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つらつら

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思うことや考えることをひっそりと。 短かったり長かったり、日記みたいなものも。
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久々

お久しぶりの投稿です。
仕事が忙しくてなかなか文章を考える時間…
うーん、時間は比較的ある方なのだけれど
文章を構築する思考回路になっていなくて
どうもnoteの投稿が出来ず今日…

とは言いつつ、すこし余裕ができたので
また更新して行けたらな、という所存です。

ドローイングは続けてます。

ブラウン管

ブラウン管

ふと目覚めると消したはずのテレビが
狭い部屋を照らしていた。

薄型テレビが普及した今では珍しいブラウン管だ。

煌々と光るその箱からは、抑揚のない電子的な声で
まるで意味の無い言葉が永遠と流れている。

「……ーーー父親も母親も、醜悪な悪代官に操られているのだ。
土の中の螻蛄(オケラ)や蛙(カエル)こそ、この世の何にも代え難い偉大な存在である。彼らに清き一票を。清き一票を。」

…何一つわからな

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Instagramの投稿歴史

Instagramの投稿歴史

4月からほぼ毎日続けているドローイング。

ここnoteだけでなく、TwitterやInstagramでも投稿してます。この2箇所ではほぼ日ドローイングをやり始める前からの作品も頻繁に載せてました(大学の課題作品、卒業制作など)。
もともと写真を撮るのも好きなので、作品以外にも風景や植物も。

と、自分のインスタの投稿を遡っていたら卒制前後から現在に至るまでの投稿あるいは作品の変化がとても面白かっ

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感謝

感謝

なんだか最近、自分の投稿する頻度が増えたっていうのもあるかもしれないんですけど私の投稿を見て「スキ」を押してくれる方が増えたように感じます。

このnoteでの投稿は元々かなりの自己満あるいは自身の記録のためにやっていたのですが、やっぱりなにかしらの反応があると嬉しいものですね。

TwitterやInstagramでも投稿しているものの、絵やドローイングに添える言葉をどうも当たり障りのないものに

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自分の手

つい最近まで絵の具まみれだった手。
少し長いくらいの爪にお気に入りの色を乗せて、ふとした時にその色が目に入るのが好きだった。もともとお洒落は苦手で、ブランド物みたいな服は着なかったし濃いお化粧もしなかった。でも、手だけは女性らしく見えてて、自分の体のパーツで唯一好きだった。

調理関係のお店で働く今の手。
短く切りそろえられた爪。マニキュアは塗れない。絵の具も頻繁には使わなくなった。染み付いた油絵

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花

もしも花や植物に明確な感情があって、

枯れ始めた時に
「自分はもう美しくないから消えてしまいたい」
とか
「枯れてもなお私の美しさは消えない」
とか

枯れて朽ちていくことに
抗ったり
受け入れたり
思い悩んだりしていたら、

そのいじらしさに、私は、

たおやかに。

たおやかに。

自分の寿命がわかればもっと思いっきり無茶なこともできるだろうし、一日一日を良いものにしようと日々頑張れるのかもしれないけど、やっぱそれはなにか違うよなあと。

でも「自分がいつ死ぬかわからないから一日一日を全力で、後悔のないように生きよう」なんていうのは、つかれちゃって。

なんていうかな、こう、SNSに映えるような洗練された生き方ってとても素敵に目には映るのだけれど、いざ自分がそうしようとすると

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日記とドローイング

日記とドローイング

4月から日記とドローイングを(ほぼ)毎日続けてます。

前々から日記書きたいなあと思いつつ、しかし三日坊主の自分はどうせ続かないだろうと半ば諦めていたのだけれどとある出来事があり、大したこともせず怠惰な毎日を送っていたら駄目になる…と日記を始めた今年の4月22日。

とある出来事、とは不甲斐なさ過ぎて明かしたくはないことなのだけどぼんやり表すとしたら「スタートダッシュが遅れた」。
周りのみんなが大

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憧憬フィルター

たとえどれだけ不便だとしても、現代の生活より昔の生活に憧れてしまうんだよなあ。

ただ、それは実際に経験していないからこその憧憬フィルターがかかってるからきっとそう思うんだろうね。だからなんか「憧れ」のままでいいや、とも思う。

話は変わり、私は幼い頃から「となりのトトロ」が大好きで、当時ビデオのテープがてろてろになって再生できなくなってしまうまで何度も何度も見ていた。あの頃はおそらく単純にトトロ

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日常

とある夕方、バスに乗って何気なく外を眺めていたらガソリンスタンドで給油しているスーツ姿の男性と女性の後ろ姿があって、なんだか、なんとも言えない気分になってしまって、ああこれはだめだと、明日誰にも何も言わずにパッと消えてしまいたくなった。

毎日繰り返される日常の中で、自分でもよくわからない方程式でこういう「消えてしまいたいなあ」という思考が生まれる。なにがきっかけかなんて、本当に些細などうでもいい

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あいまい

先日、友達とお互いに似合う季節の話をしていたのだけれど、私の周りには意外と暖かい季節の人が多い。そして、その暖かい季節である春と夏が似合う友達が言うに私は「どの季節も似合う」らしく、なんだかそれが、無性に嬉しかった。

人の感性によってそれぞれ他人のイメージとかって変わるものだろうから、それが私からイメージされる確固たるものなわけではないけれど、それらのおかげで相手の中に「私」が存在していられるの

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まとわりつくもの

まとわりつくもの

もっと自由な感性でもっと自由に作品を作りたいなあ~と思うけど、実際ある程度のなにかこだわりのようなものがないと掴みきれず乱雑なものになっちゃったりする。

いつだってその辺の意識等々の葛藤が絡み付いてて離れない。だがしかし、何より 存外自分の感性というものが嫌いではないのでそこから作り出される自分の作品は、自由とかいう垣根を越えてそれぞれとても愛しい。
ので、それでいいかな、と思ってる。

「将来の夢はなんですか?」

今まで生きてきて、誰もが幾度となく経験したことがある問いだろう。
幼稚園、小学校、中学校、高校、そして大学。ただ純粋に夢を語れたのはいつまでだったか。

自分の幼稚園の頃の夢は「お花屋さん」とか「お菓子屋さん」とか、それなりに誰もが一度は憧れるような夢を抱いていた。ある時、絵を褒められた。とてもとても嬉しかったのを今でも覚えている。その時から自分の夢は「画家」になっていたのだと思う。毎日幼稚園で絵

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わからないことだらけ

私は「ことば」が好きだ。
けれど、うまい付き合い方はまだわからない。

私は「美術」も好きだ。
けれど、これまたうまい付き合い方はまだわからない。

まあ、でも、そうだろう。
きっとこの先もそうなんだろう。

それが良いのか、悪いのか
それすらもわからないけれど
今のところ、どちらも大切で好きであることに
変わりはないからこのままでいいかな、と。

…いつかわかるときがくるのだろうか。
気長に待と

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