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異形者たちの天下第3話-5

第3話-5 踊る漂白民(わたり)が笑ったあとに

 家康は服部正就のでっち上げた左大臣九條忠榮を
「朝廷内における不浄の煽動」
と称してさっそく断罪を要求した。更に別紙で
「お忍び遊郭通い」
のことまで指摘されれば庇いようもない。ましてや先の猪熊事件もあり、世間的に宮中不浄を囁かれるのは当事者もさながら、帝にとっても体裁が悪かった。
 阿国傾奇御観覧の者どもが淫奔に更けても大目に見てきた事実がある。門閥家柄で高い位にいるものの、九條忠榮は二十八の男盛りである。色事秘め事にまで口を挟むのは無粋極まりない。それがとんだ事になったものだと、後陽成院は後悔するとともに、怒りと憤りを覚えた。さりとて幕府は自らの襟を正して
「傾奇けしからぬ」
と自粛を強調している。反論は出来ない。後水尾帝に至っては対処の術さえない始末。このままでは朝廷の無能を天下にさらけ出してしまう。このことを恐れた九條忠榮が、官職辞退という形で決着をつけようと考えても、無理はなかった。
 術がない以上、帝も彼を犠牲にして体面を保つしかない。
 つまりは家康に屈したことになる。口惜しいまま官職を辞退した九條忠榮は駿府より書状が発せられた正月一一日付を以て帝に届け出た。
 後水尾天皇は涙を呑んでこれを受理した。従一位を与えて散位とするのが精一杯であった。御所内に潜入した駿府の忍びを追っていった御所忍びも、とうとう還ってこなかった。このことから朝廷は幕府の戦闘能力がこちらへも向けられていることを悟った。三河の卑しき者と侮っていたが、卑しいからこそ
「何をしでかすか解らない」
のである。綺麗事も通じぬ相手にこちらの美学を説いても無駄だ。宮中は当面派手を控えるべしと、公卿たちは自粛することを決めた。
 
 江戸城内堀麹町御門に棲まう服部半蔵正成のもとへ、倅の駿府失態の報せが届いたのは三日後のことである。報せが遅れたのは、恥入って自害しようとした正就を伊賀衆が引き留めていたからである。その事態に驚愕した半蔵は、単身、駿府の家康のもとに忍び入った。
 家康は新しい側女を責めていた。
 お六。最も年若い最後の側室である。家康の老いた肉体の、どこにそんな精気が漲るものかと、天井裏の服部半蔵は感心するより呆れていた。もう自分にはそんな気も精も尽きている。それだけに家康という存在が頼もしくもあり怖ろしい。これも荼吉尼天の持つ魔力のひとつだとすれば、天下を握るまでに家康はどのような強靱なる化け物になってしまうのだろう。
 それにしても家康の責め方は老人が慰めにする交わりではない。むしろ若者ががむしゃらに女体を傷付けているそれにも似ていた。若者同士の交姦といってもよい。蝋燭の薄明かりのなかで認める限り、家康の男根は空恐ろしい程に太くそそり立っていた。
 これが七〇を越した老人のモノなのか。服部半蔵は絶句した。
 それに常人なら受け容れることさえ困難な大物を易々と受け容れる膣袋。このお六という若い側女も、化け物というべきか。
(よくもまあ、あんな大きいモノを)
と、経験豊富な服部半蔵さえも驚愕させる。
 果たしてお六は生来が淫奔なのか。相手は老体で、しかも大御所という肩書きの持ち主である。常に受け身に徹し、求められても求め返す事はあってはならない。それさえ構うことなく上位になって家康を激しく揺さぶる、まるで誰が主導権を握っているのかさえ解らなくなる閨の交姦。
 ふと、服部半蔵はお六の淫らに喘ぐ表情に
「築山殿」
の面影を見た気がした。
 かつての荼吉尼天事件のとき、家康を煽動していたのは築山殿と嫡男・岡崎三郎信康であった。そして間違いなく服部半蔵は首を刎ねられた築山殿の額に魔封じの札を打ち付けたのだ。それだけに築山殿の顔は
(忘れたくとも忘れられねえずら)
 しかし天井裏から見下ろす先で喘ぐお六の表情は、確かに築山殿そのものであった。
 それにしても、長い長い房事であった。
 家康は果たして幾度の精を放ったのだろう。少なくとも半蔵の目の前では三回は下るまいか。七〇過ぎの年寄りの体力では尋常の沙汰ではない。やはり身も心も荼吉尼天に支配されているというのだろうか。化け物じみた体力はそこから湧き上がってくるとでもいうのだろうか。
 やがて閨事は終焉を迎えた。
 さすがに家康はごろりと転がったが、お六は些かの疲れを見せることもなく、白く艶やかな肌を衣に包み、すらりと立ち上がって退室していった。一瞬、お六は天井に一瞥した。半蔵は身を竦めた。まるでこちらのことを見られたような気にさえなった。
「おい、下りてこい」
 ふいに家康が声を掛けてきた。
 半蔵は音もなく枕元へ下りてきた。
「服部半蔵ともあろう男が、趣味の悪い」
 家康は虚ろな目で呟いた。
「大御所こそ御人が悪い。知っていながらよくも戯れまするな」
「これだけが儂の愉しみなのだ。誰にも文句はいわせぬ」
 もっとも服部半蔵とて、家康の濡れ場を見たくてわざわざ江戸から忍んできた訳ではない。家康だってそんなことは知っている。嫌味の籠もった言葉尻で
「倅は忍びとしては失格だ。伊賀も甲賀も、しまいかのう」
と吐き捨てた。服部半蔵は答えない。返す言葉もないが、露骨に嫌味をいう家康には
「何を云っても言い訳にしかなりませぬゆえ」
と、ただただ倅の落ち度を詫びた。
 家康は上半身を起こして半蔵を一瞥した。
「老いたのう」
「は」
「そちは老いた。そちとともに服部の忍軍は徳川から消え失せるのか。ちと寂しい気もするな」
「服部一族は未来永劫徳川家の忍びに候」
「それは、無理ぞ」
「なんと?」
「徳川が天下を握ればもはや戦さはない。泰平の世に忍びは不要」
 家康はそう吐き捨てた。
「将軍家を江戸から甲府へ逃し奉る任務がござれば、いかな大御所とて無用とは承伏しかねまする」
「いずれ解るさ。身を以して知るときがくる」
 枕元の酒を飲み干しながら、家康は半蔵にこう告げた。
「八郎は越後高田藩でおとなしくしているだろうな」
「それは、まあ」
「いいか。そちが忠節を以て本心から徳川の天下を望むなら、八郎の寝首を掻いて麹町御門前の路に埋めよ。首を、だ」
 実の父が実の子の暗殺を示唆するとは。服部半蔵は理由を訊ねた。家康は答えなかった。松平忠輝の首だけを所望する限りであった。
 服部半蔵は御役目辞退を願ったが、家康は許さなかった。これも将軍家繁栄のためなのだと、御門を任せる者への役目として断固命令をした。半蔵は必死で固辞したがついに受け容れては貰えなかった。なまじ駿府に赴いたために
「とんでもないこと」
になったと、目眩を覚えていた。

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