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「痛い」と感じられるのはまず自分自身なのだから

痛いと感じるべき時に痛いと感じられるのは、 心身ともに健康な証拠。

痛いはずなのに、それを感じられなくなったら、 もう相当ヤバいと思う。

――だから、痛いと感じられるうちに、ちゃんと「対処」すべきなのだ。


自分の感じるべき痛みは、誰かが替わりに感じてくれることはない。
共感とか同情はあっても、 「リアルに」痛いのは自分自身。
痛いときに、痛いと感じる、それを認める――「誰より自分で真っ先にそれをしてみる」。
もしかするとそこが「スタート地点」なのかもしれない。


「大の大人」になってしまったあとなら、やはり自分の事は、責任もって自分で大切にすべき。それは仕方のないことなのだ。
我々はもう、王子や姫じゃないのだ。
「自分以上に誰かが自分を大切にしてくれて」なんて、そうそうならないのが現実である。
――そして、「実際に」大切にすればこそ、「自分を甘やかす」と「自分を大切にする」の違いも、 自ずとちゃんと見えてくる気もする。
(実際やってみないことには、脳内で考えるだけだと、その二つは混同しやすい。)