弘治3年(1557)1月15日は松平元信(徳川家康)と今川一門の築山殿(瀬名)との婚儀が行われた日。同じ頃元信から元康に改名したという。築山殿は元康より年上とも同年ともいわれる。母は今川義元の妹とも伯母ともいわれ元康は今川一門に準じる扱いとなった。後に嫡男信康と亀姫が誕生する。
天文11年(1542)12月26日は岡崎城主・松平広忠の嫡男として竹千代(家康)が生まれた日。母は刈谷城主・水野忠政の娘於大だったが跡を継いだ兄信元が今川方を離れ織田方についた。このため2年後に広忠と於大は離縁することに。竹千代は6歳から19歳まで織田と今川の人質として過ごした。