藤井満

元新聞記者。著書に「京都大学ボヘミアン物語」「僕のコーチはがんの妻」「北陸の海辺自転車…

藤井満

元新聞記者。著書に「京都大学ボヘミアン物語」「僕のコーチはがんの妻」「北陸の海辺自転車紀行」「能登の里人ものがたり」「石鎚を守った男」など。 一部有料記事がありますが、訳あってアクセス数を減らすための措置なので、直接メッセージをいただければ一時的に無料で開放します。

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記事一覧

#京都大学ボヘミアン物語 結成40周年記念集会③女人禁制解除

 翌日はいったん自宅に車をおきにかえり、13時ごろ出町柳のデルタへ。  ブルーシートをしいてすでに30人ほどで酒盛りがはじまっている。12時すぎに到着した9人は…

藤井満
9時間前
1

#京都大学ボヘミアン物語 結成40周年記念集会②家庭崩壊の危機

 ボヘミアン40周年記念集会の初日。昼間からビールをあおっていると、ヤマハラが深刻な表情をつくって近づいてきた。 「ねえ、フジャー、ひとつ大事なたのみがあるんだ…

藤井満
21時間前
5

ボヘミアン結成40周年記念集会①

 ボヘミアン40周年記念大集会が9月14、15日、近江八幡の国民休暇村でひらかれた。
 正午に到着してカヌーをこいでいたらじょじょに集まってきた。  セージ一家…

藤井満
21時間前
3

4000年つづいた縄文のムラ 真脇遺跡

 能登の入り江には、縄文時代から人々が定住していた。とりわけ能登町の真脇遺跡(国史跡)は、縄文時代前期(約6000年前)から晩期(約2300年前)まで約4000年…

藤井満
3日前
8

水の心<大重潤一郎監督>

 1991年につくられた27分の短編。もとは宗教団体の依頼で撮影したものだという。  ヒマラヤの氷の峰から生まれる1滴の水がすこしずつ集まり、冷たい渓流となり、…

藤井満
2週間前
5

「うんこと死体の復権」

 アマゾンの探検家で医師の関野吉晴が監督。  常識をくつがえし、汚いもの、みたくないものを徹底的につきつけられる。なのに見終わったあとは、ある種のさわやかさをか…

藤井満
2週間前
5

タイムカプセルとして広重をみる

 あべのハルカスへ「広重―摺の極―」をみにいく。  安藤広重だと思っていたら、今は歌川広重だという。本名は安藤重右衛門。安藤は姓で広重は号であり、両者を組み合わ…

藤井満
3週間前
5

指先切断で知った21世紀の傷治療法

 鳥取旅行中の7月26日金曜に人差し指の先5ミリほどをバッサリ切断して、医者に電話したら「血が止まっていて腫れていないなら週明けでも大丈夫」と言われた。そのまま…

藤井満
4週間前
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ボヘミアンの夏休み③幻のイワナ「ゴギ」

 ボヘミアンの釣り名人ミズコと隊長セージの今回の最大の目的はイワナ釣りだ。なかでもゴギという種類のイワナは、中国地方のみに生息し、背面の白点が頭部にまであるのが…

藤井満
1か月前
5

ボヘミアンの夏休み②天空のクロム鉱山

 2日目の朝、人差し指のバンドエイドをめくると、血はジワジワにじむ程度だ。  休日診療の病院に電話で相談したら、「出血がだいたいとまって、腫れていないなら週明け…

藤井満
1か月前
3

ボヘミアンの夏休み①オオサンショウウオ

 今年はボヘミアン結成40周年。秋の記念大会のプレイベントとして、シマモトが鳥取県日南町でいとなむ「体験民泊 やげ屋」を、セージ(隊長)、ミズコ(釣り名人)、オ…

藤井満
1か月前
9

「日本」とはなにか<米山俊直>

■人文書館 240619   著者はアフリカから祇園祭などの日本の祭りまで調べてきた文化人類学者。学生時代、私は彼の祇園祭フィールドワークのゼミに参加させてもら…

藤井満
3か月前
9

能登2011-24⑱間垣がまもる「奇跡のムラ」 上大沢と大沢(輪島市)

 能登半島の外浦(日本海側)にかつて見られたニガタケの垣根「間垣」は、サッシの普及などで大半が姿を消した。だが「最後の秘境」とよばれた旧西保村(輪島市)の上大沢…

藤井満
3か月前
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能登2011-24⑰集団避難のムラに「百姓」はのこった 輪島・南志見

御陣乗太鼓の里  輪島市街から東へ10キロあまりの南志見(なじみ)地区は1954年までは南志見村という独立村だった。「白米千枚田」や「御陣乗太鼓」で知られ、能登…

藤井満
3か月前
9

問題意識型と地域描写型 能登半島地震で見た記者の2類型

■問題意識型と地域描写型 記者の2類型  能登半島地震がおきて、輪島の友人から尻をたたかれて2月から取材をはじめた。  そのなかで、記者には2種類いると実感した…

藤井満
3か月前
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能登2011-24山が崩れ9人犠牲に 珠洲・仁江を再訪

