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歴史考察

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歴史について考察した記事をまとめています。
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#秀吉

成り上がりとたたき上げ ~秀吉、博文、角栄~

成り上がりとたたき上げ ~秀吉、博文、角栄~

日本史には「名門」つまり綿々と続く立派な
家柄の人たちが数多く出てきますよね!

例えば「藤原氏」。例えば「徳川氏」。
その一族に生まれて順調に育てば、
苦労せずに活躍の場が与えられる…。

その一方、全くの徒手空拳から
「成り上がって」天下を握った人物もいる。
代表的な人物は、次の三人です。

豊臣秀吉は尾張(愛知県)の庶民の出。
それが織田家に仕えることで頭角を現して、
天下人になり、関白、引

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とにかく(計数に)明るい近江 ~三方よしの伏流水~

とにかく(計数に)明るい近江 ~三方よしの伏流水~

安心してください、稼ぎますよ!

…と、つい言ってしまいそうな雰囲気。
近江(おうみ、現在の滋賀県)と言えば
とても計数に明るいイメージがあります。
「近江商人」というパワーワードもある。

大手総合商社、伊藤忠商事の企業理念は
ずばり『三方よし』です。
「売り手よし・買い手よし・世間よし」!

自社の利益だけではなく、
取引先にも、社会課題の解決にも「よい」
三方よしの精神を掲げている。
これは

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鉄砲と、キリスト教と、フィリピンと

鉄砲と、キリスト教と、フィリピンと

「戦国時代」は、日本史の転換点の一つです。

鉄砲とキリスト教が伝わった。
織田信長は「鉄砲の大量使用」と
「キリスト教徒の国との貿易」を行い、
天下布武に向けて、大きく前進した…。

戦国時代が終わることに
影響を与えた出来事ですよね!
ただ、もう少し広いスパンで考えた時、
この二つの出来事は、その後の日本史にも、
また世界史的にも大きな意味を持っている…。

本記事では、鉄砲とキリスト教の伝来

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『関東八屋形』の運命

『関東八屋形』の運命

突然ですが、クイズです!

これらの言葉に共通することは、
何でしょうか?

近いですが、違います。
答えは『関東八屋形』!

室町時代の関東地方において
「関東公方を支える家」として
「武家の名門として認定された一族」
の名前、なのです。

すなわち、
『宇都宮氏、小田氏、小山氏、佐竹氏、
千葉氏、長沼氏、那須氏、結城氏』!

本記事ではこの『関東八屋形』について
取り上げてみます。

まずは場

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破壊王 交渉王に 学習王

破壊王 交渉王に 学習王

信長、秀吉、家康は、キャラが立っている。

このたび五回にわたって、
戦国時代~安土桃山時代の記事を投稿し、
改めてそう思いました。

本記事は、ちょっと振り返りで書いてみます。

五回の記事のタイトルはこちら。

①武田勝頼の誤算、長篠よりも

②どうする勝頼、高天神城

③どうした信忠、本能寺の選択

④天下分け目の小牧・長久手

⑤本当に『関ケ原』は天下分け目だったのか?

織田信長、豊臣秀

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天下分け目の小牧・長久手

天下分け目の小牧・長久手

「関ケ原の戦い」は有名。比べて、
「小牧・長久手の戦い」は少しマニアック。
こまき・ながくてのたたかい、です。

そんな風に考えてしまう人も、多い。

ですが実はこの戦い、
関ケ原の戦いに負けず劣らずの
「天下分け目の大決戦」だったのです。

戦国時代の三英傑と言えば、
信長・秀吉・家康!ですよね。

ですが「信長 VS 秀吉」は、ない。
秀吉は信長の家臣でしたから。
さらに「信長 VS 家康」も

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一歩抜け出せなかった勝家と一益

一歩抜け出せなかった勝家と一益

かの有名な織田信長の軍団には
もちろん時期によって色々ですが
五人の有力な軍団長がいた、と言われます。

(豊臣)秀吉と明智光秀は
かなり有名ですよね。しかし、
あと三人は?と問われて
すぐに出てくる人は、相当歴史に詳しい人。

この三人だと、よく言われます。

本記事はこの三人、特に
柴田勝家と滝川一益について。

大河ドラマの主人公にもなった
この二人に比べると、どうにも影が薄い三人。

なぜ

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秀吉のマネジメント

秀吉のマネジメント

金谷 武 さんが「良いマネジメント」について
「人事部裏トーク」の動画の中で
部下のナオ君さんと語ってらっしゃったので
(リンクを貼りますのでぜひ)↓

思いついた歴史とからめて、書きます。
題して「秀吉のマネジメント」。

ご存知、豊臣秀吉は、
徒手空拳から天下一の権力者にまで
上り詰めた歴史上の人物なのですが、

「人を動かす」力が、半端なかった。

言い換えれば「マネジメント」に
素晴らしい

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小牧・長久手の戦い、実は

小牧・長久手の戦い、実は

「関ケ原の戦い」はあまりにも有名なのに比べ、
「小牧・長久手の戦い」はちょっとマニアック。
こまき・ながくてのたたかい。

そんな風に考えてしまう人も、多い。
ですが実はこの戦い、
関ケ原の戦いに負けず劣らずの
「天下分け目の大決戦」だったのです。

本記事では色々な側面から
この戦いを書いてみたいと思います。

①そもそも、どこ?

「小牧」(こまき)は、
愛知県の名古屋の北のあたりです。
織田

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常に味方を多く

常に味方を多く

秀吉ほど人集めに長けた人は、いない。
「味方が多い」ことの利点を
存分に知っていた、と思う。

明智光秀を倒す際には、
スピード勝負で走って戻って
光秀が仲間を集めきる前に
数で圧倒して、勝った。

柴田勝家を倒す際には、
北国の冬で相手が動けない間に
存分に仲間を集めて
数で圧倒して、勝った。

徳川家康と戦った際には
現場では奇襲に負けてしまったが
家康の味方といつのまにか講和、
数で圧倒して

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信長の軍師、…思い浮かばない

信長の軍師、…思い浮かばない

秀吉や家康なら、すぐ思い浮かぶんですがね。

本記事は、織田信長・豊臣秀吉・徳川家康、
3人の歴史上の人物の「軍師」について
つらつらと書いてみようと思います。
実用地歴提案会ヒストジオですので。

①織田信長の軍師…って、いなさそうじゃないですか?

強いて言えば、明智光秀とか秀吉ですが、
彼らは「一緒に天下布武を進めた家臣」で、
「信長さま、次はこうでああで…」と
助言をして補う、軍師のイメー

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秀吉、光秀、一歩抜け出す

秀吉、光秀、一歩抜け出す

今いる自分の環境、待遇に不満がある時
もっと自分が活躍できる状態にしたい時
大きく分けて2種類の方法がある。

①秀吉スタイル
②光秀スタイル

①は、その環境において
与えられた仕事を200%
依頼主の期待をはるかに超えて
一生懸命に達成することである。

②は、自分を活かせる環境を
自ら検索し開拓して
その場に行けるように
環境そのものを変えることである。

①(豊臣)秀吉は、織田信長の
草履

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