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#61神道(shintonist)

私は岡田斗司夫さんのYouTubeをみるのが好きです
岡田斗司夫さんサイコパスなんですよ・・・
ズバズバ切ってて、声あげて笑うときあります

そのときは宗教のお話でした
カルト宗教というと、悪いイメージがあります
けれど正確には、創始者が生きている宗教=カルト宗教とのこと
カルト宗教のうちは、当然論理的整合性が高い
教祖や直弟子の教義で説明できる100年~1000年
この間は宗教の価値観を持ってる

ところが
そこを過ぎると論理的整合性は失われていきます
あまりにも古すぎて教義が残っていない

日本人の宗教というか信仰は、神道なのですが
だいぶたってるので価値観はない状態です

古事記はキリスト教における聖書の位置づけですが
天武天皇の勅命で
天皇の系譜・事績そして神話などを記した書物を
編纂したもので、和銅5年(712年)に天皇に献上されました
編纂の時点で1000年以上前です。

おんころころ・・・と
イザナギとイザナミが海をかき回したのですよ・・・
古事記はたくさんの神様が出てきます
八百万(やおよろず)です
「楽しんで読む骨(コツ)は、神様と人の名が出てきたら直ぐに『忘れること』である」
(現代語古事記:竹田恒泰著:学研)

日本人は
ディズニー行くし
ハロウィンもやる
クリスマスもお祝いする
初詣も行く
こんな、多様なものを受け入れられるのを
shintonistとよぶそうです

岡田斗司夫さんによると
神道には館をもつ概念がありませんでした
仏教に仏殿があるんだから
神道にも神殿ないとやばいだろって
のちの人がつくったそうです
出雲大社も神殿はなかったし
吉野ケ里遺跡も、考古学者が
「神殿がないはずがない!」と決めつけてた
ピラミッドも
墓でも宗教的な場所でもないそうです

バイアスかかると
やわらかな考え方ができなくなることを
よく物語るエピソードだと思います。

翻って神道は
「全く何でもない場所を神聖な場所としよう」ということ

ほら、地鎮祭するとき、
棒を四隅に立てて
しめ縄かけて、神主さんが拝むでしょ
で、終わったら
それとっぱらっておわり。

「夢を信じる高度な遊び」だと話していました

・山の中のでっかい石を
・奇跡だ、「おぉ」という
・だから拝む

・AKBを
・神セブンだ、「おぉ」という
・だからシングル買う

神道は
あなたが神だと信じたものを信じていいですよ
という開放系の宗教だ
と解説しています。

夢を信じる高度な遊び。
たとえば
意味不明だし不合理
不経済だし生産性もない
けど、好き!!!
ってのは、手放す必要ないんだと思います。
そこにはあなたの神が宿ってる。
どんどん推し活やっちゃいましょう。


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