マガジンのカバー画像

【雑記集】※いたって個人の感想です。

538
雑記・随筆も、書くのが楽しいですね。いや、雑記や随筆こそ、書くのが一番楽しいかもしれません。 そしてこの誰に宛てているわけでもない文章が、漂流して、まったく見知らぬ(かもしれない…
運営しているクリエイター

#心の健康

「生きた心地」がする・しない

「生きた心地」がする・しない

「生きた心地がしない」と言える時は、まだ生きている。

そのセリフはむしろ 「生きている証」のような気がする。

「生きている心地」なんて 「元から存在しない」「知らんわ」「考えてみるすべもない」 っていう時は、 もしかすると実際、半分死んでいるかも?とも思う。

自分の「生きた心地」――最近、どうだろう?

「生きた心地がしない」というのは、「生きた心地にさせてくれ!」という ある種の「訴え」「

もっとみる
「痛い」と感じられるのはまず自分自身なのだから

「痛い」と感じられるのはまず自分自身なのだから

痛いと感じるべき時に痛いと感じられるのは、 心身ともに健康な証拠。

痛いはずなのに、それを感じられなくなったら、 もう相当ヤバいと思う。

――だから、痛いと感じられるうちに、ちゃんと「対処」すべきなのだ。

自分の感じるべき痛みは、誰かが替わりに感じてくれることはない。
共感とか同情はあっても、 「リアルに」痛いのは自分自身。
痛いときに、痛いと感じる、それを認める――「誰より自分で真っ先に

もっとみる
弱音は吐くものだよ

弱音は吐くものだよ

そうよね、まず、
疲れちゃった時に「疲れちゃった」と。

痛い時に「痛い」と、
つらい時に「つらい」と、
苦しい時に「苦しい」と。

まず口に出しちゃう、
言葉にしちゃう事が大事なのかもね。

それについて考える作業は、
別に、その後からでいいのだったわ。

だって、言うだけで
だいたい、ちょっと軽くなるもの。
――溜め込んでおくと、
どんどん重たくなるばかりだもの。

「心の声」より「身体の声」のほうが正直な時もある(よりけり)

「心の声」より「身体の声」のほうが正直な時もある(よりけり)

自分、今これを読んでくださっている皆様に、褒めてもらいたいことがあるんです。

私、考えてみると、この15年くらい、仕事を「病欠」したことがないんです。

ねえ、エラいでしょっ?(エラいと言ってっっ!!笑)

いや、あなたのおっしゃりたいことはわかります。(ちゃんと声が聞こえてきます。笑)
「それはお前が、異様に健康体、身体が頑丈なだけだろ?」と。
――ハイ、それはあります。私、丈夫なほうだと自分

もっとみる
自分を休ませることは自分の仕事

自分を休ませることは自分の仕事

カラダや脳みそといった具体的なパーツの疲れ以上に、 心の疲れというのは、 なかったことにされたり、後回しにされたりしやすい。

自分ですら自分のそれに気づきにくいし。 (他人にはなおさらだし。)

――だから、何よりまず先に、 心の疲れにこそ、気をつけた方がいいと思う。

心の疲れのほうが、その回復に時間がかかる気もするし。

――だからこそ、「理想論」とわかっていて、あえてこの「理想」を掲げてみ

もっとみる
天国は「作る」ものである

天国は「作る」ものである

「天国に行ける」なんて言い方は、もしかすると、少しだけ、「嘘」だと思う。

行けたとしても、毎日そこにいれば、 天国が、いずれ「当然」になり、 それがやがて只の「日常」となっていくだけなのではないだろうか。

――そう考えると。
「この、ごくフツーの日常」も、もしかすると??

