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【欠町・八柱神社】まとめ(後編)~神仏との付き合い方と先祖が伝えたいこと~


はじめに

前回の記事で愛知県岡崎市欠町にある八柱神社の沿革について触れてきた。
但し、上記は今後”定説”や”通説”になる可能性が有る「仮)沿革」だ。
情報は公開した。あとは識者の方々の精査/調査がいつか入るだろう。
その結果がどうあれ、期待したい。

※八柱神社@欠町を管理なさる宮司さん・氏子世話役の方々と当方は無関係です。当方は上記の神社を建立した人物の子孫のひとりです

先祖が伝えたいこと ①築山殿首塚のお参り

神社の参拝作法は東京神社庁様が詳細に記述されている。
該当HPを参照いただけると幸いだ。

さて、八柱神社(欠町)の話に戻る。
昨年11月のことだ。
いつものように本殿を参拝し、築山殿の首塚をお参りしようと道(ショートカット)を進んでいた際にそこに住まう神か先祖かーー。参拝の作法で叱られた。

分かり難いため、その時の状況を説明する。
先ず、本殿を参拝する。その次に築山殿の首塚をお参りする。
その際に本殿横から築山殿首塚に抜けるショートカットを通りがちだ。
詳細は下記ラフ画像を参照いただきたい。

八柱神社の図(ネコチャーン描) ※急いで描いたため雑で失礼
伝馬通り「欠町金谷」の交差点を北に向かうと50mほどで八柱神社(欠町)が在る。
そこから見た一図だ。

ショートカットを下っている最中にまるで背後から目上の方に叱責されたようにビクっとしたと同時に頭に「背中」という言葉が響いた。

叱られるまで何故気付かなかったのか。
戦国時代の姫君だ。
背後からお参りに行っては築山殿に失礼だ。

築山殿の首塚にお参りの際は本殿を参拝したらショートカットをせず、面倒でも本殿への階段を一度降り、正面からお参りいただきたい。

築山殿の首塚の鳥居
ここからどうぞご参拝ください

ここで少し抽象的な話をする。
憶測で批判はできないが、注意喚起も含めての記述だ。

神にも様々な神がいる。
古事記由来の神もいれば、神格化された自然物・動物・人物もいるだろう。供養塔もあるし、怒りを鎮めるために祀られた古の人々もいるだろう。

築山殿は供養と無念な思いを鎮めるため。それが神明宮の目的ではないか。
人の幸・不幸はその人物が決めること。
他人が決めることではない。
400余年経ち、ご自分の運命を受け入れていらっしゃるかもしれない。
そういったところで、ドラマに感化され「築山殿の御霊をお慰めしよう」的なイベントを開催したらどうなるか。
それこそ生きている人間の「築山殿は不幸だ」と決めつけるエゴではないか。
個人的な思いではあるが静かに「御霊が安らかであってほしい」と参拝いただきたい。
また、イベントを開くのであれば、毎年開催する覚悟を持っていただきたい。神を祀るとはそういうことだ。私たちの身勝手な思いで「おまつり」を始め、勝手に終わって良いものではない。
築山殿の静かな怒りを今年3月に訪れた際に感じたためこれは書いておく。

先祖が伝えたいこと ②葵の御紋

ここまで八柱神社(欠町)を建立した人物や所縁ある人物について書いてきた。
もう既に家康公の加護があった神社ではないことは明白だろう(仮)。
所縁はある。同じ時代を生き、家康公に反発した者がいるという所縁か。

お察しのとおり@ネコチャーン撮
どこもかしこも葵の御紋で……@ネコチャーン撮

熊野信仰を信じた先祖だ。
今あるものを壊せとは言わない。古いものには付喪神がいるーーそれは古来からの日本独自の考え/信仰だろう。
だが、新しく作るものに関しては葵の御紋はつけないでほしいようだ。

先祖が伝えたいこと ③神仏との付き合い方

どの神社仏閣でもいえることだ。

1)自らのエゴを神仏の領域で優先しないこと。自分の考えを押し通すのではなく、相手(神仏・対人など)の気持ち・意見も尊重すること

2)過ぎた望みを神頼みするならば、それに見合う対価を用意せねばならぬし、叶えてもらったらお礼をしなさい。過ぎたる幸運は身を亡ぼす

3)神域にはお邪魔する気持ちで来なさい。敬意があれば誰でも歓迎する

4)神域では1に神、2に神を奉る宮司、3に宮司をサポートする氏子。この優先順位を忘れるべからず

5)(先祖の)怒りを買ったものは知らぬ

少なくとも強く感じた思いは上記かーー。

もう1体の狛犬様@ネコチャーン撮

眉唾な話

前回の記事でも眉唾な話を書いたが、折角なのでもう2つ。
私は少々アンテナが過敏だと物心がついた頃から認識していたが、病気扱いされるのも嫌なためそれを明言したことはない。
加えて、訪れたことのない神社で着物姿の童と一緒に遊んだ記憶かはたまた夢かーーが鮮明にある。

先祖について調べようと思ったのは私だけではない。
父(故人)が若かりし頃に調べたらしいが、諸般の事情により諦めたそうだ。時代は流れ、私の上のきょうだいが10代の頃にも自発的に先祖について調べたいと思ったらしい。
父に相談し「色々ある」と説得されこれまた諦めたそうだ※。
それから20余年経ち、私がまた自発的に調べている。「色々ある」ーーこれの意味もよく分かった。
母を除き一家で3人。それぞれが自発的に先祖について知りたくなる。少し出来過ぎた話だ。
※今年の年始に当人から聞いた話

②私が小学生の頃の話だ。
集団登校の際に、準)公共建築物とエアコンの室外機の隙間に異物を見つけた。見つけたというよりも「やけに気になる」という直感で目をやった。
よくよく見てみると汚れていないセカンドバッグ。
開けてみたら中には鈴木姓のとある御仁の免許証と小銭が。小学生でも盗品と分かる。
「下校後に交番に届けにいこう」と近隣の子と約束をしたが、想像に容易いだろう。出し抜かれた(笑)。
子供は大人に褒められたいものだ。当然、賛辞はその子にのみ浴びせられたが、今は判る。その御仁は親戚筋。
免許証がなければ運転すらできない。仕事にならない。助けてあげなさいーーという先祖のヒントだったと思う。
先祖の加護がある。その方にはその出来事が偶然ではなかったと伝わってほしい。十中八九、心配した先祖からの助けだ。

本殿を見上げて@ネコチャーン撮
当然、今は私も足が向かない

まとめ

これが私が現状判っている八柱神社(欠町)だ。
憶測で/具体的に書けないことは省略してある。そのため、所々分かり難い個所もあると思う。申し訳ない。

多くの人に当たり前に存在した礼節。これに気付いてほしいのだ。
また、古くからの「モノを大事にする」「相手に敬意をもって接し、礼節を払う」という日本人の物の考え方の基礎を見直してほしい。
加えて、「自然に生かされている」「足るを知る」「無知の知」等といったひとりでは何もできないが「三人寄れば……」といった本来日本人が持っていた感覚を思い出してほしい。
恐らく、先祖が嘆いていることは上記のようなことだと個人的に思う。

何より、建立者本人らをいるべき場所にいつか戻して差し上げたい。
これが私の願いだ。

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