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三島由紀夫の言う「空っぽ」から抜け出すための攻略本 [ 📚𓀫 ]


[ 解釈に間違いがあればご指摘ください!! ]
[ 一人でも多くの人を「空っぽ」の世界から引き戻しましょう(啓蒙的)]

■ そもそも「空っぽ(空虚な人間)」とは何か?

「空っぽな人間」とは?

  • 何とも『繋がっていない』空虚な人間のこと。

  • 『言葉と法と損得』の枠内に縛られた「からっぽ」な人のこと。

    • 一夜にして天皇主義者から民主主義者になるような入れ替え可能な人間のこと(社会学者・宮台氏)。

  • 三島由紀夫は全共闘のイデオロギーを『空っぽ』だと表現した。

    • 彼は『全共闘が一度でも天皇と言えば喜んで一緒に反体制運動に参加した』とも言っている(運動の本質が反米愛国運動だと気づいていたた)。

    • 彼の短編小説『海と夕焼け』からは理屈に塗れた意味論や観念よりも「夕日の方が真理である」というようなメッセージが伝わってくる。

    • 『老僧, 夕日, 海』と『大戦争の最中である1200年頃』という組み合わせは『空っぽ』と『そうでない状態』を巧みに表現しているようにも見える。

「空っぽではない人間 🔑」とは?

  • 「空っぽ」ではないもの(=真理)と繋がっている人間のこと。

    • 自然(=夕日, 森, 宇宙, 一木一草の天皇, 神)と繋がる。

      • 自分自身の内側にある内発性(=愛, 利他, 好奇心など)と繋がる。

  • 「言葉と法と損得」の枠内に縛られていない人間のこと。

    • 「言葉と法と損得」「システム」の外側に存在している、決して牽強ではない、密教的な、本当は誰もが伝えてきた『真理』を大切にしている人(社会学者・宮台氏)。

  • ルーツを大切にする人。

■ 日本はそれを失ったのか?

空虚の副作用を憂いた三島由紀夫

国民の意思が、中間的な権力構造の媒介物を経ないで、国家意思と直結するということを夢見ている。この夢は、一度も叶えられなかったから戦前のクーデターは全て失敗した。しかしながら、これには、『天皇という2字』が戦前付いていた。

付けてもしょうがないと諸君(全共闘)が思っているだけで、これが付いたとして「日本の底辺の民衆にどういう影響を与える」かってことを一度でも考えたことがあるか?

三島由紀夫 vs 東大全共闘

このように、彼は、国家は国民の意思ではなく、国家の目的や伝統に基づいて統治されるべきだということ、さらには民主主義というシステム自体が機能させることが難しいことを主張していた。

その点も踏まえて、彼は、空虚なシステム下にいる国民には不動点、指針となるような一木一草としての天皇が必要だということを説いていた。

【一木一草の天皇が必要だと捉えた三島】
合衆国憲法の解釈は時代によってまちまちになる。だから憲法学者のローレンス・レッシグは『建国の父が生きていたら何を言うかという遺志が不動点になる』と言った。同じく天皇陛下ならどう思うかが日本の不動点になりうると三島は考えたのだろう。制度ではなく事実性の問題だ。

【コメント】
彼は「萩原朔太郎・伊藤しずお」等の思想を引き継いでいる。

「空っぽ」日本 見抜いた目「不動点」として考えた天皇 社会学者 宮台真司氏

国家というシステム(構造)の中にいる私たちは、常に、国家や資本制社会といったシステム(イデオロギー)の影響を受け、人格を形成している。だから、国が自己同一性(文化や価値観)を失えばそれが国民にも伝染する。この副作用の存在を認識していたのがすごいと思う。

西洋化と将来を分析した萩原朔太郎

しかし僕らは長いあいだ外遊していたため、家郷に帰っても、もう日本的なる何者の面影さえも見れることができないのを驚くのである。

萩原朔太郎(日本への回帰)

