自分史〜⑤〜
前回の続き(マガジンにまとめ済)
2022年7月に付き合ったB。2個上だった。
前回の投稿で触れたが、Bと付き合う際にこのような約束があった。
『今後、自傷やODを1回でもした場合、俺はお前と別れる』
Bはとても陽キャで、そして賢すぎる人だった。
彼は論理的思考で、絶賛BPDの私の感情的思考とは180度違っていた。
彼は大手外資系に就職していた。将来は起業するのが夢らしく、そのせいなのか、とても行動的な人であった。
おかげで私も少し前を踏み出すことができた。
彼と付き合っている時期に行ったこと↓
・弁証法的行動療法を独学で取り組み始めた
・有名NPO法人にバイトに行った
・公式ラインを作成した
・インスタ活動・オフラインで集まる会を開催したりした
・単発バイトに2回行った
・公務員になった
家に引きこもっていないで、何か行動を起こそうと1歩踏み出せたのは、紛れもなく彼のおかげだ。
しかし、彼と上手くいかない点があった。
電話越しに彼に暴言を吐かれることが多かった。あと「お前」とよく呼ばれていた。ちょっと性暴力もあった。それが怖かった。
でも、その悪いイメージが強いけれど、良い部分もあったのは確かだ。
彼は出会った時から私のBPDの治療にとても寄り添ってくれた。
付き合って1ヶ月で私の実家に挨拶に来てくれたり、一緒に通院して主治医とお話ししたりしてくれた。彼と付き合って1ヶ月くらいの時に、「同棲して治療しよう」と考えてくれたりもした。
彼は多分、あの頃の私のBPD度合いが大きくて、耐えられなかったのだろう。一生懸命向き合おうとしすぎたせいで、辛くなったのだろう。
12月23日に私は彼と大喧嘩して、未遂をした。
彼は私の住所を知っていたので(何かのために付き合ったばかりの頃に教えてくれと言われた)、私の地域の警察署に電話した。そして警察が動いた。
翌日24日。
彼と会った。クリスマスプレゼントに私は彼が欲しがっていた名刺入れを渡した。彼は、パスタ屋さんで包装から名刺入れを取り出して、泣きそうな顔をしていた。
そのあと、彼はこう言った。
「距離を置こう」と。
私は嫌がった。
それで結果が出せずにいたので2人でそのままみなとみらいに行った。
結局終電になるまで結果が出せずにいた。
周りは幸せそうなカップルばかりのみなとみらい。
だけど私と彼は、外でも店でも、大泣きしていた。
結局、別れることにした。
最後改札で別れる時、彼は過呼吸になっていた。
お互いに好きだったけれど一緒にいるのが辛くて別れた。
改札に入った私は、いつもなら彼の顔を見るために振りかえるけれど、その時は振り返らなかった。
そんなクリスマスイブだった。
辛かった。けど帰りの電車でこう思った。
『絶対病気治してやる』
2022年12月24日にそう決意した。
この時は想像していなかったけれど、この4ヶ月後に私はきちんと成果を出した。
ちなみに唯一今でも大切にしている彼の言葉がある。
「琴音の感情が豊かなところが好き」
BPDの病状を「感情豊か」と表してくれたのが嬉しかった。
↑当時のブログ
今回はここまで。
続きはまた今度。
琴音