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「心の声」より「身体の声」のほうが正直な時もある(よりけり)

自分、今これを読んでくださっている皆様に、褒めてもらいたいことがあるんです。

私、考えてみると、この15年くらい、仕事を「病欠」したことがないんです。

ねえ、エラいでしょっ?(エラいと言ってっっ!!笑)

いや、あなたのおっしゃりたいことはわかります。(ちゃんと声が聞こえてきます。笑)
「それはお前が、異様に健康体、身体が頑丈なだけだろ?」と。
――ハイ、それはあります。私、丈夫なほうだと自分でも思ってます。

でもですね、「病欠」したことはないけど、「一度も病気にならなかった」わけでもないんです。(まあ、著しくその頻度は少ないですけどね。)


それはどういうことかというと。

かつて、もう15年くらい前になりますが、「真っ黒に忙しい会社」に、2年とちょっとの間、勤めていたことがあったんです。
(ここでのことは、ずっと前にも記事に書いたことがありましたが、簡単に言うと週6フルタイム出勤で、自分に任された(他に振れない)やることが異様にたくさんある上に、複数の直属の上司がある意味どなたも人間性に問題あり、という感じでした。――まあ、あれ以上ストレスフルな場所、この世にないよな?てか、もう二度とある意味行けないわ、ああいう場所。今の自分は多分「理不尽を我慢する回路」がもうかつてのようには大き目にはないので、すぐ辞めるという意味で、もう「私のいる地上」には「存在し得ない場所」です。笑)
(説明終わり。)
でも、私も「身体だけ」は丈夫なもので、休んだりしたら、何よりその後大変になるのは自分自身だし、と、なると、「気が張っていた」のか、あんなに忙しかったのに(家には寝に帰っているだけみたいな生活でしたけど)、不思議と酷い風邪をひいたりということが、「出勤日については、」なかったんですよねえ。(体調を崩さぬよう、すごく気をつけていたということもあるんだけど。)

でも、今でも憶えているんだけど。
年末年始はその会社も、6日間くらい休みになるんです。
で、私が勤めている二年の間には当然、その「正月休み」は二回あったわけですが、――二回とも、「ひどい高熱を出して寝込んだ」んですよね。(笑)

いや、それで、何でこんな話をし始めたかというと、このジャストすぎるタイミングの「熱発」って、身体が私を「強制的に休ませた」のではないかと、ふと、思ったんです。

いや、前述の通り「精神的にもストレスフル」な場所だったもので、そこが休みになる期間っていうと、どうしても「リフレッシュ」「気分転換」「思いっきり羽を伸ばす」みたいな「何かしらの行動」をしたくなって、実際無理してでもしようとするものじゃないですか。(まだ私も今よりかはずいぶん若かったですし。)
「防御反応」のこれもまた一種のような気がしますが、ストレスの中にあると、(これも人と場合によりけりだと思いますが、)「とにかく動かなきゃ」みたいな信号が、心から発せられる場合もあるんだろうな?と、今にしては思えたりするんです。
つまり、そう、心は例えば「旅行」とか「飲み会」とかそれらを求める部分もあったはず……だけど、この時は「とにかく身体を休める」必要が、きっとあった。
だから、身体は「ここぞとばかりに酷い風邪をあえてキャッチ」して、自分を休ませたのかもなあ、なんて、今にして思ったんです。



面白いもので、そういう「ストレスフル」なところにいると、「非常時」と心は認識するのか、逆に「元気」「テンション高め」になる部分もあるのかなあ?なんてことを、実は先日も感じる場面があったんですよね。

ずいぶん昔からの知人と、でもすごく久しぶりにあって、話す機会が先日あったんです。
で、その知人が、今現在、「大変ストレスフルな状況に日々置かれている」生活の真っただ中におりまして。
すると、何だが、話し方とか、話す内容が、以前よりすごく「とがっている」感じになっていたんですよね。(と、いっても、その矛先は別に話し相手である自分に向かっていたわけではなくて、社会のこととか、ニュースのこととか、あとは、共通の知人ではない人のこととか、そういう対象に向かっての物言いが、でも、もれなく攻撃的、と言う感じです。)
元々、その人は、ある意味穏やかだし、気遣いの人、お人好しなタイプとでも言えばいいのか。
でも、終始、そういう話の時に、どこかハイテンション、声が大きく早口になる興奮状態というか。
――いや、親しい人なので、その場で「何だか話し方が変わっているよ?そのストレスでちょっと疲れているのかもよ?」ということは、(つまり私が感じたままに、)伝えてみました。
で、本人も、「そうかもしれない」と、多少自覚症状があるのか、頷いてはいたのです。

で、この記事で私は何が言いたいのかというと、「ストレスで、心が高緊張状態になっている時は、それにつられて、心が身体のほうまで無理に動かそうと「誤った指令」を出すことがあるかもしれないから、(心の声もとってももちろん大事だが、)身体の声にも併せて、耳を澄ましたいものだよね」ということでありまして。

心の声については、まずはしっかりそこの疲れをとってこそ、「ちゃんと声を出せる」ものだと思う、ということですね。
だからまず「異常なストレスフル環境」からは、できれば(そうしたい気持ちがあるなら尚のこと)避難するに限るんじゃないかな?

なんてことを、このところ、かつての自分等々を振り返ってもまた、思った次第なのであります。