西洋化を体験した萩原朔太郎(明治1886年 〜 1942年)は、日本は西洋に脅かされ、積極的に西洋文化を取り入れ過ぎたために、自らのアイデンティティー、自己同一性を喪失したというような見方をしている。

しかし、それと同時に彼は以下のような言葉も残している。

僕等は一切の物を喪失した。しかしながらまた僕等が伝統の日本人で、まさしく僕等の血管中に、祖先二千余年の歴史が脈搏してゐるといふほど、疑いのない事実はないのだ。そしてまたその限りに、僕等は何物をも喪失しては居ないのである。

萩原朔太郎(日本への回帰)

「僕らが失ったもの」というのは日本の伝統的な文化や価値観、精神性である。だが、彼は、『今まで西洋文化で覆い隠されていたせいで失ったように見えていたものは実は私たちの中に眠っている』という楽観的な捉え方をしてもいる。そして以下のように言う。

今や再度我等は、西洋からの知性によつて、日本の失われた青春を回復し、古の大唐に代るべき、日本の世界的新文化を建設しようと意志してゐるのだ。

萩原朔太郎(日本への回帰)

上記にある彼の言葉には、縄文時代あたりに自然発生的に誕生した教祖も教義もない神道的な考え方が含まれていると思った。なぜならこれは『外来文化を受け入れ日本的に変容させる』というような性質も持っているからだ。だから「祖先二千余年の血」が今も流れているなら、「私たちは一切のものを喪失したが、それは世界を更新するための期間でもある」というような考え方もできるのではないか。

それと繋がることの意味

【アメリカ人が自己啓発本や選挙によって高揚する訳】
大自然の中で自己が直接神々と向き合う、というのはアメリカの宗教背景であり、それは自己肯定感を非常に高揚させる。

アメリカにおいては自己啓発ってのは、神と繋がってるんですよ。聖書に手を置くんですね。ただ、その神が不在のまま、日本にその自己啓発だったりエマソンみたいなものが明治時代に入ってくると、個人という存在は、自然と一対一なんだけれども、神の背景がないから一体自分が何者かがよくわからないとこの個人というのがものすごくこう困難な存在として出てきちゃうんですね。

宗教があればそこに神だったり自然だったりという、もうちょっと多元化するんですけど、そのリソースの配分問題になっちゃうと経済的な合理性しか横軸がなくなっちゃうんですね。

https://terakoya-juku.com/blog/detail/20231116/

アメリカでは大統領ですら就任時に聖書に手を置いて神と繋がっている。では、なぜ、日本ではそのような機会がないのか?

1945年に米国(GHQ)の「神道指令」によって神道が禁じられた(日本の強さの源泉がそこにあると考えたという説もある)が、この影響もあると思う。明治政府が神道を利用して政治に結びつけて日本の軍国主義を強めていたのも事実だが、極端すぎると思う。

戦前の日本軍の強さは「天皇という神と繋がることで得られる高揚」から生じていたのではないか?

神道指令は、1945年12月15日にGHQが日本政府に対して発した覚書で、神社に対する特別の保護の停止、神道施設の公的機関からの撤去などを指示し、国家と神道との完全な分離を命じました。これにより、国家神道は完全に解体されました。

一方、天皇の人間宣言は、1946年1月1日に昭和天皇が発した詔書で、天皇自身の神性を否定しました。この宣言は、神道指令に同調する形で行われました。これらの措置は、日本の戦後復興と民主化の一環として、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)によって実施されました。これにより、日本の宗教と政治の分離が進められ、天皇の地位と役割も大きく変わりました。

(引用元(1, 2)) → GPT4

他国ではギリシア神話や聖書に関することを授業で教えていたり、書店で子供向けに説明したものまで売られている。そしてそれは子供のうちからアイデンティティを確立させようというような意図があると聞いたことがある。

終戦後の日本の学生は教科書のある部分を墨で消すように指導を受けていた。そこには日本の神話、神道などが含まれていてという。

日本人は終戦後に自分たちのルーツを知る機会を奪われてしまいました。世界のどの民族であっても、自分たちが何たるかを知るということは、その民族が固有の価値観や文化を受け継いでいくうえで強いバックボーンになります。

