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#こんな学校あったらいいな

小学生が楽しく読める、学校を舞台にしたおはなし「#こんな学校あったらいいな」をコンテスト形式で募集します!

急上昇の記事一覧

「教育目的論論争」から教育目的のあり方を考える −ポジティブ行動支援における「望ましさ」を通して−

1 はじめに本稿は、教育思想史学会の前身である教育思想史研究会の頃に学会誌『近代教育フォーラム』上で繰り広げられた「教育目的論論争」を中心に教育目的のあり方を考え、そこから「ポジティブ行動支援」に目を向け、そこで語られる「望ましさ」について考察する。  教育哲学者ガート・ビースタによれば、学校現場では「良い教育とは何か」について語られることが減っている[1]。 代わりに、教育を「学習の言語」で語る言説が増加していることを指摘する(これを筆者は「教育の学習化」と呼ぶ)。この

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ルソーは教育学者ではない

本記事で扱う論文は以下のリンクから読むことができます。 画面右側にある「PDFをダウンロード」という赤い部分をクリックしてください。 さて、この企画も3回目になります。 原聡介、宮寺晃夫、と続きまして、今回は森田伸子論文を紹介します。 この森田論文もまたスリリングな内容なのです。それは、教育思想史研究とは「誤読」である、という命題に集約されます。この森田テーゼは以後、何回か言及されることになりますので、覚えておいてもいいかもしれません。 それと、森田氏が述べる「真の目的論」

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目的なき教育技術への警戒

本記事で扱う論文は以下のリンクから読むことができます。 画面右側にある「PDFをダウンロード」という赤い部分をクリックしてください。 さて、本記事は「私自身のために」書かれた記事であることを始めにお断りしておかないといけない。これは、私の研究を深めるために書かれたものである。しかし、だからと言って読みにくいというわけではない(はずである)。 文章としてnoteなどで記事に出すと、それを読む人がいる。読んだ人は「勉強になった」と思うかもしれないが、当然、最も勉強になっている

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反体制小説 龍の勢い

 二年に一度の割合で、とある町に人が集まる。昼から夜まで打ち上げ花火を楽しみ、普段はのどかな田舎町が、その日は地元の人も含めて、大勢の人でにぎわいを見せる。  トモキという小学五年生が、七段ギヤの自転車に乗って颯爽と小学校前に現れた。少し遅れて、同級生のマンパチ達が姿を見せた。  今日は十人ほど集まる予定だが、黙って待っていてもつまらないので、缶蹴りを始めるかとトモキが言った。  拾ってきた空き缶を片手に、トモキ達は近くの神社に向かった。トモキ達のクラスでは、缶蹴りが流行って

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教育学における「規範欠如」問題に関する一考察

要旨 本論考では、まず教育学における「規範欠如」について論じる。日本における近代公教育が始まった約150年の間に、教育に対する社会のまなざしは変化してきた。それに伴い、学校教育に求められるものも変化してきたのである。 明治初期は近代国家における「国民」の育成が喫緊の課題であり、戦前までは国家主義イデオロギーを扶植するための装置にあり、昭和の中頃までは学歴社会を高く上昇していくための場所だったのだろう。もちろん、これらは時代ごとに明確に区分できるものではない。しかし、学校

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規範が欠如した教育の問題点

教育学には規範が欠如しているという話をしようと思う。 これは言い換えると「何のために教育をしているのか」という問いに対して、教育学は答えることができていない、という話である。 教育という営みは「方向づけ」である。それは、教師が子どもたちに「教える」という点からも明らかであろう。そして、教育が「方向づけ」である以上「どの方向に進んでいくのか」というのは死活的に重要な問題でもある。公教育という以上、みんなで揃って崖の方へ行ってしまうのは自滅への道である。 しかし、それができて

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「学力向上」に焦点化された学校教育で誰が得をするのか

学校教育は何を達成するための場所なのだろう。 こんな問いが私の頭には常に浮かんでいる。これは、最近の教育行政への違和感なのか。それとも、戦後復興から経済成長を経て「失われた◯十年」まで、実はずっと学校教育を支配してきた価値観だったのか。 「学校とは勉強をするところです」 小学生に聞いてみれば、ほとんどの子どもはこう答えるであろう。そして、これは子ども自身が考えた言説ではなく、その周囲にいる大人から「学校とは勉強をするところである」という価値観を植え付けられてきたからであろう