下手すりゃ「時々地獄」とが、 隣り合っていてこそはじめて、天国は、天国と感じられるところもあるのではないかと。

天国な

もっとみる
「仕方なくしてあげる」感はゼロでいきたい

「仕方なくしてあげる」感はゼロでいきたい

100%純粋に「自分がそれをしてあげたいからそれをするのだ」 ならいいのだが。

そうでなければ、何についても、「してあげる」って感覚から動くのは、なるべくならナシにしたほうがいいのかもな。

「してあげる」行為に「見返り」求めた挙句、「それがない!」とか、「こんなにしてあげているのに!」とか、怒るのも無駄だし、そこにもまた「消耗」があるし、あるいはそこから「徒労感」「疲弊感」「虚脱感」「孤独感」

もっとみる
健康にベストを尽くす?!(笑)

健康にベストを尽くす?!(笑)

自分なりに精一杯
健康に留意していれば、
老いによる死や衰えに対して、
寛容になれたり
恐怖心も減るものかもなあ、
と、ふと思う。

「ベストを尽くしていれば」
諦めもつく、
という言い方もできるか。

「自分なりに
やれるだけのことはやっている」
というのは、
何ごとにおいても大事なのだろう。
「後悔先に立たず」
――健康においては特に、である。

(もちろん
「不慮の」事故とか災害とかによる

もっとみる
平気な「無理」は本来ないのだ

平気な「無理」は本来ないのだ

大人になるとだんだん「平気で」無理ができるようになってくる。

しかし、先ず第一に、その「平気」は、あくまで一時的なものだと知っておかねばならない。
――これは「一時的にそれができてしまう」大人だからこそ、である。

そして。

無理が重なってくると当然、「どうがんばっても平気ではなくなってくる」はずである。

だって「無理」は「無理」なのだから。
(若い時分、身近にいた諸先輩方――親や先生も含め

もっとみる
「硬さ=強度」ではない(心については少なくとも)

「硬さ=強度」ではない(心については少なくとも)

どんなに頑なにひたすらに「硬さ」だけを増していっても、それ以上に恐ろしく硬いものは、この世にはごまんとあるのだ。
――そう、そこらへんに、いくらでも、ある。

だからこそ。

「硬さ=強度」ではない、という事を心しておきたいものだ。

たとえば。

頑なな「恨みつらみ」、つまりその蓄積というものは、確かに心に「硬さ」をもたらすかもしれなく、そして一見それが「強度」のように見えてもしまうが。
――実

もっとみる
「心の毒になる」と知っていてわざわざ口にし続けることはない

「心の毒になる」と知っていてわざわざ口にし続けることはない

自分の心の「毒」になること。

――まあ、確かに「毒をもって毒を制す」という言葉はあるし。

あるいは、一番初めなら、「それが毒とは気づかずに、」ということもありうるけれど。
(一度口にしてみたおかげでようやくそれが「毒」と気づく、というようなこと。)

しかし、「触れたら自分の気持ちが毒される」と知っている(または、気づいたその後)ならば。

そのことが「毒になる」と知っていて、その上でまで、わ

もっとみる
記憶次第-人生の「いいところ」だけが残ったなら-

記憶次第-人生の「いいところ」だけが残ったなら-

個人の脳内の「記憶して置ける容量」には、限りがあるだろう。

ならば、「良い事だけ憶えておく」ができたらいいのになあ、と思う。

――が。
それはやはり「理想論」ではある。(笑)

に、しても。

何故、「悪い記憶」を、わざわざ憶えておく必要があるのか??
――何かしら「意味」がないと、何だかその機能部分、ムダでしかない気もするのだが??

うーん。

どうしても忘れられない悪い記憶は、多分、いず

もっとみる
今日の笑いにつられて未来も笑っていられるといいな

今日の笑いにつられて未来も笑っていられるといいな

「笑い」もまた、
つられやすい感情であると思う。

で、他人のそれだけではなく。

「今日の自分」についても
できれば笑っているほうが、
「明日」とか、
何なら「未来」の自分も、
つられて笑っていられるような
そんな気もするのである。

運とは、
固体状のものではなく、
気体や液体に近いのではないか、
というようなことは、
いくつか前の記事に書いたことだが、
そう考えると、
「今の感情」は「未来の

もっとみる
「上機嫌」は自分のために(そのほうがいい)

「上機嫌」は自分のために(そのほうがいい)

以下は、昨日の記事の最後に書いたことなのだが。

但しこれ、「自分の周囲にいる人の『ために』」となると、ちょっと違ってくる気がする。――それでは「顔色窺い」になってしまって、余計な所に力が入り、余計なものが混ざってくる気がするのだ。

最終的に上機嫌は、「演じるもの」ではない。――「周囲に気を遣って、上機嫌でいましょう」というのでは、「機嫌とは別物」になってしまう。

「自然とその人の内側から湧い

もっとみる