日本人は自分たちのルーツを知る必要がある

■ 日本人のルーツについて(神道・和)

【神道について】
神道には開祖や教義は存在せず、日本各地で自然発生的に成立した
ものが、大和朝廷の発展に伴って統合されていった。そこからは外来宗教である仏教や儒教の影響を受けて変質し、日本人の慣習や天皇の祭祀など、さまざまな形に展開した。「外来文化を受け入れて、日本的に変容させるというエネルギー」をもっているとも言える。また、神道は多神教でかつ祖霊崇拝であるため、あらゆる自然や一族の先祖、社会に大きな貢献をした特定の人物、怨霊などさまざまな「神」が存在します。

➡︎ 共生を大切にする
「和」や「共生」を重んじるという価値観もある。他国は「征服」によって国譲りがおこなっていたが、日本は「話し合い」によって新しい王朝への国譲り行われてきたという歴史もある。
鎮守の森に代表される自然を守り、自然と人間とがともに生きてゆくこと、祭りを通じて地域社会の和を保ち、一体感を高めてゆくこと、子孫の繁栄を願い、家庭から地域、さらには皇室をいただく日本という国の限りない発展を祈ることなど。

➡︎ 日本人にとっての神道
日本人にとって神道は習俗・習慣に溶け込んでいるので宗教と感じられることが少ない(初詣や七五三など)。また、政治、経済、文化に深く関わりながら存在してきた。                                                 

引用元 → GPT4」&「眠れなくなるほど面白い図解・神道」

価値観喪失による副作用

そもそも日本以上に神道的な価値観、歴史、文化が受け継がれてきた国はないと言われている。

この神道の伝染力と持続力の鍵になっていたのが「家族意識(祖父母を思いやったり、子や孫を慈しんだり…)」でもある。だから、「西洋化による個人主義の蔓延、神道の禁止」などといった出来事と日本人のルーツ意識の低さは深いところで関係していると思う。

これにより、それまで日本人の心を一つにしていた天皇を中心とする一体的な観念(日本人としての存在理由)、古代から培われてきた倫理や道徳が失われた。そしてそれが「空虚な個人や国」を作る一因になってしまっている可能性が高い。

以下の引用もそのようなことを示唆している。

第二次世界大戦終結後、GHQによる神道指令によって、国家主義的イデオロギーの根源とされた国家神道体制が解体され、神社は神社本庁を包括団体とする宗教法人へと移行した。こうして神社は現代において公的な立場を失った。

しかし、典型的な政教分離の国とされるアメリカでさえ、新大統領の就任式では、聖書に手を置いて宣誓がなされますし、式に参列している牧師が祈りを行うのです。もちろん、この式典が憲法違反だと批判されることはありません。それは、アメリカ国民の大多数がキリスト教の信仰を持っているからです。

神道は仏教とともに、わが国の伝統に根ざした宗教です。にもかかわらず、いつまでも「神道指令」に呪縛(じゅばく)され、神道のみをことさらに国家から分離することは「国民生活を混乱におとしいれる」ことにならないでしょうか。

日本財団図書館-教科書が教えない歴史*

そのような文化が比較的残っている沖縄

神道における「共同体を大切にする」というような価値観が今でも比較的強く残っているのが沖縄である。

経済活動においても、共同体の調和を保つために「競争を抑えよう」という暗黙の了解があるという。また、神道に見られる「自然・祖先崇拝、アミニズム、神話」というような文化が、今でも「琉球神道」という形で沖縄には残っている。

善い社会とは

神道のルーツは縄文自体にまで遡ると言われている。以下に縄文時代の特徴を紹介するが、やはり「共同体」「分配」「自然や祖先の崇拝」を大切にしている。愛がある。

縄文人が一万年間もの間、平等で平和的な暮らしができていた秘訣はそこにもあると思う。現代だと「北欧の社会システム」が一番これに近いのでは?と思った。適材適所と分配ができているという点で。

