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お金では買えない、幸せの更新。

今年に入ってから私は本当に幸せに過ごしている。これは彼氏や職場などの身の回りの環境が良いからだ。
去年の今の時期は朝ODしてからじゃないと仕事に行けなかったし、まだまだ周りに危害を与えていた。
今、本当に私は平和すぎる生活を送っている。

過去にも「これは病気が良くなっている証拠!」って思ったことは何度もあって、でもそういう時は一種の「躁」であることを後々振り返って知る。でも今回(今年)は本当に違う。
主治医に「躁ではなくて本当に病状が良くなってきている」と言われているし、それ以上に「平和」「幸せ」「元気」の感覚が過去と全然違う。
『本当の幸せってこれなのか』とやっと分かった。

素敵な人の周りは素敵な人たち

先日、彼氏のお友達夫婦に初めて会った。一緒に数時間同じ空間にいて、思ったことがある。
『この人たち3人といると、幸せになれる』って思った。彼含め3人は本当に心の底から「幸せオーラ」というか「優しさオーラ」みたいなものが放たれていた。
今までも歴代彼氏のお友達に会ったことはあるけれど、それを含め思うことは『類は友を呼ぶ』って本当だということ。そして本当に人間として酷い人に友達は作れないということ。

そもそも私が自分の本性を人に出すのは、今の彼が初めてだ。
私にとって居心地の良い人ってこういうタイプなんだ、と人生23年でやっと知った。

本当に楽しかった。緊張してあまり話せなかったから、次会った時はもっと話したいな。

ほんの少しの我慢

月曜日、前日の夜からずっと偏頭痛で目と頭が痛かった。午前中の勤務が本当に今までで1番(体調が)キツくて、「早退か…?」と考えたりもした。
けれど「あと30分」を繰り返して、なんとか頑張ろうとした。
そしたら仕事中に突然上司が面白い話をし出した。それを聞いたら笑っちゃって、「面白い話もっと聞きたいから最後まで頑張ってみよう」って思った。
午後には偏頭痛は治り、しっかり仕事ができていた。鬱期の時の無理は厳禁だけれど、今の私は「ほんの少しの我慢」が必要だ。
ということで、最後まで仕事頑張れた。よかった。

目の前のこと、ちょっと先のこと、楽しもう

将来のこと考えて不安になることが鬱期は多かった。先の見えない将来や未来に不安を抱くのは当たり前だし、考えてもほぼ意味がない(正解が出ない)のも分かりきったことだ。

だから私は基本的に『目の前のことを着実に』を意識している。

だけれど、少し元気になってきたので(薬ゼロになったし仕事も休まずに続いているから)少し将来のことも考える時間を作ることにした。
と言っても深く考えはしない。単純に「いつか〇〇したいから今は〇〇しよう」とかだ。

1番は「目の前のこと」で、それは変わらない。目の前のこと出来ずに先のこと考えても意味がない、無駄だ。
いつか常勤になりたいから、そのために今は休まず仕事に行くこと・楽しく仕事をすることとかを意識する。
「目の前のこと」は「将来の自分への幸せ貯金」だ。



さ、今日も色々やることたくさん。無理せずゆっくり頑張ろっと。
良い1日を〜〜

琴音

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