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記事一覧
夕焼けラムネ 【だいたい2000字小説】
俺の放ったオレンジ色の硬球が、緩やかな弧を描いて、永井(ながい)のミットに収まった。永井が薄い唇の端を上げて投げ返してくる。ボールがグローブに収まる音と、波の寄せる音が重なって耳に心地良い。
大会を直前に控えたこの時期、身体を休めることも大事だ。そのせいで、部活はいつもより早く切り上げられる。中学から同じ学校でバッテリーを組んできた俺と永井は、クールダウンを兼ねて、近場の浜辺でキャッチボールを
ハイドロプレーニング 【だいたい2000字小説】
ハイドロプレーニングってカッコいいじゃん? 響きが。いや、字面もかな。
なんて話していた友人の言葉が、私にはよくわからなかった。
もしかしたら、マルクス=アウレリウス=アントニヌスを覚えたての頃むだに連発していたのと同じ感覚で話しているのかもしれないと思った。
6月も終わりそうだというのに、ついさっき梅雨が始まったかの如く、やっとしっかりとした雨が降って、降ってきたかと思えば警報が出される始末で
バブル 【だいたい2000字小説】
まだ幼かった頃、“食べられるシャボン玉”が流行った。
一般的なシャボン玉は飛ばした傍からはじけて消えてしまうし、食べられるなんて夢のまた夢だと思っていたから、子どもながらに興奮したのを憶えている。
隣町の大型商業施設で見たという友人の話を頼りに、その週末、母にせがんで出かけた。
それは、お菓子コーナーの一角にあった。
飴玉とラムネ菓子に挟まれて、赤・黄・青や緑色のボトルが並ぶ。それぞれイチゴ
氷 【だいたい2000字小説】
寒い北国で仲間たちと引き剥がされた私は、それこそ、溶けそうなほど暖かい場所へ連行された。
その土地は、真っ白でどこまでも平坦な硬い土地だった。
その地に降り立ってすぐの頃は、私の体温が低いのもあって、ひんやりとした心地良い感触が足裏に伝わったのだが、やがて小さな水溜りができ、身体がくるりとまわる今となっては、ただただ不快でしかない。
そうそう、不快といえば。
この地の湿度には驚かされる。
全身に
オレンジレアチーズケーキと私 【だいたい2000字小説】
「んー、なんて言うか……思ってたのと違ったんだよね」
それは、別れる理由のうちで、最も残酷な言葉だと思う。
勝手に“思って”己のなかに作り上げた人物像と、実際に付き合った実在の人物に齟齬があった、その齟齬を受け入れられなかった、なんて、かなり身勝手な話だ。
そういう齟齬や、今まで見えていなかった性格や表情や、まわりの人間関係をとっぱらった生身の人間として対峙したときに立ち現れる“発見”を楽しむこ
四季のない町 【だいたい2000字小説】
テレビに映った地元のニュースは、まるでどこか遠くの観光地のような賑わいだった。
「キリンが減って、ざんねんだったー」
新型感染症が蔓延っていることを憂う大人のような表情をした少年が、先月死んだキリンを思いながらインタビューに応えている。
志乃ちゃんも、こうして子連れで出かけているのだろうかとよぎった。
志乃ちゃんは、私の姪の長女で、幼い頃うちによく泊まりに来ていた。
正確には、私が姉のところに
青空法廷 【だいたい2000字小説】
漆黒の法服を脱ぎさえすれば、私だって、ただの「人」である。
腹だって減るし、眠くもなれば、欲情もする。
それもすべて、家庭生活が基盤なのであって、その生活のためには金が要る。
私がここに座っている理由は、生きるために他ならない。
悲鳴、というより、もはや叫びですらあった。
本日3人目の女は、なかなかにしぶとく、否認の言葉をところどころ吐きながら濁音混じりの叫びを上げていた。
もっとも、その声は、
チキンにリボン 【だいたい2000字小説】
「あー、最高」
歌い終わった弥生は、小さいハート柄をかぶったマイクを置くと後奏の余韻に頭を揺らしていた。
気休めにすぎないけれど、感染予防のために子どものサイズアウトした靴下(一応、洗濯済み)をマイクにかぶせて、弥生と2人でカラオケボックスにいる。
お互いの子どもが幼稚園に行っている午前。
家のことを早く切り上げて、月に一度、こうして2人で過ごす。
「母親」としての立場にも大分慣れてきたけれど、
あの日隠した流れ星 【だいたい2000字小説】
ジャングルジムのてっぺんで、流れ星をつかまえたことがあった。
あの日は、朝から雨が降っていて、小学生だった僕は、教室で憂鬱な一日を過ごした。
さいわい放課後には晴れたもんだから、数人の友人と公園に寄って遊んでいた。
雨上がりで、公園には幾つもの水溜りがあるというのに、幼かった僕らはそんなこと微塵も気にせずに、キックベースをして遊んだ。
僕が蹴り上げたボールは、鋭角を保ったままどんどん伸びて、守