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【カンボジアの学校へ行こう!39】 #プロジェクト成功のカギ(2)#すべては学校長の決断次第#熱血先生応援プロジェクト(空回りしない)

◾️ 校長先生がプロジェクト成功のカギ 現在進行しているのは「州内のすべての中等学校」という大所帯を相手にした図書館と学校保健という2つのプロジェクトです。成功させる秘策。それは各学校の校長たちのモチベーションを如何に高めかるという事。 日本のシステムと違って、カンボジアの公立学校では、なんと基本的に教員たちの人事異動がありません(!)。すなわち学校における校長職は永続的で校内における影響力は絶対です。逆に言えば、校長さえ積極的になってさえくれれば、全てのプロジェクトは上

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先生が「休みづらい」ことを考える

学校の先生は休みづらいと言われている。 学校はカレンダー通りの勤務体系なので、土日祝は休みであるが、平日は基本的に毎日開いている。そして、朝は8時過ぎから子どもたちが登校してきて、(高学年であれば)午後4時過ぎまでは残っていることもある。これは教員の勤務時間のほとんどの時間に「子どもが学校にいる」という状態である。その中で、提出物の点検、会議、研修、保護者対応、事務仕事など諸々している先生は「有給休暇」を取得している暇がないのである。 あまり知られていないが、実は学校の先生

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学校の先生の転職事情

3月の残りわずかのこの時期、SNS上では「退職の報告」をする教員が出てくるのも春の風物詩となりつつあります。 一方は「心労」で退職を決断された先生たちがいます。 彼女・彼らは、その業務の負担から年度途中から心が折れてしまっていたにも関わらず「責任感」という最後の手綱だけで、3月まで戦い抜いた勇者たちです。年度途中で辞めてしまうことの意味をよくわかっているからこその勇姿に、私は本当に拍手を送りたい。 現在の学校現場には、この「責任感」だけで、何とか毎日学校に通えている先生がた

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学校教育を崩壊させる方法

「学校教育を崩壊させる方法」なんてセンセーショナルなタイトルを付けてしまったから、ご期待の諸氏を満足させる内容を書かないといけなくなってしまった。こうやって自身でハードルを上げてしまうのは僕の生来の悪癖である。これがうまく機能することもあったが、同じくらい失敗したこともあったので、その判断はこれを読み終わった後の諸氏に任せることにしよう。 さて、学校教育を崩壊させることは容易い。 それは保護者が担任の先生について「あの先生は信用ならない」と子どもに言うだけである。本当にこれ

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学校におけるホウレンソウについて

今回の記事を書くきっかけは以下のツイートです。 これには賛否両論、たくさんの意見をいただきました。ただTwitterでのツイートの宿命として様々な解釈があったみたいで、それについては僕も反論をしたいなと思ったので、こうやって筆を取ることにしました。 まず、大前提として僕自身がまったく「報告・連絡・相談(ホウレンソウ)」をしないということではありません。そして、ホウレンソウに意味がないとも思っていない。例えば、責任の所在を個人から組織に移すという意味でホウレンソウは自衛の手

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教師は「子ども」を見ているか

「主体性が奪われた先生が主体的な子ども育てることは可能であろうか」 こんな命題が脳内に流れてきた。 もちろん「否!」と言いたいところであるが、文科省の教育政策を現場から眺めていると「それは可能であるし、できないのならば現場の能力が低いからだ(だから、より主体性を奪ってコントロールするしかない)」と考えているのでは無いかと疑いたくなってしまう。 学習指導要領というのがある。 教科書はこれを元にして作られており、授業時間数の規定や、学年ごとに指導するべき漢字なども載っている、

