「悪名は無名に勝る、悪意のある切り抜きで盛り上がった中の3%は、本質にたどり着く。その3%がこっちに来てくれればいい。」そんな不快な思いしなくても、と思ったけど、なるほど、確かめるまでも無い、その3%は秀逸だ。まして不快な母数が大きい程3%は!解ってても誰もができる勝負ではないな
岡田斗司夫の「ホワイト社会」は、さすがにそれは無いだろと思ってしまった。理由は色々あるが、綺麗な言葉というのはリスクを軽視しすぎるのが一番の問題。社会道徳は、その社会に適合する形に収斂されていくはずだから、セーフティネットが弱い社会で綺麗な言葉が過剰に尊重される時代は来ないと思う