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平気な「無理」は本来ないのだ
大人になるとだんだん「平気で」無理ができるようになってくる。
しかし、先ず第一に、その「平気」は、あくまで一時的なものだと知っておかねばならない。
――これは「一時的にそれができてしまう」大人だからこそ、である。
そして。
無理が重なってくると当然、「どうがんばっても平気ではなくなってくる」はずである。
だって「無理」は「無理」なのだから。
(若い時分、身近にいた諸先輩方――親や先生も含めて――は、必ずしもそういうことを教えてくれなかったなあ。笑)
(そういう人ばかりではなかったけど、でも、「自分も無理しているんだから、お前も同様に無理をしろ」という考え方の人も多かった気がする。
――でも、今ならわかる。それは「間違い」だ。)
若い頃は自分で自分の事を「カラダは丈夫だが心は弱い」人間だと思っていた。
が、「それは違う」と、昔の自分に言ってあげたい。
その心は(強くはないかもだが)弱いのではなく、――つまり、そこに「強弱」という尺度は関係なく、 無理なものは無理と感じていいのだ、と。
(ホントに弱かったら、 今こうしてここにいられなかったとも思うし。)
クローンとして生まれてきたわけじゃあるまいし、人は、自ずと、皆それぞれ違う。
ならば、「無理」にだって、個人差があっていい。
ある人にとっては「平気」でも、ある人にとっては「無理」。
そういうことだって、あらゆる状況、様々なケースで、いくらでもあるはずだ。