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とある教師の愚痴

学校には数多くのステークホルダーが存在します。ステークホルダーとは「利害関係者」と訳される言葉ですが、ここでは「学校関係者」という意味で使わせてもらいます。学校のステークホルダーは、文部科学省、教育学者、教育委員会、地域住民、保護者、そして、子どもなどが挙げられるでしょう。最近では、「教育評論家」も増えてきた印象ですね。彼らも学校の「おかしさ」を告発することで利益を得ているわけですから、立派なステークホルダーです。 つまり、学校の先生をやる以上、上記で挙げたステークホルダー

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もしも自分が学校を創設したら:【校則】

また面白そうなお題を見つけてしまったw 【 #みらいの校則 】そうだなぁ…先ずは 《校風》 学校の全ての職員も生徒も挨拶の出来る人間になるよう指導 「ありがとう」「ごめんなさい」の気持ちを常に持つよう指導 男女共学 生徒の特性で登校時間を2種類から選択 8:15登校(朝強い生徒) 10:15登校(起立性調整障害、睡眠障害など朝弱い生徒) 自習室あり(8:30~18:00解放) 希望者は補講や補習可 掃除は学校全体で協力して行う 問題は話し合いでその日のう

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学力保障の闇

「学力保障」という考え方があります。 学校が子どもたちに身につけさせるべきものは「学力」であるという考え方ですね。 1981年、アメリカのレーガン大統領は「危機に立つ国家」という報告書を出していますが、その内容には、国民の識字率の低下への危機意識が叫ばれていました。 報告書には「アメリカの成人の2300万人は日常の読み書き理解テストができない」や「17歳の多数が高度な知的スキルを持っておらず、40%は文章題から推論ができず、説得力のある文章も書けない」などが述べられています

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#こんな学校あったらいいな

なんて、シンプルでステキな題材だろう。 ボクは約5年間専門学校で講師をしていた。 その時に思っていたことやなんとなく憧れ的な感じで描いてみようかな。 ①生き物に囲まれている これは前職がどうぶつの学校だったから思うのだが、これは本当にいい。 そして、犬達はめっちゃかわいい。猫もウサギも、魚も…とにかく人間以外の生き物がいる環境というのは非日常空間で楽しい ②学んだことをすぐに実践しまくりたい 結局、自分が楽しいと思ったことを勉強している時っておそらく自分の中でもやってみ

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【カンボジアの学校へ行こう!37】 #全部の中学校に保健室!#コッコン州 #熱血先生応援プロジェクト(空回りしない)

◾️ プロジェクト・フェーズ2始動! 世界中でコロナを契機に保健教育の重要性が強調されてますが、それを担っていくのは「公衆衛生学」保健行政の専門家、日本で言うと厚生労働省が管轄する医療機関ですね。   実は子供の頃から「健康教育」を学習する「保健教科」のカリキュラムを国で扱っていて専門の保健教員(養護教員)がいる国ってどこの国にもあるわけではないのです。😳   その盲点を、日本財団と一緒に2020年からコロナ蔓延を予知して(ウソ)、学校保健教育を牽引する東京学芸大学の指導の

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宿題と向き合う

学校には宿題という文化がある。 ここで「文化」という言葉を使ったのは、宿題という言葉は、学習指導要領や文科省の文書などにはほぼ登場しない言葉であり、なんら制度的・法的根拠を持たない教育実践だからである。 宿題について各種研究を行っているという宮崎麻世も宿題について以下のように述べている。 宿題に類するものは学校にはいくつか存在していて、たとえば「通信簿(通知表、あゆみ)」などと呼ばれる、学期末に子どもたちへ配られる学業成績などを記述した用紙についても、これは法的に定められ

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教育実践を学ぶことの危うさ

学校の先生の多くは勉強をしている時間がないほど忙しく働いているし、余暇に教育についての本を読んだり、持論をSNSへ発信したり、自分の時間とお金を使って研究会に参加したりしている先生は本当に少ない。 Twitter(新X)を見ていると、まるで先生のほとんどがSNSをしているかのような錯覚を覚えることがあるが、大多数の先生は「休みの日まで教育のことなんて考えたくない」というのが本音なのだろう。 実際、僕もリアル職場の同僚と飲みに行くことも、キャッチボールをすることも、フットサ

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