藤井満

元新聞記者。著書に「京都大学ボヘミアン物語」「僕のコーチはがんの妻」「北陸の海辺自転車紀行」「能登の里人ものがたり」「石鎚を守った男」など。 一部有料記事がありますが、訳あってアクセス数を減らすための措置なので、直接メッセージをいただければ一時的に無料で開放します。

藤井満

元新聞記者。著書に「京都大学ボヘミアン物語」「僕のコーチはがんの妻」「北陸の海辺自転車紀行」「能登の里人ものがたり」「石鎚を守った男」など。 一部有料記事がありますが、訳あってアクセス数を減らすための措置なので、直接メッセージをいただければ一時的に無料で開放します。

マガジン

  • 能登2011〜24

    大地震に襲われた奥能登。地震前の能登の魅力と被災状況と再生の道のりを追います

  • 熊野古道・西国三十三所

  • 異界・聖地巡り

    日本の聖地、あるいは異界の旅行記

  • 九州・沖縄

    九州と沖縄の旅行記2022〜

  • 中南米

最近の記事

川崎と青山と渋谷の岡本太郎

 小田急線の向ヶ丘遊園駅でおりて徒歩30分、首都圏のまんなかの広大な生田緑地に岡本太郎の美術館がある(500円)。  訪ねた日の常設展のテーマは「目もあやなオバケ王国 岡本太郎のオバケ論」。  常設展の冒頭は、漫画家だった父の一平と、歌人で小説家だった母かの子の紹介からはじまる。太郎は母を愛し尊敬していたが、49歳で死んだ。そういうところに目がいってしまう。  ぼくはオバケや妖怪のおもしろさは水木しげるからまなんだ。妖怪は、信じる人にはみえる。こっけいで楽しい生き物なのだ。太

    • 奇想の系譜 又兵衛ー国芳<辻惟雄>

      ■ちくま学芸文庫241103  岡本太郎が縄文を再発見するのと軌を一にして、筆者が伊藤若冲らを再発見したときいて、両者にどんな関係があるのか知りたくて購入した。縄文との直接のつながりには言及していないけど、野卑とか頽廃とかさげすまれていたものの美的価値を発見する感性は、岡本太郎と似ている。  1968年に「美術手帖」に連載したものをもとにしている。  登場する6人は当時は無名の存在だった。主流から逸脱した「傍流」「異端」とされ、国内では評価されず多くが海外のコレクターに買われ

      • 太陽の少年<チアン・ウェン監督>

         1994年の中国映画。  舞台は1970年代の北京。文化大革命の時代、大人は政治闘争、青年は農村におくられ、北京のまちは十代の若者が跳梁跋扈していた。毛沢東をたたえる歌などが時代の空気を表現する。  軍用トラックと公共交通機関はあるが、庶民はおっさん自転車が主要な交通機関だ。不良少年たちも、バイクではなくて自転車で暴走する。1986年に中国を旅行したときはまだそんな雰囲気だった。多くの人が人民服を着ていたし。なつかしい風景だ。  主人公は16歳の不良少年。愚連隊同士がけんか

        • フランクルとの<対話>苦境を生きる哲学<山田邦男>

          ■春秋社241029  対話形式で筆者とフランクルのかかわりをたどる。むずかしい内容を対話で反復するから理解しやすい。フランクル関連の本は5,6冊読んでいるから、びっくりする内容はないが、フランクルと西田幾多郎を介した禅の思想の共通点の指摘や、東日本大震災との関連などは興味深かった。  なにかに無我夢中になるとか、美しい景色にみとれるとき、自然に自分を忘れる。子どもがおぼれそうになったとき、だれもがハッと思う。そこから一瞬、間をおいて、自我が顔を出し、利害得失を考える。ハッ

        マガジン

        • 能登2011〜24
          24本
        • 熊野古道・西国三十三所
          30本
        • 異界・聖地巡り
          31本
        • 九州・沖縄
          11本
        • 中南米
          17本
        • 東北・北海道
          26本

