今日は母の誕生日。生きていたら76才か。64年と1ヵ月で肉体から解き放たれた母。12年。干支一周しちゃったね。もう一緒に日帰り温泉行ったりカラオケしたりできないのはさみしいけれど、この12年間、私は決して孤独ではなかったよ。温かくて心地よい人の輪の中に居る。みんなが私のお母さん。
人の輪の余韻に浸ってゐる。 週末、僕は温かい人たちと大切な時間を共有した。 オン会、勉強会で10名の参加者と語らい、エッセイ講座で5名の受講生と過ごした。すべてこのnoteの中の話。 文字が言葉が人の繋がりを紡ぎ、共感の波に心地よく身を委ねる。 noteとは場なりしとぞ思ふ。
人間は難しいな。勢いで誰も知らない土地に飛び込んできたから、知らない人が多い飲み会にも素手で飛び込んでくると思ったのに盾を手にして来るとは。しかもその盾がどうにも場にそぐわず、素手で飛び込んでたら馴染めたものを盾によってよそよそしくなるという。湖より池の方が飛び込みにくいのか。
生計を立てるには、生きていくのに、 笑い合わなきゃいけない地獄 排除があるんでしょ、と気にしながら === さて、ここまで思っているかなあ 息を吸って 茶碗を眺めて ここまで思ったのを取り上げられて、 視界を変えて生活していく。
生計を立てる「優しさ」。 才で生きる徳で生きる 才が足らずに 徳はきっと放り出されてすぐいられるが、なじむ度合いは 私は生計を立てる表出箇所を知らない。
自分が本当の意味で 人の輪に入ること、入ったと実感できることは 今までもないし、これからもやってこない かなしいかもしれないが これは真実 自分はそのことを知っている