〜 縄文社会について 〜
【自然との共生】

縄文時代の人々は、自然ととも共生することが人々の倫理観の中心であったとされています。彼らは自然の恵みを平等に分配し、助け合いながら輪になって暮らす平和な社会を築いていました。具体的には、生物多様性との共生が重要で、植物、虫、鳥、動物など、生き物全体が相互に関係しあって生きている「生態系」が存在していました。また、自然・環境と人間が相互に利益を受ける関係を築くことが重視されていました。また、自然だけに限らず外来の神も自分らの文化に取り入れ共生していた。

共同体の形成】
縄文時代の共同体(ムラ)には、権力者はいなかったと考えられています。それぞれが、適材適所でできることをやる。病気やケガをした人を看病していた形跡もあるし、みんなで支え合って暮らしていたんじゃないかとされています。これは、他者と協同して共に学び合う〈共同体〉の形成とも言えます。また、コミュニティの役割として、生活環境の改善や人間同士の交流、住民の欲求を統合する場としての機能が重要であったとも言えます。

争いの少なさ】
縄文時代には争いが極めて少なかったと言われています。大陸のように外敵に攻められる心配がなかったこともあるだろうとされています。紛争や内戦は、資源の奪い合い、民族同士の対立、異なる宗教同士の対立、土地の奪い合い、独裁政権への反対による争いなど、様々な原因で起こります。しかし、縄文時代の人々はこれらの要素をうまく管理し、争いを最小限に抑えることができたと考えられます。

引用元(1, 2

■ 私たちはどう考え、どう行動すればいいのか?

システムの外にある「真理」の重要性を体験して理解したり、自分のルーツを認識すことが大事だと思った。

そうすれば、自己同一性を徐々に取り戻していくことができるから、結果として、古き良き日本人的な『高揚』の獲得に繋がると思う。

宗教について思ったこと

宗教は弱いものがすがるものと言われることがあるが、歴史を見ても、人間は人間が思っているほど強くなく脆弱な存在でもある。だから、そこ(倫理、道徳、価値観など)を補完するものとして「広義の意味での良質な宗教」があった方がいいと思った。

現代科学に欠けているものを埋め合わせてくれるものがあるとすれば、それは仏教(生命哲学とも呼ばれる)だ。

>>> 人間を戦争というくびきから解き放つことはできるのか?
アインシュタイン:
人間の心自体に問題があるのだ。

アルベルト・アインシュタイン

「広義の意味での良質な宗教」は、言語やコンピューターのように、人間の能力を拡張するための、とても強力なツールだと思う。例えば、最近(1948年)建国されたイスラエルという国の民の多くはユダヤ教を信仰している。

このツールは、様々な地域へと散り散りになってしまった彼らを数千年に渡って「繋げて」きた。だからこれが存在しなければ再び団結して力を発揮するということはなかったはずだ。

彼らユダヤ人は、民族としての繁栄を、その聖典を通して、心理学でいう『自己充足的予言』的に実現していっているように見える。それも彼らの強さを構成する要素の一つであることは間違いないはず。もし彼らが「空っぽ」だったとしたら、今のような団結力や国強さは無かったはず。彼らにとって「空虚」は「死」を意味する。

敵国に囲まれていて、人数的にも地政学的にも不利な状態にある彼らの行動は「実践的」である。そうじゃないと死んでしまう。だからこそ「神と繋がって自己を拡張(個人が神と直接関わり合うことで生じる責任などが果たす役割も大きいと思う)」するし先端的で科学的なHow Toをシリコンバレーのように積極的に取り入れたりする。私は彼らの「失敗を褒め称える」という文化が好きだ。

■ 自然から「神性」感じるのは「Awe体験」的で自然なことなのでは?

