなく、同じ空間でパーティーをして、退院を祝うことができる。

メーガンが疲れないように、パーティーは夕方から45分以内に収めたが、手作りの白薔薇のアーチから、盛大に打ち上げた数々の花火や子供達の歓声がメーガンとティムを祝福した。

優愛もシミジミと「家族って本当に大切だよね。」満足そうな安堵に満ちた大きな満面の笑みで、カッコイイスポーツ義足で大の字に足を広げて、目をキラキラと輝かせながら、走り去るメーガンとティムの車が見えなくなるまで、大きく大きく腕を振って見送った。

そして、優愛は続ける。「私達は皆んなのおかげで生きているんだよね。病気になって、初めて自分が生きるためだけに、どんなに皆んなの力が必要か分かったよ。生かしてもらえるって、本当にありがたいよね。一分も人生の時間を無駄にしたくない。明日死んでも後悔しないように、今日を最大限ハッピーに全力で生きるんだ。」

そう言いながら、温かい笑顔と誇らしげに少し胸を張り、頭も上げた。そうして、「 ティムもメーガンも、毎日沢山の幸せを重ねてね!」と2人を祝福しながら、一緒に幸福な日々を重ねると誓った。

その後、優愛は徐々に体を慣らしていき、復学した。なんだかんだいって、半年くらいかけて再びサッカーフィールドに返り咲いた。今までのチームではなく、脚や腕を切断した人が集まる、アンピュティー・サッカーのチームに入った。スポーツとしての激しさは、サッカーもアンピュティー・サッカーも同じだ。皆が声をかけながら活発に走り回って、ボールを蹴って没頭する。唯一違うのは、二足歩行か、義足を外して両手に松葉杖でダッシュするかの違いくらいだ。皆が皆、体の一部のように杖と一体化して、自然に激しく、そして円滑にフィールドを舞ってプレーする。そして、空手も皆と全く同じように練習した。試合では、型を元気よく披露して、着々と地区予選を勝ち進んでいった。

闘病が嘘だったかのように数年が過ぎたある夏休み、ティムとメーガンのキャンプ場近くの別荘に皆んなで集まった。海水浴や登山、バーベキューや釣りをしに10日ほど泊まりに向かった。いつしか仲良しの輪はキャサリンとブライアン、ゾスピンテと3兄弟にも広がっていた。思春期を迎えた有輝とブライアンとマックス(マクシミリアン)は、小さなバンドを初めていた。元々、ボーカルはマックスの高い声を主軸にしていたが、声変わりが終わる頃には、皆果敢な時期にも入り、低めの声に合う激しさも加わった。有輝は教会で教わったギターを活かし、ブライアンも上手く感情を乗せたドラムで大きく盛り立ててリードする。

3人は「プロになる」とGoTubeという動画サイトに動画をアップロードする。そして、ティムはこの3人を微笑ましく見ている。

ゾスピンテは「ミュージシャンって、あなた達が思っているよりもずっと大変よ。しっかり、将来のことも考えなさい。」と笑顔でちょっと説教じみたセリフを添える。

ピーターは興奮気味に、「上手い」と大きく手を叩きながら踊って喜んでいる。真宙は少し恥ずかしそうに顔を赤らめながら、まんざらでもない風にノッている。

キャサリンも応援の姿勢を見せながら、「もちろん、失敗しても良いなんて適当にやったらダメだよ。成功させるように全力でやんな。やろうとしたという気持ちと、全力を注いだという自信こそが、きっと将来大きな糧になるし、支えになるものよ。バンド頑張んな!」と腰を振りながら、手を叩く。

ティムも「この年になると、後悔は失敗したことじゃないんだよ。やらなかったことなんだ。だからこそ、失敗を恐れずチャレンジすることが大切なんだ。大体のことは、必死にやれば、結果はついてくる。自信がなければ、自信が湧くまで努力すれば良いだけの話さ。とにかく、行動を起こすことが大切なんだ。」と同調する。

メーガンは、「若い時に沢山遊ぶのはとっても大切よ。でもね、将来どんな職業に就きたいか考えながら、大学を選ぶのも大切よ。早いうちから、夏休みに大学のキャンプに参加しながら、楽しく色々視野を広げてみるのも楽しいものよ。大学は楽しいわよ。私がティムと逢ったのも、ウィリアム・オスラーに憧れて参加した彼が設立した大学の夏のサイエンスキャンプでだったのよ。」と微笑んだ。

そう言って立ち上がると「私達の昔話よりも、未来の若者よね。さっきから、スージー(スーザン・優愛)が見当たらないから、ちょっと呼びに行ってくるわ。」と廊下を進んで、2階の階段をゆっくり踏みしめながら登って行く。普段は、穏やかで笑顔だが、造血幹細胞移植後(骨髄移植後)も抗がん剤の後遺症で手足は痺れている。だから、しっかりと手すりを掴んで、慎重に足場を確認しながら階段を昇降しないと危ないのだ。その上、GVHD(ドナーさんの免疫がメーガンの皮膚や内臓を拒絶し続ける)の影響で、足の裏は踏みしめる度に、真夏の焼けるように熱い砂浜にガラスを混ぜた上を素足で歩くように痛かった。それでも、メーガンはその強い痛みを表情に出すこともなかく穏やかな微笑みを浮かべている。

優愛は夕食の仕度を手伝う前に義足をハメたまま少しだけベッドで横になるつもりが、ぐっすり寝入ってしまっていた。

メーガンはベッドに突っ伏して眠っている優愛を若干の悲しみを含んだ優しい眼差しで見つめながら、「病気は良くなったと言っても、治療の後遺症はしばらく続くのよね。」と、そっと部屋の扉を閉めてもうしばらく寝かせてあげることにした。病気は違えど、抗がん剤治療を受けた者同士だからこそ分かり合える何かが、そこにあったようだ。

メーガンは夕飯の仕度をしている皆んなの中から、ポテトや野菜などのバーベキュー以外の食事を準備するグループの真宙やバーベキュー準備組のティムに優愛が眠っているから、寝かせてあげるようにと提案した。

夕飯の後、有輝は優愛を突いて、「いつも、そんなに疲れてなくない? 風邪でも引いたの?」とちょっとイタズラ心混じりの声で尋ねる。

優愛は、どうも普段とは違う小さめの声で、「う〜ん…… 風邪でも引いたのかな?……」と弱々しい感じに首を傾げて、大きくあくびをする。その様子は、日向ぼっこしながら昼寝中の猫のよう。

念の為、有輝は真宙に「ね、優愛なんか変だよ。体調イマイチっぽいよ。」と声をかけた。

次話に続く


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