第7回「災害が持つプラスの力とは?」
2019年9月9日に千葉県を中心に襲った台風19号では、5万戸以上の家屋が被害を受けるなど、凄まじいものだった。伊豆でも、風による被害が散見された。屋根が飛ばされたり、壁がえぐり取られたられたり、倒木は山間部のいたるところで見られたらしい。
しかし今回、我が家でははさほどでもなかったし、下田市内でも、被害は千葉のように広範囲ではなかった。伊豆では2004年に来襲した台風22号のときのほうが、はるかに猛烈だった。この時は、伊豆半島の突端、石廊崎で最大瞬間風速67.6m/sを記録したのだ。
我が家は森の中にあるのだが、この台風の時、雨戸の隙間から見る木々は、右に左に、地面がつかんばかりのところまでしなり、まるで童話の世界のように生き物さながらである。
風はうなりあげ、雨が激しく森を叩いた。近くの入田浜からは、風で巻き起こった大波が、まるで地鳴りのように轟き崩れ、白波が、風に舞って視界を白くするほどだった。
「この家、だいじょうぶかしら」
夕方にも関わらず、雨戸を閉じて真っ暗な室内で、妻が不安そうな声を上げた。
「木があんなにも揺さぶられているのよ」
「我が家は、眺めがさほど良くなくてよかったね」
「どうして?」
「だって眺めがいいってことは、風の通り道になるだろ。屋根なんか、吹き飛ばされちゃうよ」
事実この時、伊豆半島の伊東では、見晴らしのいい場所で、甚大な家屋の被害が続出したのだ。
台風通過は、わずか一時間程度の間だったが、僕たちは、家の中で肩を寄せ合って過ごした。
そして嵐が過ぎ去ると、家々のまわりを点検に向かった。
すると、倒木で道路は寸断されている。そこで翌日には、近所の人々が総出で、丸一日かけて、車だけは通れるようにした。
災害があまりに大きいと、個人の力だけではどうすることもできない。多くの人の力が必要になってくる。
僕はこの災害のおかげで、そのことを痛感し、また、それまで全く見ず知らずだった近隣の人たちと知り合えて、この土地に馴染む地ならしができたのである。
移住した翌年の出来事でだった。
まさに雨降って、地固まるの例えどおりだ。
「移住者の方が、空き家制度を使って移住されることが決まりましたら、まずは区長さんのところに、一緒にご挨拶にうかがいますから」
空き家バンク事業を進める中で、僕は移住者の立場から、このように地元の顔役の人たちに説いて回った。
移住者とはよそ者で、欧米では、ときに外国からの移民だったりする。日本でも外国人労働者の多い町など、既存の日本人住民と外国人のニューカマーとの間で、軋轢は起こりがちである。「マナーを守らない」、「ルールを破る」は、日常茶飯に言われる非難の言葉だ。
しかし、ルールを知らないことも実際多いし、マナーを守らないというのは、相手を知らないばかりに起こる誤解だったりもする。
移住者にしてみれば、地元の誰に挨拶すればいいのかわからない。災害でも起これば、知り合うきっかけとなるものの、そこまで大きな災害がそうそう来るものでもない。
だから空き家バンク事業では、NPOがそのパイプ役、接着剤になろうと思い立ったのである。区長たち地元の顔役に紹介することで、彼らを後ろ盾、相談役にして、地元に馴染んでもらうのだ。外国人でも、日本人でも、こうした最初の一歩が、ボタンの掛け違いによる相互不理解を避けるには肝心なことにちがいなかった。
外国でも暮らしたことのある僕としては、居心地のいい暮らしとは、後ろ盾を得て、まずは近隣の人たちに自分のことを理解してもらうことだった。
バンコクで暮らした時は、同じアパートの一階で駄菓子屋を営むおやじが、その役割を自然に買ってくれ、おかげでアパートの住人たちに僕のことが知れ渡り、宴会にも参加するようないい仲になった。
さて今回の台風である。
10月には台風19号に見舞われ、この時も我が家は大したことがなかったが、入田浜が高波で、ビーチの砂が1メートル以上もえぐられて、大きな被害を受けた。
「ダイゴさん、どうするんです? このままじゃ、あまりにひどすぎるでしょ。市はどうしてくれるんですか?」
昨年、近所に越してきたばかりの雑貨屋の店主が言った。
僕は、浜の担当者として、現状を見てから区長に相談し、区長はすぐさま、市にも報告、それ以前に、市長もすでに視察に来てくれていたらしい。区と市の修復役割分担の話は、かなり早くに決定した。
しかし、ゴミの片づけは誰もしてくれない。頭の痛い問題だけが残った。
僕は雑貨屋の店主に相談してみた。
「どうだろう? みんなを集めてゴミ拾いをやろうと思うんだけど」
「だったら、僕はSNSで仲間のみんなに広めますよ」
「じゃあ、僕は地元とサーファーとライフセーバーに声をかけるよ」
そして一週間後、100名以上の人たちが集まり、ゴミ集めが始まった。
僕はその光景を見て、十数年前の台風一過のことを思い出していた。
この作業で、どれだけの人の輪が広がったのだろう。
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