 海藻の取材をした珠洲市仁江町は、能登半島地震で山が崩落し、直下にあった民家で正月をすごしていた9人が亡くなった。  2024年2月、海沿いの国道249号は寸断…

藤井満
3か月前
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#京都大学ボヘミアン物語 結成40周年記念集会③女人禁制解除

#京都大学ボヘミアン物語 結成40周年記念集会③女人禁制解除

 翌日はいったん自宅に車をおきにかえり、13時ごろ出町柳のデルタへ。
 ブルーシートをしいてすでに30人ほどで酒盛りがはじまっている。12時すぎに到着した9人はすでに雀荘に消えていた。
 そのうち、ボヘハウスにでかけていったヤツが現役ボヘミアン3人をつれてきた。
 昨夜ののこりの酒をのませながら、現在の活動について尋問した。
 まずは新歓。
 「鶏殺〜る」は、新入生のごったがえすなかで鶏を殺して鍋

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#京都大学ボヘミアン物語 結成40周年記念集会②家庭崩壊の危機

#京都大学ボヘミアン物語 結成40周年記念集会②家庭崩壊の危機

 ボヘミアン40周年記念集会の初日。昼間からビールをあおっていると、ヤマハラが深刻な表情をつくって近づいてきた。
「ねえ、フジャー、ひとつ大事なたのみがあるんだけど……」

 どうせたいした話ではない。

「本のことでだれかにバカにされたんか?」と言うと、
 じつは……と口ごもったあと、ヤフーニュースにボヘの本の紹介記事があったのを娘が見て……と、話しはじめた。娘はいきなりヤマハラにたずねた。

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ボヘミアン結成40周年記念集会①

ボヘミアン結成40周年記念集会①

 ボヘミアン40周年記念大集会が9月14、15日、近江八幡の国民休暇村でひらかれた。
 正午に到着してカヌーをこいでいたらじょじょに集まってきた。
 セージ一家が「バーベキューハウス」を開店し、年長グループがはやくも飲んだくれている。
 今回最大の功労者は事務局長をつとめた4期生のミズコと事務局次長としてミズコにこきつかわれたオクムラだ。
「フジャーは、カヌーをやりたいやつをのせてやってくれ」
 

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4000年つづいた縄文のムラ 真脇遺跡

4000年つづいた縄文のムラ 真脇遺跡

 能登の入り江には、縄文時代から人々が定住していた。とりわけ能登町の真脇遺跡(国史跡)は、縄文時代前期(約6000年前)から晩期(約2300年前)まで約4000年間つづいた。キリストが生まれてから現代までの2倍の長さだ。途方もない長寿のムラだったのだ。

イルカが群れる奇跡の土地

 2011年11月に復元された「環状木柱列」は、クリの丸太を半分に割った柱が直径10メートルの円状にたてられている。

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水の心<大重潤一郎監督>

水の心<大重潤一郎監督>

 1991年につくられた27分の短編。もとは宗教団体の依頼で撮影したものだという。
 ヒマラヤの氷の峰から生まれる1滴の水がすこしずつ集まり、冷たい渓流となり、大河へとそだつ。インドの川では水を浴びて祈り、バリの棚田でも水の女神にたいして祈る。人々は、水の流れを神や仏の化身とかんがえてきたのだ。そんな風景を抑制されたナレーションとともにたんたんとうつす。
 でもそのうち、違和感をおぼえてきた。
 

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「うんこと死体の復権」

「うんこと死体の復権」

 アマゾンの探検家で医師の関野吉晴が監督。
 常識をくつがえし、汚いもの、みたくないものを徹底的につきつけられる。なのに見終わったあとは、ある種のさわやかさをかんじる。
 伊沢正名は40年以上野糞をつづけ、だれもが野糞をできるように山を購入した。写真家だったが、今は「糞土師」を名のる。うんこをすると、棒に日付と名前を記して目印にして、定期的に変化を観察する。だした直後にハエがたかり、卵をうみつける

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タイムカプセルとして広重をみる

タイムカプセルとして広重をみる

 あべのハルカスへ「広重―摺の極―」をみにいく。
 安藤広重だと思っていたら、今は歌川広重だという。本名は安藤重右衛門。安藤は姓で広重は号であり、両者を組み合わせるのは適当ではないということで、教科書では1980年代に安藤から歌川に修正されたらしい。ちょうどそのころ私は中学・高校生だったが、ギリギリで「安藤広重」と教えられたようだ。

 京都からの舟が発着する大阪の八軒屋、芝居小屋のある道頓堀。比

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指先切断で知った21世紀の傷治療法

指先切断で知った21世紀の傷治療法

 鳥取旅行中の7月26日金曜に人差し指の先5ミリほどをバッサリ切断して、医者に電話したら「血が止まっていて腫れていないなら週明けでも大丈夫」と言われた。そのまま旅行を楽しんで帰宅し、3日後にクリニックへ。
「スパッと切れましたねぇ。鋸なんかでギザギザに切れるよりはましですね」
 治療は化膿止めをぬって薄いフィルムをまいて、包帯をぐるぐる巻きにして保護するだけ。切断した部分の肉がふくらんでくるのを待