【Awe体験とは】
大草原や大海原、あるいは大宇宙の星空などの、自然を前にして圧倒される経験をAwe(オウ)体験という。
恩恵】
謙虚さと感謝の増加: Awe体験をすると、自分の存在の小ささを感じ、謙虚な気持ちが生まれます。これにより、人は他者や世界に対して感謝の気持ちを持つようになります。
脳の活性化: Awe体験中、脳は通常の状態よりも活性化します。この活性化は、謙虚な気持ちや感謝の増加と関連しています。
心身のリラックス: Awe体験は、心と身体をリラックスさせ、マインドフルネスを促進します。これにより、ストレスの軽減やリラックスした状態がもたらされます。
創造性の引き出し: Awe体験は創造性を引き出す効果があります。この状態では好奇心が刺激され、新たなアイデアや視点が生まれやすくなります。
人間関係の構築: Awe体験は人とのつながりを強化し、共感や理解が生まれやすくなります。これが、人間関係の向上に寄与します。
希望に満ちた状態: Awe体験は希望に満ちた状態を生み出し、ポジティブな心の状態に導きます。これが前向きな行動や意欲を引き出します。
幸福感の向上: Awe体験をすることで幸福感が高まり、ネガティブな感情(嫉妬心など)が減少します。これが心の安定と幸福感の向上に繋がる。
未来への意識: Awe体験は未来の時間を現在と同じくらい価値あるものと感じさせ、未来への思いやりを育む。
社会性の向上: 研究によれば、Awe体験を通じて社会性が高まり、他者や未来の社会のために積極的な行動が増加。
持続可能な行動: Awe体験は環境への意識を高め、持続可能な行動への動機づけを促進。
社会貢献: Awe体験を経て、個人は社会への貢献意欲を高め、創意工夫を凝らし積極的な社会活性化を促す。

大自然に触れた人の脳が驚くほど活性化する訳(岩崎 一郎 : 脳科学者、医学博士)
ちっぽけな自分を感じ利他的に動きたくなる → GPT4

私自身、自然を前にしたとき、『人智を超えたとてつもなく大きな存在』を志向的に予感することがよくある。それは、動物行動学者のワトソンの『このイカたちは"何かもっと大きなもの"を見るために精巧過ぎる目を持っているに違いない』というような発想方法と通づるところがあると思う。

それはまた、映画アバターのような世界観とも似ていて、万物との一体感のようなものも体感させてくれる。これはまさに、広い意味での自然たちと繋がっているような感覚で、そこに何らかの重要なメッセージ性を感じることさえある。そこに自然な意味付けをして自然に高揚しているのかもしれない。

私を構成している分子、素粒子が、あらゆる自然物と共鳴し合っているような不思議な感覚を自然の中で味わうこともある。実は『境界線』なんてものは、私たち生物が勝手に想像しているに過ぎないのではないか?

インドの元大統領が『隣人が他人だと思うならそれは間違えだ』と言っていた理由がなんとなく分かる。これは脳の観点からもある程度説明可能で、その『境界線』を作っているのは『左脳』である。そのため、左脳機能を失った人は、自分と世界が一体化しているような感覚を味わうことになる。

進化の過程で得た右脳と左脳は、争い合うために与えられたのではなく『全てとバランスよく共生する社会』を作るために与えられたのではないか?

ほとんどの人類は理性優勢で生きる道を選んだ。そして多くの自然物を抑圧した結果、あらゆる反動が起きはじめた。

でもこれは「理性というツールを作って外在化するための期間」だと捉えることもできる。なぜなら私たちは『解き明かしたあらゆる法則』を利用し、自然界の媒介役、産婆師として、もっと豊かな世界を創造する能力を手に入れたからだ。その力は、私たち人間以外の抑圧された自然をも救うはずだ。

全ては繋がっている。


以下構築中(……)


《北欧的な社会システム》
皆んなが幸福な社会を作るには? | 『ウェルビーイング資本主義』 + 『ブロックチェーン』 + 『AI技術』 = 🌞

自分



人類が
#かなえたい夢

私たちの心の
#ふるさとを語ろう


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