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秀吉や家康なら、すぐ思い浮かぶんですがね。

本記事は、織田信長・豊臣秀吉・徳川家康、
3人の歴史上の人物の「軍師」について
つらつらと書いてみよう
と思います。
実用地歴提案会ヒストジオですので。

①織田信長の軍師

…って、いなさそうじゃないですか?

強いて言えば、明智光秀とか秀吉ですが、
彼らは「一緒に天下布武を進めた家臣」で、
「信長さま、次はこうでああで…」と
助言をして補う、軍師のイメージではない。
あんまり信長にあれこれ言うと、
処刑されそうですしね。

これは織田信長が基本、
「自分で考え、自分で行動する」
タイプの君主
だったからだと思います。

唯我独尊、俺についてこい。
桶狭間の合戦でも長篠の合戦でも、
脚本・主演、オレ本人って感じですよね。
もちろん、家臣や関係者からの情報は
おおいに参考にはしたでしょうけれど、
決めるのは、自分。
ある意味、潔いイメージです。
軍師、不要。

…ただ、信長も最後の最後には
本能寺で光秀に奇襲され、炎上します。
もし視野の広い「軍師」が
信長の下にいましたら、
その危険は避け得た、かもしれません。

②豊臣秀吉の軍師

…いますよね。

初期は「竹中半兵衛」
中期は「黒田官兵衛」という人。
いわゆる「両兵衛(二兵衛)」と言われた
二人の名軍師が!
黒田官兵衛は、大河ドラマのタイトル
『軍師官兵衛』にまで使われています。

ただ、ですね。
秀吉も基本、脚本・主演、オレ本人、
という感じなんです。知恵第一。
なのに軍師がいる、というイメージ。
いかに秀吉が「人を上手く使ったか」つまり
「人たらし」のイメージがあるか
、という
証左、うがった見方をすると
演出、ではないかと思うんです。

竹中半兵衛は、美濃(岐阜)の人です。
中国地方で毛利軍と対峙するあたりまで、
秀吉を助けていた、と言われます。

これに対して黒田官兵衛は、姫路の人。
官兵衛が敵方につかまり、
信長に疑われ官兵衛の息子を殺せ!という
命令が来た時に、
竹中半兵衛は密かにこの官兵衛の息子を匿った、
というハートフルなエピソードもあります。

余談ながら、姫路の和菓子屋さん
「甘音屋」では、
竹中半兵衛と黒田官兵衛の二人になぞらえ
岐阜のパン屋さんと協力して
「二兵衛」というコラボあんぱんを
作ったそうです↓

https://www.kamada-amaneya.com/item-list/collabo/472

軍師は軍師の大事さを知る、
と言ったところでしょうか。
ちなみにこの息子が、黒田長政といって、
のちに関ケ原の戦いで大ブレイクします。

秀吉に話を戻すと、
天下を取った後、仲間内の中で
「秀吉が死んだあと、誰が天下を取るか」
なんて話になった時に、秀吉は
「官兵衛のやつが取る」と言ったとか。
秀吉、天下取りの際には、
織田家の天下を乗っ取る、という
かなり極悪非道なことをしてますので、
そのあたりの機密を知っていた
官兵衛を警戒していたんでしょう。
事実、その後、官兵衛は
危険を避けて隠居し、黒田如水と名乗ります。

③徳川家康の軍師

家康の生涯は長いので、
その時々で軍師的な立場の人は
入れ替わり立ち替わりなんですけど。

関ケ原の戦い前後までの
家康の軍師と言えば、
「本多正信」という人がいます。

竹中半兵衛や黒田官兵衛に対して
あまり知名度はないのですが、
この人も、結構すごい人です。
かの有名な松永久秀も、
この正信を評価していたとか。
ちなみに、武勇で名高い
「本多忠勝」とよく間違えられますが
別人ですのでご注意ください。

元々この正信、家康の敵でした。
家康が若い頃(20代の頃)、
「三河一向一揆」という事件がありまして、
正信は一揆側につき、家康に歯向かいます。
家康、かなりのピンチ。
もしかしたらこの一揆で
命を落としていたんじゃないかというほど。
何しろ、家臣の半分が
一揆側に加担した
、と言われていますから。
会社で、半分の人が反乱して
社長やCEOに歯向かうようなものです。

さすがにこれほどのことをしてしまっては
地元にはおられない、と、正信は逃げます。
ところがここが家康の凄いところで、
敵だった正信の罪を許し、家臣に戻し、
自分の軍師的な存在に置いていくんですね。

少年ジャンプ的な展開、
昨日の敵は今日の友、的なアツい話です。

司馬遼太郎さんの小説『関ケ原』では、
この正信が家康の軍師、というより
「謀友」として描かれています。
もちろんフィクションありの小説ですが
こういう存在がいたというのは、家康、
とても心強かったでしょうね。
関ケ原の戦いは、戦場でどうこうするより、
いかに戦闘開始までに相手をなだめすかし、
味方陣営に引き込むか、という戦いですので
正信の謀(はかりごと)がモノを言います。

ただ、あまりに悪知恵が働くために、
また家康に近すぎるがために、
他の家臣、例えば本多忠勝などには
嫌われていたそうです。
また、同じく悪知恵の塊のような
真田昌幸の計略にひっかかって
家康の息子、秀忠を関ケ原の戦いに
遅刻させたりしています。
このへんのドジっ子?っぷりも
正信という影の軍師の魅力の一つです。

あくまで、主役は、家康。
軍師は、某三国志演義などのように
目立ち過ぎてはいけないのです
(孔明の蜀にしても、
両兵衛の豊臣家にしても、
滅亡してますしね…)。

ちなみに関ケ原の戦いの後は、
家康の征夷大将軍就任に尽力したり
本願寺の分裂政策を献言したり
(昔、一向一揆に参加してたんで
その怖さをよく知っていたんでしょう)
二代将軍秀忠の下について幕政に参加したり
いぶし銀的ないい働きをしています。
こういう人が組織にいると、助かりますよね。

以上、信長・秀吉・家康の
軍師について書いてみました。

読者の皆様には、
軍師的な存在は、いますか?
信長的な唯我独尊ですか?
いる人は、軍師に依存し過ぎてないですか?

この複雑極まる令和の乱世、
「心の軍師」をたくさん見つけて、
山あり谷ありの危険を
事前に避けていきたいものですね。

たぶん、SNSには、
あなたの軍師候補が
たくさんいると思いますので…。

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