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ボヘミアンの夏休み③幻のイワナ「ゴギ」

ボヘミアンの夏休み③幻のイワナ「ゴギ」

 ボヘミアンの釣り名人ミズコと隊長セージの今回の最大の目的はイワナ釣りだ。なかでもゴギという種類のイワナは、中国地方のみに生息し、背面の白点が頭部にまであるのが特徴という。
 岡田先生によると、イワナがいるところにはハンザキはいない。イワナがハンザキの卵を食べてしまうからだ。逆にハンザキのいない川にはイワナがいる。

 2日目の夕方と3日目の朝は、ハンザキのいない谷を攻めた。ぼくは左手をつかえない

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ボヘミアンの夏休み②天空のクロム鉱山

ボヘミアンの夏休み②天空のクロム鉱山

 2日目の朝、人差し指のバンドエイドをめくると、血はジワジワにじむ程度だ。
 休日診療の病院に電話で相談したら、「出血がだいたいとまって、腫れていないなら週明けでもよいでしょう。気になるようならきてください」とのこと。せっかくの夏休み、病院で時間をつぶすのはもったいない。
 シオモトの案内で、若松鉱山というクロム鉱山跡にでかける。

 若松鉱山は1905(明治38)年から操業を開始した日本最大のク

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ボヘミアンの夏休み①オオサンショウウオ

ボヘミアンの夏休み①オオサンショウウオ

 今年はボヘミアン結成40周年。秋の記念大会のプレイベントとして、シマモトが鳥取県日南町でいとなむ「体験民泊 やげ屋」を、セージ(隊長)、ミズコ(釣り名人)、オータ(ねずみ男)の4人で急襲した。
 シマモトは学生時代、頭まで筋肉でできているといわれていたが、木こりをしたり、アウトドアの教室をひらいたり、村おこしに参加したり……と、元ボヘミアンでもっともボヘミアン的な人生をおくっている。
 「やげ」

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「日本」とはなにか<米山俊直>

「日本」とはなにか<米山俊直>

■人文書館 240619

  著者はアフリカから祇園祭などの日本の祭りまで調べてきた文化人類学者。学生時代、私は彼の祇園祭フィールドワークのゼミに参加させてもらった。えらぶらない人で、フィールドワークで鉾町に2カ月みっちりかかわるのは得がたい体験だった。
 その後、何度か講演を聴き、何冊か著書は読んだが、ぼくの取材領域とはかさならないまま、2006年に亡くなった。
 能登半島地震をめぐって、先生

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能登2011-24⑱間垣がまもる「奇跡のムラ」 上大沢と大沢(輪島市)

能登2011-24⑱間垣がまもる「奇跡のムラ」 上大沢と大沢(輪島市)

 能登半島の外浦(日本海側)にかつて見られたニガタケの垣根「間垣」は、サッシの普及などで大半が姿を消した。だが「最後の秘境」とよばれた旧西保村(輪島市)の上大沢と大沢では今も独特の景観がのこる。なかでも、22軒の家が間垣にかこまれている上大沢は、周囲の深刻な過疎にもかかわらず、家の数が百年来変化しない「奇跡のムラ」という。間垣にはムラをまもる力があるのだろうか。

突風ふきすさぶ「風の都」

 輪

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能登2011-24⑰集団避難のムラに「百姓」はのこった 輪島・南志見

能登2011-24⑰集団避難のムラに「百姓」はのこった 輪島・南志見

御陣乗太鼓の里

 輪島市街から東へ10キロあまりの南志見(なじみ)地区は1954年までは南志見村という独立村だった。「白米千枚田」や「御陣乗太鼓」で知られ、能登半島地震前は約700人がすんでいた。
 地元の男しかたたくことができない一子相伝の御陣乗太鼓は、夏の「名舟大祭」で奉納される。

 7月31日の夜、山の中腹にある白山神社に4基のキリコがあつまり、神輿とともに急斜面を港にくだる。ここのキリ

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問題意識型と地域描写型 能登半島地震で見た記者の2類型

■問題意識型と地域描写型 記者の2類型

 能登半島地震がおきて、輪島の友人から尻をたたかれて2月から取材をはじめた。
 そのなかで、記者には2種類いると実感した。
 問題意識で切る記者か、「地域描写」をめざす記者か。

 前者のほうが一般に優秀であることが多い。
 珠洲原発計画のあった高屋地区と寺家地区を取材するというのは、ちょっと原発に興味がある記者ならば思いつく(はずなのに朝日と読売は書いて

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能登2011-24山が崩れ9人犠牲に 珠洲・仁江を再訪

能登2011-24山が崩れ9人犠牲に 珠洲・仁江を再訪

 海藻の取材をした珠洲市仁江町は、能登半島地震で山が崩落し、直下にあった民家で正月をすごしていた9人が亡くなった。
 2024年2月、海沿いの国道249号は寸断されているから、山のなかの小道をたどって日本海側にでた。「道の駅すず塩田村」にも、国の重要無形民俗文化財に指定された角花家の塩田にも人影がない。地震による隆起で海岸線は100メートルちかく後退している。これでは塩田に海水をくみあげるのは大変

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