寺田亜胡

京都への愛と日常を綴るだけ

寺田亜胡

京都への愛と日常を綴るだけ

最近の記事

友達との関係性が変わったことがすごく苦しくて そんなに大事だったのか、 もしかして好きだったのかって悩んでいた。 少し時間が経って思うのは、それは単に「喪失」であったということ。 「喪ったこと」以上の痛みではない。 #友人 #喧嘩 #失恋 #日記

    • 真っ白い猫に、わたあめって 名前をつけて一緒に暮らしたい #夢 #日記

      • 人は変わりゆくものだから、 言わないでも分かり合えることより、なんでも言えることの方が大事だと思う。 遠距離を通して、なんでも言えるようになった気がしてる。成長。 #恋愛 #遠距離恋愛

        • ラーメン

        友達との関係性が変わったことがすごく苦しくて そんなに大事だったのか、 もしかして好きだったのかって悩んでいた。 少し時間が経って思うのは、それは単に「喪失」であったということ。 「喪ったこと」以上の痛みではない。 #友人 #喧嘩 #失恋 #日記

        • 真っ白い猫に、わたあめって 名前をつけて一緒に暮らしたい #夢 #日記

        • 人は変わりゆくものだから、 言わないでも分かり合えることより、なんでも言えることの方が大事だと思う。 遠距離を通して、なんでも言えるようになった気がしてる。成長。 #恋愛 #遠距離恋愛

        • ラーメン

          文化は、孤独に効くから。

          暇があるといけない、と祖母はよく言っていた。暇があると、余計なことを考えてしまうからね。祖母は都会に住んでいたけれど、自分の手で野菜を作っていた。暇を作らないようにしているんだよ、と遠い目をして言った。 自粛期間は、本当に「暇」だった。どうでもいいことばかりが頭をよぎった。将来への不安、人間関係、今の自分を必要としてくれる人なんて誰もいないんじゃないか… ぐるぐると悩む自分も嫌いだった。起こってもいないことを悩むのは意味がないことだけわかっていた。 そんな「暇」を埋めて

          文化は、孤独に効くから。

          同性同士は事実婚と認められない?

          同性パートナーを殺害された愛知県の男性が、事実婚の配偶者には認められる犯罪被害者給付金を不支給とした愛知県公安委員会の裁定取消しを求めた訴訟。 判決は、「同性同士は事実婚と認められない」として請求を棄却しました。 判決全文はまだ入手できていませんが、判決理由は、事実婚の配偶者と認めるには「同性間の共同生活が婚姻と同視できるとの社会通念が形成されていることが必要だが、裁定時に形成されていたとはいえない」と述べているようです。 注意すべきなのは、この裁定時が2017年である

          同性同士は事実婚と認められない?

          まちぶせしてるの #京都 #鴨川 #鳥

          まちぶせしてるの #京都 #鴨川 #鳥

          夜の京都を走る。 半袖短パンの若者が何人か、コンビニから出てきた。 疲れた顔の中高年の男が、ゆっくりと道を歩いている。 大学周りには、座り込んでチューハイをのむ男女の姿。 夜はみんな、マスクをしていない。 静けさの中に、私の足音が響く。いい気分だ。 #京都#ランニング#大学生

          夜の京都を走る。 半袖短パンの若者が何人か、コンビニから出てきた。 疲れた顔の中高年の男が、ゆっくりと道を歩いている。 大学周りには、座り込んでチューハイをのむ男女の姿。 夜はみんな、マスクをしていない。 静けさの中に、私の足音が響く。いい気分だ。 #京都#ランニング#大学生

          わたしの原動力は、圧倒的に負のエネルギーだ。 穏やかなふりをして日々を生きながら、ふざけるな、なめてんじゃねえ、と叫んでいる。 今にみてろ、追い抜いてやる、そう思って生きてきた。 だけど、これこそがわたしの弱さ。負のエネルギーに頼らないと戦えないなんて、全体として既に負けている。

          わたしの原動力は、圧倒的に負のエネルギーだ。 穏やかなふりをして日々を生きながら、ふざけるな、なめてんじゃねえ、と叫んでいる。 今にみてろ、追い抜いてやる、そう思って生きてきた。 だけど、これこそがわたしの弱さ。負のエネルギーに頼らないと戦えないなんて、全体として既に負けている。

          カフェがラーメン屋になった

          カフェがラーメン屋になった

          6月もほどほどに頑張りましょうね

          6月もほどほどに頑張りましょうね

          唐突に来る6月に驚いて死んでしまわないように

          4月もなく、5月もなく、絶望もなく、希望もなかった。 流行りの病は、どこか遠くで起きていて、有名人の死でさえ身に迫ってはこなかった。 出歩くことはしなかった。普段から外に興味はない。誰かに後ろ指を指されるのも面倒だった。 それが4月や5月でよかったと思う。たしかに今年度の新入生は可哀そうだし、資格試験の受験者はひどい目にあっている。 しかし、そこには日差しがあった。せめてもの、救いがあった。 それがもし6月であったなら、雨の降り注ぐ毎日は、人々を責め立てただろう。そ

          唐突に来る6月に驚いて死んでしまわないように

          決して交わりはしないから

          それは愛ではなかった。 執着でもなかった。 大事にされていた?そうでもなかった。 飽きたわけではなかった。最初から変わらなかった。 でも彼は、単なる「男友達」ではなかった。 二年ほど前の話だ。 わたしはレズビアンで、恋愛の対象は女性だ。男性を好きになることなど無いと思っていた。 彼と抱き合う夢を見たとき、はっと目覚めて泣きそうになった。自分がわからなかった。本当は男性が好きなのにもてないから、負けた気持ちになるのが嫌で、女性に逃げているんじゃないか。そういう心の

          決して交わりはしないから

          あるレズビアンの失恋について

          この春(春といっても、自粛生活の中でそれを感じることはほとんどなかったが)、大きな存在をうしなった。 彼女はわたしの友達であり、わたしが一方的に好きな相手であった。わたしは彼女に恋をしていた。 正しさを正しいままに主張する彼女が好きだった。黒い髪が風になびくのがきれいだった。優しいけれど正しさを優先するところが大好きだった。全部わたしに欠けていたから。 わたしは彼女に想いを告げなかった。彼女も何も言わなかった。ただ一言、「彼氏ができた」とだけ教えてくれた。 彼女は他の

          あるレズビアンの失恋について

          寂しいことを認めないとね

          寂しいことを認めないとね