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【どうする家康】築山殿は戦国時代のフェミニスト

以下の内容は、NHK大河ドラマ『どうする家康』24話までのネタバレを含みます。ご注意ください。



築山殿。
家康の正妻で、”悪女”として知られる女性です。
『どうする家康』における築山殿の描き方は、これからの大河ドラマにおける女性描写の大きなターニングポイントになるのではないかと感じました。
今回はそのことについて、過去作とも比較しながら述べたいと思います。


近年の大河において、築山殿が最も印象的に描かれていたのは、『おんな城主直虎』ではないでしょうか。菜々緒さんが演じる築山殿は、主人公・直虎の心の友であり、夫を叱咤激励しながら支える、それまでの”悪女”のイメージを塗り替えるような、優しく芯のある女性として描かれました。
さらに、この作品の築山殿事件は、”武田との密通"の疑惑を向けられた息子・信康の命を守るため、築山殿自身がその罪を被ろうと証拠を捏造した、という形で描かれます。
”悪女”というイメージは、歴史的出来事を一面的に捉えたものに過ぎず、別の視点からの想像をかきたてることこそが、大河ドラマの力なのだ。
当時の私は学生ながらそう感じました。


そして今年、『どうする家康』がスタートした時には、今回の築山殿(有村架純)もきっと、”悪女”ではないだろうから、築山殿事件は「武田との密通は冤罪だった」というオチになるのかなどと考えていました。
ところが、見進めていくとどうも違う。築山殿は、夫の知らないところで、自らの意思で武田の忍びや家臣と密会を重ねます。「武田との密通」という意味ではクロとしか言いようがありません。しかし、「武田と密通していた」のは事実としつつ、それでいて彼女を”悪女”とは描かない、それこそがこの大河のすさまじさではないかと気づきました。


ジェンダー不平等についての議論が活発化する中で、大河ドラマにおいても「女性が自らの意思を持って何かを成し遂げる」場面は、昔よりも増えてきたように感じます。しかし、それはあくまで夫の庇護下であるか、従来”女性の役割”とされてきた家事育児の範疇であることが多かったのではないでしょうか。女性が自分の意見を口にしても、それは無碍にされるか、政治に関わる夫に対する助言として受け止められます。女性の発言は、夫である男性を介さないと機能しないのです。”女性の役割”の範疇について例を挙げると、『青天を衝け』で、主人公・渋沢栄一の妻・千代が、来日した前大統領をもてなすための準備をまかされ、活躍する様子が印象的に描かれました。『鎌倉殿の13人』でも、主人公・北条義時の最初の妻・八重が孤児たちを集めて育てる描写が、彼女の活躍どころとして描かれました。もちろん、女性は男性に従属して生きざるを得なかった時代を背景とする以上、これは仕方のないことなのかもしれません。(※注)

『直虎』の築山殿も素晴らしい女性でした。しかし、彼女はあくまで、信長と家康(男性社会)に翻弄されながら、自己犠牲的な母性愛を発揮した女性として描かれました。一方で、『家康』における築山殿は、夫・家康の知らぬところで武田と対等に渡り合い、信長を疑心暗鬼にさせ、家康や他の武将を本気にさせ、男社会を動かす側です。従来”男性の役割”とされてきた政治的行為によって、築山殿を魅力的に描く。これは素晴らしい変化ではないでしょうか。築山殿は、”戦国時代のフェミニスト”になったのです。


もちろん、「歴史的にこんなことはあり得ない」「築山殿が語る夢は絵空事だ」という意見もあるでしょう。史実上でも、築山殿事件は悲劇的な結果を迎えます。しかし、「あり得ない」「絵空事である」ことの何がいけないのだろうかと思います。大河ドラマは史実ではなく、現代の人間が受容するフィクションなのですから。旧時代的な価値観を”忠実に”描き出すことよりもむしろ、現代社会にいまだ強く残る旧時代的な価値観に抗うために、想像力をダイナミックに働かせることが大事なのではないでしょうか。『どうする家康』における築山殿事件の新解釈は、そんなダイナミックな想像力の産物だったのではないでしょうか。


(※注)この特徴は、すべての大河ドラマに当てはめることはできません。「麒麟がくる」では、医師の助手で、薬事業で成功する駒という女性がメインキャラクターとして登場します。しかしこれは、彼女が武家の妻ではなく、一般庶民であるということも大いに関係しているのではないかと考えます。そして、近年の大河で、男女ともに庶民のキャラクターが増えているのは、良い変化であると感じます。

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