名のある人が言っていることを聞いて気づくということは、昔からある。本やテレビなどがあったから しかし、市井に生きる名もない人にもさまざまな経験があり、そこから出てきた言葉にも重みがある 誰だか知らない人が言っていることで人生が変わることもある それがSNSの素晴らしいところ
悲しかった話 「ごめんなさい」 ってほんとにいろいろある。 ○丸く収めるため ○心からの謝罪 ○適当に謝罪 「ごめんなさい」って… 「ありがとう」と同じで心のこもった言葉のはず…適当に使うと傷つける言葉になりますね😢
言葉の捉え方は人それぞれで、その人と信頼関係があるかないかでも変わってくる。でも、いくら学んでも、本人が気づかなければ難しい。差別的であったり、自我が強すぎることで片方の味方しかできないこともある。それは経験値もあるし、モノの味方の視点をかえないともったいないって私は思うのです。
社長や副社長の言葉は深く心に残る。それは指示でも励ましの言葉でも。 親の発する一言も子どもにとっては「絶対的」なモノになるのかもしれない。 そんな風に思うと安易に怒ったり、説教したりできないな、と思います。
今朝、FBを開いたら、広島の原爆投下について『鎮魂と平和』を祈るメッセージが飛び込んできた。広島出身の友の渾身の発信に心揺さぶられた。私にとって大切な存在の言葉、ご家族に被災された方がいらっしゃる方の言葉の重みを噛みしめた。内からの強い促しを感じ、シェアをしようと友の了解を得た。