        記事

          いしるをめぐる夜の妄想

           一晩中、2時間に一度起きて、夢にうつつにイシルのことばかり考えていた。熱のせいかな。  ▽真脇の縄文遺跡にはイルカもイノシシも熊も、さまざまな魚も、縄文人が食べた痕跡がある。当然、イカやイワシも食べたろう。塩はつくっていたから塩漬けにしたら塩辛やイシルができたはずだ。  ▽でも魚醤は、稲作と密接な関係があるという。東南アジアで、一時期に大量にとれる淡水魚を活用するために塩漬けにしたのが魚醤で、米と一緒に漬けたのがなれずし。ということは、稲作伝来以前にはさかのぼらないのか。

          いしるをめぐる夜の妄想

          能登2011-24復活の廃寺に蛸みこし 曽良の千手院で「いのちの研究会」

           穴水町曽良の海臨山千手院は住職がいなって檀家はゼロになり、縄文焼きを制作していた新出良一さんが2017年に亡くなったあとは荒れるにまかせていた。この廃寺に2024年元日の能登半島地震後、北原密蓮さんが住職に就任し、穴水町でガソリンスタンドを経営する森本敬一さんが復興ツーリズムの拠点として活用しようとしている。  10月12日には、宗教学やグリーフケア、文化人類学者らが「災害に向き合う」というテーマで「いのちの研究会」をひらいた。雨もりが修理され、きれいな畳がしかれた本堂には

          能登2011-24復活の廃寺に蛸みこし 曽良の千手院で「いのちの研究会」

          自分とかないから。<しんめいP著、鎌田東二監修>

           気持ちよいほどズバッと簡単に東洋哲学をまなべる本だ。  東大法学部をでて一流IT企業にはいったはいいけど、組織でうごくことができずすぐに退職し、田舎にいこうと奄美大島に移住するけど、それも失敗、芸人をめざしてR1グランプリにでるが笑いのひとつもとれず敗退。離婚して、32歳で実家でひきこもり生活に。  なにもかも失ったとき、東洋哲学にであい、本をむさぼりよんだ。その結果、たとえば禅の教えを「言葉を捨てろ」とひとことで要約してしまう。その教えから自分がどうやって生きる力をひきだ

          自分とかないから。<しんめいP著、鎌田東二監修>

          夜と霧 フランクル NHK100分で名著<諸富祥彦>

           フランクル関連の本は5,6冊よんでいるから、内容に新鮮味はないが、簡潔にフランクルの思想をまとめていてわかりやすかった。  みずから活動することによって得られる「創造価値」が失われても、だれかと深く愛し合えたという思い出があれば「生きていてよかった」と思える。それが「体験価値」だ。その体験価値がないとしても、 「祈り」などの「態度価値」を実現する精神的自由だけは、どんな劣悪な環境でも、奪い取られることはない。  こうしたフランクルの思想は、ナチスの収容所での体験によって形成

          夜と霧 フランクル NHK100分で名著<諸富祥彦>

          眠れないほどおもしろい おくのほそ道<板野博行>

           芭蕉の弟子で「おくのほそ道」の旅に同行した曽良が「おくのほそ道」の世界を紹介するというしつらえ。  芭蕉の「おくのほそ道」は事実をつづった紀行文だと長らく思われてきたが、1943年の「曽良随行日記」の発見で、フィクションがかなり混ざっていることが明らかになった。芭蕉の「見てきたようなうそ」をあきらかにしていく様子がまずおもしろい。  名句とよばれる句がどんな背景でできあがり、なにが斬新で、なにがすごいのか、どこがフィクションなのかという解説も興味深い。  たとえば「古池や 

          眠れないほどおもしろい おくのほそ道<板野博行>

          能登2011-24㉑塗師屋がそだてた輪島塗

          「能登の食」を語るとき輪島塗は欠かせない。家々の蔵には赤や黒の膳があり、夏祭りではそれに「ごっつぉ」を盛ってふるまう。浄土真宗の寺の「講」でも、輪島塗の膳に煮物などがならぶ。  なぜ、輪島に輪島塗がそだったのだろう。 塗師屋は総合プロデューサー  輪島の漆器は、下地に地の粉とよばれる珪藻土をつかい、木地の破損しやすい個所に麻布をはる「布着せ」をほどこし、その上から何度も漆をぬりかさねる。定期的に修理すれば100年以上つかいつづけることができる。他産地の漆器にくらべて圧倒的

