紡がずにはいられない言葉の数々は、世界に希望を見いだし、焦点に光を集めるために必要なこと。日々の喧騒の中にあって、無秩序の中に秩序を作り、混沌の中に救いを見出したいから。 私がわたしでいられる為に、糸を吐く蚕のように生きた痕跡を残しておく。
一晩安静にしたおかげで解熱していますが発熱後の揺り戻しとでもいうような不調です。まだ抜けきってはいないんだろうな。しかし週末に企んでいるプチ計画のために不用意に会社を休むわけにはいきません。なんとか無事に乗り切らねば。今晩も冬布団をかぶって早めに寝てしまおう。DVD借りようかな。
何故25年前にザコに通っていたのか?当時ザコマス夫妻はザコの二階部分を賃貸していてそこに友人(ザコマスより年上)が住んでいたためだ。その友人は当時京都では知る人ぞ知るバンドマンで磔磔というライブハウスで定期的にライブをしていた。岡山に住んでいた僕はそのライブを観に行っていたのだ。
単身京都出張に行ってきた妻が百万遍のZACOにも行ってくれたそうだ。ちょうど25年前によく通った京大生御用達の喫茶店なのだがすっかり様変わりしてお洒落な雰囲気になっていて大繁盛だったそうだ。ザコマス(ザコのマスター)と奥様もご健在ということで安堵した。もう70歳代か。達者である。