          能登2011-24㉑塗師屋がそだてた輪島塗

          「とどけよう、平和の歌!」

           「とどけよう、平和の歌!」というコンサートをききに京都へ。  映画プロデューサーのHさんが「平和のためになにかしたい」と思い、音楽関係者に声をかけて実現した。  合唱団にはじまり、沖縄戦をテーマにした絵本の朗読。それから沖縄の三線。どれも心にしみる。  尺八は「コンドルは飛んでいく」などを演奏し、迫力ある津軽三味線は口をあんぐりあけてききいった。  カオリンズは在日1世として日本で苦労してきた母の人生を重ねながら圧倒的な声量でうたい、最後は、川口真由美さんと障害者の

          「とどけよう、平和の歌!」

          「仮住まい」と戦後日本<平山洋介>青土社

           戦後日本の住宅政策は、1950年代に整備され、住宅金融公庫法(50年)、公営住宅法(51年)、日本住宅公団法(55年)を3本柱とした。だが中心を占めたのは、住宅ローン供給をになう公庫だった。  住宅ローン供給の拡大によって、高度経済成長までは「貯蓄」によって持ち家を入手したのが1970年代になると「借金」に依存する度合いが高まった。持ち家の普及は「財産所有民主社会」を安定させる意味をもっていた。  オイルショック、第2次オイルショック(1979)、プラザ合意(85)、バブル

          「仮住まい」と戦後日本<平山洋介>青土社

          能登2011-24⑳辺境に咲くキリシマツツジ 穴水・四村

           穴水町の四村(よむら)地区は、標高200メートルの山間の盆地に40軒ほどの家が点在している。冬は1メートルの雪にとざされる高齢化率5割超の「限界集落」だが、能登キリシマツツジを活用した村おこしをしかけ、「農家レストラン」をひらくなど、なぜか元気だ。(2011年) キリコも学校も消えたムラをいろどる  枯れ葉が舞う谷間の田にキリシマツツジの幼木がならんでいる。ツツジによる村おこしをはじめて20年余。黒い土をさらしていた休耕田はツツジ畑となり、いっせいに開花する5月の風景は

          能登2011-24⑳辺境に咲くキリシマツツジ 穴水・四村

          #京都大学ボヘミアン物語 結成40周年記念集会③女人禁制解除

           翌日はいったん自宅に車をおきにかえり、13時ごろ出町柳のデルタへ。  ブルーシートをしいてすでに30人ほどで酒盛りがはじまっている。12時すぎに到着した9人はすでに雀荘に消えていた。  そのうち、ボヘハウスにでかけていったヤツが現役ボヘミアン3人をつれてきた。  昨夜ののこりの酒をのませながら、現在の活動について尋問した。  まずは新歓。  「鶏殺〜る」は、新入生のごったがえすなかで鶏を殺して鍋にするという恒例イベントだ。だが今年は「ハム殺〜る」も企画した。  ハムというの

          #京都大学ボヘミアン物語 結成40周年記念集会③女人禁制解除

          #京都大学ボヘミアン物語 結成40周年記念集会②家庭崩壊の危機

           ボヘミアン40周年記念集会の初日。昼間からビールをあおっていると、ヤマハラが深刻な表情をつくって近づいてきた。 「ねえ、フジャー、ひとつ大事なたのみがあるんだけど……」
  どうせたいした話ではない。 
「本のことでだれかにバカにされたんか?」と言うと、  じつは……と口ごもったあと、ヤフーニュースにボヘの本の紹介記事があったのを娘が見て……と、話しはじめた。娘はいきなりヤマハラにたずねた。 「ねえ,パパってボヘミアンだったって言ってたよね?」 「なんだっけ、そんなことあっ

          #京都大学ボヘミアン物語 結成40周年記念集会②家庭崩壊の危機

          ボヘミアン結成40周年記念集会①

           ボヘミアン40周年記念大集会が9月14、15日、近江八幡の国民休暇村でひらかれた。
 正午に到着してカヌーをこいでいたらじょじょに集まってきた。  セージ一家が「バーベキューハウス」を開店し、年長グループがはやくも飲んだくれている。  今回最大の功労者は事務局長をつとめた4期生のミズコと事務局次長としてミズコにこきつかわれたオクムラだ。 「フジャーは、カヌーをやりたいやつをのせてやってくれ」  ミズコの指令はオレでも断れない。ビール1缶だけあおって、カヌー未経験者を浜辺に案

          ボヘミアン結成40周年記念集会①